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第4話 アースセーバー

 髪をかき上げて苦笑すると、未来は深天を指さしてから、パチンと指を鳴らした。

 ガラスが割れるような音が響いて結界が砕け散る。見えない衝撃を浴びたように悲鳴をあげて深天が倒れた。

 女子がさらなる悲鳴をあげ、座り込んでいた男たちが這いずるように逃げだそうとするが、もちろん出口は見つかっていない。

 藤咲はひとりだけ深天に駆け寄って、その身体を抱え込むようにして庇った。


「あら、感心ね」


 不思議とその声には揶揄するような響きはなかったが、それについて考えている余裕もない。


「もっと、信仰の力があれば……」


 深天が悔しげにつぶやく。


「そうね。信者があなたひとりじゃ、こんなものよ」


 憐れむような眼差しを向けると、未来は骸骨に攻撃の指示を出す。

 藤咲が思わず目を閉じたのと、何かが砕けるような音が響いたのはほぼ同時だった。


「なに!?」


 驚愕の声は未来のものだ。

 反射的に顔を上げると、いつの間にか藤咲の目の前に水色のパーカーを着た少女の背中がある。

 両手に金色の大鎌を手にして、藤咲たちを守るように、骸骨の群れの前に立ち塞がっていた。

 もちろん見覚えがある。クラスメイトの雨夜希美だ。

 教室では目立たない大人しい少女で、普段からフードで顔を隠し気味にしているが、かなりの美人で胸も大きいため、藤咲は密かにチェックしていた。

 降りしきる雨の中、吹き荒れる風がパーカーのフードをめくり希美の長い黒髪が広がる。

 武器を手にしたその姿も普段の彼女からは想像しがたいものだったが、発した声もまた意外なほどに活力に満ちていた。


「よりによって小夜楢未来だって? 面白いじゃないか」


 隠しきれない喜びを声に滲ませると、希美は金色の大鎌を振りかぶって大地を蹴った。

 金色の光が闇を裂き、骸骨の身体が数体まとめて両断される。あまりのスピードに藤咲の目はついていかなかったが間違いなく大鎌による斬撃だ。


「すげえ……」


 感嘆の声を漏らす藤咲。隣では深天もまた、その姿に息を呑んでいた。

 骸骨を統べる魔女もまた驚きに目を見開いている。


「アースセーバー……」


 魔女のつぶやきに藤咲は顔を上げて、その素顔を見た。


(綺麗だ……)


 こんな状況でありながら、素直にそう感じてしまう。

 その間にも希美は踊るようなステップで大鎌を振り回し、次々に骸骨を斬り裂いていた。

 激しい雨が世界を煙らせる中、雷光に浮かび上がった希美の横顔には初めて目にする歪な笑みが浮かんでいる。

 しかも瞳には赤い光が灯り、まるで魔女がふたりに増えたかのようだ。

 実際、ふたりはよく似ていた。

 ストレートロングの黒髪に細身だが凹凸のあるプロポーション。瞳に灯った赤い光はもちろん、顔立ちまで似通っているように思える。

 それこそ姉妹か双子のようにだ。

 だが少なくともひとりは敵で、もうひとりは藤咲たちを守ってくれている。

 その片側――味方側の魔女は瞬く間に骸骨を殲滅すると、そのまま大鎌を振り上げて躊躇なく、もうひとりの魔女めがけて振り下ろした。

 敵の魔女は大きく後ろに飛び退いて身をかわすと、手の平に炎の塊を生みだして撃ち出す。


「マジ魔法か!」


 驚く藤咲だが、希美は襲い来る炎を平然と大鎌で斬り裂いて霧散させた。

 険しい顔の魔女と愉しげな希美が迸る雷光をバックにして対峙する。


(やっぱり綺麗な人だ)


 藤咲の視線は敵の魔女に吸い寄せられていた。

 目の前で繰り広げられているのは、これまで藤咲が信じていた常識が覆るような光景だが、そんなことさえ忘れそうになるほどに小夜楢未来を名乗る魔女に魅入られている。


「あなたは地球防衛部なのね」


 つぶやいたのは未来だった。彼女はふっと息を抜いたかのように表情を和らげると懐かしそうにつぶやく。


「まだ存在していたのね」

「お前は死んだはずだけどな」


 対する希美は虎を思わせるような獰猛な笑みを浮かべている。

 これを見て未来は面白がるように笑った。


「わたしは魔女だもの。そう簡単には消えないわ」


 告げると同時に重力に逆らってふわりと宙に舞う。

 どう見ても跳躍ではない。明らかに飛んでいる。

 唖然と藤咲が見つめる先で、美しい魔女の姿はそのまま雨の降りしきる夜空へと吸い込まれるように消えていく。

 同時に周囲の風景が、壁が剥がれるかのように崩れ始めた。

 焦る藤咲に希美が告げる。


「大丈夫だ」


 視線を向けると彼女の瞳からはすでに赤い光は消えて、普段どおりの琥珀色の瞳に戻っていた。

 何を言うべきかと迷っている間にも、景色の崩壊は進み、気がついたときには、他のみんなと共に見慣れた駅前に立っている。

 雨は変わらず降り続いていたが、先ほどまでの張り詰めた空気は消え去り、喪失していた現実感が唐突に戻ってきていた。

 まるで夢から覚めたかのような感覚だ。

 降り注ぐ雨の中を水飛沫を上げながら通り過ぎていく車。

 夕闇の町をせわしく行き来する人々の群れ。

 駅を通過する列車が響かせる警笛の音。

 そのすべてが馴染みあるもので、不思議なものはどこにもない。

 一瞬、本当に夢でも見ていたのではないかと疑いかける藤咲だったが、そこにシャンッという小さな異音が混じった。

 視線を向ければ、雨夜希美が手にした鎌を折り畳んで、背負っていたヴァイオリンケースにしまうところだった。


(夢じゃねえ……)


 あらためて理解して、周りを見回せば、すぐそばで級友たちがへたり込んでいる。雨に濡れることも気にならないのか、茫然としたまま立ち上がろうともしない。

 深天だけはいつの間にか立ち上がっていたが、真剣な顔をしたまま口をつぐんでいた。

 そんな中、ただひとり雨夜希美だけが、何事もなかったかのように駅の構内に入っていく。

 朱里はそれをどこか怯えたような顔で見つめていたが、藤咲にもその気持ちはよく分かる。先ほど見せた暴れっぷりは、あるいは未来と名乗った魔女以上に怖ろしいものだった。

 希美もまた自分たちとは別世界の人間に違いない。

 そう思って声をかけずに見送ったのだが、希美はすぐにUターンして駅から顔を出した。

 不思議に思って眺めていると、希美は少しうつむき加減のまま、躊躇いがちに口を開く。


「風邪ひくぞ、君たち」


 頬を朱に染めながら大きな声で告げると、今度こそ駅へと入っていった。


「世界が違うってほどでもないか」


 藤咲が考えを改めていると、深天が級友たちに手を貸して立たせ始めた。

 慌ててそれを手伝って全員を立たせると、深天が改まって告げる。


「彼女の言ったとおり、ここにいても風邪をひくだけです。わたしたちもひとまず帰宅することにしましょう」


 級友たちはそれぞれ何か言いたげに顔を見合わせたが、結局は無言のまま従うことを選んだようだった。

 深天もまた、それ以上は何も話さずに改札を抜けていく。

 藤咲はひとり、雨のかからない場所に立って雨雲に覆われた空を見上げていた。


(小夜楢未来か……)


 彼女がどこから来てどこに帰っていったのか、そんなことばかりぼんやりと考え続けていた。

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