藤咲たちが魔女に襲われた翌日。教室は奇妙な空気に包まれていた。
ゲームセンターに同行した半数の生徒が学校を休み、登校してきた半数も口数少なく俯いている。
欠席者の中には深天も含まれていたが、やはり昨日の事件が関係しているのだろう。
雨夜希美は普通に登校してきている。教室の片隅でフードを被って下を向いているが、これもいつもどおりの彼女だ。
朱里はどことなく話しかけたそうにしていたが、やはり昨日の姿を見た後では近づきにくいのか、希美の後ろ姿を眺めては溜息を吐いている。
実のところ朱里と藤咲は家も近く、古くからの顔見知りだが、これまで接点らしい接点がなかったため、まったく親しくはない。
別に仲が悪いわけでも、ことさら避けているわけでもないのだが、ごく自然に縁がなかったのだ。
彼女の父親が元プロボクサーだという話を聞いたときには少しだけ興味を持ったが、結局話しかける機会もなく今に至る。
だが、どちらにせよ今は朱里ではなく希美の方にこそ用があった。
藤咲は平べったいカバンを机の上に放り出すと、意気揚々と希美の席まで歩いていく。
それを見て朱里が目を丸くしていたが、もちろん気にすることなく、ごく普通に声をかけた。
「希美ちゃん、ちょっと来てくれ」
「え?」
希美は困惑したように声をあげたが、藤咲はいきなり手をつかむと、そのまま引きずるようにして教室の外へと引っ張っていく。
「ち、ちょっと……」
迷惑そうな声を出している気もしたが、これも気にしないことに決めた。
◆
「ここでいいか」
藤咲がつぶやくと、希美は思い出したように目くじらを立てた。
「いったいなんなんだ、君は!? 強引にこんなところに連れてきて!」
「いや、悪いとは思ってるけど、俺のためだから我慢してくれ」
「何様だ君は!? 他の誰かのためならまだ分かるけど、どうしてわたしが君なんかのために我慢しなきゃならない!」
「君なんかって傷つくじゃないか」
「ああ、傷つけ。傷つきまくって、粉々に砕け散って砂の城のように崩れ去るがいい」
「お前、やっぱり根は凶暴なんだな」
「違うと言ったことなんてないぞ」
希美は腕を組んで拗ねたようにそっぽを向くが、さっぱり迫力を感じない。
なんとなく気になってパーカーのフードをつまんで後ろに下ろすと、ぎょっとして後ずさった。
「な、なにをするんだ、君は!?」
「なんで顔を隠すんだ? そんなに可愛いのに」
率直な意見を口にすると、希美は頬を赤らめつつ睨みつけてくる。
「君の知ったことじゃない」
可愛いは否定してこなかった。案外自分の容姿に自信があるのかもしれない。
「とにかく! 用件があるなら早く言え」
「惚れたんだ」
言われたとおり、即行で告げた。
「迷惑だ」
ふられるのも一瞬だった。
「ひでぇ……」
なんとなく落ち込むが、そもそも誤解だ。
「いや、なんかショックだったけど、べつに君に惚れたわけじゃないから」
勘違いを訂正すると、希美は訝しむように藤咲の顔を覗き込んできた。それを見つめ返しているうちに、自然と昨日のことを思い出す。
「お前、昨日は目が赤く光ってなかったか?」
今の希美の瞳はどう見てもブラウンよりの琥珀色だ。
「あの時は魔力を使っていたからな」
「魔力?」
「魔力には個人個人で色がある。わたしの場合、それが赤ってだけの話だ。必ずしもというわけじゃないが、魔力使いは強い魔力を使う時に身体のどこかにその色が出ることがある。わたしの場合は瞳に出るし、人によっては髪の毛の色が変わったり、爪の色が変わったりするんだ」
「背中に入れ墨が浮かぶとかは?」
「いや、それは知らんけど……無いとは言いきれないかな」
首を捻りながら答える希美。
藤咲はしみじみとした声を出す。
「魔力かぁ……。まさか、そんな力がこの世に実在するなんて……。まあ、それはどうでもいいんだけど」
「どうでもいいのか。意外に神経がタフ……いや、鈍いのか?」
「希美ちゃんって、意外と口が悪いよな」
「ほっといてくれ。それと、その呼び方はやめて欲しい」
「分かったよ、希美」
素直に受け入れると、希美はなんと形容すべきか――とにかく信じられないバカを見るような目を藤咲に向けてきた。
それに動じることなく、藤咲は改めて告げる。
「とにかく惚れたんだ」
「迷惑だ」
「いや、君じゃなくてさ」
「誰に惚れたにせよ、それをどうしてわたしに言うんだ? 自慢じゃないがわたしはクラスの誰とも親しくないぞ」
「ぼっちなのか?」
「ひとりが好きなだけだ」
「ぼっちはみんなそう言うんだ」
「帰る」
実際に踵を返そうとする希美を見て藤咲は慌てた。
「分かった。君のぼっちには目を瞑るから、俺の話を聞いてくれ」
「ぼっちじゃない」
往生際悪く否定しつつも、とりあえず希美は立ち止まってくれた。
「なんつーかさ、一目惚れだったんだよ」
「君の発言は一々要領を得ないな。まずは誰に惚れたのかをハッキリ言ってくれ」
「
「迷惑だ」
「えーっ?」
淡泊な反応に正直ガッカリする。ど派手に驚いてくれると思ったのだが……。
「で、本当は誰に惚れたんだ?」
問いかけてくる希美を見て、ようやく藤咲は気がついた。あっ、こいつ信じてないなと。
「いや、だからマジで
さすがに今度は驚いた顔になった。先ほどと同じく、信じられないバカを見るような目にも見えたが、ひとまず気にしないことにする。
「……本気で言っているのか?」
「ああ。自分でも驚いてるんだが、彼女の綺麗な顔が忘れられなくてさ。気がついたら彼女とデートするところとか想像している自分がいてに、ああ、これは恋だなぁって気づいて……」
藤咲はこちらを見つめる希美の眼差しに気づいて思わず口をつぐんだ。なんというかそれは――未確認生物でも目の当たりにしたような目つきだった。
「希美?」
名前を呼んでも、しばらく茫然としていたが、なんとか現実を受け入れたらしく、盛大に溜息を吐いた。
「今日は帰る。なんか幻聴が聞こえるから」
訂正――全然、現実を受け入れていなかった。むしろ拒絶しようとしている。
「いや、そこまで否定することないだろ。恋は理屈じゃないんだ!」
「理屈に反するにもほどがあるわ!」
勢いよく告げたが、勢いよく反論されてしまった。
それでも藤咲はさらに言い返そうとしたが、そこで予鈴が鳴り響く。だが、藤咲にとって、これは授業よりも遥かに大事なことだ。そう思って話を続けようとしたのだが、希美の解釈は違っていた。
「遅刻するから教室に戻る」
「いや、待ってくれ。俺にとってこれは――」
「続きは放課後だ」
こう言われてしまえば、さすがに引き留めることもできない。
藤咲は大人しく放課後を待つことに決めて、希美とともに教室へと戻った。