私立陽楠学園の入学式当日、雨夜希美は真新しいブレザーの制服に袖を通して、姿見の前に立った。
見覚えのある制服を自分が身につけているのを見ると、くすぐったい気持ちになる。
それでも記憶の中にある少年少女たちと、今の自分の姿を想像の中で重ねて、ほくそ笑んだ。
もちろん彼らはとっくに卒業していて、実際に並んで立つことはないが、こうして高校生になった今、それを想像することで、ささやかな喜びを感じることができる。
希望に満ちた顔で部屋を出ると、希美は待ち時間の煩わしいエレベータは避けて、階段を使って階下に降りた。
そのままマンションの横手に回ると、備え付けの駐輪所から自転車を引っ張り出す。通学のために買った真新しい自転車だ。カゴにカバンを放り込むと、それに乗って勢いよく走り出した。
ここからならローカル線の駅まではわずか数分の距離だ。
取り立てて急ぐ必要もないのだが、無人の駐輪場に自転車を止めると、駅に駆け込んで列車に乗る。そこから十分足らずで陽楠学園前駅に到着すると、ホームに降り立ち、足音を弾ませながら改札をくぐった。
そこで見知った顔とバッタリ出会う。
「あれ? 希美ちゃん」
黒髪黒目の青年だ。その瞳には強い意思を感じさせる光が宿っている。スラリとした体格だが弱々しい感じはまったくない。
陽楠学園のOBで名前は
思いも寄らぬ人物との遭遇にあたふたしながら、希美はなんとか声を絞り出す。
「お、お早うございます、葉月くんっ」
「お早う、希美ちゃん。そういえば今日は入学式だったか……にしても早いな」
昴に笑みを向けられて希美は思わず赤面する。
「は、初めての高校だから、け、見学する時間が欲しくて」
「そうか、真面目だな。俺なんて高校時代はギリギリまで寝ていたいって思ってたよ」
腕を組んでしみじみとつぶやく。
そんな格好も絵になる男だ。いや、希美に言わせればどんな格好でも絵になるということになるだろう。
ようするに希美はこの男に片想いしているのだ。
「おっと、せっかく早起きしたところを邪魔しちゃ悪いな」
昴は軽く手を振ると「またな」と言い残して駅の中へと歩いていく。
「う、うん、またね……葉月くん」
いちおう返事はしたが声が小さくて届いていないかもしれない。
昴は気を使ってくれたのだろうが、希美としてはもう少し――いや、遅刻しても構わないから何時間でも話をしていたかったのだ。
とはいえ、せっかく気を使ってもらったのだから、当初の予定は果たさなければならない。
肩を落として項垂れながらも、希美は学校へと続く長い坂道に足を向けた。
登校時間が早すぎるせいでスクールバスが迎えに来るまでは、まだかなり時間がある。
やむを得ず希美は徒歩で山の上の校舎を目指すことにした。
長い坂道を登りきって朝一番に校門をくぐり抜けると、ぜえぜえと大きく肩で息をする。
歩いて上るつもりが、途中から駆け上がってしまったためだ。
待ち遠しい気持ちに負けた結果だが、つらくなったところで立ち止まればいいものを、ついムキになって完走してしまった。
実際のところ魔力を活性化させていれば、このていどの運動は苦にならないのだが、私生活では極力魔力を使わないことにしている。
とりあえず中庭の自販機でジュースを買って喉を潤すと、希美は頼りない足取りで文化部棟を目指した。
それは学園内の調和を乱すゴージャスな建物だ。完成してから十数年経つはずだが、建築当時の美観をまったく損なっていない。
こんな時間から中に入れるのだろうかと、やや心配になるが、すでに正面扉は開放されていた。
そこをくぐり抜ければ、広々としたロビーは吹き抜けになっており、左右に曲線を描きながら上へと続く階段がある。
とても部活のために用意された建物には見えないが、それも当然だ。実際ここは地球防衛部設立のためだけに用意された特別な施設だった。
つまり、他の部活はそうとは知らず、その恩恵を賜っているのだ。
逸る気持ちを抑えつつ二階に上がった希美は、廊下を真っ直ぐに突き進んで、一番奥まった場所に「地球防衛部」のプレートを見つける。
「うぅぅーん!」
感動に身悶えしてドアに飛びつくと躊躇いもせずに開けた。
鍵は開いていたが、中は無人で広々としている。一般的な音楽室くらいの広さは十分にあるだろう。壁際には複数の本棚、冷蔵庫が置かれ、棚の上には電子レンジまで設置されていた。
とりあえず本棚から確認すると、ズラリと並んだ漫画本が目につく。
「こんなことしてるから、みんなが不真面目な部活だと勘違いするんじゃ……」
ぼやくように口に出したが、部室の中の様子を知る生徒は、それほど多くはない。
ゆっくりと横に進んで隣の本棚を見ると、ようやく地図や過去の事件に関するものらしき資料が見つかった。
好奇心を刺激されて手を伸ばしかけたところで、その手がピタリと止まった。傍らに置かれていたスケッチブックが目に入ったためだ。
そっと手に取ってページをめくると、そこで恋しい人の若かりし笑顔と対面する。
「葉月くん!」
瞳を輝かせて彼の名を呼んだ瞬間、背後でガチャリという金属音が響いた。
飛び上がりそうになりながら、振り向くが、そこには誰もいない。
それでも不思議と何かに導かれているような気がして、希美は音がした場所まで歩を進めた。
すると、床の一画が軋み音を響かせながら、独りでに開いていく。
驚きはしたが恐怖を感じることはなく、希美は回り込んで中を覗き込んだ。
小さな階段が隠し倉庫へと続いていて、そこには見覚えのある金色の光が溢れている。
ゆっくりと階段を降りると、予想どおり様々な形状をした金色の武器が所狭しと安置されていた。
剣や槍といった見覚えのあるものもあれば、なんだか良く分からない形をした武器や鎧に盾まで存在している。
その中の一つがシャンッという音楽的な音を響かせるのを聞いて、希美はそこに視線を向けた。
熱い想いが込み上げて頬を涙が伝う。
そこにあったのは間違いなく昴が愛用していた金色の大鎌だ。
恐る恐る手を伸ばして手をふれると、懐かしいぬくもりが流れ込んでくる。
抱きしめるようにして持ち上げると、もう一度鈴のような音がなった。
「葉月くんっ。葉月くんっ」
頬ずりしながら彼の名を繰り返し呼ぶ。
もちろん、金色の鎌はなにも答えては来ないが……
「あれ? 倉庫が開いている」
外から聞こえてきた声に、希美は我に返った。
「鍵をかけてなかったのか?」
さらに別の声。先ほどは少女の声で、今度は男の声だ。
「かけていたはずだけど、どのみち結界を抜けて部室に入ったってことは、悪意のある人物じゃないでしょ」
それを聞いて今さらながらに希美は悟る。どうやらこの部室へと続く道には人払いの結界が張ってあって、用もないのに興味本位で近づこうとする者を寄せつけないようになっているらしい。
優秀な魔術師である希美にさえ気取らせなかったということは、その結界は恐ろしく高レベルなものだ。
(お、落ち着け、わたし。そもそもわたしは入部希望者で、ここに入ったのだって勝手にフタが開いたからだ)
深呼吸を繰り返すと、十分に心を落ち着けてから、ゆっくりと階段を上った。
「あ、あの……わたしは怪しい者じゃありません」
声をかけながら顔を出すと、思ったとおり上級生の少女と教師らしき男が立っていた。