魔女に襲われた翌日、北朱里は迷った末に地球防衛部の扉を叩いた。
陽楠学園の名物とまで呼ばれるその部活は、思春期特有の妄想をこじらせた生徒たちの集まりに過ぎない――というのが、大半の生徒に共通する認識だが、不思議なことに誰もが噂を鵜呑みにしているだけで、実態を確認しようとさえしない。
朱里もこれまでは、その噂を鵜呑みにしていたひとりだが、例の魔女が希美に向かって、この部の名前をつぶやいたことはハッキリと覚えていた。
できれば希美から直接詳しい話を聞きたかったが、黄金の鎌を振り回して骸骨どもを薙ぎ倒す姿を見た後では、どうにも気後れしてしまう。
それでも藤咲が、どこかに連れ出さなければ、なけなしの勇気を振り絞ったかもしれないが、放課後になって出て行ったふたりは、そのまま帰ってくる気配がなかった。
明日改めて話をするという選択肢もあるが、このままでは夜も眠れない。
クラスメイトの中には親に話した者もいたようだが、やはりまともに取り合ってはもらえなかったようだ。
朱里本人は迷った末にやめておいた。信じてもらえないと思ったわけではない。信じてもらえたところで、よけいな心配をかけるだけだと分かりきっていたからだ。
かつてはプロボクサーとして名を馳せた父も、さすがに魔女や怪物には太刀打ちできないだろう。
唯一の救いは、あんな恐ろしい魔女にも、それに引けを取らない存在がいることだ。
クラスメイトの雨夜希美。
戦う彼女の姿は、いつもとは別人のように好戦的で、怖ろしくもあったが、冷静に分析すれば、朱里たちを守ってくれていたのだ。
昨日の去り際、ずぶ濡れのまま佇むクラスメイトたちに見せた気づかいが、彼女の人柄を物語っているような気がした。
あるいは彼女こそが地球防衛部の一員なのではないだろうか。
そう思って扉を叩いた朱里だったが、出迎えたのは見知らぬ女生徒がふたりと、腕にニワトリを乗せた変な教師――西御寺篤也だけだった。
「ようこそ、地球防衛部へ。わたしは部長の月見里朋子です」
明るい声で、やや小柄な二年生が挨拶してくる。
その隣で頭を下げた生徒については、今朝の教室で噂になっていたイギリスからの転校生だ。そんな人物がいきなりこの部に所属しているのは、さすがに驚きだった。
戸惑いつつも室内を見回すが、肝心の雨夜希美の姿は見えない。
「雨夜さんは……部員じゃないのかな」
それは小さなひとり言だったが、朋子は聞き取ったらしく、困ったような顔をして腕を組んだ。
「彼女は、うちの一位指名なんだけどねぇ」
その反応を見る限り、まったくの無関係ではなさそうだ。
「それで、今日は何の用なのかな? 困ってることがあるなら、遠慮なく話してちょうだい」
幸いにも朋子は朗らかで話しやすい。
「実は……」
恐る恐る昨日の事件を説明する。
朋子はそれに適度に相づちを打ちながら最後まで聞いてくれた。魔女や骸骨絡みの、常軌を逸した異常な話だったが、ただの一度も疑問や否定を口にすることはなかった。
朱里が話し終えると、朋子は顧問の篤也に意見を求める。
「どう思う、先生?」
「キタアカリとは美味そうな名前だな」
開口一番脱線した。
「いや、確かにわたしも一瞬そう思ったけどさ……」
やり取りの意味は朱里にも理解できる。ジャガイモの品種に自分の名前と同じ読みのものがあることは当然ながら知っていた。お陰で愛称はイモ子とかポテコだったりするのだが、篤也はさらに違う名前で呼んだ。
「栗じゃが、確かにそいつは小夜楢未来を名乗ったのだな?」
「栗じゃが……」
キタアカリの別名で呼ばれて少々ショックを受けた朱里が言い淀むと、朋子が篤也のスネを蹴飛ばす。
篤也が反射的に足を抱えたため、腕にとまっていたニワトリが舞い上がって、朋子の頭に着地した。
「重い……」
「え、えーと、間違いなく小夜楢未来って言いました。おかしな名前だったので、すぐに覚えてしまって……」
朱里が答えると、今度は転校生のエイダが口を開く。
「小夜楢未来に関しては、わたしも資料で目にしたことがあります。何年か前に他ならぬ地球防衛部が戦った相手でしたよね」
「……ってことは、ここのファイルにもありそうだね」
朋子は頭のニワトリを机に置いてから立ち上がり、本棚のファイルに手を伸ばした。
横から篤也が告げる。
「八七年だ」
「八七年ね」
ズラリと並んだファイルから、そのひとつを抜き出すと、席に戻ってページをめくる。
「前から思ってたんだけど、こんな機密情報的なものを無造作に部室に置いてていいのかな」
「問題ない。この部室は案外安全だ」
篤也が答える。朱里にはとてもそうは思えないが、この建物自体のセキュリティなら高そうではある。
朋子はとくに拘ることなく最初の方のページを開くと、ざっと目を通した。
「えーと、これによると小夜楢未来は天使と呼ばれる特別な資質を持った少女を依り代にして、世界を滅ぼす神獣なるものを喚び出そうとしたらしいよ」
「神獣ですか……」
エイダの顔が微妙に引きつった。朱里にはピンと来ないがとても怖ろしい存在のようだ。
「これによれば部員たちは小夜楢未来の説得には成功したものの、けっきょく彼女は西御寺篤也っていう悪者に殺されてしまったんだって……ん?」
言い終えた後で朋子が声をあげる。それなりに個性的な名前が完全に一致しているとなると別人とも思えず、全員が驚いた顔で篤也へと顔を向けた。