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第25話 ファンタム

「魔女に会った?」


 希美の話を聞いて朋子が目を丸くした。

 とりあえず藤咲のことは伏せたまま、聞き出したことだけを報告したのだ。


「人を殺めるつもりはないか……アテにはならんが、すでに同様の事件が起きていて、その都度犠牲者が出ていないのであれば、虚偽だとも言い切れんな」


 話しながら膝の上に乗せたコカトリスの頭を指で軽く撫でる篤也。ニワトリは気持ちよさそうに目を閉じたままじっとしている。


「けど、それじゃあ、なんのためにあんなことをしてるっていうんだろ?」


 朋子が当然の疑問を口にした。

 篤也はもっともらしい顔をして自らの考えを披露する。


「可能性が高いのは、肝試しの予行演習だ。夏の夜にそれをやられたら、みんなビビリまくりで大受けだろう」

「さすがは先生。誰にも思いつけない斬新な推理だわ。役に立たないけど」


 ざっくり切って捨ててから、朋子は希美に顔を向けた。


「希美ちゃんはどう思う?」

「あいつは計画が上手く行けば全人類の絶望をひとつ消せると言っていた。それはつまり世界の有り様を変えようとしてるってことだと思う。上手く行くとは思えないし、それだけ大がかりなことなら失敗したときの反動も気になる」

「全人類の絶望か……」


 つぶやく篤也の顔は今までよりは幾分真剣に見えるが、そう思わせておいて平然と変なことを口走る男だ。まったく信用はできない。そう思って警戒していた希美だが、そういう時に限って続く発言はまともだった。


「とにかく他にも同様の事件が起きているというのであれば、ひとまず近隣の学校を回って情報を集めるべきだろう。なんとかという教団に属する聖にも協力を要請しよう」

「教団ねえ。神さまなんて本当にいるのかな?」


 首を傾げる朋子。魔術を始めとする超常の力を操る者にとっても、神という存在は未知のものだ。様々な解釈はあるが、未だハッキリとした結論は出せていない。


「神の存在は否定できない。だが、おそらく聖のそれは幻神だろう」

「幻神?」

「そうだ。ファンタムとも呼ばれるが、これは本物の神ではない。世界に遍く存在する神秘の力、アイテールが人々の信仰によって変質し、神のごとき働きをするようになったものをそう呼ぶのだ」

「それってつまり、怪異マリスの仲間ってこと?」

「いや、マリスは人々の負の想念によって生じる歪んだ存在だが、こちらは信仰によって生じるもので基本的には危険なものではない。神という概念がもたらすイメージゆえか、決まって物質界の外側に現れて、信仰に即した働きをするようになる」


 篤也の話に朋子は真剣に耳を傾けている。希美にとっては今さらの話だが、他にすることもないので、とりあえず大人しく拝聴していた。


幻神ファンタムは信者たちに神の教えを語り、時には啓示を与え、さらには神聖術と呼ばれる特殊な力まで授けることがあるが、実際に知性があるわけではなく、コンピュータのプログラムに近い存在だ。もちろん、こんなことを当事者たちに告げれば袋叩きに遭うこと請け合いだが」


 何やら嫌な思い出でもあるのか、篤也はそこで薄気味悪そうな表情を浮かべた。


「つまり、深天って娘が使ったのは、その神聖術ってことだね」


 朋子の言葉を聞きながら、希美はその時のことを思い返した。

 魔女の力は防げなかったものの、深天の張った結界はなかなかに高度なものだった。それは深天の資質もさることながら、彼女に力を授けた幻神ファンタムが強大な力を有することの証明でもある。


「神聖術は通常の魔術に比べて癒やしの力に特化した傾向があり、時には魔法めいた奇跡まで起こすことがあるが、このシステムには大きな落とし穴があるのだ」

「落とし穴?」

「実体化を果たすことで存在が確定するマリスと異なり、幻神ファンタムはその名のとおり幽霊のように曖昧な存在だ。それゆえに、その名が広まりすぎると、信仰を否定する人々の想念を受けて存在が揺らいでしまう」


 なにせ表向きには超常の力が否定されている世の中だ。神を信じる者よりも、それを否定する者の方が遥かに多い。


「存在が揺らげば神聖術の力は弱まり、やがては幻神ファンタム自体が霧散することになる。そうなれば、たとえ一時奇跡を起こしたとしても、いずれは世間からペテン師として後ろ指を指されることとなるだろう」

「それはひどいなぁ」


 朋子が顔をしかめる。


「けど、それだと聖さんのそれも、そのうち消えてしまうのかな?」

「おそらくはな。今は無名の教団ゆえに幻神ファンタムが機能しているのだろうが、名が売れてしまえばそこで行き止まりだ」

「それは気の毒な話だなぁ。なんとかしてあげたいけど、なんともなりそうにないし」

「忠告してやりたいとは思うが、さっきも言ったとおり信仰を持つ者が聞き入れるとは思えん」

「うん……」


 納得したというよりも、どうしようもないことを認めたのだろう。朋子はうなずいてから、別の疑問を篤也に投げかける。


「でも、それならばどうして魔術の力は失われないのかな? そんなものはないって思ってる人の方が圧倒的に多いと思うんだけど?」

「それは魔術が人々の想念によって生じたものではなく、世界の法則に従って行使されているからだ。火をつければ紙が燃えるのと同じように、最初からどのようにすれば術が発動するのかが世界のルールとして存在しているのだ」

「へえ……」


 感心する朋子。

 魔術師である希美たちにとっては当たり前の話だが、彼女はやはり本来は一般人のようだ。

 なんとなく後を続けるように希美が補足する。


「それでも否定的な想念は神秘の力を減衰させていて、現代の魔術師の力は本来の力の百分の一以下になっているって話だけどな」


 もしこの制限が取り払われるようなことがあれば、不老不死も死者の蘇生も当たり前のことにできるかもしれない。

 ただ、世界がそのような流れに乗れば、人類の暴走に歯止めをかけるためのプログラム――神獣の現出を招くとされている。

 かつて小夜楢未来は、それを強制的に喚び出して世界を滅ぼそうと企てたのだ。

 そしてこの神獣の存在こそが、人々が神の実在を否定できない最大の理由だった。

 もっとも、信じがたい話ではあるが、この世界には神獣をものともしない異世界の超人が滞在している。

 あの未来はそれを知っていた。ならば、今更同じ試みをするとは思えない。


「それにしても殺風景な部屋だな」


 篤也のつぶやきに希美は思索を打ち切ってそちらに顔を向けた。


「そこの段ボールはインスタント食品の山だな。どういう食生活を送っているんだ」

「自炊はしないの?」


 篤也はともかく朋子の言葉には悪意を感じないので、自然に答えを返す。


「ひとりだと面倒だから」

「では明日から私の食事も一緒に用意するといい」


 しれっと勝手を言ってくる篤也。


「どうしてわたしが、あなたみたいなセクハラ教師のために、手料理なんて用意しなければならないんだ!?」


 希美が目を剥いても、篤也はまったく動じない。


「憧れのセクハラ先生に愛妻弁当というバラ色のシチュエーションを味わってみたくはないのか?」

「セクハラ教師になんて憧れるか!」

「そこをなんとか」


 篤也は片手を立てて、拝むような仕草までしてくる。

 それを希美は半眼になって見据えた。


「ほんと、いったい何があったら、こんなに性格が変わるんだ……」

「まるで昔の私を知っているような口ぶりだな」

「小夜楢未来が、この学校でしでかした事件については、一通り調べたからな」

「なに? それではモヒカン魂に燃えていた頃の私を知っていると?」

「だから、そんな話は知らない! あなたはもっと超然とした感じの殺し屋だったはずだ!」

「そうだ、当時の私はモヒカン魂に燃える超然とした感じの殺し屋だった」

「……もういい」


 何やら語り出しそうな篤也を見て希美はげっそりとした。


「よし、ならば明日から弁当を頼むぞ」

「いやだぁーーーっ!」

「安心しろ、朝食まで用意しろとは言わない。晩飯はよろしく頼むがな」

「いーやぁーだーーーっ!」


 頭を抱えて叫ぶ希美。

 さすがに朋子が割って入った。


「先生、いい加減にしないと、そろそろわたしも怒るよ」


 それを聞いて篤也は無念そうに肩を落とす。


「わかった。弁当だけで我慢しよう」

「だからイヤだって!」

「お前の食生活を改善するためだ。ついでくらいなければ学食か購買のパンですませるだけだろう」

「わたしは昼は何も食べない!」


 希美が宣言すると篤也のみならず朋子までギョッとした。


「ちょっと、希美ちゃん。それ、本当なの?」

「世の中には一日一食っていう、ちゃんとした健康法があるんだ」


 腰に両手を当てて、ふんぞり返る希美。


「その一食がアレではな……」


 篤也が引きつった顔でカップ麺の詰め込まれた段ボールを見やる。


「希美ちゃん、ご飯はちゃんと食べなきゃダメだよ」


 朋子は本気で心配しているようだ。

 とぼけるわけにも行かず、希美は視線を逸らしつつ白状した。


「でも……経済的な余裕がないし」

「そう金遣いが荒いようには見えんがな」


 部屋を見回す篤也。その目が一点で留まる。


「なんだアレは?」

「電話だけど?」


 即答する希美。篤也が見つめているのはどう見てもただの電話だ。


「ダイヤル式ではないか」

「安かったから」

「だが、あれは……」


 引きつった顔でつぶやく。


「上手く回さないと、どこにかかるか分からない魔の電話」

「不器用さんか」


 呆れる希美だが、篤也はなおも唸っている。

 そちらは無視して朋子が言った。


「希美ちゃん、わたしが希美ちゃんの分もお弁当を作ってくるよ。ひとり分でもふたり分でも大して手間は変わらないし」

「でも……」

「いいからそうしよう。ね?」


 強引に促してくる。


「そうしろ。断ればお前が惚れていることを葉月にバラす」


 篤也の駄目押しを受けて、希美は渋々といった顔でうなずいたのだった。

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