西御寺篤也は変人を装っている。
少なくとも当初はそのつもりだった。だが、案外もともと変人だったのではないかと自分で思う今日この頃だ。
雨夜希美を無理やり入部させた翌日、彼女は朝の集まりには顔を出さなかったものの、昼休みにはちゃんと姿を見せた。
朝に来られなかったのも、級友のことでちょっとしたトラブルがあっただけとのことで、すっぽかす意思はなかったようだ。
約束どおり朋子が用意した弁当を、バカ丁寧に頭を下げて受け取ったあと、礼儀正しく手を合わせてから食べ始める。孤児だという話だが、どことなく育ちの良さを感じさせる娘だ。
相変わらず水色のパーカを着て、フードを目深に被っているが、やはりどこかで会ったことがある気がしてならない。
もっとも自分の過去をふり返って考えれば、それはろくでもない出会いである可能性が高かった。
篤也は長い間、殺し屋のような仕事を続けてきたのだ。
父を当主とする秘術組織からの指令を受けて、魔術や神秘の力を悪用する者や、それを持て余して暴走する人々を容赦なく手にかけてきた。
前者はともかく、後者に関しては当事者には、なんの落ち度もないこともあった。
強すぎる力に目覚めてしまい、それを制御できずに心ならずも他者を傷つけた者。
魔力との親和性が高すぎたために、歪んだ
この異能者の怪物化現象は、極端にめずらしいものではなく、篤也が関わった事例だけでも五件を数える。
彼らを治療するすべはなく、殺す以外には救うことができない。それが裏社会の常識だった。
他に方法がないなら、自らが進んで手を汚すことで世の中の秩序と安寧を守る。
それが篤也が信じた正義だったが、過去にこの学園で起きた「小夜楢未来事件」において、その幻想は崩れ去った。
当時の彼の教え子だった少年は、他にすべはないと諭しても聞き入れず、実力を以て篤也を退けると、自分の愛するものを見事に救い出してみせた。
不可能という概念を呆気なく覆して。
篤也は初め、彼のことを稚拙な正義感の持ち主だと侮っていた。安っぽいヒューマニズムに耽溺する世間知らずな子供に過ぎない――そう思い込もうとしていた。
だが、彼は奇跡的な結果を手にしておきながら、平然とそれを“必然”だと言ってのけた。
為すべきことを知る者たちが為すべきことをした結果だと豪語してみせたのだ。
その言葉を篤也は否定できなかった。
もちろん、その事件の中で幸運が彼に味方した場面もあっただろうが、それと同じだけ不運もあったはずだ。
それでも最終的に勝利を手にできたのは彼らの選択と努力の結果に他ならない。
さすがに悟らざるを得なかった。
本当に安っぽいのは自分が掲げてきた冷徹な正義の方だと。
篤也は小夜楢未来の実家が所属していた東条家に出頭し、長らく隠されてきた西御寺家の非道な行いと、未来に関するすべてを告発した。
結果として西御寺家には円卓の調査が入り、篤也が知る以上の非道が明るみに出ることとなった。
この混乱の中で当主だった父は死んだが、おそらくは謀殺だ。篤也の兄が、さらなる円卓の追求を逃れるために手を下した可能性が高い。彼は父親以上にしたたかな男で、この事変でさえ、自らが権力を手中に収める好機として歓迎したようだった。
すべてに嫌気が差した篤也は、自らも小夜楢未来殺しの罪で裁かれることを願っていたが、東条家の当主はこれを認めなかった。
理由を篤也が問うと、まだ年若い当主は、
「それが解らないのなら学びなさい。あなたが罪を犯した、その陽楠学園でね」
一方的に告げて、手続きなどはすべては済ませた上で、再び篤也を教師としてこの学園に再赴任させた。
すでに小夜楢未来事件の当事者たちは卒業していて、何も知らぬ同僚の教師たちは歓迎もしてくれたが、それでもやはり居心地が悪く、教師としての仕事はそつなくこなしながらも、落ち着かない日々が続いた。
そんな篤也に、黎明期の地球防衛部OGにして体育教師である秋塚千里は、地球防衛部の顧問を受け継ぐことを勧めてきた。
もちろん篤也は固辞したが、そんな彼に千里は告げた。
「逃げている限り、答えは見つからないよ」
その言葉は篤也の心を締めつけたが、それでも簡単に引き受けられるはずもない。自分に資格がないことを篤也はじゅうぶんに自覚していたから、とてもそんな恥知らずな真似はできないと千里に告げた。
しかし、それを聞いた千里は涼しげな顔で、とんでもないことを言った。
「恥知らずにはなれないなんて、それこそが逃げだよ。むしろあなたは一度恥知らずになった方がいい。本気で自分が罪深いと思っているのならば、今さら格好を気にする方がどうかしている。嘘でもいいから、とことんバカを演じて、その上で世の中を見てごらん。そうすることで初めて見えてくるものが、きっとあるのだから」
千里は物静かで落ち着いた女性にも見えるが、冗談が好きな変わり者でもある。だから篤也は、あるいはこの時も自分をからかって遊んでいるのではないかと疑いもした。しかし、彼女にとって地球防衛部は仲間と築き上げた大切な場所だ。それを任せようというのだから、その言葉が真摯なものでないはずがない。
数日迷った末に、篤也はついに意を決して、地球防衛部の顧問を引き受け、その日からあえて自分らしからぬ振る舞いをするように心がけてきた。
まさしく道化のように。
その果てに何も得られないのであれば、けっきょく自分はそのていどの男だったということなのだから、どちらにせよ悔やむ必要はない。
最初はややぎこちなかったが、最近は変人も板についてきた気がする。
求めている答えは未だ見つからないが、こうして部員と過ごす時間は不快ではない。
律儀な朋子は希美の分だけでなく、篤也の弁当も用意してくれていたが、以前の彼ならば当然、
「立場上、問題がある」
などと言って遠慮していただろう。
だが、変人としては気にせず受け取るのが正解だ。
綺麗に焼かれた、だし巻き卵を口に運びつつ、ポツリと感想を漏らす。
「素朴な味だな」
「まあ、料理の腕は、ほどほどってところだからねぇ」
苦笑いする朋子に、希美が横からおずおずと口を挟む。
「褒められたんだと思います……」
「え? そうなの?」
軽く驚いたように、こちらを見る朋子。
篤也がうなずきを返すと、彼女は照れくさそうに微笑んだ。
それを見て気づく。自分が遠慮していたなら、この笑顔は見られなかった。それどころか、残念がられたり、悲しげな思いをさせたかもしれない。
「変人も悪くないな」
篤也はしみじみとつぶやいたが、目の前の少女たちには、その心情に気づけるはずもなく、引きつった笑みを浮かべただけだった。
それもまた篤也としては微笑ましく思える。
ちなみにコカトリスは部室の隅で自分用のエサをつついている。
調べたところ、ニワトリには意外に食べさせてはならないものが多く、弁当のおかずを迂闊に与えるわけにはいかないのだ。
こうして三人と一匹がまったりとした時を過ごしていると、扉を開けて最後のひとりが姿を現した。
やや厳しい表情をしたエイダは真っ直ぐに篤也のもとに歩み寄る。
「先生、昨夜電話でお話ししたザンキですが、何者かの手引きによって円卓支部から脱走したとのことです」
「え?」
意外な事態に朋子が驚きの声を上げた。いかに小さな支部とはいえ、円卓のものだ。異能犯罪者を捕らえておくための設備は充実している。脱獄はもちろん、そこから救出することも簡単ではないはずだ。
篤也も多少は驚いたが顔には出さず、落ち着いた声でエイダに告げる。
「とりあえず、飯を食え」
「はい?」
「ここでジタバタしても逃げられたものはどうにもならん。学生の本分は食べることだ」
「そこは普通、勉強じゃないのか?」
つぶやく希美を見て、篤也が問う。
「お前は勉強と弁当とどちらが好きだ」
「……お弁当」
「つまり、そういうことだ」
「……どういうこと?」
希美はまだ小首を傾げていたが、エイダは素直に席に着くとカバンから弁当箱を取り出した。彼女は意外にも米派のようだ。
その途中で希美に気づいて手を止めると、エイダは遅ればせながら礼儀正しく頭を下げた。
「初めまして、雨夜希美さんですね。部長からお話は伺っています。わたしはエイダ・アディンセル。よろしくお願いします」
あまり心がこもっているようには聞こえない慇懃な挨拶だが、エイダの場合は感情が態度に出にくいだけに思える。
これに対して希美はやや慌て気味で、しどろもどろになりながら答えを返した。
「ど、どうも、あ、雨夜です。その……希美です。よろしくお願いします……初めまして」
相変わらずの人見知りで、普段とまるで違うが、慣れればすぐに生意気な態度になるのだろう。
(しかし円卓から捕虜を連れ出すとはな。小夜楢未来を名乗るだけのことはある)
変人を装いつつも、篤也は冷静に考えていた。