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第34話 戦闘準備

 地球防衛部の主な活動内容はマリスと呼ばれる怪物との戦いだ。

 奴らは世界に遍く存在する神秘の力、アイテールが歪みを帯びることで誕生するわけだが、普通の町ではそうそう出現するものではない。

 それがこの町では頻発していて、月に二度は出動がかかる。怪物のメッカなど呼ばれる所以だが、これにはもちろん理由があった。

 アイテールは霊脈と呼ばれる流れに沿って常に世界を循環しているのだが、この地方はその霊脈が交わる土地なのだ。

 それだけに魔術の実験をするには最適の場所だが、同時に強力な怪異が多発する原因ともなっていた。

 せっかくの日曜日に朝早くに顧問から連絡を受けた朋子は、幼い弟と妹のために簡単な昼食を用意すると、時計の針を気にしながら急いで身支度を調えて家を出た。

 このところ上機嫌だった空は、今が梅雨であることを唐突に思い出したらしく、昨夜からしとしとと雨が降り続いている。

 朋子はガレージから通学に利用しているスクーターを引っ張り出すと、小さな荷台にカバンを括り付けた。

 中身は愛用の武器、金色の大金槌ロングハンマーだ。持ち歩く時には長い柄は本体に完全に収納されて、鎚の部分も変形してコンパクトになる。本来は見た目どおりの重量を持つが、この状態では嘘のように軽くなるので持ち運びには苦労しない。原理は不明だが、そもそも魔法の品に原理など求めるだけ無駄だろう。

 ヘルメットを被り、ゴーグルを装着して、地球防衛部の備品である紺のマントを制服の上から身に纏うと、エンジンをかけてスクーターを走らせた。このマントもまた魔法の品でいくつかの便利な効果があるが、最大の利点はやはり防具としての機能だ。薄い魔力の膜で着用者を常に守ってくれるため、この程度の雨粒は寄せつけない――


「……とかだったら良かったんだけどなぁ」


 マントに加えてヘルメットとゴーグルがあっても、隙間から入り込む雨粒が顔や手足を濡らしていく。

 実際のところ、暑さ寒さからは守ってくれるし、火の玉の直撃や怪物が放つ冷気でさえ防いでくれるのだが、なぜか軽度の自然現象には作用しない。

 先輩から聞いた話では落雷の直撃からは守ってくれたらしいので、この辺りの線引きは曖昧だ。

 雨が彩る世界の中を愛用のマシンは軽快に走り抜けていく。ここ何年かで、すっかり様変わりした駅前は交通量も確実に増加していた。今も行き交う車両のライトが濡れた町並みに反射して、ささやかな光のアートを描き出している。

 角を曲がって坂道を上れば、その先に陽楠学園があるが、今回は現地集合なので立ち寄る必要はない。

 そのまま直進して駅前を過ぎると、途端に田舎らしい景観に変わり、古い木造住宅が軒を並べている。そこからさらに進んで田園を抜けると山間を延びる道に入っていく。

 陽楠市は地方都市とは思えないほど交通整備が整っているため、道幅は広くて快適だが、さすがにこの辺りには、ほとんど人通りがない。

 徐々に勢いを増してくる雨に、わずかばかりの憂鬱さを感じるが、それを振り切るかのように朋子は意識して笑みを浮かべた。

 こんなときに部長の自分が沈んだ顔で現れては部員たちの士気に関わる。

 やがて前方に見えてきたのはパトカーの回転灯だ。さらに近づけば、車体に国際保健機構とペイントされた無骨なトラックが数台並び、その傍らには顧問の車が停めてあった。

 パトカーは本物だが、トラックの方は円卓の偽装車両だ。

 神秘の存在が隠蔽されているとはいえ、一部の警察関係者は実在を知らされている。そうでなければ大事の時に避難誘導さえままならなくなるからだ。

 もちろん秘密厳守は徹底されていて、家族にさえ話してはならない。これを破った者はクビが飛ぶていどではすまないと聞く。

 朋子は顧問の車の脇にスクーターを停めると、荷物を手に取って、すっかり顔馴染みになっている警官たちに軽く頭を下げてから、彼らが設けていた立ち入り禁止のロープをくぐった。

 他のメンバーはすでに揃っている。山の上へと続く石段の前に篤也とエイダ、そして離れたところに希美がポツンと立っていた。


「いや~、遅くなってごめんごめん」


 明るい声であやまりながら近づくと、朋子は無遠慮に希美の身体を抱きすくめるようにして持ち上げた。


「ちょっ――なに!?」


 目を白黒させる希美には構わずに、彼女の身体を仲間たちのそばに移動させる。そのまま説明はせずに篤也に向かって質問した。


「先生、今回はどんな事件なの?」

「マリスだ。小型だが数が多い。すでに円卓が結界を張って外に出さないようにしているが、長くは持たない。正午までには殲滅する必要があるだろう」


 普段変人のこの教師も、こういう状況では真面目なものだ。朋子は部員たちに向き直ると務めて明るい声で告げる。


「じゃあ、そういうわけだから、パパッと片づけるとしますか」

「はい」


 穏やかにうなずくエイダ。すでにその手には聖剣ブライトスターが握られている。彼女はセーラー服の上から、希美は私服の上に地球防衛部の紺のマントを身に纏っていた。

 希美の手には金色の大鎌。フードを目深に被り、今日は物静かだが血色は良く、健康面に問題はなさそうだ。


「よし、それでは早速――」


 言いかけたところで、ふたりはそれぞれに武器を構えるが、


「準備運動を始めよう」


 朋子の元気な一言で、ふたりは揃って脱力した。


「そんな顔しないでよ。大事だよ、準備運動。うちの顧問なんてそれをサボって戦闘中に足がつってたいへんだったんだから」

「フッ……若さ故の過ち」


 つぶやく篤也に容赦なく希美がツッコむ。


「いや、あなたは四〇前でしょ」


 魔術師にありがちな話で見た目は若いが、実年齢はそんなところだ。

 朋子の提案には脱力したふたりだったが、それでも朋子が屈伸を始めると、同じように身体を動かし始めた。その傍らで篤也は、ひとりでラジオ体操を順番どおりにこなしている。

 今日は雨のためかコカトリスは連れていないようだが、車にでも置いているのだろうか。


「先生、今日はコカちゃんはどうしたの?」


 少し気になったので訊いてみると篤也は真面目な顔で答えた。


「昨日は唐揚げだった」

「待て……」


 朋子が焦った顔を向けると、すぐに言い直してくる。


「いや、唐揚げは好物なのだが、さすがにあいつの前だと食べづらいので、昨日から秋塚先生に預かってもらっている」

「食べたのかと思った……」


 つぶやいた希美に篤也が答える。


「まだ早い」

「そのうち食べる気か!?」

「農家では普通のことだぞ。かわいいかわいいと言って育てながら、時期が来たら食肉として出荷するのだ。お前だって肉を食べぬわけではあるまい」

「わたしらは農家じゃないし、あの子だって食用に飼ってたわけじゃないでしょ!」

「それは綺麗事というものだ」

「なら、あなたのは汚い事よ!」

「汚い事?」

「あなただってブスより美人が好きでしょ! だったら、人としても綺麗な方を選択しなさいよ!」

「容姿で人を判断するのはどうかと思うが、私も男だからな。本音を言えば美人の方が好きだ」


 希美の言葉は、まったく論理的ではなかったが、篤也は何か感じるところがあったらしい。真剣な顔をして腕を組んだ。


「分かった。美人のお前がそう言うのであれば綺麗な道を選ぼう」

「び、美人……」


 篤也の言葉に硬直する希美。フードの下からでも赤面しているのがハッキリと見て取れる。

 なにはともあれ篤也は説得に応じてくれたらしく、コカトリスは食肉となる運命を逃れることができた。もっとも最初から篤也なりの冗談だった気もするが。

 バカなやり取りで緊張がほどよくほぐれたが、それを上塗りするように憂鬱な雨が、さらに激しさを増しつつある。この辺りはちょうど大きな樹木に遮られて雨がかかりにくいが、戦いの場となる場所は雨ざらしのはずだ。


「こりゃ、足下にも気をつけないとね」


 分厚い雨雲を見上げながらカバンを開くと、それを待っていたかのように金色の大金槌ロングハンマーが飛び出して、自動的に変形して朋子の手に収まった。

 柄を伸ばした武器はズッシリとした重みを伝えてくるが、同時に持ち主に魔力を流し込んで、その身体能力を強化してくれる。

 そうでなければ、ただの女子高生でしかない朋子には、とうてい振り回せる重さではない。

 これを扱うようになってからは、多少は自分の内なる魔力を認識し、制御できるようになったが、魔力使いとしての才能は乏しく、武器なしで怪物と戦うのは心許ない。

 それでも、金色の武具アースセーバーを手にしている間は危険な怪物に真っ向から立ち向かうだけの力を得ることができる。朋子にはそれでじゅうぶんだった。

 各員が戦いの準備を終えたところで、篤也が簡単な説明を始める。


「敵は人型のマリス。円卓の分析によれば特殊能力の類いは持たない。剣や槍といった武器を手にしているが、知性は感じられないとのことだ。この石段の先にたむろしているが、そこには寂れた神社がある。重要文化財というわけではないが、なるべくなら建物や灯籠にはダメージを与えぬよう気をつけてくれ」

「了解」


 うなずきを返すと、朋子は部長として号令を出す。


「地球防衛部、出撃!」

「了解」

「はい」

「ぎょろす」


 エイダ、希美、篤也と声を返して(最後のはなんだ?)くれたのを耳にすると、朋子は勢いよく石段を駆け上っていった。

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