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第35話 淋しい横顔

 階段を上りきると、雨粒を蹴散らすかのような勢いで頭上から大量の矢が降り注いできた。


「げっ!」


 聞いてないよと叫びたい朋子だったが、それより速く希美が叫ぶ。


「旋風よ!」


 一瞬にして風が渦を巻き、飛来した矢を方々へと弾き飛ばした。魔術については篤也が使うところを何度も目にしていたが、希美のそれを見たの初めてだ。


「早い……」


 つぶやきは最後尾にいた篤也のものだ。

 魔術に詳しくない朋子だが、その意味は理解できた。未熟な魔術師ほど術式の構築から発動までの時間が長くなるのだが、希美は今、不測の事態に対して瞬時に対応してみせた。もともと準備していたのでなければ恐るべき早さだ。

 いや、そもそも全力疾走している時に普通は魔術など使えないものだ。それこそ篤也のような達人でもなければ。

 だが今は、それ以上考えている余裕はない。

 矢を撃ち出してきたマリスは朋子たちの前方に横並びになっていた。見た目は落ち武者のようだが、全身が青く、鎧の下は骸骨のようだ。見るからに不気味だが、マリスは人の負の想念によってカタチを得るだけで、決して亡者の類いではない。

 手に弓と矢筒を持っていたが、どうやら矢をつがえることなく、矢筒の中から直接矢を撃ち出すという非常識な攻撃を敢行してきたらしい。

 確かに驚異的な攻撃ではあったが、その一度ですべて弾切れだ。

 朋子は打ちつける雨の中を水飛沫を上げながら肉薄すると気合いを込めて金色の大金槌ロングハンマーを振るった。


「ちぇすとー!」


 少女の細腕が繰り出したとは思えない豪快な一撃に、横並びになっていた敵がまとめて粉砕される。

 破片となった落ち武者は乾いた音を響かせながら宙に舞い、キラキラとした輝きを発しながら光の粒子となってかき消えた。負の力を失ったマリスが、本来のアイテールに還元されたのだ。その光景は舞い散るガラスの花びらのように美しいが、見とれている余裕はない。

 一体ごとの力は知れたものだが、何しろ数が多くタイムリミットもある。舞い散る破片をくぐり抜けるようにして朋子は次の敵に殴りかかる。

 その間にも、エイダと希美は左右に分かれ、それぞれに攻撃を敢行している。

 彼女たちが相手にした落ち武者は刀や槍で武装していたようだが、ふたりの敵ではなく、瞬く間に斬り倒された。

 篤也はちょうど三人の真ん中辺りで足を止めている。いつでも全員のフォローには入れる絶妙なポジション取りだ。

 チラリと仲間の状況を確認すると、朋子はさらなる敵を求めて社の横を駆け抜けていく。

 目の前に新たな五体が現れるが、相手が武器を構えるより早く、金色の大金槌ロングハンマーを叩きつけて粉砕した。

 しかし、社の脇からさらに敵が躍り出てくる。


「ちょっと多すぎない?」


 朋子は思わず声をあげるが、その間にも休むことなく武器を振るって敵を粉砕し続けている。

 だが、さらに落ち武者の団体が姿を現すと、さすがに前進を中止して大きく跳び退った。


「雷光よ!」


 タイミングを見計らったかのように篤也の声が響き、彼の手の平より放たれた稲妻が、現れた落ち武者たちを薙ぎ払う。彼が最も得意とする魔術だ。


「ありがとう、先生!」


 朋子が顔を向けると、篤也は渋い顔を見せていた。


「確かに、これは異常だな」


 ひとまず後続が現れないのを確認しつつ、篤也と共に仲間たちの方に駆け戻ろうとするが、その途端に轟音が響いて大きな社殿が崩壊する。まるで中で何かが爆発したかのような光景だ。

 唖然と見つめる朋子の前で瓦礫を撒き散らしながら、その中からゆっくりと巨大な人影が這い出てくる。


「……ボスキャラ?」


 思わずつぶやく朋子。

 マリスが大量発生する場合、大物が一体混ざることが度々ある。これは軍勢にはそれを統率するリーダーがいるものだという人間の共通認識によるものだ。人間の負の想念によってマリスが生じるがゆえの現象で、そういった意味でもボスキャラと呼んで差し支えがなかった。

 巨大なマリスは形状こそ落ち武者に似ているが、鎧は赤と黒で彩られ、兜の飾りは金色に輝いている。手にした大きな刀は斬馬刀と呼ばれる物だが、実物よりもさらに太く長いものになっていた。

 駆けつけたエイダが、それを見上げて口元に笑みを浮かべる。


「任せて下さい」


 言うが早いか猛スピードで駆け出していく。


「待って!」


 慌てて呼び止めるが、その時にはもう巨大武者の足下に辿り着いていた。瞬間移動でもしたかのような凄まじいまでの速さだ。

 その勢いのまま聖剣を振り抜くエイダ。

 だが、巨大武者はその巨体からは想像もできない反応を見せた。斬馬刀によって聖剣の一撃を難なく受け止めてみせたのだ。

 響いたのは金属を打ち鳴らす音ではなく、壁でも叩きつけたかのようなくぐもった音だ。


「くっ……」


 想定以上の頑強さに顔をしかめつつ、エイダが後退する。それもまた尋常な速さではなかったが、巨大武者はそれに劣らぬ勢いで突進し、石畳を踏み砕きながら、斬馬刀を高々と振り上げた。

 エイダの表情が凍りつく。初めて目にする表情が、その深刻さを物語っていた。

 だが、その時にはもう朋子も動いている。横合いから跳躍すると振り下ろされようとしていた斬馬刀の横っ面を金色の大金槌ロングハンマーで狙ったのだ。

 超高速で振り下ろされる刀を打ち据えるのはタイミング的にも至難だったが、意地と勇気で成功させた。

 重たい鐘でも打つような轟音を響かせながら斬馬刀の軌道が逸れる。巨大な刃はエイダの傍らの大地を深々と抉ったが、彼女はなんとか無傷のまま飛び退いて体勢を立て直した。


「すみません、部長!」


 謝罪の声は聞こえていたが、朋子もまた反動で後ろに弾き飛ばされ、水たまりの上をゴロゴロと転がる羽目になっている。

 こんなところを狙われたら対処のしようがない。慌てて起き上がろうとするが、ぬかるみに足を取られて再び転倒してしまった。

 だが、落ち武者は朋子もエイダも無視して別の方向へと注意を向けている。

 その方角から、大鎌を手にした少女が風を切って突っ走ってくるのが見えた。


「希美ちゃん!?」

「待て!」


 篤也が制止の声をあげるが、希美は立ち止まるどころかさらに加速して巨大武者に接近する。

 当然ながら敵も黙ってはいない。やはり尋常ではない速さで巨大な刃を横殴りに振るう。

 ヒヤリとする朋子だったが、希美は平然とそれをかいくぐった。風圧でフードがはだけて長い黒髪が躍るように広がる。

 希美は巨大武者の横をすり抜けるとスライドしながら足を止め、敵に向けて左手をかざした。打ちつける雨粒などどこ吹く風で、瞳に赤い光を灯しながら好戦的な笑みを浮かべる。


「気流よ!」


 魔術だ。再び轟音を響かせながら風が舞うが、先刻とは異なり、その風は巨大武者の身体にまとわりつき、その動きを制限する。

 やはりあらかじめ魔術の用意していた様子もなければ呪文も唱えない。篤也も得意とする雷光の魔術は詠唱無しで使えるが、それ以外の術では難しいらしい。様々な魔術を詠唱なしで操れる魔術師は世界でも稀な異才のみだ。

 その一人が今、朋子の目の前に立っている。

 希美は風を維持したまま、右手に持っていた金色の鎌を天に向かって掲げると、今一度高々と声をあげた。


「爆雷よ!」


 瞬間、篤也が朋子に覆い被さる。

 同時に言葉通りの爆音が轟き、閃光を撒き散らしながら大地を激しく揺らした。

 爆撃で巻き上げられた瓦礫や衝撃が押し寄せるかと思ったが、それは敵を囲むように渦を巻いた風の壁によって完璧に遮られている。


「最初に使った風の壁を維持した上で、あれほどの攻撃魔術を放ち、さらに最初に使った術式を変化させたというのか……」


 茫然と篤也がつぶやく。

 魔術に疎い朋子には、それがどれほど困難なことなのかピンと来ないが、篤也の様子を見る限り、常識外れの芸当に思える。

 彼自身魔術の達人なのだ。その彼が信じ難いものを見たような顔をしているのだから、これはよほどのことなのだろう。

 爆雷の直撃を受けた巨大武者は全身から煙を噴き上げていた。鎧は亀裂に覆われ、各部が砕けている。光を放っていた兜の飾りも折れ、焼け焦げた身体からは異臭が漂ってくる。

 巨大武者はそれでもなお斬馬刀を手にして二本の足で大地を踏みしめている。兜の奥の妖しい眼光は怒りに燃えているように見えた。

 遠くの空が光を放ち、遠雷が響き渡る。

 なおも激しく打ちつける豪雨の中で、希美は自らが生みだした風に、長い黒髪とマントを躍らせていた。

 短い対峙のあと、希美は大鎌を手に悠然とした足取りで敵に向かって歩き始める。

 巨大武者は、それを叩き潰さんと斬馬刀を力任せに振り下ろした。魔術のダメージは相当なはずだか、その動きに衰えは見られない。

 だが、希美はさらにキレのある動きで、その一撃をかいくぐると、鎌を手にしたまま斬馬刀の背を蹴って大きく跳躍した。

 巨大武者の眼前に飛び出した希美は、雄叫びをあげることなく大鎌を振り下ろす。

 雷光よりも眩い金色の閃光が迸り、敵の巨体を頭頂から股下まで一直線に斬り裂いた。

 そのまま雨に濡れた大地に着地した希美は、それで終わりとばかりに巨大武者に背を向ける。

 背後で両断された巨体が崩れ落ち、盛大に水飛沫とともに大地を揺らした。

 両断された身体は他の敵と同じように、武器もろとも光の粒子になって拡散していく。

 呼吸をするのも忘れて見守っていた朋子に傍らにいた篤也が手を差し出した。それを見てようやく我に返る。

 素直に手を借りて立ち上がると、朋子は改めて周囲の状況を確認した。

 すでに小型の落ち武者の姿はなく、エイダはやや離れたところで立ち尽くしている。負傷している様子はない。茫然としたその横顔は先ほどまで朋子が浮かべていたものと同じだろう。

 希美に視線を戻すと、彼女は豪雨の中で目を細めて天を仰いでいた。

 手には金色の大鎌。長い黒髪は風が止んだことでだらりと垂れ下がっている。口元にはどこか歪な笑みを浮かべていて、その美しい横顔は魔女という言葉を連想させた。

 しかし、朋子にはその姿が、なぜかひどく淋しげなものに思えてしかたがなかった。

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