北朱里が小夜楢未来の襲撃を受けてから、十日が過ぎようとしていた。
未だ梅雨真っ盛りで、窓の外ではしとしとと憂鬱な雨が降り続いていたが、それ以上に憂鬱だったはずの魔女の記憶は、かなり曖昧なものになっている。
時折、すべてが夢だったのではないかと思うのだが、ヴァイオリンケースを背負った希美の姿を見る度に、そうではないことを実感させられた。
あんなことがあって以来、どうにもぼんやりと過ごす時間が増えた気がする。その日の休み時間もやはり、そんな感じで窓の外を眺めていた。雨に煙るグラウンドを眺めていたわけではなく、何かを見ているようでなにも見ていない。考え込んでいるようで具体的にはなにも考えていない。そんなふうに無為な時間を送っていると、名前を呼ばれて朱里は意識を現実に引き戻された。
振り向けば聖深天がいつもの上品な笑みを浮かべている。
「聖さん?」
「遅くなってしまいましたが、あなたにもこれを差し上げておきます」
そう言いながら深天が差し出してきたのは小さなペンダントだった。
「これは?」
「我が教団のお守りです。これがあれば魔女の力から身を守れるかもしれません」
「ありがとう」
素直に礼を言って受け取る。超常のことはよく分からないが、深天が不思議な力を持つことは間違いない。ならば多少なりとも効果は期待できるだろう。
「アミュレットってやつか?」
横から口を挟んできたのは藤咲旭人だ。彼は魔女の襲撃を受けた後も、すぐに元気を取り戻したタフな男だ。
小中高と同じ学校で家も近所だが、あまり親しくはなく、正直に言えば騒がしくて苦手なタイプだ。
深天とは犬猿の仲のはずだが、彼女はとくに嫌な顔も見せずに藤咲にもペンダントを差し出した。
「よろしければ、あなたもお使い下さい。これは我が教団のシンボルですが、入信しろとまでは言いませんので」
「気持ちだけもらっとくよ。それで未来さんに会えなくなったら、目も当てられねえからな」
「まったく、物好きなことで」
苦笑してすませる深天だが、さすがに朱里は口を挟んだ。
「それってどういうこと? 未来さんって……」
「このお気楽トンボは、こともあろうかあの魔女に一目惚れしたそうですわ」
面白がるように笑う深天。
朱里は信じられないバカを見るような目を藤咲に向けた。
「こら、人の顔を信じられないバカを見るような目で見るな」
「だって、殺されかけたのに……」
「いえ、あの空間で殺されても命を落とすことはないようですよ」
「え?」
驚く朱里だったが、藤咲は平然としている。すでに知っていたようだ。
深天が説明してくる。
「実はあれと同様の事件はあの後も方々で多発しているのです。襲撃を受けた人々は、その都度、あのおかしな世界から出ることも、抵抗することもできずに骸骨たちに惨殺されてしまうわけですが、それで本当に死ぬわけではなく、気がついたときには傷ひとつなく元居た場所に戻されているそうです。まるで悪い夢でも見たかのように」
「そ、そうなんだ……」
話は理解できたが安心できるというほどでもない。たとえ現実には死ななくとも死の恐怖や苦しみを味わうのでは、やはり堪ったものではない。
しかし、藤咲は頬を綻ばせて気楽に言った。
「まあ当然だよな。あの未来さんが人殺しなんてするはずがねえ」
「ですが、あの空間で死んだ者は寿命が削り取られるという話ですわよ」
深天の言葉に朱里はさらにギョッとさせられる。
「じ、寿命って……」
「あの骸骨どもを率いていた男がそう言ったそうです」
深天の答えを聞いて藤咲が首を傾げる。
「男?」
「小夜楢未来の恋人かもしれませんね」
「そんなはずねぇーーっ!」
頭を抱えて絶叫する。
どうやら藤咲は本気であの怖ろしい魔女に
「すげえ失礼なことを考えてないか?」
「べつに……」
妙な勘の良さを見せる藤咲から目を逸らすと、自然と雨夜希美の姿が視界に入った。
いつもどおり教室の片隅でフードを目深に被ったまま俯いている。
彼女はいつもあんな調子だ。話しかければ返事もしてくれるし、それほど無愛想にも思えないが、本人に人づきあいをする気がないように思える。
朱里としても友達になりたいと思う一方で、大鎌を振り回して戦う怖ろしい姿が脳裏に焼きついていて近寄りがたい気持ちもある。あれは自分たちを守ってくれたのだと頭では理解していたが、そう簡単に気持ちの整理はつかなかった。