その日の部活は、すぐに終わった。
「みんな昨日の戦いで疲れているだろうからな。今日は早く帰って、ゆっくり休んでくれ。部室には私がいるので、何かあれば連絡する」
めずらしくまともなことを口にした篤也だったが、頭にコカトリスが乗っていたのがマイナスだった。
とくに疲れは感じていない希美だったが、篤也と一緒に部室にいても、それこそ気疲れするだけだ。
朋子たちと一緒に大人しく部室を後にする。
バイク通学の朋子は駐輪場に向かい、エイダは篤也と話があるというので、希美はひとりで校門に向かった。
彼女とふたりきりにならずにすんで内心ホッとしている。
別にエイダが嫌いなわけではない。馴染みのない人間は誰であっても苦手なのだ。
(わたしは人付き合いが苦手だ)
改めてそれを意識する。
もとより友だちが欲しいとは思っていないが、せめて仲間たちとは打ち解けるべきだろう。
チームワークは確かに大切だ。だがそのためにどうすればいいのかが分からない。
かつて小夜楢未来と戦った時、昴と仲間たちの連携は見事だった。
空の敵を超能力を操る姉妹に任せ、彼自身はもうひとりの仲間と共に、押し寄せる敵をラッセル車のように蹴散らしていった。しかもこの時のふたりは、ろくに言葉も交わさずに、互いの隙を的確に補っていたのだ。
それに比べて昨日の自分は、ただ闇雲に突撃して力任せに暴れただけだ。
相手が弱かったから、それでもなんとかなったが、あんなやり方では今後の戦いが不安だ。
「怒ってたのかなぁ、部長」
表情は穏やかだったが、連携について口にしたところをみると、やはり希美の戦い方に危機感を覚えたのだろう。篤也のお陰でうやむやになったが、反省の必要は大ありだ。
(そういえば西御寺の変わりっぷりはなんなんだろうな?)
今やすっかり変人で、冷徹な殺し屋だった頃の面影は微塵もない。セクハラ発言を始め、希美にとっては迷惑に思える男だが、一方ではその食生活を心配して術具作りのバイトを紹介してくれた恩もある。
(わたしが変わったように、あいつも変わったのかな……?)
人は変わっていく生き物だ。
思えば希美自身も、かつての姿からは想像もつかないほどに変わっている。
目を閉じればいつだって思い浮かぶのは、手を差し伸べてくれる昴の姿だ。それは希美が初めて目にした光だった。あの日の彼の言葉に支えられて今も生きている。
彼に恋して、彼に憧れて、彼と同じ道を歩きたくて、この学園にやってきた。
幸い血筋柄才覚には恵まれていて、勉強は苦にならなかったが、ひとつ不安だったのは、薄汚れた自分に、
昴の義理の姉にして地球防衛部の初代部長、星見咲梨が生み出したそれらの武具には、自らの担い手を選別する力がある。
正義の味方として相応しい人間以外は、持ち上げることさえできない。だからこそ円卓も接収することができずに、せめてその力を利用するために地球防衛部の存続を認めているのではないだろうか。
自分の善良さに自信の持てない希美は、自分もまたそれを手にできないのではないかと、ずっと不安だったのだが、幸いにもそれは杞憂だった。
それどころか、昴が愛用していた金色の鎌は、あの部室の倉庫で、ずっと希美が来るのを待っていてくれたのだ。
感無量だった。
しかし、まだまだ使いこなせているとは言い難い。己の未熟さを痛感して、希美はまたひとつため息を吐いた。
気分転換にとポケットに手を入れてパラソルチョコを取り出しかけたところで、目の前に誰かが立っていることに気づく。
べつに希美の進路を妨害しているわけではなく、相手が立っているところに、こちらから近づいてしまっただけだ。
顔を上げるのもめんどうなので、そのまま通り過ぎようとするが、相手の方から話しかけてきた。
「相変わらず暗いですね、雨夜さんは」
声を聞けばいちいち顔を見て確かめるまでもない。クラスメイトにして怪しげな宗教家の聖深天だ。
「なにか用?」
希美が無愛想に問うと、深天はイタズラを思いついた子どものような顔を浮かべた。
「昨日は雨の中ご苦労さまでした」
「べつに……。みんなはともかく、わたしは雨に濡れるのは嫌いじゃない」
淡々と答えると、深天は不満げに口を尖らした。
「驚かないのですね」
「誰かが覗いていたことには気づいていたからな。さすがにお前たちだとは思わなかったが……それもハルメニウスとやらの力なのか?」
「神がお貸し下さる神秘のお力はひとつではありません」
つまり、肯定なのだろう。深天は得意げに胸を反らしたあと、少し姿勢を正してから続けてくる。
「もっとも、遠見の術はわたしの力の及ぶところではございませんが」
「君よりも上の使い手がいるのか?」
「ええ、我らが教祖様です」
「そういえば君は神官とか名乗っていたな」
ならば上の階位がいるのは当然だろう。最初は深天ひとりの遊びだと思い込んでいたため失念していたが、彼女は実際に力を持つ巫女だったのだ。
「雨夜さんは昨日の怪物について、どうお考えなのですか?」
真面目な顔になって訊いてくる深天。
希美は手にしていたチョコをポケットに戻してから答える。
「マリスとしては比較的平凡な能力と形状だったが、類似性が気になる。あの落ち武者は小夜楢未来が引き連れていた怪物と同じ骸骨型だった」
「はい、おそらく両者は無関係ではないでしょう。もちろん、昨日のアレを魔女が喚び出したとは思いませんが、魔女が繰り返して行う、若者たちへの襲撃が呼び水になっているのではないでしょうか」
マリスは人々の負の想念によってカタチを得る存在だ。ならば小夜楢未来に襲撃された若者たちの恐怖によって、生じてしまった可能性が高い。
「やはり、そういうことか。だとすると、あの後もあいつは同じことを繰り返してると考えるのが自然だな」
「ええ。小夜楢未来とその一味らしき者たちの凶行は、今も続いているようです。実際、先日は様々な学校の生徒が、我が教会に救いを求めに訪れました」
「教会もあるのか?」
「古い建物を再利用したものですが、それなりに立派なのですよ」
深天はどことなく誇らしげな顔を見せる。
溜息を吐きつつ希美は語る。
「うちは戦闘力は申し分ないけど、顧問を入れてもたったの四人だから情報集めには向いてない。この町の円卓は小さな支部にしては頑張ってサポートしてくれているけど、現れた怪物に対応するのが精一杯で、他のことまでする余裕はないだろう」
その言葉を待っていたように、深天は得意げな顔を見せた。
「そこで提案があるのです。どうですか、雨夜さん。我々ハルメニウス教団と手を結びませんか?」
「君らと、地球防衛部がか」
「はい。魔女とマリスは、わたし達にとって共通の敵です。ハルメニウス教団は、この陽楠市を中心に活動しており、若者を中心に数多くの信者を獲得しています。そのお陰で学校周辺で起きている異変の情報は自然と集まってくるのですが、残念ながらあなた方のように怪物と戦う力はありません」
大仰に手を動かしながら語るのは信者獲得のテクニックだろうか。そのにこやかな笑みも胡散臭く思える。もっとも希美を騙そうとしているわけではなく、そういう所作がクセになっているのだろう。
実際悪い話ではない。むしろ現在考え得る最善の策に思える。
有用性を認めて希美はうなずいた。
「悪くない提案だ。でも、わたしは平部員で決定権がない。明日みんなと相談してみるよ」
「分かりました。それでは――」
中途で言葉を切ると深天は突然深刻な表情を浮かべた。
制服の胸元に手を差し入れて、そこからペンダントを取り出す。それは淡い魔力の輝きを発していた。
「ハルメニウスさまのお告げです。朱里さんが窮地に陥ったと」
「なんだって?」
その神が実在するかどうかはともかく、深天たちの信仰は確実に神秘の力を引き起こしている。ならば、その言葉には信憑性があった。
「どうやら例の異空間に引き込まれたようです」
「場所は?」
希美が問うと深天は祈るように目を閉じた。
「……それなりに距離があります。学園前駅から二駅は向こう……北側にある公立高校の近く……」
神の奇跡も便利なものだ。その性質上、いつ使えなくなるか分からないが、魔術では得ることのできない情報を手にすることができる。
だが、分かったところで現場に飛んでいくような力はないらしく、深天は明らかに焦っているようだった。その様子が彼女の本性だとするならば、深天は思っていたよりも、ずっと友達思いなのかもしれない。
「こっちに来い」
希美はやや乱暴に深天の手を引くと、人目につかない校舎裏へと移動した。
「雨夜さん?」
戸惑う深天には構わず、懐から魔法紙と呼ばれるカードを取り出して、自分たちを中心にして素早く五芒星の形に並べる。
「いったい何を? まさか、あなた――」
その意味を察して驚きの声をあげる深天。今は時間が惜しく、希美は黙ったまま魔術を発動させた。
解き放たれた魔力が風を生み出し、乾いた砂が舞い上がる。
「まさか、テレポートを!?」
驚きの声をあげる深天。
それは空間を超えて一瞬にして人や物を此方から彼方まで運ぶ力だ。本来ならば、魔術よりも格段に強力な魔法か、それを専門とする異能者。あるいは極めて稀な超能力者の領分とされている。
魔術での再現も不可能ではないが、自分以外の人間を連れて跳ぶとなると難易度はさらに増す。安定して成功させられる術者は世界で10人に満たないだろう。そして希美は、その中のひとりだった。
「跳ぶべき場所をできるだけ正確にイメージしろ」
希美が告げると、深天はもう一度祈るように指を組んで目を閉じる。神秘に精通しているだけあって、さすがに察しが良い。
構築した魔術式に深天の意識を接続して座標を算出すると、希美は躊躇うことなく術を発動させた。
瞳に赤い光が灯り、それに呼応するかのように五枚の魔法紙が光を放つ。景色が白い光の中にかき消え、一瞬ののちには、まったく違う風景が、そこに広がっていた。
学園前駅から二駅向こうにある公立高校の近くだ。当たり前に平和な住宅街に見える。異質なものは見当たらず、朱里の姿もない。
しかし、希美は背中のヴァイオリンケースから金色の鎌を取り出すと、瞬時にそれを展開して目の前の空間を斬り裂いた。
冷たい氷が砕けるような音が響き、何もなかったはずの場所に、異界へと続く穴が生まれる。
希美は、なんの躊躇もなく、そこに身を躍らせ、それに深天が続いた。