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第47話 クラスメイトⅠ

 部室での話し合いを終えた希美が教室に向かうと、ちょうど入り口の前で朱里とバッタリ出会った。

 彼女は何か言いたげな顔をしたが、結局は目を逸らして後ろを向いてしまう。そのまま自分の席に向かおうとした彼女の背中に向かって、希美は思い切って声をかけた。


「おはよう」


 すると、朱里は一瞬だけ硬直したあと、弾かれたように希美に向き直った。


「おはよう、雨夜さんっ」


 声を弾ませて眩しいほどの笑みを浮かべる朱里。ただの挨拶だけで驚くほど嬉しそうだ。希美は正直ほっとしていた。

 いろいろ思い悩んだ末に本当の自分について話したつもりだったが、それで相手を傷つけていれば世話はない。

 それに朋子は希美のことをやさしい娘だと言ってくれた。自信はないが、この上自分を卑下するのは朋子に対して失礼な気がする。

 少しだけ良い気分になって自分の席に向かうと、朱里が嬉しそうな顔をしたままついてきた。とりあえず荷物を机に置いて、ふり返ると人懐こい笑顔で話しかけてくる。


「ねえ、雨夜さん。よかったら今日の放課後、遊びに行かない?」

「いや……今日は部活で深天のところに行かないといけないんだけど」


 これでまた朱里が悲しげな顔をしたらどうしようかと心配する希美だったが、彼女はとくに気分を害した様子もなく小首を傾げた。


「部活で深天さんのところに?」

「ハルメニウス様の教会ですわ」


 疑問に答えたのは他ならぬ深天自身だった。ちょうど登校してきたところらしく、カバンを手にしたまま近づいてくる。


「よろしければ、朱里さんもご一緒にどうですか?」

「わたしもいいの?」

「ええ。あなたも被害者なので、無関係ではありませんし」

「うん、行く。お邪魔でないなら」


 最後の言葉は希美に向けられたもののようだ。

 黙ってうなずくと、朱里は嬉しそうに微笑んだ。なんだか人懐こい子犬を連想させる少女だ。

 さらにそこにもうひとりの関係者――と呼ぶには立ち位置が微妙なのだが――藤咲が姿を現す。


「おはよう、マイスイートハニー」


 響いてきた軽薄な声に希美たち三人は顔をつきあわせた。


「深天のことだな」

「いえ、絶対に希美さんです」

「わたしも雨夜さんだと思う」


 深天のみならず朱里にまで言われてしまった。実は希美自身そんな気がしていたが、ただの冗談でも、そんな不名誉な呼び方をされたとは思いたくない。


「なんなら、ネイキッドエプロンでもいいけど」


 藤咲の言い様に希美が怒りの形相を向けるが、今さらその程度のことを気にする男でもない。


「心配すんな、希美。俺の本命はあくまでも、未来さんただひとり。お前のことはただの遊びだからさ」

「遊ばれてたまるかーーっ!」


 怒鳴りつけたものの、藤咲はいつも以上に聞いている様子がない。素知らぬ顔をして自分の席へと歩いていく。足取りも軽く、どうにもご機嫌な様子だ。


(あの様子だと、自称小夜楢未来の家を見つけたな)


 もともと彼は昨日も未来の家を探そうとしていた。当の魔女の部下に襲撃されたのは想定外だったはずだが、そのていどで挫ける男ではない。もちろん挫けるのが正常なのだが、彼は正常ではない。信じがたいバカである。


「なんか失礼なこと考えてねーか?」


 立ち去ったはずの藤咲がUターンして戻ってきていたので、希美は思わずのけぞった。どうやらカバンを置きに行っていただけのようだ。

 深天がそちらに向き直って問いかける。


「そういえばあなたは魔女に御執心だったはずですが、その後どうなりましたの?」


 これに藤咲は前髪などかき上げつつ、不敵な笑みで答えた。


「企業秘密だ」

「企業じゃないだろ」


 呆れ顔の希美だが、やはり多少は心配である。今のところ魔女とその一味は物質的には人を傷つけていないが、若者たちに恐怖を刷り込み、それによってマリスと呼ばれる怪物の出現を招いてしまっている。

 今にして思えば、それこそが魔女の口にしていた地球防衛部にかける迷惑なのだろう。

 そもそも、たとえ精神的なダメージだとしても、人を傷つけている事実に変わりはない。場合によっては、それがその人の人生を左右することだって、じゅうぶんに考えられるのだ。

 ただ、実際に魔女と会って言葉を交わした時、確かに彼女からは邪悪な意思は感じなかった。

 それでも、やはりこんなことはやめさせるべきだ。

 結論を導き出して立ち上がると、希美は真っ直ぐに藤咲に向き直った。


「藤咲、君には悪いけど、やはりあの魔女は放置できない。昨日のようなことを繰り返していると分かった時点ではっきりした」


 思い切って宣告するが藤咲は動じなかった。


「決めつけるにはまだ早いだろ。未来さんは全人類の絶望を消すって言ってたんだ。確かに今の行いだけを見れば悪いことに思えるかも知れねえけど、たぶんそれは、より大きな善行のためなんだよ」

「それは君の願望だ。もしあれに真っ当な事情があるのなら、それを秘密にしている時点でおかしい」

「だから、それは俺が聞き出してやるって」

「残念だけど、悠長にそれを待っているわけにはいかなくなった。あいつらのせいで、この町では今、危険な怪物が発生しやすくなっているんだ」


 希美の言葉を聞いてギョッとしたのは藤咲ではなく朱里と、聞き耳を立てていた一部のクラスメイト――以前、未来に襲撃された者たちだった。

 藤咲はといえば難しい顔をして腕など組んで唸っている。


「うーん……。まあ、未来さんの秘密主義にも問題はあるし、お前らがそう動くのは止められねえかな」

「ああ、そういうわけだから、これ以上君には協力できないし、馴れ合いも続けられない」

「え? なんで?」


 本気で理解できないという顔をする藤咲。それこそ理解に苦しむ反応だが、いちおう分かりやすく説明する。


「わたしたちと魔女が戦ったら、君は魔女の側に味方するだろ」

「それはそうだが、だからって敵味方みたいな線引きはいらないだろ」

「必要だ」


 希美がキッパリ告げると、なぜか藤咲は呆れ顔になった。


「あのな、希美。確かに俺は未来さんの味方だけど、お前の味方でもあるんだ。だから、もし未来さんがお前を殺そうとしたら、俺はそれを身を呈してでも止めるぞ」

「だからお前はバカなんだ。わたし達が殺し合ったら、お前なんかが割って入る余地があるか」


 希美は吐き捨てるように言ってそっぽを向く。

 あとを継ぐように深天が口を開いた。


「藤咲、色恋に現を抜かしている脳みそアオハルなあなたと違って、わたし達は命を懸けて事に当たろうとしているのです。あなたのような素人にウロチョロされては、はっきり言って迷惑です。それでも最大限の譲歩をして、あなたの恋路の邪魔だけはしません。ですから、あなたもわたし達の邪魔はなさらないで下さい」

「邪魔なんてしねえさ」

「今まさにしているのですよ。希美さんの気持ちをかき乱しているのですから」


 突きつけられた言葉に、藤咲が返答に詰まる。


「そ、そうか……。それもそうだな」


 急にしおらしい態度を取ると、申し訳なさそうな顔を希美に向けた。


「悪かったよ、希美。お前の気持ちも考えないで。確かに俺は未来さん一筋で、お前とはつきあえねえもんな。それなのに不用意に話しかけてお前の気持ちを、かき乱しちまっていたのか……」


 希美は心底嫌そうな顔で朱里に訊ねる。


「なあ、北さん。あれを殺っちゃうのはまずいかな?」

「やめてあげて。親御さんが悲しむから」

「藤咲を人間だと思うからいけないのです。虫が鳴いているのだと思って、やり過ごしましょう」

「人を虫扱いかよ!?」


 顔をしかめる藤咲だが、希美は深天の言葉を採用して自分の席に座り直した。

 すると、先ほど聞き耳を立てていた生徒たちが近づいてきて、やや声をひそめつつ話しかけてくる。


「な、なあ、雨夜? 怪物の話なんだけど……」

「どうかしたのか?」


 希美が素に戻って訊くと、彼らはお互いに顔を見合わせた。譲り合っていたのか押しつけ合っていたのかはわからないが、やがて全員が希美に向き直ると中のひとりが話し始める。


「俺たち、あの後、それっぽい影を目撃してるんだ。最初はあんなことがあったせいで見間違いをしたのかと思ったんだけど、みんなも同じだって言うから……」


 今度は深天たちが顔を見合わせた。

 希美はしばし考えてから一同に告げる。


「とりあえず、昼休みに部室まで来て」

「あ、ああ」


 協力を得られると感じたからか、彼らは少しだけほっとした様子だった。

 やがて予鈴が鳴り響き教室が慌ただしくなってくる。

 希美は頬杖をつきながら窓の外に視線を向けた。空を覆っていた分厚い雲が割れて青空が顔を覗かせている。どうやら晴れてきそうな気配だった。

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