放課後、地球防衛部は予定を変更して、クラスメイトが目撃したという怪物の影への対応を優先した。
影を目撃したクラスメイトは八人。これに対処するために二手に分かれることにして、希美はエイダと、朋子は篤也と組んで問題の場所に出向くことになった。
人口増加に伴い陽楠市にも近代的な家屋が増えてきたが、昔ながらの町並みが完全に姿を消したわけではない。
最初に足を向けた場所は、とくに昔ながらの木造建築が数多く残されており、瓦葺きの民家が軒を並べていた。
ノスタルジックな風景だが、道はアスファルトで舗装され、電柱も立ち並んでいる。さすがに時代劇の世界に迷い込んだというほどの異質な印象は受けない。
希美が暮らすマンションから、さほど遠い場所ではないが、ここに来たのはこの日が初めてだ。
中学までは遠い街で暮らしていたため、不思議な話ではないのだが、ただでさえ希美は用のない場所に足を向けるタイプではない。おそらく何もなければ一生近づくことがなかっただろう。
それでいて希美は、こういった初めて目にする町並みを眺めて廻るのが好きだった。見知らぬ家には見知らぬ誰かの営みがある。それを思うと不思議な感慨が湧いてくるのだ。
もっとも今は観光に来たわけでも散歩に来たわけでもない。地球防衛部の活動の一環として足を運んだのだ。それでも今回の一件はとくに気負うようなできごとではなかった。
希美は同行するメンバーに向けて、それについての所見を語り始める。
「その影なんだけど、たぶん放っておいても問題はない」
「そうなの?」
女生徒のひとりが不安そうな顔を見せる。未来の襲撃を受けた後で、似たような怪物の影を何度も目撃しているのだから、薄気味悪く思うのは当然のことだろう。
影は魔術で消すとしても、ここは正しい知識を伝えた方が、より安心させられる気がする。
そう判断して、希美は普段はあまり一般人には明かさない、少し突っ込んだ話を聞かせることにした。
「マリスと呼ばれる怪物は人々の負の想念に影響されて現出するものだ。ただし、個人のものではそうそう実体化はしない。今回のみたいに影として浮き出るのが関の山で、それも時間が経てば自然に消えるだろう」
「でも、被害者はたくさんいるから、それぞれの想念が影響し合うってこともあるんじゃないの?」
訊いてきたのは朱里だ。彼女は怪物の影を見ていないのだが、当たり前のようについてきている。
「それでもまだ条件が足りません」
エイダが穏やかに答える。いつものように背中に聖剣を収めた鞘を携えているが、彼女もまた希美と同じで緊張した様子はない。
「あなたが仰るとおり、似たような想いが合わさることで危険度は増しますが、怪物が形を得るためには力の源となる濃厚なアイテールが必要なのです。その力は世界を循環していて、この流れを霊脈と呼ぶのですが、地図を見る限り、みなさんの住居はこの流れからは外れたところにあります」
「へえ……」
「逆にこの町で危ないのは墓地とか古い神社とかだ」
希美が付け足すと、男子生徒のひとりが強ばった顔を見せた。
「お、俺の家の近くには神社があるんだけど?」
「神主がいるような、ちゃんとした神社だろ? だったら、むしろ魔を払う力を生み出すから、かえって安心というものだ」
それもまた神社というものに対して人々が思い描く想念によってアイテールが作用する結果だ。怪物を生み出すものを負の想念とするなら、こちらは正の想念とも言える。
「逆に人がいない古い寺社なんかは危険だな。見るからに不気味な印象があって、しかもその下に霊脈が走っているとか」
つい先日、地球防衛部は実際にそこで落ち武者型の怪物と戦うことになった。
「い、いろいろ複雑なんだな」
「けど、それじゃあ、ほっといてもよかったのか?」
説明を聞いたクラスメイトがそれぞれにつぶやく。
少し安堵した様子の彼らに希美は苦笑しながら答えた。
「たぶん、そのとおりだけど……放っておくのも気味が悪いだろ?」
「そりゃそうだ」
ひとりがうなずくと、クラスメイトたちは軽く笑い合った。ようやく不安から解放されて、ホッとした空気が生まれる中、仲間たちを代表するように女生徒のひとりが口を開く。
「雨夜さん、ごめんなさい」
「え? 何が?」
きょとんとした顔で訊くと、彼女は決まりが悪そうに苦笑した。
「わたしたち、雨夜さんに助けてもらったのに、お礼も言わずに……教室でもなんだか話しかけづらくて……」
「いや、わたし達は部活動をしているだけだし……」
困惑して、助けを求めるようにエイダを見ると、彼女はやや意地の悪い笑みを浮かべた。
「それをした時は、まだ帰宅部だったはずですよ」
「で、でも、それは……」
言葉が続かず視線で抗議するが、エイダは軽く肩を竦めるだけだ。
「とにかく感謝しているのよ」
女生徒が言うと、残りのクラスメイトも一斉にうなずいた。
慣れないことに困惑して希美は視線を逸らす。頬が少し紅潮するのを自覚しつつ、小声でうなずいた。
「う、うん……」
うつむき加減でチラリと視線を這わせれば、クラスメイトが揃って希美に笑みを向けている。
くすぐったい気持ちを誤魔化すように、希美は早口で捲し立てた。
「と、とにかく、君らがその影を見た場所についたら、わたしが魔術でそれを引き寄せて解消する。君らはもう、それがなんであるのか、ちゃんと理解しているから、二度と生じることはないはずだ。理解は未知に対する恐怖を駆逐するからな」
言い終えると、希美は例によってパーカーのフードを目深に被ろうとするが、引っ張ってもなぜか出てこない。
驚いて振り向くと、フードの端をエイダがつかんでおり、彼女はイタズラめいた表情を浮かべていた。
「もったいないですよ。その綺麗な顔を隠すなんて」
エイダの言葉にクラスメイトたちが次々に追従する。
「だよなぁ」
「うん、雨夜さん美人なんだから」
「クラスどころか、間違いなく学校一の美人だよ」
真っ赤になって視線を泳がせる希美。そんな彼女を朱里は嬉しそうに見つめていた。