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第51話 葉月昴

 ハルメニウス教団の教祖を務める朝日向耀との話し合いの結果、地球防衛部は彼らと協力関係を結ぶことで合意した。

 簡単な打ち合わせの後、篤也はスクーターで帰路に就いた朋子以外の部員を車で家まで送り届けた。

 ひとりになって高架下に車を止めると、コカトリスを車内に残して外に出る。

 そこに用があったわけではないが、思わぬところで思わぬ人物と再会して混乱していた。少し頭を冷やしたい気分だったのだ。

 すぐそばの自動販売機に歩み寄ると、烏龍茶を買って蓋を開ける。この時代、まだペットボトルには移行しておらず、容器は缶のままだ。

 フェンスに背中を預けて夜空を見上げるが、生憎の曇り空では星も見えない。


「悩みごとか、西御寺?」


 声は篤也がもたれているフェンスの向こう側から聞こえてきた。

 聞き間違えようのない声を辿って視線を向ければ、フェンスの裏側に若い男の姿がある。少し離れた場所だが、篤也と背中合わせのように反対側からフェンスにもたれかかっていた。

 葉月昴――地球防衛部のOBにして希美の想い人だ。彼は六年前の事件で、篤也を心身ともに打ちのめした相手だった。

 当時の部員は怪物揃いとして知られているが、彼もまたその例に漏れない。

 稀代の魔法使いとして知られる地球防衛部の創設者――星見咲梨の義理の弟で、幻想使いファンタジスタに分類される異能力者だ。

 彼の異能力は彼自身のあらゆる力を増幅ブーストすることを可能とする。それだけ聞けば、むしろ地味な力に思えるが、増幅は彼自身の異能力にも作用する。そのため、彼がその力を振り絞れば彼の戦闘力は天井知らずに高まっていくのだ。

 かつて篤也が戦った時には能力に目覚めて間もなく、完全には力を使いこなせていなかったが、それでも卓越した戦闘センスによって篤也を凌駕してみせた。

 正直、二度と戦いたくない相手だ。戦士としても、人間としても勝てる気がしない。今も熟練の暗殺者である篤也にまったく気配を悟らせなかった。こんな芸当ができる者はざらにはいないが、それでいて昴は気配を消していたわけではない。

 ごく普通の振る舞いにさえ無駄がない。それが彼の気配を自然と消しているだけだ。そしてそれは彼が生粋の戦士である証だった。

 毎度のごとく劣等感を感じさせる相手だが、篤也はそれを態度に出すことなく自然に答えを返す。


「久しぶりだな、葉月」

「ああ、こんなところで奇遇だな」


 面白がるような声だ。昴の口元にはどこか不敵さを感じさせる笑みが浮かんでいる。思い返してみれば、この男は高校生の頃から、こんな顔ばかりしていたが、それがまた小憎らしいほど様になっている。

 篤也は、その視線をかわすように背を向けると、再びフェンスにもたれかかった。見上げた空に星は見えないが、町の明かりが夜を飾っている。それをぼんやり眺めながら話しかけた。


「お前は、今この町で起きている事件を把握しているのか?」

「おかしな連中に若者が襲われているってていどのことはな」


 予想どおりの答えだ。

 彼が当時の仲間とともに起ち上げた探偵事務所は、オカルト絡みの事件を専門としている。当然ながら世間一般の目から見れば胡散臭いことこの上ないものだが、事実として怪異が存在する以上、そういったトラブルに遭遇する人間は少なくない。

 しかも、国家の中枢はもちろん、政財界にパイプを持つような富裕層には裏社会の存在を知る者が多い。円卓や秘術組織を頼るよりは金もかからず対応も早いため、彼らに事件解決を依頼する人々は決して少なくはなかった。

 そういった職業ゆえ、おかしな事件には敏感だが、この件に関しては本格的な調査は行っていないようだ。何か別の依頼が入っていて、仕事以外の事件まで気にしている余裕がないのかもしれない。

 それでも、これについては伝えておく必要があるだろう。


「首謀者は小夜楢未来を名乗っている」

「未来?」


 微かに驚いたような声を出すが、すぐに苦笑交じりに断定する。


「ニセモノだな」

「なぜ、そう言い切れる」


 この問いかけには答えずに、昴は逆に訊き返してきた。


「あんたはどう思っているんだ?」

「私はまだ、その人物と直接会ってはいないが……」


 篤也は、しばし目を閉じて、改めて自分の心に問いかけた。答えは昴のものと同じだ。


「偽者だろうな。彼女は私が殺したのだ。それが蘇ることなどあり得ない」


 無意識に声のトーンが下がる。


「この世に奇跡はない。あるのは必然だけだ。あの状況で彼女を救えた者などいなかった。だから、この結果は覆らない」


 たとえそれがどれほど奇跡的な結果に思えても、理由のない奇跡は起こらない。それは他ならぬ葉月昴から学んだことだったが、彼の答えは曖昧だった。


「かもな」


 横目で見やれば昴もまた星のない夜空を見上げていた。

 烏龍茶で軽く喉を潤わせてから、彼の背中に向かって問いかける。


「雨夜とは仲が良いのか?」

「前に彼女のマンションで、ちょっとした事件があったんだ。それで知り合った」


 楽しげな声で答える。恋愛対象ではないはずだが、希美に好意を持っていることは窺えた。

 篤也は冷静に彼女について考えたことを伝える。


「彼女はおそらく小夜楢未来の関係者だ。小夜楢未来の本名は明日香希美だが、彼女の名を使っているところをみても、未来を姉のように慕っていた可能性が高い」

「親類ってことか……」

「ああ、それが一番あり得る線だ。少なくとも赤の他人ではあるまい」


 顔も似ていれば魔力の質まで似ている。赤の他人と考えるのは無理があるだろう。性格はまったく違っているが、血縁者だからといって性格まで似るわけではないので、これは不思議ではない。

 昴は少し考えるように間を空けると、ふり返って問いかけてきた。


「希美ちゃんは、その小夜楢未来のことを、どう考えているんだ?」

「彼女は一度ならず顔を合わせていて、その上でニセモノだと断定している」

「なら、その可能性が高いが……」


 どこか歯切れの悪い昴に、篤也が詮索する。


「お前には何か別の考えがあるのか?」

「いや、確信はない。願望じみた考えだしな。ただ、希美ちゃんはいつも何か言いたげで。だけど何も話してはくれない」


 昴の声は少しばかり淋しげだった。

 真面目な顔をして篤也が告げる。


「秘密を抱えているのは確かだろうが、聞き出す方法ならあるぞ」

「どうやって?」

「あいつはお前に惚れている。だから、お前が性的に迫れば口を割るはずだ」


 冗談を口にすると、昴は虚を突かれたような顔をしてから、思い出したように大笑いした。それを無表情に眺めていると、ひとしきり笑ったあとで、親しみを感じさせる笑みを浮かべる。


「いや、悪い。秋塚先生から聞いていたけど、本当にそんな冗談が言えるようになったんだな」

「お陰で教え子に、よく蹴られるがな」


 肩を竦めてぼやくと、昴はまた少し笑った。


「一度、由布子にも、そのノリで何か言ってやってくれ。絶対に受けるから」

「殺される未来しか見えんが……」


 篤也は思わずその場面を想像して寒気を感じた。

 高月由布子は昴の恋人で、かつて篤也が殺そうとした女性だ。未来が身を呈して守ってくれたからこそ健在だが、その件で未来の分も合わせて二重に恨まれている。


「まあ、希美ちゃんの件は置いておくとして、あんた自身はどうなんだ? 何か悩んでるなら冷やかしてやるが?」


 昴はあまりありがたくない言い方をしたが、篤也はあえて話すことにした。


「昔の女に会った。私がまだ理想に燃えていた頃に一緒に暮らしていた女だ」

「美人か?」

「すこぶる付きのな」

「どうして別れた?」


 ずけずけと訊いてくるが、昴の口調には嫌味なところが微塵もない。だからだろう、かつての敵とは思えぬほどに話しやすい。


「愛想を尽かされたのだ。彼女は何も言わずに家を出て行った」


 綺麗事では世界は守れない。ある日を境にそう考えるようになった篤也は、父が当主を務めていた西御寺家からの指令に従って、ひたすら冷徹に任務をこなしていった。その中には危険な力を持つ魔術師や異能者の暗殺も含まれており、そんな彼のやり方を耀は一度ならず非難していた。


『そんなセリフは理想を貫いて初めて口にできる言葉よ。あなたは途中であきらめてしまっただけじゃない。それこそ自分に都合の良い綺麗事だわ』


 彼女が家を出て行く少し前に篤也に言った言葉だ。

 これに対して篤也は、


『分かってもらおうとは思わん』


 拒絶するように告げたが、それは浅はかな思考停止に過ぎなかった。今ならばハッキリと理解できる。間違っていたのは自分の方で、彼女はまったく正しかったのだ。


「相手が独り身なら、もう一度口説いてみたらどうだ? 今のあんたは昔とは違うだろ」


 気楽に言う昴。

 篤也は肩をすくめつつ自嘲気味に答える。


「私も彼女も、もうそんな歳ではないさ。お互い四〇近いからな」

「恋愛に年齢なんて関係ないさ。だいたい、あんたは二十代そこそこにしか見えないぜ」


 神秘の力を身につけた人間は老いがゆるやかになる。魔力が強ければ強いほど、この傾向は顕著となり、先天的に強大な力を持つ魔法使いの中には完全に老いを克服した者さえいるという。

 さすがにそこまでの域には達していないが、篤也も耀も未だ若々しい肉体を維持できていた。


「どちらにせよ、私には重い。自分のことすらままならないというのに、教え子たちを支えねばならないのだ。この上ひとりの女の人生など、とうてい抱えきれんよ」

「変に生真面目なところは変わらないんだな」


 昴の口調はやはり軽かったが、どことなく篤也の不器用さを嘆いているようでもあった。

 本来ならば未来を殺した男として憎まれていそうなところだが、この男は不思議とそういった素振りは見せない。


「まあ、なんて言うか、俺が思うにあんたは後悔がヘタなんだ」

「後悔がヘタ?」


 篤也が奇妙な言葉に戸惑っていると、ちょうどそのタイミングで小さな足音が響いてきた。

 視線を向ければピンクの髪をした少女がフェンスの向こう側に姿を現している。

 見間違えようのない容姿を持ったその娘は地球防衛部のOGにして昴の後輩だ。今は昴と同じ探偵事務所に務めている。

 彼女は恋人のように昴の腕にしがみつくと、彼に何事かを伝えたようだった。おそらく仕事に関することだろう。

 やはり彼らは彼らで別の事件やまを追っているようだ。


(こちらのことは、こちらでやるしかないか……)


 内心でつぶやき、立ち去ろうとフェンスから背を離すと、昴がもう一度話しかけてきた。


「西御寺、後悔ってのは自分の糧にならなきゃ、する意味がないんだ。それができないくらいなら、いっそ水に流しちまえ」


 簡単に言ってのけると、あとは振り向くことなく歩いていく。少女はようやくこちらに気づいたらしく、軽く頭を下げたが、やはり何も言わずにそのまま去って行った。

 ふたりを見送った篤也は、残りの烏龍茶を一気に喉の奥に流し込んだ。設置されているゴミ箱に空き缶を投入して、自分の車に向かって歩き始める。

 罪に塗れた過去を水に流せるはずはなく、糧にするには、この後悔は重すぎる。この時の篤也はそう思っていた。

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