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第52話 お前は何者だ

「雨夜希美、お前は何者だ!」


 何を思ったか、藤咲がビシッと指を突きつけてきた。

 休み時間の屋上。またしても問答無用に、ここまで引っ張ってこられた希美は、この態度を見て疲れた表情を浮かべた。


「君は、未来のスパイに転職したのか?」

「ど、どうして、こ、こここで未来さんの名前が出てくる?」

「あの女がわたしの出自を気にしているのだろう?」


 他に考えようがない。


「い、いや、俺個人がお前に興味があるんだ」


 なおもとぼける藤咲の前で希美はパーカのフードを脱ぐと、首を左右に振るようにしながら長い髪を外に出した。

 ついでに背筋も伸ばして真っ直ぐに藤咲を見つめる。


「そんなに似ているか? わたしとあの女は」

「いや、未来さんの方が百万倍美人だ」


 平然と言ってのけた藤咲に、希美は回れ右をして背を向ける。


「ちょっと待っていろ。教室に戻ってプレアデスを取ってくる」

「待て待て待て待て! それってあの大鎌だろ!? それで何をしようってんだ!?」

「自分の胸に手を当てて考えろ。それが人生最後の宿題だ」

「待てって!」


 慌てて追いかけてくると、藤咲はこともあろうに希美を羽交い締めにした。


「ちょっ――な、何をするんだ!?」

「正当防衛だ。このまま行かせたら俺が殺される!」

「ただの冗談だ! そんなことも分からないのか、君は!?」

「いや今の目はマジで本気で真剣だった。かなり……」


 そこで藤咲は、ふいに言葉を切った。


「いい匂いがするな、お前って」


 耳元で囁かれて希美の顔色がみるみる青ざめる。


「へ、変態~~~っ!!」

「騒ぐな」


 藤咲に羽交い締めにされたまま口を塞がれた希美は、いよいよ身の危険を感じてかかとで彼のスネを蹴飛ばす。


「いてぇぇぇっ」


 その一撃で自由を取り戻すと、悲鳴をあげて足を抱える彼を置き去りにドアを開けて校舎に飛び込んだ。素早く振り向いて扉を閉めると手をかざして魔術を発動させる。施錠の魔術だ。これで閉ざされた扉は魔力を帯びるため、物理的な力では破壊すらできない。


「ふぅ~、助かった」


 ひとまずこれで安心だと胸を撫で下ろす。

 だが、次の瞬間、扉があっさり開いて藤咲が顔を出した。


「ひぃぃっ! なんで!?」


 慌てた拍子に尻餅をついた希美に、藤咲は獲物を見つめる性犯罪者のような目を向けた。いや、これは希美の心証で、実際にはただ普通に見下ろしていただけだ。


「お前、今何かしたか? 扉にさわったら、未来さんから貰った指輪が輝いたんだが」


 言われて視線を彼の手に向けると、確かにそこからある種の魔力を感じる。


「これを持ってると、この前みたいに間違って襲われることがなくなるって話だから、肌身離さず身につけてるんだ」


 幸せそうな顔で語る藤咲。どうやら魔力を中和するアイテムのようだ。小さくて効果範囲も狭そうだが、ある種の魔術を防いだり消したりするには、じゅうぶんな力があるのだろう。


「もっと盤石の術式を編むんだった」


 後悔する希美だが、どのみち、そんな時間的余裕はなかった。


「さては魔術で何かしようとしてたな?」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、藤咲が顔を覗き込んでくる。


「……確かに似てんな」

「今さらかっ」


 希美は両手で藤咲を押しのけてから立ち上がるとスカートの埃を払った。


「手伝おうか?」

「いらんわっ」


 スカートに手を伸ばしかけていた藤咲を睨みつけて威嚇する。


「未来さんが言うには、お前が使う魔術は独学で身につけられるものじゃないって話なんだが?」

「あの小夜楢未来はニセモノだ。だから、わたしが誰か分からない」

「ニセモノねぇ。まあ、俺はホンモノを知らないから、あの人がニセモノでも、それ自体は一向に構わないんだが」

「そうだな。重要なのは目的の方だ」


 希美は鋭い視線を向けるが、彼のマヌケ面には変化がない。嘆息して身構えるのはやめにする。気負うだけ無駄というものだ。

 そんな希美の心情は無視して、藤咲はお気楽な口調で話を続ける。


「未来さんは俺には話してもいいって言ってくれたけど、そうするとお前らが俺を拷問してでも情報を引き出そうとするだろうから、今はダメだってさ」

「誰がそんなことするか。まあ、そういう人間不審なところだけは本物に似てるけどな、あのニセモノは」

「なあ、希美。俺が見る限りあの人は、ぜんぜん悪い人じゃないぞ。なんとか仲良くできないのか?」

「悪くない人が、あんな事件を起こすか。襲われた人たちは、たとえ怪我はなくても、恐怖で夜も眠れない日々を送ってるかもしれないんだぞ。現にうちの生徒だって……」


 先日の話をしようとするが、藤咲がそれを遮る。


「だから、それにはなんか事情があるんだよ」

「どんな事情だ?」

「それは俺よりも魔術師であるお前の方が分かるんじゃないのか?」


 藤咲の言い分はそれらしいものだが、実際いくら考えても真っ当な理由など思いつかない。


「とにかくあの女は事実上の異能犯罪者だ。確保して然るべき組織に引き渡す必要がある」

「希美ぃ~」


 非難がましい声を出す藤咲だが、これ以上は何を話しても無駄だ。結論づけて踵を返すと、希美は教室に戻るために階段を降りていく。

 まったくもって面倒なことになったものだ。もし本当に、あのニセモノが逮捕されたら、藤咲はどうするだろうか。

 踊り場でピタリと足を止めて、ふり返ると藤咲は困った顔をしたまま、まだそこに突っ立っていた。やや遅れて希美が足を止めていることに気づくと、不思議そうにこちらを見つめ返してくる。

 希美は真剣な顔をしたまま静かに口を開いた。


「藤咲、裏社会には裏社会なりのルールがある。それを乱した以上、彼女は事実上のお尋ね者なんだ。たとえ、その目的とやらが崇高なものだったとしても、それを理由に組織が放免するとは考え難い。のめり込むと君も不幸なことになりかねないぞ」

「いいさ。俺はこの恋に命を懸けてんだ」


 表情を引き締めて口にする藤咲。たとえ、若気の至りだとしても、命の重さを理解できていないからだとしても、その想いを否定する気にはなれない。

 しかし――、


「わたしにはなんの後ろ盾もない。いざって時に君を守ってやることなんてできない。悪いけど、アテにはしないで欲しい」


 それだけ告げると、希美はパーカーのポケットに両手を入れて、今度は立ち止まることなく階段を降りていった。

 藤咲は迷惑極まりない男だが、嫌いなわけではない。彼が不幸になるのは正直見たくはない。もし、事件を解決した後、あの小夜楢未来が円卓に引き渡されれば、藤咲はこの事件にまつわる記憶を消される可能性が高い。

 それも嫌だったが、はぐれ魔術師でしかない希美にできることは少なかった。

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