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第53話 裏モード

 正午まで持ちこたえていた空模様は、放課後になる頃には激変していた。

 激しい横殴りの雨が吹きつける中を少女たちが水飛沫を巻き上げながら疾走する。

 今回戦場となったのは河川敷の公園だ。

 怪物マリスの出現を察知した円卓支部の魔術師たちが、かろうじて結界を張ったが、彼らだけでは中の様子を隠しきることはできない。

 そのため、篤也が魔術を使って結界の表面に偽りの情景を映し出していた。

 これで遠目には、雨に濡れただけの平和な河川敷に見えるはずだ。この悪天候では、そうそう通行人の目に留まることはないだろうが、怪物と超人の戦いは遠目にも目立つ。

 戦闘音自体は結界による遮音効果で打ち消せるが、視覚効果だけでも無関係な人々の注意を引きつけてしまうだろう。何か手を打たなければ、対岸を走っている車の中からでも異変に気づかれかねない。

 現れたのは前回同様の落ち武者型のマリスだが、見た目が同じでも能力まで同じとは限らないのが厄介なところだ。警戒を怠らぬよう注意を喚起したが、朋子たちもそれは重々理解しているだろう。

 例によって、現場へと至る道は警察が封鎖してくれているが、それを抜けて一台の車が近づいてくる。無理やり突破した感じではなかったので、何者かの察しはすぐについた。


「教団か……」


 篤也がつぶやくと、すぐ傍らに止まった車から、思ったとおりの人物が、深天と見知らぬ少年を引き連れるようにして姿を現した。

 朝日向耀――かつて篤也の恋人だった女だ。普段は老けメイクをして誤魔化しているようだが、今は少女さながらの素顔を曝している。報告を受けて慌てて出てきたのだろう。

 彼女は素早く状況を見て取ると、冷静な判断を下した。


「篤也くん、幻術はわたしが引き継ぐわ。あなたは彼女たちの援護に回って」


 逡巡したのは、ほんの短い時間だった。いろいろ思うところはあるが、無駄話をしている場合ではない。


「頼む」


 篤也がうなずくのを見て、耀は素早く魔術式を展開した。神聖術と呼ばれる疑似魔術ではなく、純然たる魔術だ。

 相変わらず良い腕をしている。教えたのは篤也だが、彼女には天性の資質があった。

 術が発動するのを確認すると、篤也は魔術を取りやめて、部員を援護するために身を翻して斜面を駆け下りていく。

 雨が視界を乱し、ぬかるんだ大地が動きを鈍らせる中、それでも部員たちは怪物を次々に撃破していた。

 しかし、いかんせん数が多い。

 彼女たちを援護するべく篤也は右手を突き出して瞬時に術式を組み立てる。


「雷光よ!」


 手の平より光が迸り、敵の群れを薙ぎ払った。

 文字どおり電気系の魔術だが、完全に制御された雷は、ぬかるんだ大地を通って拡散することはない。篤也の腕ならば部員をかすめるように放っても問題はなかった。


「先生!」


 篤也の参戦に気づいて朋子が声をあげる。


「急ぐぞ、水かさが危うい」


 豪雨のために河の水が増水し、今にもこちらに溢れ出しそうになっている。


「敵の数が異常です。倒しても倒しても湧いて出てくる!」


 エイダが声をあげた。高速の斬撃で一方的に敵を斬り刻みながらも、彼女の表情には焦りが見て取れる。

 一方、前回大暴れした希美は、ふたりのフォローに専念して、あまり目立った働きはしていない。

 それでも大鎌を振るう度に敵がまとめて崩れ去ってはいるが、らしくない動きだ。


「どうした、雨夜?」


 声をかけると希美はフードの下から深刻な顔を覗かせた。


「ザコをいくら倒しても無駄だ。すでにこの領域自体が歪みに汚染されて、マリスを生み出す場になっている」

「まさか……」


 息を呑みつつ、篤也は周囲に視線を走らせた。瞳に魔力を宿らせて、この場に満ちている魔力を分析する。

 希美の言うとおり負の力が魔力を歪め、それが広範囲に広がっているようだ。


「なんたることだ……」


 思わずつぶやくと、それが聞こえたのだろう。朋子が周囲の敵をまとめて粉砕した上で問いかけてくる。


「どういうこと?」

「雨夜が言ったとおりの状況だ。現れるマリスをいくら潰しても埒が明かない。この領域に満ちた魔力そのものを消し飛ばさなければ」

「核がないということですか!?」


 エイダが声をあげる。さすがに専門家だけあって、この手の知識もあるようだ。

 通常、これだけ大規模なマリスが生じた場合、その現象の核となる強力なマリスが存在する。前回戦った巨大武者がその例だ。

 しかし、稀にその核すらなく、辺り一帯の土地そのものがマリスを生み出すプラントと化してしまうことがあった。

 どうやら今回はそれが起きてしまっているらしい。


「わたしがやる」


 希美が宣言する。彼女の動きに精彩がないように思えたのは、この可能性を考えて力を温存していたためだろう。

 しかし、エイダは反対した。


「ひとりでは無理です。この規模ならば上級魔術師が四、五人は必要です。周囲への被害を食い止めるためには、それ以上の――」

「そんな暇はない。このペースでマリスが増殖すれば、応援が来る前に結界が破られる。そうなったら市民にも被害が出るぞ」

「ですが……」


 エイダの懸念は篤也にも分かる。仮に希美にそれだけの力があったとしても、相当な無理をすることになるはずだ。ヘタをすれば後遺症が残り、最悪の場合は死の危険すらある。

 それでもこの状況では他に取り得る手段が見つからない。


「全員結界の外に退避。先生は余波が周囲に拡散しないように結界を強化して」


 言いたいことだけ言って走り出そうとする希美だったが、横から伸びてきた手が彼女の腕をつかんだ。


「待って!」


 部長の朋子だ。


「先輩?」


 焦りを顔に浮かべる希美に、めずらしく厳しい表情で問いかける。


「それって希美ちゃんは大丈夫なの? それだけのことをして、ちゃんと無事に戻れるの? いくら他の人が助かっても希美ちゃんに何かあったら、わたしはハラキリしちゃうから!」

「ハ、ハラキリって……」


 ぎょっとした顔を見せる希美。


「やっぱり、危ないことなんだね」


 朋子は明らかに怒っていた。

 それでも希美は視線を逸らしながら言い訳する。


「でも、他に方法はないし、自信はある。たぶん、大丈夫なはず……」

「たぶんじゃダメだよ!」


 怒鳴られて身を竦ませる希美。


(部長が正しいな。だが、どうすれば……)


 焦る篤也だが何も手が思いつかない。

 今もエイダが凄まじい勢いで敵を蹴散らしているが、やはり一向にその数が減る様子はなかった。

 その時、八方塞がりな状況に困窮する篤也の視界に、ふたつの人影が飛び込んできた。

 耀が連れてきた深天と、その仲間らしき少年だ。

 神聖術の結界を張って敵の群れを突っ切ると、真っ直ぐに駆け寄ってきて声をあげる。


「わたし達がお手伝いします!」

「深天?」


 一同が顔を向けると、ずぶ濡れになったふたりの内、今度は男の方が口を開く。


「神聖術の力ならば魔術師に魔力を分け与えることが可能です」

「問題は外から魔力を注ぎ込まれながら、雨夜さんが術を維持できるかどうかですが……」


 極めて当たり前だが外部からの刺激は集中力を乱す要因になる。魔力を継ぎ足すとなるとなおさらだ。それでも希美は自信の笑みを浮かべてみせた。


「大丈夫だ。君らの力を貸してくれ」

「ええ」

「はい」


 深天たちがうなずくのを見ても朋子はまだ不安そうだったが、さすがにもう迷っている暇はない。


「わかった、お前たちを信じよう」


 三人に告げてから、篤也は朋子とエイダに声をかける。


「よし、我々は一度結界の外に退避する」


 無理にここに踏み留まったところで、希美の負担が増すだけだ。


「希美ちゃん……」


 まだ不安な様子の朋子に、希美が笑いかける。


「信じて、先輩。わたしは先輩の心に傷を残したりしない」

「……わかった。約束だよ」

「お任せします、希美さん」


 続いてエイダが告げて、篤也たちは可能な限りマリスを惹きつけながら結界の外へと向かった。

 深天とその相方が、希美の肩に手を触れて魔力を分け与える中、希美は金色の鎌を両手で構えて叫ぶ。


「プレアデス・フルドライブ!」


 言葉に応じるように大鎌の各部が変形して、より攻撃的な形状へと変わっていく。金色の鎌プレアデス限らず、すべての金色の武具アースセーバーに内包されている裏モードだ。

 通常、これらの武具は自らの魔力を担い手に与えるものだが、裏モードでは逆に担い手の魔力を武器の方に上乗せすることができる。

 魔力の強い人間でなければ起動すらできないが、希美の魔力は篤也と比べても桁違いだ。

 希美が変形した金色の鎌プレアデスを掲げると、そこから爆発的な魔力が放出され、同時にその魔力を制御するための術式が空間を埋め尽くしていくのが見える。魔術に慣れ親しんだ篤也でさえ、初めて目にするような大規模なものだ。


「これほどの術式を個人で構築できるのか……」


 その規模はもちろんのこと、凄まじいまでの情報密度に篤也は息を呑んでいた。

 希美が魔術の天才であることには気づいていたが、それでもここまでとは思っていなかったのだ。


「尋常ではありません。これだけの力を持つ魔術師は円卓にだっているかどうか」


 エイダですら目の前の光景に唖然としている。


「希美ちゃん……」


 祈るように朋子がつぶやく。


「とにかく結界の外に出るぞ。ここにいては余波に巻き込まれかねん」


 完全に外に出てしまえば幻術が邪魔で中の様子は窺えなくなるが、こればかりはどうにもならない。

 淡い光のカーテンを抜けるようにして外に出ると、すでに耀と円卓の職員が結界を強化するための準備を整えていた。

 篤也は言葉を交わす暇も惜しんで魔力を解き放ち、彼女たちに協力して最大出力で結界を強化する。

 衝撃が生じたのはその直後だった。篤也と耀を含む幾人もの術者が協力して張ってた結界が一瞬にして弾け飛んだ。

 途方もない魔力の余波が押し寄せて大地が震え、世界が歪み、すべての色彩が消し飛んで、一切の音が消失する。

 自分が立っているのか、倒れているのか、それ以前に身体の有無さえ見失うが、篤也は念じるように自分に言い聞かせた。


(すべて錯覚だ。あまりに濃厚な魔力に急激にさらされたことで霊質がパニックを起こしているに過ぎない)


 回復にかかる時間は、わずか数秒のはずだったが、仲間の安否を気づかう篤也にとっては、あまりにも長い数秒だった。

 最初に回復したのは聴覚だ。遠くで流れる河の音が聞こえてくる。次いで雨のニオイが鼻を突き、眼球が目の前の景色を捉える。

 だが、その光景は見事なまでに一変していた。河川敷の公園は跡形もなく消し飛んで完全な更地と化している。上空では垂れ込めていた分厚い雲が消え失せ、そこだけ光が差していた。周辺への被害を考慮した希美が可能な限り魔力を縦方向に放った結果だろう。

 水色のパーカーを着た少女は、金色の鎌プレアデスを手にしたまま、その中心地で深天たちに支えられていた。

 力を失くしたようにグッタリとしていて意識がないように見える。


「希美ちゃん!」


 感覚が失調したせいでぬかるみの上に座り込んでいた朋子は、自分の汚れなどお構いなしに泥水を跳ね上げながら駈け出していく。

 篤也もそれに続きたかったが、まずは現場の状況を分析する方が先決だ。

 魔術を使って慎重に周囲の状態を調べ、マリスが再出現する兆候がないことを把握すると、ようやく仲間の元に向かって走り出した。

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