河川敷の戦いで昏倒した希美は、ハルメニウス教会に搬送された。
医務室に運び込んで調べたところ、幸い外傷はなく、急激に魔力を使い果たしたことが昏倒の原因らしかった。
朋子とエイダはベッドの傍らに置かれたイスに腰掛けて、眠り続ける希美の横顔をじっと見つめている。
「やはり危険はあったと思います。多くの魔術師は自分の全力など、とても制御できません。たとえ百の魔力を持っていたとしても、一度に扱えるのはせいぜいその一割です。それなのに雨夜さんはアースセーバーの魔力まで解放して自分の全力以上の力を絞り出していました。しかも、あの場に満ちたアイテールのすべてを食い潰す術式となると、制御に失敗する以前にプレッシャーで心停止したっておかしくはなかった。いくら神聖術の助けがあったとはいえ、無茶ですよ……」
エイダの説明を聞いて朋子は自分の膝の上に置いた手の平をギュッと握りしめた。
(何もできなかった……)
円卓の騎士であるエイダや魔術師である篤也にさえできなかったのだから、当然のことだ。
無茶をした希美には憤りを感じなくもないが、ああしなければ何人の人間がマリスの犠牲になっていたか見当もつかない、
だから、考えるべきは、あんな事件を引き起こした元凶の方だ。
小夜楢未来とその一味について、実のところ朋子はこれまでそれほど深刻には捉えていなかった。
だが、今度の一件では、それが間違いだと痛感させられた。
思い返してみれば前回のマリス騒ぎでも、異常な個体が出現して、エイダが危ないところだったのだ。そのことについてもっと真剣に考えるべきだった。
このまま魔女たちを野放しにしておけば、次はどんな事態が引き起こされるか知れたものではない。
「朋子先輩……」
思い詰めた顔をしていた朋子の名を、か細い声が呼んだ。
「希美ちゃん?」
驚いて顔を覗き込めば、希美が弱々しい笑みを向けてきている。
「ごめんなさい。もうちょっと余裕があると思っていたんだけどプレアデスの力が想像以上で……」
「希美ちゃんは無茶しすぎだよ! もっと自分を大事にして!」
「してるつもりなんだけど……守りたいものがたくさんできたから……」
それだけつぶやくと、また瞼を閉じてしまう。
「寝入っただけです。後遺症もなさそうですし、ひとまずは安心してもいいはずです」
「うん……」
朋子は力なくうなずいた。
エイダは壁にもたれかかりながら外の風景を横目で眺めている。すでに日も落ちて町並みには明かりが灯っていた。
「守りたいものがたくさんできたからと言っていましたね」
「うん」
「これまで人付き合いを避けていた彼女ですが、ここ最近はクラスメイトとも少しは打ち解けてきたようです。良い傾向だと思っていたのですが、それを守りたいと思うあまりに無茶をするのでは困りものです」
「魔女が悪いんだよ。小夜楢未来があんな事をしてるせいで、希美ちゃんがこんな……」
それは自分の声でありながら、思った以上にドスの利いたものになっていた。
「そんな怖い顔しないで下さい。らしくないですよ」
エイダにも言われて、朋子は慌てて表情を取り繕うが、胸の奥から湧き出てくる感情に気持ちの整理が追いつかない。
「こんなことになったのは、全部魔女とその仲間のせいでしょ。前回はエイダちゃんが危なかったし、このままじゃいつか誰かが……」
「それでも朋子先輩はそんな顔をしちゃダメです。先輩はわたしや雨夜さんの太陽なんですから」
「太陽? わたしが?」
きょとんとする朋子。
エイダにふざけている様子はない。
「頭に来たから八つ裂きにしてやる――なんてのは先輩のキャラじゃありません。わたしの役柄です」
「いや、エイダちゃんだってそんな……」
「わたしは結構好戦的な女です。これでも向こうでは
「エイダちゃんが
目を丸くする朋子。礼儀正しく控えめな後輩には、どう考えてもピンと来ない綽名だ。
その反応を見てエイダは苦笑した。
「祖父の悪名がついて回った結果ですが、わたしは気に入ってました。ハッタリが利いていて、いかにも強者って感じですから」
「似合わないなぁ」
思ったままを口にすると、エイダはくすりと笑う。
「それですよ、朋子先輩に憎悪とか悪意ってのは、まったく似合いません。先輩には聖女でいてもらわないと」
「それはさすがにハードル上げすぎだよ」
慌てて手を振って否定するが、それでも気づかされたことはある。部長として希美やエイダを支えるためには、朋子自身が自分を見失うようなことがあってはならない。
目の前のベッドに視線を戻すと、そこで美しい少女が静かな寝息を立てている。いとおしさを噛みしめながら朋子は自分に言い聞かせた。
(わたしが支えてあげなくちゃ)
大切なものが増えれば増えるほど彼女はきっと自分の優先順位を下げてしまうだろう。それは美徳かもしれないが、この上ない危うさを孕んでいる。
だからといって、それを間違いと断じて無理やりねじ曲げようとするのは、それこそ傲慢だろう。
彼女が誰かを大切だと思うように、彼女自身も誰かに大切だと思われているということを、本人が自然と理解できるようになるのを待つしかない。
真剣な想いで、じっと見つめる朋子だったが、希美が艶のある声を出しながら寝返りを打つのを見て雑念が入った。
一瞬振り払おうとするが、エイダも同じ事を思ったらしく、それを口にする。
「妙に色っぽいですよね、雨夜さんって」
「そ、そうだねぇ……でも、わたしは変なこと考えてないよー」
「セリフが棒読みですが……?」
そもそも濡れた服を脱がしたのも、着替えさせたのも朋子たちだ。すでにしっかり裸を見てしまっているが、その時は希美の容態が心配だったので、余計なことを考えている暇はなかった。
無事だとわかった今になって、ついついその時に見たものを回想して赤くなってしまう。
「写真を撮っておけば良かったね」
「それじゃあ、うちの顧問ですよ」
「確かに……」
言い返せるはずもなく、朋子は誤魔化すように頭をかいた。
(結局、こんなノリがわたしらしいってことだよね)
眠り続ける希美の顔にかかった髪をやさしく横に分けると、朋子は立ち上がって大きく伸びをした。
エイダと並ぶように窓際から夜空を見上げると、雨雲はすでに去り、そこには欠けた月と星々が美しい光で世界を照らし出していた。