篤也は耀とふたり、礼拝堂で時を過ごしていた。
かつての恋人が傍らにいるというのは奇妙な感じだが、篤也の意識は希美へと向けられている。
無事だと分かってホッとしたが、あまりにも危険な役目を担わせてしまった。
他にすべがなかったというのは言い訳に過ぎない。昨今の状況を鑑みれば、あのような事態も想定しておきべきだった。最初から想定していれば他にも対処のしようはあったはずだ。
(……未熟者め)
胸の裡で自分をなじる。
「自分を責めているのかしら?」
気づかうような声音に顔を上げると、耀が神妙な顔を向けてきていた。
篤也は肩の力を抜いて気持ちを切り替えると、普段あまり見せることのない柔らかい笑みを浮かべた。
「君を見ていると不思議な気持ちになるな。まるで時が戻ったかのようだ」
耀はどこかほっとしたように微笑みを浮かべる。
「老いが遅いことを嘆くほど酔狂じゃないけど、教祖を務めるには威厳が足りなくて困るのよ。普段は老けメイクで誤魔化してるけど、アレも面倒くさくてね」
軽く髪をかき上げながら苦笑する耀。そんな仕草も昔のままだ。
「うちの制服を着ても違和感がなさそうだな」
篤也の軽口に、耀は目を丸くしつつ頬を朱に染めた。
「今さらロリコンなの、篤也くん? 出会ったばかりの頃は女子高生なんて子供だとか言ってたくせに」
「ああ、何年か前にロリコンにジョブチェンジした。女子高生は素晴らしい」
ついついいつものノリで返すと、耀は笑みを引きつらせた。
「高校教師がそれって……」
耀はしばらくそのまま固まっていたが、やがてハッとしたように表情を変えると今度は赤くなって怒鳴りつけてくる。
「からかってるでしょ!」
「ああ」
素直に認める篤也。
耀は拗ねたように顔をしかめた。
「本当に嫌な人」
「ああ、教え子にもよく言われる」
笑ってうなずくと、耀は意外そうに篤也を見つめた。
「変わったわね、篤也くん。あの頃とも違うけど昔とも違う」
「あれから二十年も生きているのだ。変わりもすれば堕落もする」
軽口を返すが、これには応じず、耀は真剣な顔で話しかけてきた。
「あの頃のあなたなら、躊躇なく彼女を犠牲にできたはずだわ」
「今回も危うくそうしてしまうところだった。君のお陰で助かったよ」
耀の指示によって深天ともうひとりの少年が手を貸してくれていなければ、今頃どうなっていたか見当もつかない。
希美の策を容認したか、それを邪魔をして市内にマリスが雪崩れ込む事態を招いたか。
どちらにしても、ろくな結果にならなかったはずだ。
「何があなたを変えたの? あの頃のあなたは頑なで、わたしの言葉には耳を貸さなかったのに……」
どこか恨めしそうな仕草だ。無理からぬことだろう。彼女の言葉はすべて篤也を想ってのものだったというのに、当時の彼はそれに耳を貸さなかった。
「変わってはいない。ただ、化けの皮を剥がされただけだ」
答えながら篤也は今一度自分の半生をふり返った。
かつて大きな挫折を経験したことで、一度は捨てた西御寺家に舞い戻り、冷徹なエージェントとして殺し屋も同然の仕事を続けてきた。
世界を守るためには、これこそが正しいやり方だと嘯いて、命じられるままに淡々と命を奪い続けた。
今となっては、そのひとつひとつが鋭いトゲとなって、篤也の心に深く突き刺さっている。本当に変われていたなら平気なはずだが、罪の記憶はただのひとつとして消えはしない。
その中でも一番強く疼くのが、小夜楢未来を殺めた罪だ。
彼女の本名は明日香希美。彼女の属する明日香一族は魔術の名家として知られていた。
しかし、西御寺家の当主は、その一族の研究が禁忌に触れているとして、本来であれば当然判断を仰ぐべき円卓に報告することなく、独断で暗殺者たちを送り込んだのだ。
送り込まれた同門の暗殺者は一族郎党を皆殺しにしたものの、当時八歳の希美の逆襲に遭い全員が惨殺されたという。
しかし、篤也の父は巧妙な情報操作で希美を孤立無援に追い込むと、さらなる刺客を次々に差し向けた。
誰も信じられなくなった希美は孤独な逃亡生活を続けながら、生き延びるために外法に手を染め、襲い来る刺客をことごとく返り討ちにして、いつしか非情な魔女に変わり果ててしまった。
相手を子供と侮って幾人もの優秀な部下を失った当主は、ここに来てようやく自らの甘さを認め、死神の異名を持つ篤也に希美の抹殺指令を下す。
この時、希美はすでに小夜楢未来を名乗り、神獣と呼ばれる超常の存在を喚び出すことによって世界を滅ぼそうと画策していた。
そこまで落ちた魔女を救う手段などあるはずもない。この上は安らかな死を与えてやるのが、せめてもの慈悲だ。
篤也は本気でそう考え、西御寺家当主の命に従って未来を抹殺するために陽楠学園で網を張っていた。
しかし、現れた彼女は戦いの中で地球防衛部の葉月昴によって狂気から解放されてしまう。
それは篤也にとっても意外なことだったが、どちらにせよ遅きに失していた。
不完全な召還によって現出した神獣は、その不完全さゆえに不死となっており、それを消し去る唯一の方法は、神獣召喚の鍵として利用された少女、高月由布子の命を奪うこと――そのはずだった。
篤也は自らが信じる正義に従い、迷うことなく由布子の殺害を試みるが、未来は自らの身を盾にして少女を守り、短い命を散らしたのだ。
昴は当然のように怒りに燃え、実力を以て篤也を叩きのめすと、由布子と共に神獣を撃退し、犠牲者を出すことなく世界まで救ってしまった。
信じ難い結果を前に、篤也は思わずそれを奇跡と呼んだが、昴は冷然と言い放った。
「いいや、必然だよ」
篤也はこれを否定できなかった。事件に関わった者たちが力を合わせ、なすべきことをなした結果がそれだということは、あまりにも明らかだったからだ。
そもそも篤也は理不尽な運命に大切なものを奪われ、その運命に立ち向かうために手段を選ばぬと心に誓ったというのに、気がつけば自分がその理不尽な運命を他の誰かに強いる存在になっていた。
未来は他ならぬその犠牲者だ。
むしろ彼女を救うことこそ、篤也のすべきことだった。それができていたならば、それこそが理不尽な運命への復讐となり得ていただろう。
(だが、実際にはその共犯になっただけだ)
陰鬱な想いを振り払うため、篤也は頭を振って顔を上げた。
こちらを見つめる、かつての恋人に向き直ると、それ以上説明することなく話題を変える。
「君の方こそ、どうして今さらこんなことをしている? 神の正体については教えたはずだろ」
話を逸らした篤也に眉をひそめつつも、耀は律儀に応えた。
「嫌な思い出だわ。わたしは神の使徒になったつもりだったのに、それが実は魔術的な現象でしかなくて、神さまなんて最初からいなかったなんてね」
「そうだ。それを知って君は魔術師に転向したはずだが?」
「それには感謝しているわ。行くアテもなかったわたしにとって、魔術は生きるための力になってくれたから」
言葉を交わせば自然と懐かしさが込み上げてくる。その頃の篤也はまだ、ごく当たり前に希望を胸に抱いて生きていた。
「若かったわね、ふたりとも」
「そのナリの君が言うのか?」
「見た目はどうあれ、心は老けたわよ。でも、あの頃は本当に若くて、何もかもが輝いていた。毎日のようにあなたの家にみんなで集まって、小難しい顔をつきあわせながら魔術の研究をして、一段落したらバカ騒ぎをして、それから……」
「昔の話だ」
篤也は思い出を振り払うように頭を振る。
「過去は取り戻せない。失ったものは戻らない。それもまた必然だ」
「いいえ、信じればきっと奇跡はあるわ」
断言する耀。
それを見て篤也が問う。
「そのためのハルメニウス教団なのか?」
「これは実験のひとつよ」
耀は隠すことなく認めた。腕を組んで続ける。
「わたしは今、信仰の重なりによって生じた力の場を、魔術的なルールによって維持する方法を模索しているの。知ってのとおり、神聖術は怪我や病気を治すことに長けているから、これが上手くいけば恒久的に大勢の人の命を救うことが可能になるはずよ」
方法論としては古くから存在するものだが、未だ成功例は聞かない。
それでも篤也は納得して頷いた。
「そうか、君らしいな」
実現するかどうかはともかく、分かっているならば止めようもない。それがどれほど困難なことかなど、わざわざ告げずとも耀自身理解しているはずだ。魔術師としての彼女の才覚は篤也すら凌ぐものなのだから。
「東条家に似たようなやり方をしている連中がいるな」
その声は礼拝堂の隅から聞こえてきた。