「今日はたいへんだったからな。明日は一日休みにしよう。さすがに学校まで休みにする権利は私にはないが、部室には来なくて構わない」
昨日の夜、別れ際にそう告げたにもかかわらず、昼休みにはなぜか全員が顔を揃えていた。
(いや、なぜかということもないか……)
この日も篤也と希美は朋子の手作り弁当を、せっせと口に運んでいる。希美は、いつもどおりのパーカー姿だが今はめずらしくフードを脱いでいた。
エイダのみ自前の弁当だ。これもまた手作りで、何度かおかずを分けてもらったことがあるが、なかなかの腕前だ。話によれば料理は日本食をこよなく愛する祖母に仕込まれたとのことだ。
心配していた希美の体調だが、これは問題がなさそうだ。顔色も良くて部室に入ってくるなり、魔術でコカトリスを眠らせるほどに元気だった。
問題は三人娘の話題と、好奇に満ちた視線だ。
「まさか女がいたなんてな」
意地の悪い魔女のように口元を歪める希美。
「どんなロマンスがあったのでしょうね」
エイダも見た目に寄らず、この手のゴシップには関心があるようだ。
「ダメだよ、ふたりとも。先生にもプライバシーがあるんだから」
さすがに部長の朋子は良識派だ。一瞬そう思ったのだが、それは間違いだった。
「どうせ騙してモノにしたとか、詳細な描写を入れるとレーティングがR18になるようなできごとがあったに決まってるんだから」
あまりの邪推に耐えきれず、篤也は机に突っ伏した。
「あっ、意外に応えてる」
本当に意外そうな声を出す希美。どれほどの鉄面皮だと思われていたのか。
「しかし、言っちゃあ悪いが、あの女は信者を騙してるんじゃないのか? 神さまなんていないってことは最初から知ってるんだし」
希美の言葉に篤也は顔を上げた。冷静に吟味してうなずく。
「そうだな。構図としてはその通りだろう。ただ、信者の信仰がハルメニウスなる神を模した力の場を形成していて、実際に恩恵を得られるなら、大きな問題はないのではないか。ほら、嘘も方便というやつだ」
そこまで言ったあとで、篤也は難しい顔になり、思案するように顎に手を添えた。
「しかし、教団が実際に超常の力を持つ以上、目立ちすぎれば、いずれ必ず円卓の介入を招く。神秘の実在を信じる人間の数は制限する必要があるからな。無論、耀もそのあたりのことは心得ているはずだが……」
昨夜は早く生徒たちを休ませたかったこともあり、すぐに帰ってしまったが、耀とはもう少し話し合う必要がありそうだ。
「けど、本気で若く見えたよねえ。最初に会った時は二十代の後半かと思ったけど、素顔の時はティーンエイジャーだよ。魔術師の年齢って本当にわかんないなぁ」
腕を組んでしみじみと朋子が言う。
「だから普通は三十過ぎた魔術師は容姿を誤魔化すか、俗世を離れて生きていくものなんだ。先生みたいに堂々としていると、普通は円卓からイエローカードが出るんだが……」
「私よりも秋塚先生の方が問題だと思うぞ。あちらは魔術師ではないようだが」
「あの人の見た目って、せいぜい十六だもんな」
「人造人間なので老いとは無縁だそうだ。円卓が黙っている理由まではさすがに分からんが、連中は地球防衛部の関係者にはヘタな干渉はしない方針のようだ」
おそらく、今は亡き初代部長以外にも円卓が一目置く相手が、地球防衛部の関係者の中にいるのだろう。いちおう心当たりはあったが、確証があるわけではない。
篤也が考え込んでいると、エイダが冗談めかして希美に問いかける。
「実は希美さんも、三十代なんてことはありませんよね?」
「だったら面白いけどな」
苦笑する希美。とくに不自然な反応はしていない。
篤也は彼女の経歴について簡単に調べているが、九才の頃まではハッキリしている。それ以前の情報もあるにはあるが、個人で調べるには時間的余裕が足りないため、そこで打ち切ったままだ。
個人的には明日香の家に連なる人間ではないかと疑っているが裏付けとなるものは何もない。
(疑っているというよりも、そう願っているだけだろうな)
自分の心情を客観的に分析して結論づける。
無意識のうちに小夜楢未来を殺めた罪を、その親族に良くすることで贖おうとしているのかもしれない。
もちろん、そんなことで本当に赦されるはずはないが、それをしてしまう人間の方がやろうとしない人間よりは救いがあるように思えた。
「それで、わたしたちはこれからどうやって魔女たちに対処するの?」
朋子が水筒のお茶を注ぎ足しながら問いかけてきた。みんなよりも一足先に弁当を食べ終えたようだ。
思考を切り替えて篤也がつぶやく。
「隠れ家を見つけ出すのが手っ取り早いのだが……」
口にした途端、希美がむせた。
何やら怪しいものを感じたので横目を向けて詰問する。
「何か知っているのか?」
「し、知らない」
否定はしたが、ますます怪しい。
「希美ちゃんって嘘がヘタだよね」
朋子にまで言われている。
「ですが、隠す理由があるとは思えませんが?」
エイダが小首を傾げた。
もっともな意見だ。魔女を敵視しているのは希美も同じなのだから。
しかし、その瞬間、篤也の脳裏に、ひとつの仮説が生まれた。
「こういうのはどうだ?」
希美を指さして思いつきを披露する。
「こいつの正体が小夜楢未来なのだ!」
「ええ~~~~っ!」
素っ頓狂な声をあげる朋子。
その隣でエイダは謎が解けた探偵のような表情を浮かべた。
「なるほど、この中で実際に魔女と出会っているのは希美さんだけですし、その可能性はじゅうぶんに……」
「な、ななななな何を言ってるのよ!? わ、わわわわわたしが小夜楢未来だなんてこと、あああああるわけがないでしょっ!」
狼狽しまくる希美。ここまで動揺されると、むしろ真犯人であるかのようだ。
「希美ちゃんって動揺すると口調が変わるよね」
「そうだな、そこも怪しい」
朋子の指摘に篤也が同意すると、希美は背中に手を回してパーカーのフードをつかんで顔を隠すように被った。
「わたしはあいつじゃない!」
「その反応だと、むしろ図星を指された真犯人のように見えますが」
エイダにまでからかわれている。
「雨夜、お前が犯人でないというのなら、知っていることを吐け」
取調中の刑事よろしく詰問するが、希美は拗ねた顔でそっぽを向いた。
「わたしは無実だし、なんにも知らない」
「隠すとためにならんぞ」
「知らないものは知らない」
「やむを得ん。それでは身体に訊くとしよう」
「ひぃぃぃぃっ!」
希美は自分の身体を庇うようにしながら、思い切り椅子ごと離れていった。座ったままで、よくもまああんな速さで後ずされるものだと感心する。
「ダメだよ、先生。あんまり希美ちゃんをからかっちゃ。あの娘はすぐ本気にするんだから」
篤也に釘を刺してから朋子は希美に歩み寄ると、やさしく問いかけた。
「希美ちゃん、何か知ってるなら教えて」
「し、知らない」
「どうして隠すの? 事情があるなら話してよ」
「だから本当に知らないんだ」
結局は篤也の時と同じ流れになっている。
朋子は肩を落として溜息を吐くと、悲しそうな面持ちで告げた。
「しょうがない、身体に訊くか」
「いやぁぁぁぁっ!」
やはり先ほどと同じように後ろに退がろうとするが、すでに壁際なので逃げ場がない。しかたなく横に逃げようとするが、素早く近づいたエイダが椅子の背もたれをつかんだ。
「逃がしませんよ、雨夜さん」
ニッコリ笑うエイダを前にして、希美の表情が恐怖で凍りつく。
朋子とエイダは顔を見合わせてうなずくと、それぞれに左右からしなだれかかるようにして、希美の頬を左右から撫でた。よく見れば朋子の片手は希美の内股に伸びていて、なかなかに際どい。
「ねえ、希美ちゃん、お・し・え・て」
「教えてく・だ・さ・い・な」
「ひぃぃぃぃっ」
扇情的で色っぽい顔をしたふたりの女子に迫られて希美はガタガタと震えた。あれだけ強いのにどうにも気の小さい娘である。
篤也はそんな三人に近寄ると希美を見下ろすようにして訊いた。
「私も混ざっていいか?」
「ぎゃあぁぁぁぁーっ」
この世の終わりのような声を出すと、そのまま白目を剥いて失神する。
「あらら……」
朋子とエイダが慌てるが、ふたりが軽く揺すると、存外あっさりと目を覚ました。
「希美ちゃん、大丈夫?」
「しっかりして下さい。でないと先生が、先ほどの発言を実行に移してしまいますよ」
「分かった! 分かったからやめて!」
とうとう観念したらしく、希美は立ち上がって椅子を元の場所まで運ぶと、改めて座り直した。
「言っておくけど、わたしは本当に隠れ家なんて知らないんだ。ただ……」
言い淀むが仲間たちの笑顔のプレッシャーに耐えきれず、続ける。
「知ってる奴を知ってはいる」
「それは誰だ?」
「言えない。それだけは言うわけにはいかない。それに言ったところで、たぶん無駄だ」
「どういうことだ?」
「そいつから情報が漏れる危険を、あの魔女が想定していないはずがない。そのルートを辿ろうとしたところで、トンズラされるに決まっているし、その場合はそいつが不幸になる」
「なんで?」
朋子の疑問はもっともだ。
「そいつはあの魔女に御執心なんだ」
「え……?」
朋子は目を丸くして固まった。さすがにエイダもきょとんとしているが、篤也はすぐに理解した。
「なるほど、藤咲か」
「なんで!?」
ギョッとする希美。
「最初に魔女に襲撃された面子くらい私も把握している。その中で、そんな素っ頓狂な想いを抱くのは、あの男くらいのものだ」
「ああ……バレた……」
希美はガックリ項垂れた。
「だが、ひとつ分からんのは魔女の対応だな。あいつに住居を知られながら放置しているのはなぜだ?」
「知らない。でも、意外に関係は良好みたいだ。恋人ではないだろうけど」
希美の言葉に全員が戸惑いを覚えていた。小夜楢未来に対して抱いてイメージが揺らいだからだ。もっと悪辣な魔女だと誰もが考えていたのだが……。
「実はわたしも、藤咲といっしょにいる時に、町中で一度出会ったんだが、正直言って、それほど悪い奴には見えなかった」
「それはつまり……お前が藤咲とデートしていたということか?」
「違う! 変なところに食いついてくるなっ」
べつにそこが訊きたかったわけではないのだが、いつの間にか、こういうキャラが板についてしまっている。
「そういえば、わたしたちはまだ、小夜楢未来の顔も知らないんですよね」
思い出したようにエイダが言った。
「そう思って似顔絵を用意した」
篤也は鞄を開けて折りたたんだ紙切れを取り出す。鉛筆で女の顔が描かれていた。
「普通に下手だな」
遠慮のないコメントは希美のものだ。
「ああ、自覚はある」
うなずくと篤也は鉛筆をポケットから取り出して希美に差し出した。
意外に素直に受け取ると、希美は用紙を裏返して、さらさらと鉛筆を走らせる。
「希美ちゃん、上手だね」
横から覗き見て朋子が言った。
実際、篤也から見ても見事な腕前だ。瞬く間に見覚えのある顔が浮かび上がっていく。
「美人さんですね」
エイダが感想を漏らしたが、実際、未来は美しい娘だった。
「希美ちゃんに似てるねえ」
朋子の言うとおり顔立ちは似ているが、全体から受ける印象は意外に異なっている。おそらくそれは、そこに浮かんでいる表情の差なのだろう。
「私の記憶にあるとおりの顔だ。どうやら単純に名を騙っているだけではなさそうだな」
「魔術師はただでさえ化けるからな。見た目などアテにはならない」
希美の言葉はもっともだが、少なくとも本物を知っていなければ化けられるはずもない。
「とりあえずコピーするね」
朋子が希美が描いた絵を手に立ち上がる。コピー機は部室に備えつけられているが出番は少ない。久々の出番に気を良くしたのか、勢い良く動作して止まらなくなった。
頭を抱える朋子は置いておいて、篤也は未来について考える。
もし彼女が本物だとすれば、それはどのような必然なのか。
(いや、他ならぬ雨夜が、ニセモノだと断言しているのだ。本物であるはずがない)
自分に言い聞かせて、篤也は思索を打ち切った。