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第61話 希美VS未来

 クロッドの戦闘力は決して低いものではない。

 深天と槇村も魔力による身体強化を可能とし、格闘技の心構えもあるが、怪物の相手を務めるにはそれだけでは心許ない。本人たちにもそれは分かっているらしく、無理に前に出ようとはしなかった。

 希美は金色の鎌プレアデスを槍状に変形させて、長い柄を縮めて戦っている。

 クロッドは屋内での戦いを想定してか、最初から小型の武器を手にしていたが、希美は巧みな槍捌きで間合いに近寄らせない。

 狭い屋内では並んで戦うほどの幅もなく、当初こそ魔力の飛礫つぶてを撃ち出して援護していた篤也も、今は深天たちと共に希美の戦いぶりを見守っていた。

 二階からも絶え間なく戦闘音が響いてきている。戦いの余波によって、時折砂埃が落ちてくるが、天井が崩落する気配はない。

 言うまでもないことだが超人レベルの者が遠慮なく戦えば、この程度の邸宅などあっさり崩壊してしまう。つまり、クロッドにも家を壊さぬように指令が出ているのだろう。

 敵も味方も手加減して戦っているわけだが、魔術で作られた人形でしかないクロッドは、自身が破壊されるときでさえ、その指示に背かない。

 それを憐れと感じるのは無駄であっても偽善とは思わない。人の感情とは、そもそも理屈で制御されるべきものではないからだ。今の篤也はそれを理解していたが、それでも彼らに憐れみを感じることができない。


(結局、冷たい人間なのだろうな、私は)


 自嘲めいた想いが浮かびかけ、慌ててそれを振り払う。


(今はそんなことを考える場合ではない。目の前の戦いに集中しろ)


 どうもこのところ感傷的になりすぎている。篤也が意識を目の前の戦いに向けようとしたところで、傍らにいた槇村が疑問の声をあげた。


「何か、おかしくないか?」

「ええ、この家……いくらなんでも、こんなに広いはずがありません」


 困惑しながら深天が同意する。篤也もようやく気づいてぞっとするが、希美の声はむしろのんきなものだった。


「なんだ、今頃気づいたのか」


 目の前のクロッドを蹴散らして、呆れた顔を一同に向ける。


「――結界か!」


 ようやく篤也は、小夜楢未来が、かねてからそれを得意としていたことを思い出した。

 まるでその声を合図にするかのように、視界がぐにゃりと歪み、一瞬の後に見覚えのない荒野が、そこに広がる。

 見上げれば頭上には夜空が広がり大きすぎる満月が浮かんでいた。草木もまばらな荒野は、以前生徒たちが襲撃されたという墓場を想起させるが墓石を始めとする人工物の類いは見当たらない。


「毎度の閉鎖空間か」


 つぶやく槇村。

 墓地でないにせよ、魔術によって造り出された異空間であることは間違いない。


「いつからだ?」


 声には出したものの、篤也の言葉は自問自答だった。

 少なくとも突入した時点では異変は感じなかった。ならば意識が戦いから離れたその隙を突くように、異界に引きずり込まれた可能性が高い。

 しかし、それは口で言うほど簡単なことではない。超人たちによる戦闘が行われている場所では常にアイテールが揺らいでいる。その揺らぎは高度な魔術の行使を困難にするはずだが、この相手は平然とそれをやってのけたのだ。

 こんなことが可能な術者は、円卓ですら希少だろう。もちろん篤也には不可能だし、耀でさえ無理だ。篤也が知る者の中でこんな芸当を可能とする者がいるとすれば、それは――


「久しぶりね、西御寺先生」


 美しい声が冷ややかに響いた。記憶にある声だ。それを辿るように視線を這わせれば、そこに小夜楢未来が悠然と立っていた。

 既視感を感じさせる光景だ。長い黒髪を風に踊らせながら口元に微笑を湛え、氷海を思わせるような冷たい、しかし澄んだ眼差しを向けてきている。身につけているのは六年前と同じ、陽楠学園のものとは異なるセーラー服だ。

 恐怖で息が詰まるが、目の前の相手を怖れているわけではない。己が過去に犯した罪に怯えているのだ。


(……本物なのか?)


 まるで六年の歳月が一瞬にして巻き戻ったかのような錯覚を覚える。違いといえば今の彼女が両手に黒銀の大鎌を携えていることくらいか。

 だが、その美しい容姿も、黒くて濃い魔力の気配も忘れようのないものだ。


(……間違いない。やはり本物の小夜楢未来だ。生きていてくれた……のか?)


 戸惑う篤也を嘲笑うかのように、あるいは嘲るように魔女が話しかけてくる。


「まさか、あなたが地球防衛部の顧問に就任するなんて、いったいどういった心境の変化かしら?」

「私は……」


 答えかけたものの、何を口にすればいいのか分からない。

 生存を信じてはいなかったが、生きていて欲しいと願った相手ではある。

 もし再び相まみえたならば、当然ながら赦しを請うべき相手で、もし彼女が望むのであれば、この首を差し出しても構わないとさえ思っていた。

 しかし、ここでの篤也は生徒たちを守るべき立場にあり、目の前の女は当然ながら彼らの敵だ。

 今さら未来と戦えるはずもないが、だからといって、この場で命を差し出すこともできない。答えを導き出せないまま、篤也は判断停止状態に陥っていた。

 深天と槇村は事情が分からないまま、対峙するふたりを固唾を呑んで見守っている。まるで大気すら凍てついているかのようだ。このような状況下で場違いなことを平然と口にできる者など誰ひとり――いや、たったひとりだけ存在していた。


「心境が変化したわけじゃない。単に気がふれただけだ」


 あんまりな答えを返したのは、もちろん希美だ。

 無言で対峙するふたりに退屈したかのようにアクビまで噛み殺している。


「ああ、あなたもいたわね。確か名前は……」


 未来は小首を傾げて、なんとかその単語を思い出したように見えた。


「裸エプロン?」


 シャンッという、音楽的な音か響く。希美が手にする金色の鎌プレアデスから生じたものだ。彼女は鎌を突きつけながら獰猛な笑みを未来に向けた。


「よし、今からお前をぶちのめして、その格好にしてやろう。でもって、うちの先生にご奉仕させてくれる」

「い、いや、待て雨夜……」


 慌てて篤也は口を挟んだ。いつの間にか金縛りが解かれたかのように身体の自由は回復していたが、今度は違う意味で判断停止状態に陥りそうだ。


「動揺するな、先生。あれはニセモノだ」


 断定する希美。


「残念だけど、わたしは本物よ。かつて世界すら滅ぼしかけた黒き魔女そのものだわ」


 宣言しつつ、黒銀の大鎌を構える未来。

 嘲笑うように希美が応じる。


「そいつは死んだよ。とっくの昔にな。犯した罪に相応しい報いを受けたんだ」


 向かい合う魔女の魔力が闘志とともに高まり、互いの瞳に赤い光が灯る。余剰魔力が身体からオーラとなって溢れ出し、激しい旋風を巻き起こした。

 希美が手にした武器が眩い光を放ち、未来の武器が闇を纏う。どちらの得物にも一撃必殺の威力があるのが、ひしひしと感じられた。

 ほぼ同時に、ふたりが大地を蹴る。


「雨夜――!」


 思わず叫ぶが、もはや止められるはずもない。

 ふたりの魔女はなんの躊躇も遠慮もなくお互いの得物を全力で振り下ろした。

 それぞれの大鎌が激突し、甲高い金属音と眩い魔力のスパークを撒き散らす。周囲に撒き散らされた魔力の光は物理的な破壊力を伴って大地を砕き、草木を焼いた。


「マジかよ!?」


 槇村と深天が慌てて距離を取る。

 激突した魔女はお互いに後ろに弾き飛ばされたが、物理的な反動のためではない。異質な魔力の激突で生じた斥力のためだ。

 それでもふたりの魔女は、それぞれに魔力の流れを操って、あり得ない早さで体勢を立て直した。


「あ、あれって魔力を噴射して……」


 唖然とする槇村。それに篤也が答える。


「いや、さらに高度な技術だ。瞬間的に魔術を使って慣性を制御している」


 ふたりの魔女は、ただでさえ身体強化に魔術を使っているのだ。魔術の失敗は最悪自身の死に繋がるというのに、近接戦闘を行いつつ複数の術式を同時に制御するなど正気の沙汰ではない。

 だが、そんなバケモノじみた芸当を平然とやってのけながら、ふたりの魔術制御は驚くほど安定していた。

 ようやく篤也は理解する。二人が呪文を唱えないのは当然のことだ。彼女たちにとって魔術は自分の手足の延長に過ぎない。

 人が手脚を動かす時に、いちいち関節の角度や力の入れ具合を意識しないのと同じように、この魔女たちは無意識レベルで魔術を制御しているのだ。

 この世にはそんな魔術の申し子が存在するらしいと噂話には聞いていたが、まさか実物にお目にかかるとは思っていなかった。


「先生」


 呼びかけられて顔を向けると、深天が周囲を見回しながら話しかけてくる。


「この空間も以前のものと同じなら、どちらが命を落としたとしても、現実には死なないはずですが、どうでしょうか?」


 篤也は虚空に目を向けて術式の解析を試みるが、その術式にも未来特有のクセを感じる。


(やはり彼女は本物なのではないか? それなのに雨夜はなぜ……)


 考えながらも術式の解析を急ぐ。

 その間にも、ふたりの魔女は激しくぶつかり合っていた。

 鋼鉄をも容易くスライスする魔力の刃が、お互いの首を狙って矢継ぎ早に繰り出される。しかも未来は近接戦闘を行いながらも、さらなる術式を構築して攻撃魔術まで繰り出した。


紅蓮ぐれん!」


 燃えさかる炎の塊が次々に撃ち出され、大地に激突しては爆発を生じさせる。


「うわぁぁっ」


 炎の余波を受けて悲鳴をあげる槇村。それを見て篤也は術式の解析を諦め、魔術による防御壁を展開して深天と槇村を守る。

 希美は降り注ぐ炎の雨をかいくぐりながら、小刻みな跳躍を繰り返して、未来の周囲を高速で跳び回っていた。


「ヘタクソ!」


 未来を嘲笑うかのように声をあげる希美。


「何が――」


 言い返しかけたところで未来がハッとする。

 次の瞬間、未来を取り囲むように残されていたいくつもの足跡が一斉に赤い光を放っていた。

 希美は跳躍を繰り返す度に密かに大地に術式を刻み込んでいたのだ。


「大地のくびきよ!」


 光から無数に生じた鎖が未来に向かって四方八方から殺到する。


「このっ!」


 未来は飛行術式によって空中に逃れながら大鎌を振るって鎖を打ち払う。甲高い音を響かせながら魔力の鉄鎖がまとめて砕け散った。

 しかし、それでも残った一本が未来の足に絡みつき、大地に引きずり落とす。


「このっ……!」


 墜落しつつも、ギリギリで鎖を断ち切った未来だが、そのまま大地を転がる羽目になって小さな悲鳴を発した。

 そこに金色の鎌プレアデスを構えた希美が迫る。

 だが、その時、希美の足下で赤い光が生じた。


「大地のくびきよ!」


 今度は未来が叫ぶ。彼女はたった今、自分が大地を転がった時に、この術を地面に仕掛けていたのだ。

 希美は慌てて鎖を迎撃するが、背後から飛来した鎖が首に巻き付き、大地に引きずり倒された。


「雨夜!」


 慌てて駆け寄ろうとする篤也だが、距離が離れすぎている。

 未来は素早く術式を組み上げると希美に両手をかざした。


「魔剣よ!」


 未来の手の平より生じた炎が、その言葉のとおり剣となって、希美に襲いかかる。

 乱発していた炎の塊よりも規模は小さいが、そこに秘められた魔力は桁違いだ。おそらくは未来にとっての切り札なのだろう。


「――――っ」


 息を呑む篤也。

 しかし希美は金色の鎌プレアデスで自らの首に巻き付いた鎖を断ち切ると、そこから動くことなく襲い来る炎の剣を無造作につかみ取った。


「なっ……!?」


 信じ難い光景を前にして篤也はもちろん未来も驚愕に目を瞠る。

 希美が何をしたのか、もちろん理屈の上では分かりきっていた。飛来した炎の剣の術式を書き換えて、その一撃必殺の魔術を奪い取ったのだ。

 離れ業という形容すらも生ぬるい非常識な芸当だった。

 茫然と立ち尽くす未来に向けて、希美が炎の剣を投げ返す。

 我に返った未来は慌てて黒銀の鎌で打ち払うが、次の瞬間には、それを追うように飛び込んできた希美が手にした金色の鎌プレアデスを振り下ろしていた。

 誰も耳にしたことがないような異質な金属音が響き渡り、漆黒の大鎌が砕け散る。スパークとともに生じた斥力によって未来は大きく後ろに弾き飛ばされていた。

 残された大鎌の柄を支えにして大地を抉りながらも、なんとか転倒を免れるが、それが精一杯だった。もし、そこで希美が追撃をかけていれば勝敗は決していただろう。

 だが、希美はその場から動かず、怪訝な顔で未来を見つめている。何かに驚いているようだった。

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