大きな窓から日の光が差し込み、白い部屋をより一層明るく照らし出している。
塵ひとつ舞い散ることがないというのは、もちろん錯覚なのだろうが、そう信じたくなるような清潔な空間だった。
並べられた家具は、その多くが木製で、それがこの場所をより暖かなものに感じさせている。
華美と感じさせる物などひとつもないが、調度品のすべてに品格があり、円卓十二騎士の邸宅に相応しいと誰もが感じるような部屋だった。
もっとも、実際には家具のほとんどが、師匠が趣味で作成した手作りの品だ。
名人芸ではあるが、円卓最強騎士のひとりがジャージ姿で、日曜大工に励む光景はある意味シュールだった。
エイダはそんな師の姿に苦笑しつつも、兄弟子と共に何度かそれを手伝ったことがある。
師匠は基本的には弟子を取らない主義とのことだが、エイダとその兄弟子に対しては自ら手を差し伸べてくれた。
それはおそらく師匠の師匠にあたる男がふたりの祖父だったからだ。
兄弟子の名前はセイン・アーロン。
エイダと血の繋がりはあるが、彼は祖父が愛人に産ませた子供の息子だ。
直系ではなく、それどころか横暴な祖父は認知すらしなかったが、彼の血を引いていることは誰もが知る話で、それがセインにとっての災いの種だった。
エイダもまた、日頃から部下殺しの血縁者と陰口を叩かれ、養成所でも再三にわたる嫌がらせを受けたが、名家の出である彼女に対するそれは、まだしも控えめだった。
何しろ祖父が興したアディンセル家は未だ健在で、エイダの父は騎士でこそないが円卓に対して強い発言権を有している。やり過ぎが自らの破滅を招くことを、彼らはよく理解していたのだ。
しかし、それはセインに対して、より苛烈な悪意が向けられる結果を招いた。彼はごく平凡な家柄の生まれで、なんの後ろ盾も持たなかった。
それでもセインは理不尽な嫌がらせには黙って耐え、常日頃からやさしい笑顔を絶やすことなく、ただひたむきに騎士となるための修行を続けていた。
自分に向けられる悪意に対して、それ以上の悪意を返すことしかできなかったエイダにとって、彼の存在は驚きであり、羨望の対象でもあったが、同時に後ろめたさと劣等感を抱かせる存在でもあった。
そんな自分の間違いには早くから気づいていたが、彼を前にするとどうしても素直になれず、トゲトゲしい振る舞いばかりしてしまう。
セインはそんなエイダを見ても、少しばかり困ったように笑うだけで恨み言の一つも口にしたことはなかった。
反省なら何度もした。
次に会った時は、ちゃんとあやまろう。
もっと素直にやさしく笑いかけよう。
毎回のようにそんなことを考えていたエイダだが、結局最後まで実現することはなく、別れの日は呆気なく訪れた。
エイダよりも一足先に騎士になったセインは、初めての任務に赴き、そのまま帰らぬ人になったのだ。
さして危険の無い調査のはずが、巨大なマリスの出現によって想定外の激戦となり、多くの騎士が命を落とす事態となった。
生き残りの話では、セインは仲間を逃がすために自ら囮となったらしい。
戦場となった場所が深い雪山だったことも災いして遺体は見つかっていないが、状況的に生存は絶望視されていた。
それでもセインの家族は彼の死が受け入れられないらしく、葬儀は未だ行われていない。
エイダもまた心にポッカリと穴が開いたかのようで、分かりやすい悲しみを感じることさえできなかった。
もしかしたら、ある日突然戻ってくるかもしれない。
「やあ、エイダ。久しぶりだね」
そうやって何事もなかったかのように微笑みかけてくれるかもしれない。
そんな夢想すら抱いていたのに、どうしても分かってしまう。
ほんの数歩の距離。その先で師匠の作った椅子にゆったりと腰かけ、分厚い本を静かに読みふけっているセインの姿――それが魔女の作り出した幻だということが……。
(心の隙を突かれましたか……)
自分の未熟さに苦笑しながら、そこにあるセインの幻影を眺める。
おそらくエイダの心を反映しているのだろう。どこからどう見ても実物にしか見えない。
(幻術を破るためには、その幻を構成する核を撃ち砕けばいい)
エイダは腰に提げた自分の剣を意識する。
本来ならばその核を見つけ出すことが一苦労だが、今回ばかりは迷う必要はない。
この世界を構成する核は、ほぼ確実に目の前にいるセインだ。
しかし――。
(このわたしに彼を斬れと……?)
しょせん幻だ。それはハッキリしている。
ハッキリしているというのにエイダはその手を腰の剣に伸ばせない。
(できるわけないじゃないですか……)
胸の裡でつぶやき、さらに激しく繰り返した。
(できるわけないでしょ!)
ずっと会いたかった人がそこにいるのだ。
(幻でもいい。錯覚でもいい。一秒でも長く、こうして彼を見つめていたい!)
エイダは騎士としての使命も、仲間のことも忘れて、この戦いを放棄することを選んだ。
人の足を止めるには必ずしも悪夢を見せる必要はない。時には甘い夢こそが、その歩みを止めさせるのだから……。