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第70話 吹雪の中で

 朋子が無事にエイダと合流を果たした頃、希美は真冬の世界をさまよい歩いていた。もちろん結界の中に構築されたものだが、おそらくは現実にある場所だろう。

 希美の見立てでは、ここは篤也の心から生じた世界だ。

 未来が希美の中からトラウマを引き出した時は、自分のものゆえに簡単に割り込みをかけて脱出することができたが、他人様のものだとそうもいかない。

 ひとまず篤也を見つけ出して、その上で結界から抜け出す必要があった。


「それにしても見事なまでの雪国だな。かなり北の方なのか?」


 正確な場所までは分かりようもないが、篤也のものなのだから、おそらくは日本国内だろう。

 薄暗い虚空からは白い結晶が強い風に乗って途切れることなく舞い降りてくる。すべてが白く染め上げられた光景は美しくはあったが、それは生命を奪う美しさだ。

 地球防衛部のマントに守られて寒さはさほど感じないが、それがなければ魔術で暖を取る必要があっただろう。

 視界が白く煙る中、希美は魔術師としての感覚を研ぎ澄ませて、篤也の気配を探す。


「……アレか」


 三十分近く歩き回ったとはいえ、この状況を思えば意外に早く見つかったほうだ。

 この辺りの魔素が希薄なことも幸いした。お陰で遠くからでも、彼の魔力がハッキリと感じられる。

 もっとも見つけてからがまた一苦労だった。

 深い雪は足をつかもうとするかのように絡みついて前進を阻む。いっそ魔術で消し飛ばそうかとも思うが、その余波で篤也を吹き飛ばしたりしたら目も当てられない。

 やむなく苦労しながら雪をかき分けて進むと、進行方向にようやくそれらしき人影が見えてきた。

 しかし、それは彫像のように微動だにしない。半ば雪に埋もれるようになりながら膝を突いているようだった。


「せんせーーーっ」


 大きな声で呼びかけるが反応がない。

 希美は風に煽られるマントを片手で押さえながら、もう一度声を張り上げる。


「変態せんせーーーっ」


 悪口にも無反応だ。

 すでに仮初めの死を与えられている可能性もあったが、できればそんな目に遭っていて欲しくはない。たとえ虚構であっても、生命を絶たれるのは心身に途方もない負荷がかかるのだ。

 気力を振り絞って雪を蹴散らしながら辿り着くと、篤也はそこで、しきりに同じ言葉を繰り返しつぶやいていた。


「殺した……私が殺した……」


 怪我はないようだが、心ここにあらずといった感じで、希美のことを見ようともしない。


「先生? 先生っ……こら、西御寺っ」


 呼びかけながら、軽く頬を叩くが反応はない。昏く濁った瞳は何も映し出していないようにも見えたが、視線を辿れば地面の一部が小さく盛り上がっていることに気づく。

 どうやら何かが倒れているようだ。近づいて希美が掘り起こすと、現れたのは美しい少女の骸だった。無惨にも胸を貫かれて息絶えている。


「うっ、あぁぁぁぁぁっ」


 それを目にした途端、篤也は悲痛に顔を歪めた。


「目を覚ませ、西御寺! お前にどんなトラウマがあるにせよ、これはまやかしだ!」


 希美が告げても、篤也の耳には何も届いている様子がない。まるでこの冷たい雪原が彼の心までをも凍りつかせてしまったかのようだ。


「私が殺した……私がこの手で……」

「先生……」


 つぶやきながら視線を少女に移す。整った横顔はどことなく篤也に似ている気がした。

 希美は少女に向けられた篤也の視線を遮るように立つと、彼の目を覗き込むようにして告げる。


「しっかりしろ、西御寺篤也。今のお前は教師だ! 守るべき生徒がいるってことを忘れるな!」


 酷なことは理解している。しかし、やさしい言葉で今の彼を動かせるとは思えない。


(いや……)


 脳裏に甦るのは、葉月昴との思い出だ。

 人類に絶望し、世界の行く末を悲観して、何もかもを否定しようとした希美に、それでも彼はやさしかった。その愚かさを糾弾することもなければ、上から目線で説教してくることもなかった。

 どこまでもやさしくて、だからこそ凍りついていた心が、今はこんなにも熱を帯びているのだ。


(厳しさが美徳だなんて、やさしくできない奴の逃げ口上だ!)


 結論づけると、希美はマントを脱いで、それを篤也の肩にかけた。

 頬を打つ冷たい風とまとわりつく粉雪は急速に希美から体温を奪っていくが、気にすることなく膝立ちになっていた篤也の頭を抱え込むように抱きしめる。


「大丈夫だ、先生。贖いようのない罪を抱え込んだのは先生だけじゃない。消せない傷を心に刻んだのも先生だけじゃない。わたしも同じだし、そんな人間は過去にいくらでもいる。たぶんこれからも際限なく生まれてくる。全世界が平和になったとしても、罪も、不幸も、悲しみも、そして苦しみさえも決してなくなりはしない」


 懸命に語りかけても篤也に反応はない。それでも聞こえているはずだ。こんな事で本当に壊れてしまうほど篤也の心は弱くない。だからこそ今の彼があるはずだから。


「だから人は支え合って生きていくんでしょ。見失わないで、先生。わたし達はひとりじゃない。世界にはまだ、こんなわたし達でさえ受け入れてくれる人たちがいる」


 篤也も知っているはずだ。彼の罪を知ってなお、東の姫は彼に生きることを選択させた。秋塚千里は彼女にとって特別な場所である地球防衛部を彼に任せた。


「償えない罪を許してくれたばかりか、生きることを望んでくれる人たちがいる」


 あの日の昴と、その仲間たち。そしておそらくは朋子やエイダも同じだろう。あるいは朱里や藤咲ならば、すべてを知ってなお彼らと同じことを願ってくれるかもしれない。

 希美は篤也の頭をやさしく撫でるように告げる。


「だから、わたしも願ったんだ。かつての彼らがそうしたように、わたしもみんなの今を守りたいって」


 その日のことは今もハッキリと思い出せる。

 四月のある朝、陽の光を浴びて佇む陽楠学園は平和そのものだった。

 桜はとっくに散ってしまっていたが、白い校舎は希美の憧憬を刺激するにはじゅうぶんだった。

 残念ながら学校という場所は誰でも入れるわけではなく、子供の希美には、ただ黙って見上げることしかできなかったが、いずれは必ずここに来るんだと胸に強く誓ったのだ。

 そのために休日返上で勉強したが、これは明らかに過剰な努力で、うっかり首席で合格してしまい、新入生総代に選ばれてしまったことは、目立ちたくない希美にとって大いなる誤算だった。

 思い返しているうちに自然と苦笑いが浮かぶ。

 吹きつける雪はさらに激しさを増しているが、希美はあえて魔術で暖を取ろうとしない。この寒さは、きっと過去に篤也が感じていた寒さだからだ。

 かつて篤也はこの寒さの中で心を凍てつかせ、冷酷な暗殺者へと変わり果ててしまったのではないだろうか。

 しかし、彼も昴から学んだのだ。

 それでは意味がないということを。

 ならば、希美はそれを思い出させてやればいい。それだけのことだ。


「先生……。先生もわたしと同じでしょ。地球防衛部の顧問になって、マリスの脅威から人々を守っているのは贖罪のためなんかじゃない。もっと前向きに、先生自身がそれを望んでいるからだよ」


 なんのために――などという理由は必要ない。誰かのために立ち上がることに面倒なお題目は必要ない。それを知る者だけが、きっと金色の武具アースセーバーの担い手になれるのだ。

 これまで篤也は金色の武具アースセーバーに手を伸ばそうとしなかったが、今の彼ならばきっと、その担い手になれるはずだ。

 彼の頭をギュッと抱きしめながら、耳元で囁く。


「だからお願い。冷たい過去になんて負けないで。起ち上がって、わたし達を導いて。わたし達には先生が必要だから……」


 希美が気持ちを伝え終えると、初めて篤也の身体に力が入った。

 ゆっくりと腕を上げて希美の両肩にふれると、軽く押して身を離す。


「すまない、雨夜……」


 弱々しい声で篤也がつぶやく。


「大の男が情けない話だ。お前の声は最初から聞こえていたのに、現実から逃げようとしていた」


 篤也は泣き笑いにも似た顔を見せると、ようやく膝を立てて二本の足で大地を踏みしめる。

 対照的に希美の身体は真後ろに倒れた。


「雨夜!?」


 篤也が素っ頓狂な声をあげる。


(あれ~? なんか気が遠くなって……)


 どうやら自分で思っていた以上に寒さが応えていたようだ。


「お、お前、この寒さで魔力も活性化させずに……」


 普通、魔力使いは過酷な環境下では無意識にそれを行っている。

 つまり、過去はもちろんのこと、ここで茫然と佇んでいた時も、篤也は無意識にそれを行っていたのだろう。


(わたしって、やっぱりアホだ……)


 結論づけてから、希美はゆっくりと目を閉じた。


「こらっ、寝るな!」


 めずらしく慌てる篤也の声は少しだけ愉快だった。

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