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第71話 篤也の過去Ⅰ

 純和風の屋敷は、希美にとってはめずらしいものだった。

 西御寺家といえば、東条家と並び評される国内最大規模の秘術組織だが、篤也が生家と呼んだこの屋敷は、広さこそそれなりだが、どちらかといえば質素な印象を受ける。

 調度品には高級感のあるものが揃っているが、電化製品はろくに置かれていない。天井には電灯すらなく、この寒さだというのにエアコンはもちろん、ストーブすら見当たらなかった。

 その一方で電話、テレビ、ラジカセなどは平然と置かれていて、どこかちぐはぐな印象を受ける。

 部屋の中央には魔術による光源が浮かんでいるが、これは篤也が生み出したものだ。さらに彼は魔術によって室温を調整しており、ここは外の寒さが嘘であるかのように快適だった。

 静かな部屋の片隅では、どこか場違いに思えるピンクの目覚まし時計だけが秒針の音を響かせている。

 目の前の座敷テーブルには、やはり篤也が入れてくれたお茶が置かれており、希美はそっと一口啜ってみて、顔をしかめた。


「にがい……」


 それを見て篤也が苦笑を浮かべる。


「おかしなものだな。ここは魔女が作りだした幻の世界だというのに、茶の苦さまで再現されているとは」

「基本的に先生の記憶が投影されているんだ。あの魔女がいちいち全部を作り出したわけじゃない」

「ああ、それは分かってはいるのだが……」


 篤也は懐かしそうに室内を見回すが、その横顔からはやはり一抹の淋しさが感じられる。


「身体はもう大丈夫か?」


 ふいに訊かれて、希美はやや頬を赤らめた。


「ああ、先生がお風呂を沸かしてくれて助かった」

「結界を解除できれば、もっと手っ取り早かったのだがな」


 ここで死んでも、それが仮初めの死にしかならないように、いかなる怪我やダメージも、この結界の中だけのものだ。

 ただし以前のものと違って、死んだからといって外に出ることはできないだろう。ここは小夜楢未来が用意した魂の牢獄なのだ。

 これを解除するためには核となる存在を破壊すればいいのだが、おそらくそれはあの少女の亡骸だろう。

 篤也の話によれば、彼女は篤也の実の妹とのことだ。いかに幻覚とはいえ、それを破壊するなど彼にはつらすぎる話だ。

 だが幸い希美ならば、わざわざ結界を結界を破壊せずとも、外へ出る道を開くことができる。

 ただし、ここまでのダメージもあって、それをするためには、今しばらくの休息が必要だった。

 篤也は窓辺に立つと、吹雪に煙った外の世界をじっと見つめる。

 この視界の悪さでは見えるはずもないが、その先には彼の妹の骸があるはずだ。今頃は降り積もる雪に覆い隠されていることだろう。


「雪菜という名前だ」


 ポツリと篤也が口にした。


「雪菜は生まれついての魔術師だった」


 アイテールは世界に遍く存在し、あらゆる神秘の源となる力だ。厳密には、これと精神力が結びついた物が魔力なのだが、魔術師の中にさえアイテールそのものを魔力と称する者もいて、その境界は曖昧になっている。

 生物のみならずあらゆる物質は、このアイテールの恩恵を受ける存在であると同時に、それを生み出す性質を持っていた。


「あいつはアイテールとの親和性が異常なまでに高かった。どれほど魔力を消費しても、すぐにアイテールを吸収して魔力に変換してしまうのだ。お前も知ってのとおり、人間は魔力が飽和すれば魔力酔いによって心身に変調をきたし、度が過ぎれば死に至る。これは私たちの母も同じだったらしく、彼女たちはそのために、こんな辺鄙な場所に引きこもるしかなかった」


 これで合点がいった。魔術の名家でありながら、魔素の薄い場所に住む理由。そして、ろくに家電が置かれていないのも、住人が恒常的に魔術を使って魔力を消費する必要があったからだ。


「私は父との折り合いが悪く、高校を卒業すると同時に、勘当同然で家を飛び出したが、ここには度々顔を出していた。その頃には母も他界していて、妹に寂しい思いをさせてはいけないと考えていたのだが……馬鹿な話だ。本当に妹のためを思うならば、ここで一緒に暮らすべきだったのだ。それなのにあいつは愚痴のひとつもこぼさず、いつだって俺に頑張って下さいとばかり……」


 淋しげに微笑む篤也。

 他人事として考えるならば、篤也の言うとおり、それは馬鹿な話なのだろう。彼の妹が内心では兄との生活を望んでいたであろうことは想像に難くない。

 しかし、才気溢れる若者に「妹のために人生を棒に振れ」などと誰に言う資格があるだろうか。他ならぬ篤也の妹も、そう思ったからこそ、兄に本当の願いを告げなかったのだろう。

 だが、今さらそれを告げたところで救いにはなるまい。あなたは間違っていないと口にするのは容易いが、彼が安易な慰めなど欲していないことは明らかだ。

 それでも、何かを伝えるべきだと思うのだが、希美は言葉を見つけられない。

 迷っている間に、篤也が再び口を開く。


「当時の俺には、何もかもが順調に思えていた。理想に燃え、志を同じくする仲間たちを得て、愛する女までいてくれた」

「それって、あの教祖様か?」

「そうだ、朝日向耀は俺が愛した女だ。あの頃、仲間たちと無茶ばかりやっていた俺を、あいつはいつも呆れたように……だが、やさしく見守ってくれていた。俺にとってあいつはその名のとおり『光』だったのだ」


 篤也はいつの間にか、無意識に自分を俺と呼んでいる。おそらく当時の精神状態に近づいているためだろう。


「だが、そんな時間は長くは続かなかった。あの日、俺はここで……」


 言葉が途切れるが、希美は続きを急かすことなく待ち続ける。

 激しさを増した吹雪が木造の屋敷を打ち据え、窓がガタガタと音を立てた。天井近くでは魔術の灯りがゆらゆらと揺れている。

 まるですべてが泣いているかのようだった。

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