室温を一定に保つ魔術は意外に難度が高い。派手な火炎や雷撃の術の方が、まだしも簡単なほどだ。
急激に温めたり冷やしたりするだけならば、いくらでもやりようがあるが、それではすぐに元の温度に戻ってしまう。
安定した効果を発揮させ、しかもそれを長時間維持するためには、通常の攻撃魔術よりも遥かに複雑な術式を組み立てる必要があった。
その点、篤也の術は完璧だったが、彼は魔術式を変更して幾分室温を上げた。外気温がいくら下がろうとも、魔術によって部屋の温度は一定に保たれるはずだが、どこかからともなく吹き込んでくる隙間風が肌寒さを感じさせるためだ。
希美は上品にお茶を啜ると、急かすことなく話の続きを待ち続ける。ふたりの湯飲みにも術が施しあって、注がれたお茶は今なお熱さを維持していた。魔術の本来の使い途はこういうものだと、父が言っていたことをぼんやりと思い出す。
篤也も一度屈み込んで湯飲みを手にすると、熱いお茶を一口啜って喉を潤わせた。心を落ち着かせるように軽く深呼吸をしてから、ようやく口を開いた。
「気がつけば、私は裏社会において死神などと呼ばれていた」
希美も以前から噂には聞いていた。西御寺家トップクラスの凄腕のエージェントであると。それが事実だということは、何度か共に戦ったことでハッキリしている。
「決していい気になっていたつもりはないが、当時の私は、奪った命は我が誇りであり、正義を為した証だなどと戯けた妄言を口にしていたのだ」
陰鬱に首を振ると篤也は自分を呪うかのように吐き捨てる。
「私は愚かだった……愚かすぎた!」
篤也の慟哭が希美の胸まで締めつける。世界に絶望し、罪を犯したことがあるのは希美も同じだ。
「あの日……小夜楢未来を手にかけたその時……俺はその愚かさを十代の若者から突きつけられた」
「葉月くん……」
希美は
「そうだ、お前の想い人だ。あの男は俺のすべてを否定した。正義と信じた冷徹さも、覆せぬと断じた道理も、俺が得たものも、失くしたものも――そのすべてが間違いであると行動で証明してみせたのだ」
捲し立てたあと、篤也は弱々しく笑った。
「だが、幸いなことに、あの魔女だけは生きていてくれたようだ」
「それは……」
希美がつぶやくと、篤也が不思議そうに見つめてくる。
「お前はやはり、彼女はニセモノだと思うのか?」
正直なところ、希美の確信も揺らいでいた。
「あの魔女は明日香家特有の術式を使っていた。それもたぶん、本家のものだ」
「それが判るということは、やはりお前も明日香家縁の者なのか?」
「まあ……そんなところだ」
曖昧に答えるが、幸いにも篤也はそれ以上追求してこなかった。
「未来が今さら、単なる悪事に手を染めるとは思えんが、それでもこのまま捨て置くことはできん。なんとか止めてやらなければ、いずれは葉月もこの事件に介入してくるだろう」
今のところ昴たちは別の事件を追っているようだが、エスカレートしていく事態を希美たちが止められないようであれば、当然ながら事件解決に向けて動き出すだろう。
死んだと思っていた未来が再び敵となって現れたならば、昴が心を痛めることは目に見えている。それは希美にとっても歓迎できない事態だった。
「雨夜、ここから出られるか?」
「ああ、できればもう少し休みたかったが、急いだ方が良さそうだな」
希美は
空間に綻びを生み出し、そこに向けて
「相変わらず、見事なものだな」
「わたしにはこれしか取り柄がないからな」
べつに卑下したわけではなかったが、この言葉に篤也はやさしげな笑みを浮かべて首を左右に振った。
「いいや、そんなことはない。お前はやさしい娘だ。そのやさしさで私の心を救ってくれた」
「い、いや、オーバーだし」
思わず赤面して、そっぽを向くと誤魔化すように口にする。
「と、とにかく脱出するぞ」
そのまま振り向くことなく空間の裂け目に飛び込むと、篤也もすぐに後を追ってくるのが気配で分かった。