どす黒い力の塊は完全に現出を終えている。そこから渦巻く魔力の嵐のせいで魔術の制御も難しく、今さら魔法陣を破壊したところで儀式は止められない。
確かにその通りなのだが、止められずとも邪魔をするにはじゅうぶんだったのだ。
「バカナ! ナイ! ナイ! ナイ! ドコニ隠シタァァァッ!?」
虚空に響き渡るハルメニウスの焦りの声は、生贄の身体を見つけられないことを物語っている。
もともと肉体を持たないハルメニウスには五感など備わっていない。魔力的な感覚がその代用となるのだが、皮肉にも自らが行った儀式の影響によってアイテールがかき乱され、それが正常に機能しなくなっているのだ。
それでも魔法円が健在であれば、それを道標として未来の身体を探し当てていただろう。
あるいは魔力封じの指輪を填めた藤咲が、未来にふれていなければ、彼女の身体から生じる微弱な魔力を頼りに、そこに入り込むことができたかもしれない。
もちろん藤咲にそんな狙いがあったはずもないが、ただの偶然と切って捨てることはない。彼にとって愛する少女を命懸けで守るのは必然だったのだから。
だが、ゆっくりとはしていられない。
ハルメニウスはいずれ、手探り同然のやり方で未来を見つけ出すだろう。
(一気に決める)
希美は決意とともにマントを脱ぎ去ると、自らの声に魔力を込めて叫んだ。
「ハルメニウス! わたしはここよ! 来るなら来なさい!」
希美の声と魔力は未来のそれと酷似している。そのため囮としては最適のはずだ。
さらには全身から魔力を立ち上らせて、自分を目立ちやすくする。マントを脱ぎ捨てたのはこのためだ。
罠としてはあからさまだが、今のハルメニウスには余裕がない。時間をかければかけるほど力が拡散してしまい、弱体化していくのは必定だからだ。
そんな切羽詰まった状況で安易な方に意識が流れてしまうのは、人間も魔性の存在も同じだった。
「オオォォッ!」
ハルメニウスは歓喜の声を響かせて希美に向き直ると、大気を貫くような勢いで突っ込んできた。
「希美ちゃん!」
「雨夜!」
「コケー!」
仲間と一羽の声が響く中、希美は瞳に赤い魔力の光を灯し、笑みを浮かべて舌なめずりをしていた。まるで獰猛な虎を思わせる仕草だ。
迫り来る闇のカタマリを見据えて武器を振りかぶると、待ち構えることはせず、自ら床を蹴って飛びかかっていく。
「ギィギャアァァァァァァッ!!」
ハルメニウスの叫びが夜の闇にこだましていく。山の上に位置する学園の周りは静かな林で覆われていたが、その静寂を引き裂く大絶叫だった。
希美が着地してふり返れば、闇のカタマリは見事なまでに真っ二つに斬り裂かれている。それはもはや力を失ったかのように動きを止めて急速に霧散しつつあった。
勝利を確信する希美。
大見得を切って鎌を軽く振りつつ、何か決め台詞でもと考えたところで、唐突に二つに引き裂かれた闇のカタマリが揃って風船のように膨れあがった。
「え……?」
唖然とする希美の前で。闇のカタマリは勢いよく破裂すると、あたりに衝撃波を撒き散らす。
「いかん!」
篤也の声が響く。
百戦錬磨の彼は、さすがに油断していなかったらしく、瞬時に防壁を張って未来と藤咲を守った。屋上に倒れていた若者たちは、距離があったため、そもそも問題はない。
だが、一番近くにいた希美はまともにくらって、吹き飛ばされてしまった。床の上をゴロゴロと転がて伸びたところに、コカトリスが飛びのってくる。
その感触の違和感に気づいて、慌てて飛び起きると、怪我こそなかったものの、身につけていた制服はボロ布同然と化し、希美はほとんど下着姿になっていた。
「いやぁぁぁぁーーーーーっ!」
甲高い希美の悲鳴は遠い山々にまで響き渡り、ハルメニウスのそれよりも、よほど大きなこだまを生み出したのだった。