目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第三章 冬の果てに

第86話 趣味ですか?

 屋上での戦いの翌日、陽楠学園は休校になった。

 事後処理はいつもどおり円卓が中心となって行ってくれているが、人手が足りないということで、他の支部からも応援を呼ぶ騒ぎになっているらしい。


「休校の理由は校内で放射能漏れが発生したからにしておく」


 などとバカなことを言っていたのは篤也だが、もちろん実際にはガス漏れていどの無難な理由付けがなされているはずだ。

 教祖である朝日向耀、さらには小夜楢未来に対する聴取は今も続いている。

 クレストと呼ばれる人造生命体ホムンクルスは、エイダと朱里によって叩きのめされ、校内で交戦した全員が逮捕されたが、最初に朋子が戦った相手――イブ・ゼロスリーは行方知れずだ。彼女については同じく逃走中のザンゲ――耀の話では、矢満田やまだ慚愧ざんきが本名らしい――ともども円卓によって指名手配されている。

 深天と槇村はいつの間にか姿を消していた。

 ふたりが人造生命体ホムンクルスだと知って、もちろん希美も驚いたが、当事者たちにとっては、それどころの衝撃ではなかったはずだ。

 心配ではあるが、ひとまずはこちらも円卓に任せるしかない。

 操られていた若者たちは、円卓の魔術師が簡単な暗示をかけた上で、全員家に帰されている。すでに正気に戻っているはずだが、自分たちがどこで何をしていたのか、記憶が曖昧で混乱していることだろう。しかし、それも今だけの話だ。日々の生活に戻れば、自然と気にならなくなり、そのまま忘れてしまうはずだ。

 篤也はひとまず部員には解散を命じ、朱里と藤咲は夜のうちに家に送り届けた。当然ながら藤咲は渋ったが、他ならぬ未来に促されて素直に従ったようだ。

 今回の事件で耀と未来が何を望んでいたのか、希美はまだ聞かされていないが、その答えを知ることよりも今は睡眠が恋しかった。

 昨夜はいろいろありすぎて疲労困憊だ。それこそ歩きながら寝落ちしそうになるほどである。

 帰りの電車はガラガラだったが、席に座ると確実に寝過ごすと考えて、あえて吊革につかまった。それでもなお、規則正しい車両の揺れが眠気を誘う。

 ハッと気づいた時には吊革から手が離れていて慌てるが、倒れそうになった身体を素早く誰かが支えてくれたお陰で転倒は免れた。


「あ、ありがと……」


 振り向きながら礼を言いかけたところで固まる。


「危ないぞ、希美ちゃん」


 葉月昴が面白がるような顔で見つめてきていた。


「は、葉月くん……その、本日はお日柄もよろしく……」


 あっという間に上がってしまって、自分でも何を言っているのか分からなくなる。なんと言っても片想いの相手が衣服の上からとはいえ、身体にふれているのだ。


(うん? 衣服の上……)


 唐突にある事実に思い至って希美は軽いパニックを起こした。

 先の戦いで制服がボロ布同然になってしまったため、やむなく仲間の勧めに従って部室にあったメイド服に袖を通したのだ。もちろん頭にはきっちりメイドの必需品である白のカチューシャもついている。

 ちなみに一番熱心に勧めてきたのは篤也でも藤咲でもなく朋子だった。

 希美がこれを着ると妙にハイテンションになって怖くなったので、逃げるように学校を飛び出したという経緯があったりする。

 なんにせよ、まずはこの恰好に関して昴に説明しなければならない。女子高生のくせして、平日の昼前にメイド服を着て電車に乗っているなんて、どう考えても変な人だ。

 とはいえ、どう説明すればいいのか、咄嗟には思いつかない。

 焦った末に希美が絞り出したのは、次のセリフだった。


「お、お帰りなさいませ、ご主人様っ」


 口にした後で、自分のバカさ加減に気づき、うなじまで真っ赤になる。

 できれば今すぐに魔術で電車の壁を突き破って飛び去りたい気分だったが、すでに魔力切れだし、できたとしてもやっていいことではない。

 対する昴はやや目を丸くしていたが、すぐに微笑んで答えてくれる。


「ああ、ただいま」


 とりあえず笑われることもバカにされることもなかったのでホッとするが、まともに顔を見ることもできずにドギマギしながら視線を右へ左へとさ迷わせる。

 ハッキリ言って挙動不審だが、昴は意に介することなく穏やかに話しかけてきた。


「それって、もしかして部室にあったやつかな?」

「は、はい、そうです。葉月くんの趣味ですか?」


 またしても考えなしに口にして、希美は凍りついた。


(アホなの……わたし?)


 以前、篤也がそんなことを言っていたからではあったが、それを彼のせいにするのは無理がある。


「ははは、男がみんなメイド服を喜ぶと思ったら大間違いだぞ」


 屈託なく笑う昴。


「まあ、俺は好きだけどな」


 これまた爽やかな顔をして言ってのけた。

 とりあえず着た甲斐はあったのだろうか。そんなことを思う希美に昴がトドメを刺しに来る。


「よく似合ってるぞ、希美ちゃん」

「……!」


 これ以上は赤面しようがないというくらい赤くなる希美。心音が加速して息が詰まりそうな気がした。なんとなく視界も回っている気がする――というか回っている。


「希美ちゃん?」


 昴が名前を呼んでいるが、それがどこか遠い。


「希美ちゃん?」


 呼びかける昴を見つめる希美だが、なぜか下から見上げるような体勢になっている。

 ぼんやりとした頭で考えたのは、またしても倒れかけた自分を、昴が抱き留めてくれているという事実だ。


(ああ、幸せだ……)


 なんとなく、このまま永遠の眠りに就くような気持ちになって、希美ポツリとつぶやいた。


「あなたが好き……」


 それは六年前、命を落とす寸前に小夜楢未来が、昴に告げた最後の言葉と同じだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?