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第88話 未来が願っていたこと

 エイダが朝日向耀の事情聴取を行っている頃、篤也もまた別室にて未来から話を聞いていた。

 部屋は殺風景で、刑事ドラマにでも出てきそうな灰色づくしだが、べつに心理効果を狙ったわけではない。この陽楠支部は、ただでさえ手狭だというのに配管工事中とのことで使えそうな部屋がここしかなかったのだ。

 もともと倉庫として使われていたらしく、空調設備も小さな換気扇だけで埃っぽいが、邪魔な荷物はすべて外に放り出してある。

 机の上にはカツ丼が一つだけ置かれていて、篤也はそれを自分の胃袋にかっ込んでいた。


「それって容疑者が食べるものじゃないの?」

「腹が減っているのか?」

「当たり前でしょ。昨日から何も食べていないんだし」

「だが私や雨夜のように冷たい雪風に曝され続けたわけでもあるまい」

「それって、あなたのトラウマの話?」

「ああ、なかなかに辛辣で恐れ入った」

「言っておくけど、わたしは内容までは知らないわよ。あの術は自動的に相手のトラウマから情報を引き出すだけなんだから」

「ふむ。まあ、信じておこう」


 篤也は胸ポケットから組織専用の携帯端末を取り出して、「カツ丼おかわり」と、どこかに指示を出した。それを仕舞って未来に向き直ると、生真面目な顔で問いかける。


「それで、私は何を訊けば良いのだ?」

「……それをわたしに訊いてどうするのよ」


 未来は睨めあげるような視線を向けてきた。美人のこういう顔はなかなかに迫力がある。篤也に比べれば年端もいかない小娘に見えるが、老化が遅いだけで実年齢は二十二、三のはずだ。

 そもそも耀からして、すっぴんだと十代の小娘に見えるため、超人にとって外見年齢など大きな意味はない。


「いや? それとも私はロリコンなのだろうか」


 つぶやいた途端、未来が椅子を引きずるようにして後ずさった。自分の身体を庇うようにしつつ、やや怯えた顔を向けてくる。こういう反応は希美にソックリだ。


「あ、あなた、まさか変なことを考えてないわよね?」

「お前が本物の未来ならば胸に七つの傷があるはずだ」


 やや質問の趣旨からズレた回答で誤魔化す。


「四つでしょ! だいたい残ってないわよ!」


 四つという数字が出てくるあたり、やはり本物なのだろう。

 六年前に篤也が使用し、未来を殺めるに至った武器、呪黒四尖槍カースドパイルはその名のとおり四本に分裂する投擲用の杭だったのだ。


「本当に生きていたのだな」

「正確には生き返ったのよ。耀のお陰でね」

「ハルメニウスの神聖術か」


 ハルメニウスそのものは純然たる力の場ではなかったが、本性を現すまではそれと同じように信徒に神聖術の力を貸し与えていた。


「歪んだ存在ではあったが、その強大さは通常の力の場の比ではなかったようだな」

「そうよ。だからこそ、わたし達は信じてしまった。あれならば失われた命を取り戻せると」


 椅子を元の位置に戻しながら答える未来に、篤也は目を伏せながら質問する。


「家族を取り戻すつもりだったのか?」

「…………」


 黙り込む未来。彼女の一族を惨殺したのは篤也当人ではないが、篤也と同じ西御寺家に属していた者たちだ。未来自身を殺めたことも含め、恨まれても仕方のないことだが……。


「あなたに恨みはないわよ」


 ポツリと未来がつぶやく。どうやら考えが顔に出ていたようだ。


「六年前だって、わたしとあなたは敵同士だった。わたしだってあなたを殺すつもりだったし、それどころか世界すら滅ぼそうとしていたわ。わたしの内面にどんな変化があったとしても、それを考慮しなければならない理由なんてあなたにはなかったでしょ」

「いや、わたしが殺そうとしたのは罪のない少女だった。お前がその身を盾にして彼女を守ってくれなければ、さらに事態は悪化していただろう」

「それだって、わたしが彼女をあんな儀式に利用したからじゃない。結局はすべてわたしのせい。身から出た錆よ。今回のことにしたってね」

「過去のことはともかく、今回の件に関して罪の意識を感じることはない。ハルメニウスの力で蘇生した時に、奴はお前の心に細工を施していたのだ。その痕跡は円卓の魔術師が見つけている。自分を責める必要はない」


 すでに一度は説明したことだが、篤也はあえて繰り返した。過去の過ちのせいか、どうにも未来には自虐的な一面があるように思える。少しでも心を軽くしてやりたいところだった。

 そんな彼を未来は困惑した顔で見つめる。


「どうしてそんなにおやさしいのよ」

「冷たくされたいのか? 君が真にドMだというのであれば、私も喜々として善処するが?」

「変態か……」


 引きつった顔を見せる未来。


「そんなはずはないのだが、なぜか雨夜にもよく言われるな」


 軽口で返すと、未来はふと考え込むような仕草を見せる。


「雨夜希美……か」


 怪訝な顔をしてつぶやく。


「彼女は何者なの? まさか円卓が、わたしを元にして造った人造生命体ホムンクルスとか言わないわよね?」

「まさか」


 篤也は苦笑した。これまで考えたこともなかった話だが、思い返してみても円卓と彼女の間に特別な繋がりがあるようには思えない。


「本人は最初、孤児だと口にしていたが……明日香一族の人間ではないのか?」


 篤也が訊き返しても、すぐには答えず、未来はしばらくの間篤也をじっと見つめていた。彼の言葉に嘘がないかと疑っていたようだが、とりあえずはそのまま受け止める形で言葉を返してくる。


「それについてはわたしも、いろいろ考えてみたけど心当たりはないわ。もちろん、親戚筋の御落胤って可能性は残されてるけど」

「なるほど」


 たとえそれが裏社会であっても、名家の人間にはありがちな話だ。


「なんにせよ陰謀とは無縁の娘だ。ひたすら貧乏な苦学生で、一日カップ麺一食の生活を送っていたくらいだしな」

「一日カップ麺一食って、それは人間の食生活じゃないわよ」

「そうだな。幸い部長の助力もあって、現在は改善されたようだが」

「まったく、いろんな意味でおかしな娘だわ」

「だが、やさしい娘だ」


 微笑む篤也。

 そんな彼を未来は不思議そうに見つめる。

 やがてドアがノックされてカツ丼が運ばれてくると、篤也はそれを未来の前に置くように指示した。

 運んできた係員が一礼して退出するのを待ってから、未来が口を開く。


「星見咲梨よ」

「星見?」


 時間が経ちすぎていたために、すぐにはピンと来ない。


「さっきの質問の答えよ。わたしが生き返らせたかった人の名前」

「それは……」


 軽い驚きを感じる篤也だが、それはすぐ得心に変わった。


「そうか、お前は葉月の……」


 星見咲梨――その名前は裏社会の人間であれば誰もが知っている。

 不可能を可能とする稀代の魔女にして地球防衛部の創設者。金色の武具群アースセーバー・シリーズも彼女の作品だ。

 十五年前、あまりにも強大化しすぎた魔力が、ついには世界を引き裂きかねないほどに膨れ上がったため、彼女は簡単な魔法以外は封印して普通の生活を送ろうとしていた。

 しかし、篤也の父は彼女の存在そのものを危険視して、マリスを使った暗殺を試みたのだ。

 結局、彼女は世界を壊さぬために反撃することもなく、その若い命を散らしたのだが、それでも彼女が遺した魔法の数々はまったく力を失っていない。

 その中には彼女が十代の折に世界そのものにかけた正体不明の魔法も含まれており、暗殺に荷担した者たちは、この魔法が自分たちに牙を剥くのではないかと、今も怖れ続けている。

 何よりも咲梨は葉月昴にとって姉も同然の存在で、彼女を失ったことは、今もその心に深い爪痕を残しているはずだった。


「なるほど、自分のためではなく愛する男のためか」


 揶揄するつもりはなかったのだが、篤也の言葉を聞いて未来の頬に朱が差した。拗ねたような顔をして言い返してくる。


「ひ、他人事みたいに言ってくれるけど、耀だって同じなのよ」

「耀?」

「そうよ。彼女が取り戻そうとしていたのは、あなたの妹なんだから」


 思いもよらぬ話を耳にして、篤也はしばし茫然となった。

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