希美は淡い光の中で目覚めた。
気分が良い。おそらく夢見が良かったお陰だろう。愛しい人の腕に抱かれながら愛を告げる夢だ。なぜか自分はメイド服など着ていたが、まあ夢などというのは、そういう脈絡の無さが多々あるものだ。
小さくアクビをしなが伸びをして身体を起こす。
瞼を開けば、目に映ったのは、なぜか見慣れない部屋だった。
(あれ? まだ寝ぼけてるのかな?)
そう思って目をこするが、目の前の景色に変化はない。
ぼんやりと室内を観察してみる。
綺麗に掃除された清潔感に満ちた部屋だ。
使い古された学習机と背の低いタンス、小さなテレビに古いビデオデッキなどが置かれているが、他に目につくものといえば希美が寝ていたベッドと本棚くらいのものだ。いちおう本棚にはCDラジカセが置かれているようだが、CD自体は数枚しか並んでいない。
光が差し込む大きな窓の外はバルコニーになっている。なかなかに洒落た家のようだ。
こんな感じの家に住んでいる人物について、なんとなく記憶に引っかかるものはあったのだが、考えることを心が拒否する。
「うん、これは夢だ。そろそろ起きよう」
つぶやいて瞼を閉じるが、それで目覚めるはずもない。むしろポカポカと気持ちの良い陽気が微睡みに誘う。
それでも部屋の扉がノックされてしまえば、タヌキ寝入りもできず、希美は恐る恐る身を起こして扉に向き直った。
「あ、合い言葉をどうぞ」
「は? 何言ってるの? 起きてるなら開けるわよ」
それはどう考えても女の声で、葉月昴のものではなかったが、マズイことに希美の知っている人物の声だった。
希美が素早くベッドの下に潜り込むのと扉が開くのはほぼ同時だった。
こっそり覗き見ると、思ったとおりの人物がそこに立っている。あの日より六年が経ち、多少は大人びたように見えるが、見間違えるほどの変化はない。
それよりも問題だったのは、どう考えても目が合っていることだ。
「何してるの?」
ベッドの下を覗き込むようにして、高月由布子が呆れた声を発した。
彼女こそが葉月昴の遠縁の親戚にして、高校時代のガールフレンド。そして、おそらく現在では恋人という立場にある女性だ。昴に確かめたわけではないが、なんとなくそんなニュアンスで話していたことがある。
向こうは覚えていないはずだが、いろんな意味で苦手な相手だった。
「まったく、浮気の現場を見つかった泥棒猫じゃあるまいし」
由布子はベッドの下に手を入れると希美の腕をつかんで、容赦なくベッドの下から引きずり出した。
「あぅぅぅ」
情けない声をあげる希美。
それを見て由布子は、ふと何かに気づいたような顔になる。そのまま両手を伸ばして希美の頬を挟むと、ジロジロと眺め回した。
「なんだか、どこかで見たことがあるような顔なんだけど……」
希美は思いきり目を逸らして答える。
「人違いです」
「初対面のはずなのに、わたしが誰なのか訊いてこないわよね」
「葉月くんから聞かされてますし、ふたりでいるのを遠目に見たこともあります」
「…………」
由布子は変わらず疑念の眼差しを向けていた。
なんとか話を逸らそうと質問する。
「葉月くんは?」
「仕事に行ったわよ。知ってるでしょ? 柳崎探偵事務所」
「う、うん、知ってます」
うなずくが、由布子はまだ手を放してくれない。
「メイド少女をおんぶして電車の中から、家まで運ぶのは、なかなかにスリリングだったなんて笑ってたけど、そもそもいったいどうして倒れたの? 病気とかじゃないわよね?」
由布子の声は怒ってるようでありながら、希美の身を案じているようでもあった。
どちらにせよ隠すようなことでもないので、希美はすぐに答える。
「魔力切れの状態で精神が不安定になったせいだと思いまふ。魔術師あるあるでふ」
話の節々で頬をプニプニと押されて発音が変になった。
「ならいいけど」
「ご迷惑をおかけしたことはあやまりまふ。でもアレは事故でふ。不可抗力でふ。ごめんなはい。命ばかりはお
卑屈になって命乞いをすると、さすがに薄気味悪そうな目をして由布子は手を放した。
「いったい昴から、どんなふうに聞いているのよ? わたしはそんな怖い人じゃないわよ」
「えーと、葉月くんはともかく、うちの担任が言うには神獣も裸足で逃げ出す鬼姫だとか……」
「あ、あの男……」
苦々しげに顔をしかめる由布子。口からの出任せなので篤也には悪い気がしたが、我が身かわいさなので仕方がないと自分を納得させる。
「ところで、そのメイド服だけど」
急に話が変わったが、希美としては話が逸れるのは大歓迎だ。そう思って喜んだのも束の間――
「呪われてるわよ」
とんでもない事実を突きつけられて蒼白になった。
「の、呪い?」
「ええ、それも相当強力なもので、円卓の人たちでさえ解呪は無理って匙を投げてしまったの」
「な、何それ? どんな呪いなの?」
冷や汗すら流しながら問いかける。魔術には精通した希美だが呪いは畑違いだ。
「べつに脱げなくなるとかじゃないんだけど、気がついたら無意識にまた着てしまうの」
「なんだ……」
拍子抜けして、ホッと息を吐く。
「それなら、脱いで燃やしてしまえば解決だ」
気楽に言う希美だったが、由布子は深刻な顔つきで告げる。
「それは絶対にダメ。呪いはもうあなたの中にあるのだから、もし着るべき服がなくなってしまえば、あなたは裸で町中を歩くことになるわ」
硬直する希美。そのまま数秒間の沈黙を置いて悲鳴じみた声をあげた。
「なんだそれぇぇぇっ!?」
「金庫に閉じ込めたり、封印しても同じこと。呪いが働いている時に着るべき服が見つからなければ、結局は裸で出かけてしまうの」
「なんでそんなヤバイのを部室に置いてるの!?」
「そこはまあ、いろいろ事情があってね。とりあえずは危険物に分類して、倉庫にしまってあったはずなんだけど……」
「じゃあ、わたしは一生メイドとして……」
目の前が真っ暗になった気がした。
「いえ、いちおう解呪の方法はあるの」
「え?」
希美が期待に満ちた眼差しを向けると、由布子はなぜか瞳を逸らした。そのまま目を合わせることなく、どこか言いにくそうに説明を始める。
「とある魔法使いに頼んで用意してもらった、とあるものを使えばその呪いは打ち消せるわ」
「あるものって?」
「ある衣装って言ったほうがいいわね。それを二十四時間着続ければ、あなたに宿った呪いは消滅するわ」
この時点で、希美はとても嫌な予感がしていた。
確かめるのは怖いが、確かめなければどうにもならない。
「ど、どんな衣装ですか?」
由布子は表情を消して答えた。
「バニースーツ」
「…………」
しばらく固まった後、希美は回れ右をしてベッドに向き直った。
「お休みなさい。今日からわたしは一生ここで暮らします」
「ダメに決まってるでしょ」
慌てて由布子が希美を抑え込む。
「昴のベッドよ」
もちろん予想はできていたが、それを聞くとこんな時なのに頬が熱くなった。
(わたし、葉月くんの部屋に入って、葉月くんのベッドで寝ちゃったんだ……)
現実逃避しながら感慨にふける。
「秋塚先生に電話して、連れて帰ってもらうわ」
冷酷な由布子の声で現実に引き戻される。
「鬼ぃ~~~~~~っ」
泣いて喚いたものの、もちろん希美にも分かっていた。
まさか本当に、ここで一生を過ごすわけにはいかないのである。