「おはようございます、未来さん!」
駅前で元気よく声をかけてきたのは、藤咲旭人だ。
彼の性格を思えば、家まで迎えに来なかったのが不思議なくらいだが、その理由は一緒に待っていてくれた朱里が教えてくれた。
「毎朝、家の前まで男の子が迎えに来たりしたら、ご近所の人におかしな噂とか立てられかねないでしょ。だから止めたの」
言われてみれば納得だ。
これまで世間体などというものを気にしたことのない未来だが、普通に生きていくならば、やはりそういうことにも気を配る必要があるだろう。
(生きていく……か)
ぼんやりと朝の駅前を見回す。
行き交う車。道行く人々。ごく当たり前の光景が実に新鮮に感じられる。
べつに初めてのことではない。六年前も高校生のふりをして陽楠学園に入り込んだのだ。
それなのに、フリでもなく、なんの企てもないというだけで、ひどく感傷的な気持ちになっている。
ある日、突然訪れた破局によって逃亡生活を余儀なくされた未来は、小学校すら卒業できていない。さすがにそれまでは級友もいたはずだが、今はもう顔も名前も思い出せなかった。
いつ襲い来るともしれない刺客に怯えながら、街から街へと旅を続け、六年前のあの日が来るまで、人のぬくもりに触れたことなどなかった。
殺伐とした日々は心から潤いを奪い、いつしかあらゆることに無関心になり、敵を殺すことに躊躇いを覚えることもなくなっていた。
それでも神獣の召還を試みるまでは、無関係な人間を傷つけようとはしなかった。
どうでもいい連中だと決めつけながらも、幾度かは見知らぬ他人を助けたことさえある。
あの頃はそんな自分に吐き気さえ感じていたが、今はそれで良かったのだと思えるようになっていた。
改札を抜けてホームに出ると、藤咲たちと並んで列車を待つ。
こんな地方都市でも通勤通学の時間帯ともなれば、それなりに混雑している。人々の喧噪に紛れて、ぼんやり立っていると、藤咲に話しかけられて、ふと我に返った。
「一緒のクラスになれるといいですね」
「そうね」
あまり気のない返事をしながら未来が思い返したのは六年前だ。
結局、昴とは同じクラスになれずじまいだった。
「でも、うちのクラスには、あの事件に関係した人もいるから、顔を合わせるのはマズイかも」
朱里は言葉を選んでくれているが、関係者というよりは被害者と表現した方が適切だろう。
「三つ編みと眼鏡でぜんぜん印象が違うから平気だろ」
藤咲は楽観的に答えたが、名前がそのままなのだから彼らが気づかないはずもない。苦笑する未来をじっと見つめると、彼は改めて感想を口にした。
「その恰好も素敵ですよ。未来さんの知的さが引き立ちます」
「いいよね、美人は。これだけ地味な格好をしたって、ちっとも魅力が損なわれないんだから」
「確かに。お前が未来さんみたいに三つ編みにしたら、野暮ったくなるだけだもんな」
失礼なことを口にする藤咲。
「わたしは北さんって、じゅうぶんに可愛らしいと思うけど」
お世辞ではなく率直な感想だ。確かに派手さはないが素朴な美しさがある。それは派手な美人では決して得ることのできない魅力だ。
未来が告げると朱里が嬉しそうに笑って、藤咲がよけいなひと言を口にして彼女に肘で小突かれた。
自然と笑みがこぼれて仲間内で笑い合う。
同時に見知らぬ若者たちが仲間同士ではしゃぐ声が聞こえて、未来はふと気がついた。
これまではずっと他人事だった世界の喧噪の中に、今は自分の声も含まれているのだということに。
(ああ、そうか……)
自分にやさしく手を差し伸べる昴の姿がフラッシュバックする。
(葉月くんは、わたしをここに連れ戻そうとしていたんだ)
今になって思い知る。かつての自分が人々の暮らしを日常の外から他人事のように眺めていただけだということを。
そうでなければ世界そのものを壊してしまおうなどと思えたはずがない。
胸が熱くなって、ふいに目尻に涙が浮かぶ。藤咲と朱里が驚いたような顔をしたことに気がついて、未来は慌てて手でぬぐった。誤魔化せたはずもないが、ふたりは気づかなかったふりをしてくれたようだ。
その気づかいが嬉しくて、やさしい気持ちになる。改めて思う。世界を壊せなくて本当に良かったと。
なぜならば、ここにはこんなにもやさしい人たちが、確かに存在しているのだから。