篤也の車で現場に急行すると、目的の廃ビルは、すでに警察によって封鎖されていた。もちろん円卓の指示によるものだ。相変わらず手際が良い。
希美たち地球防衛部はいつもながら顔パスだったが、この場合、やはり警官たちは仲間として判定されるらしく、誰もが希美に奇妙な視線を向けてきていた。
(ウ、ウサ耳だけだ。見えているのはウサ耳だけだ)
自分に言い聞かせて羞恥心を押し殺す。上半身はマントで覆っているのだから、まさか中身がバニーガールだなどとは誰も思わないはずだ。
「ヒールと足下の網タイツも見えてるけどね」
合流した未来に指摘される。
希美は逃げるように建物の中へと突き進んだ。
古びたコンクリートの建物は埃っぽく、どことなくかび臭い。ところどころに水たまりまであって、電気も止まっているようだが、ホールでは円卓の職員が魔術による明かりを灯している。
希美たちが近づくと、職員のひとりがふり返って奇妙な表情を浮かべた。
(またか)
一瞬、ぼやきたい気持ちになるが、すぐに違和感に気づく。
彼は希美の姿など気にしていない。それどころか、その目は何も映してはいなかった。
「これは――」
一瞬早く異変に気づいた篤也が声をあげる。
それに合わせたわけでもないだろうが、円卓の職員たちは糸が切れた人形のように、全員がその場に倒れ込んだ。
反射的に駆け寄りたい衝動に駆られるが、なんとか自制して慎重に近づく。
希美と未来が周囲を警戒する中、篤也が屈み込んで職員の状態を調べた。
「生きてはいるが危険な状態だ。魔力……いや、生命力を急激に吸い取られたのか」
「先生はすぐに彼らを運び出して。未来はこのビルの結界を強化」
希美の指示に未来はすぐに従ったが、篤也は釘を刺してくる。
「雨夜、お前もここを動くな。すぐに月見里とエイダが駆けつけるはずだ。絶対に、ひとりで無茶はするな」
篤也は昏倒した職員のひとりを背中に担ぎ、両脇に残るふたりを抱え込んで走り出す。無茶な運び方だが慣れた感じだ。希美の返答を待たなかったところを見ると、彼らの容態は思った以上に危険なのだろう。
正直なところ、ひとりで突っ走るつもりだったが、この場は篤也の判断の正しさを認めて戦いの準備だけに
背負ったヴァイオリンケースから
その間に未来は術式を展開して、円卓が張り終えていたビルを覆う結界を強化している。やはり手際が良い。複雑な術式を瞬く間に組み上げて、希美と同じく呪文を唱えることなく魔術を発動していた。
未来が補強した結界は希美の目から見ても、じゅうぶんな強度がある。今回の敵は思いの外強力な力を持つようだが、これならば破られる心配はないだろう。
(とにかく、まずは敵の位置を割り出さないとな)
今度は希美が探索のための術式を組み上げる。魔術によって各階の様子を覗き見るためのものだ。
この場からは動くことなく、視点だけを飛ばしてビルの各フロアを調べて回る。日暮れ時、明かりの点いていないビルは、どこも薄暗いが、魔術による視界は完全な闇すら見通すことが可能だ。
しかし、それらしい影はどこにも見当たらない。
「希美!」
突然未来が警告の声を発した。希美は反射的に前方へと跳ぶ。
床を転がるようにして起き上がれば、青白い女の影が一瞬前まで希美が立っていた場所に浮かんでいる。
「ゴーストか!」
もちろん本物の幽霊ではない。実体を持たずに精神体だけで行動するマリスの俗称だ。通常であれば器を持たないマリスは、前回のハルメニウスのように物質界では存在を維持できないが、このタイプに関しては例外だった。
肉体を持たないがゆえに壁を通り抜けることが可能で、霊的な力を込めた攻撃でなければ傷つけることもできない。
ただし、このタイプの敵は行動範囲に制限があり、特定の場所から離れられない。そういうところも幽霊じみているが、それも当然だ。霊的なマリスの存在を支えているのは、多くの人々が無意識に抱えている幽霊という概念への恐怖なのだから。
そのため、通常のマリス以上に人間に対して災いを為すことが多いが、魔術や
ただ、希美にとって問題だったのは幽霊のように浮かんだその姿が、行方知れずの友人に酷似していたことだ。
「深天……?」
思わずつぶやくがマリスは返事をすることなく、吸い込まれるように床に消える。
その様を見据えていた未来は冷静な判断を下した。
「あれはマリスよ。彼女の幽霊なはずがない。おぼろげな影だから似てると思えば似てる気がするけど、それだけの話よ」
彼女の見解に同意して、希美は
物質をすり抜けるとはいえ、種が割れればそれほどの脅威ではない。現れたところを
意識を集中して敵の気配を探る。肉体を持たないがゆえに、通常の感覚では見つけにくいが、希美や未来のような魔術師ならば話は別だ。初撃こそ想定外で意表を突かれたが、今度はそうはいかない。
浮かび上がったところを一撃で仕留めるべく、上下左右すべての方向を警戒する。
だが、ここで敵は希美たちの意表を突く行動に出た。
階下から単純な破壊エネルギーを放射して床一面を撃ち砕いたのだ。
「えええええっ!?」
突然足下が抜けて未来とふたり重力に引かれて地下室へと落下していく。
危うく瓦礫に呑まれかけた希美は、咄嗟に跳躍して生き埋めこそ免れたが、ハイヒールが災いして、その場に投げ出されてしまった。
そこを狙ってマリスが襲い来る。
慌てて迎撃しようとするが、落下の衝撃で
だからといって魔術師である希美に攻撃手段がないはずもない。
「光よ!」
一瞬にして術式を編み上げると、強力な魔術を解き放つ。
狙い違わず光は青いマリスを消し去るが、あまりにも手応えがない。
「フェイク!?」
気づいた時には手遅れだった。足下から滲み出た青いマリスは、よりにもよってマントの内側に入り込んで、邪魔なそれを剥ぎ取ると、そのまま背後からしなだれかかるように希美に抱きついてきた。
「ひいっ!」
冷たい手が絡みつき、バニースーツの上から胸や太股を撫で回される。
「い、いやぁぁぁっ」
肉体はもちろん精神に直接手を触れられるかのような、言い知れぬ不快感に希美は悲鳴をあげた。マリスはあり得ない長さに首を伸ばすと、ゆっくりと顔を近づけて希美の唇に自分の唇らしき部位を重ねようとする。
希美は恐怖に凍りついた。
だが、もちろんこの場にいるのは希美だけではない。
魔術のバリアによって瓦礫を凌いでいた未来は、目の前に転がっていた
「きぃやぁぁぁぁぁーっ」
断末魔の悲鳴を発してマリスの姿がかき消える。
逃がしてはいない。
◆
「これが
自分が手にした武器が放つ金色の光を見つめながら、未来はその力に畏怖すら覚えていた。
だが、その光は不思議とやさしくもあり、あの日の昴の眼差しを思い起こさせる。
「おいっ、無事か!?」
上の方から篤也の声が響く。床が抜ける音を聞いて慌てて駆け戻ってきたのだろう。
「ええ、なんとかね」
顔を向けて返事をすると、未来は座り込んだままの
強ばった顔をしているが、怪我はないようだ。
ひとまず気持ちを切り替えさせようと、あえて意地の悪い言葉を放つ。
「なんて言うか……ちょっと表現し難いような扇情的なポーズになってるわよ」
「あうぅぅっ」
希美は慌てて居住まいを正すと、周囲を見回してマントを探した。それそのものはすぐに見つかったものの、運悪く瓦礫の間に挟まっていて、すぐには回収できない。
「もういや~~~っ」
すっかり弱気になってべそをかく希美。
さすがに未来は同情した。