次の日曜日、小夜楢未来は藤咲旭人を誘って遠出した。
すでにいくつもの路線を乗り換えて、今は馴染みのないローカル鉄道に揺られている。
「いや~感激です。ついに、ついにこうして、未来さんとデートできる日が来るなんて」
「デートじゃないって断っておいたはずなんだけど……」
「ああ、すみません。忘れたわけじゃありませんけど、俺にとっちゃあ、これはもう、じゅうぶんにデートなんです。日帰りとはいえ、未来さんとふたりっきりで小旅行。感動です」
見るからに舞い上がっている藤咲。
一方の未来は、と言えば――まるで正反対の沈んだ顔をしていた。
窓の外は明るく晴れ渡り、眩い光が車内に差し込んでいる。
実際、絶好のデート日和だが、未来の中にあるのは自分の正体についての疑問だ。明るい気持ちになどなれるはずがなかった。
向かう先は希美が幼少期を過ごしたという児童養護施設である。
施設自体は実在しているが、問題は彼女が実際にそこで暮らしていたかどうかだ。もし偽装であったならば、未来の不安がより一層真実味を帯びてくる。
重要なのは関係者の証言だ。仮に希美が魔術を使って人々の記憶を作り替えていたとしても、未来には看破する自信があった。
その結果、もし赤子の彼女が本当にそこにいたならば、未来の不安は、ほぼ払拭されることになる。なにせ、その当時未来は八歳だ。
(八歳か……)
幸福でいられた最後の時間。そして絶望が始まった年齢だ。この奇妙な符合を考えても、彼女こそが本物である可能性は高い。
(彼女が本物の小夜楢未来――いえ、明日香希美だったなら、わたしはいったいどうすれば……)
昏い想いが心を埋め尽くしていく。それは世界を憎んでさ迷っていた時以上に重苦しい絶望の影だった。
「大丈夫ですよ、未来さん」
ふいに藤咲がつぶやいた。穏やかな笑みを窓の外に向けたまま話しかけてくる。
「俺には未来さんの悩みは分かりませんし、必ずなんとかしてやる――なんて無責任な約束もできません。それでも、絶対に投げ出したりはしません。最後まで必ずお手伝いします」
藤咲の横顔には気負った様子はないが、いつものような軽薄な感じもしない。むしろ誠実に見えた。
彼は未来に向き直ると、やさしげな眼差しで続ける。
「だから、困った時は俺に言って下さい。ほら、ひとりよりふたりって言うじゃないですか。一緒に頑張りましょう。ふたりいれば少なくとも挫けることだけはありませんから」
彼の言葉から真摯な想いを感じて、未来はそっと肩の力を抜いた。
感じていたのはやましさだ。
自分が抱いた怖れが、今まさに深天と槇村を苛んでいるものだということには、最初から気がついていた。彼らもまた自分たちが作り物だと知って姿を消したのだ。
たとえハルメニウスの影響下にあったのだとしても、その重たい十字架をふたりに課した責任が未来にはある。
(ならば、たとえそこにどんな真実があろうとも、わたしには逃げることも、嘆くことも赦されない。受け止めた上で、前に進むしかないんだ)
静かに決意を固めると、未来は藤咲を見つめ返した。
「ありがとう、藤咲くん。ひとつ、お願いしていいかな?」
「はい、なんなりと」
彼に向かって未来は白い手を差し出す。
「手を握っていて欲しいの」
「え?」
「わたしが逃げ出さないように」
おそらく予想もしていなかったのだろう。目に見えてあたふたしながら、それでも藤咲は元気よくうなずいた。
「か、かしこまりました!」
答えて手をつかもうとした彼の手を、すっとかわした上で未来は告げる。
「駅を出てからでいいのよ」
「あらら……」
わざとらしくずっこけてみせる藤咲を見て、未来は笑った。
重苦しい気持ちが完全に消えたわけではないが、それでも幾分楽になった気がする。考えてみれば、未来が今こうして生きていられるのも、彼が助けてくれたお陰だ。
葉月昴とはまったくタイプの違う男だが、もしかしたら、その根っこにはどこか共通するものがあるのかもしれない。
(進歩がないわね、わたしは。あの頃から、ずっと誰かに助けてもらってばかりだ)
頭の中に自分に手を差し伸べてくれた昴の姿を思い描く。
あるいは、その記憶は借り物かもしれないが、今の未来の心を形作っているものには違いない。ならば、彼女の成長はその延長線上にしかないのだ。
(助けられるばかりじゃない。わたしも誰かを助けられる人間になろう)
誓いを立てて流れる景色に視線を戻した。
一度は滅ぼそうとさえした世界が、眩い光の中に広がっている。不思議とそれが自分を歓迎しているように思えて、未来は笑みを返した。