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第105話 咲き誇る花々

「ええ、あの娘のことならよく覚えているわ」


 養護施設の院長は、未来が悲壮な想いで投げかけた質問に、あっさりとうなずきを返した。


「少し変わった子で、他の子供たちとは馴染もうとせず、いつもひとりで遊んでいたわね」


 遠くを見るような目で微笑む。まるで娘を思う母親のような眼差しだ。


「あの娘はいつも窓際で、どこか遠くを見るような目を空に向けていたわ。まるで何かを待ち望んでいるかのように」

「彼女の名前は誰がお与えになったのですか?」


 未来としては、これも気になることのひとつだった。自分の本名である明日香希美と雨夜希美は、あまりにも似すぎている気がする。


「希美ちゃんは、拾われた時から名前を示すものがあったのよ。おそらくはあの子を置いていった御両親のどちらかが持たせたものでしょう」

「雨夜ってのは?」


 今度は藤咲が訊く。


「それは市長さんがお付けになったの。あの子を拾ったのもその方なのだけど、それが雨の夜で、濡れた街並みがイルミネーションを反射して、とても幻想的だったからって理由だったのよ。だけどね……」


 院長はそこで一呼吸おくと、思い出し笑いをするように楽しげな笑顔を浮かべる。


「あとで失敗したって仰っていたわ。もっと明るい名前を付けてあげるんだったって」


 未来は拍子抜けしていた。まだ確定ではないにせよ、どうにも思い過ごしのようだ。院長には魔術で記憶を操作されている様子はない。そもそもあの希美が、こんなやさしそうな人を、そんなつまらないことに利用するとは思えない。


「でもね、あの子は市長さんに笑って答えたの。雨夜って名前は気に入っています。良い名前をありがとうって」

「へえ……」

「小さな頃から、そういう気づかいのできる子供だったのよ」

「なるほど、あいつらしい」


 ごく自然な笑みを見せる藤咲。なんだかんだと言いつつも、彼も希美のことが気に入っているのだろう。


「それで、あの子は元気にしているのかしら?」


 院長が訊ねてくる。おそらく最初から、彼女はこれを訊きたかったに違いない。自分の問題を優先したことを未来は心の中で恥じた。

 その隣で藤咲が元気に答える。


「はい、それはもうむっちゃ元気で、困るくらいです」

「そう、それは何よりだわ。ずっと心配だったのよ。あの子はなぜか人を遠ざけるようなところがあったから、今もひとりぼっちなんじゃないかって。でも、あなたたちのような友達がいるなら安心ね」


 院長は嬉しそうに微笑んだ。

 どうやら希美は愛されていたようだ。もっとも院長のこの反応を見たところ、ここを出たきり、連絡も取っていないに違いない。

 心に余裕が出てきたことで、少しばかりお小言を言ってやりたい気持ちになるが、断りもなくここに来た理由を考えると話しづらい。

 未来が考え込んでいる間にも、藤咲と院長の会話は続いている。

 彼は超常的な事柄は巧みに伏せたまま、学校での希美の様子や、他人の空似ながらも未来に瓜二つの美人になっていることなどを伝えていた。意外にも年長者との対話は得意なようだ。

 とりあえず院長との会話は彼に任せて、未来は養護施設の庭に目を向けた。手入れの行き届いた花壇では色とりどりの花が咲き誇っている。

 当初の予定では、この後さらに希美が通っていた小中学校にも顔を出すつもりだったが、それは取りやめにする。

 雨夜希美が小夜楢未来でないと判ればそれでじゅうぶんだ。これ以上の詮索は彼女のプライバシーを侵害するだけだろう。

 藤咲と院長の話が終わるのを待って施設を後にすると、歩き始めたところで、未来はようやく自分が抱えていた不安を藤咲に打ち明けた。


「未来さんが、あいつのニセモノですか?」


 突拍子もない話を聞いて藤咲は目を丸くした。当然の反応だ。今となっては未来としても苦笑するしかない。


「ごめんなさいね、バカバカしいことにつき合わせてしまって」

「とんでもない。そういう事情なら心配になるのは無理ないですよ」


 大真面目に答えてから、藤咲はふと考え込む仕草をする。


「けど、確かにあいつは未来さんにソックリですよね。少なくとも見た目は」

「おまけに魔術の扱い方や魔力の質まで似ているわ。気味が悪いくらいにね」

「不思議なこともあるもんですね。けど……」

「けど?」

「もし仮に未来さんがあいつのニセモノだったとしても、俺にはあなたが一番ですよ」


 ややもったいぶって放たれたこの言葉を未来はさらりと流す。


「ありがとう」


 未来の何気ない口調に、やや残念そうな顔をするあたり、藤咲も分かりやすい男だ。

 もっとも、たとえそれが未来の気を惹くための言葉だったとしても、嘘ではないのだろう。態度には出さなかった未来だが、本当はじゅうぶんに嬉しかった。


「そういえばずっと言いそびれていたけど……」

「はい……?」

「助けてくれてありがとう」

「え?」

「ハルメニウスから守ってくれたでしょ」

「あ、ああ、あの夜の」

「あなたは命の恩人だわ。感謝している」


 丁寧に頭を下げると、彼は照れくさそうに頭をかいた。


「いや、俺にできたのはあれくらいで、そもそも希美たちがいてくれないと、どうにもなりませんでしたし」

「それでも、あなたがいてくれなければ、わたしはハルメニウスに身体を奪われて死んでいたわ」

「なら、ちょっとだけ自分を褒めることにします。惚れた女を守れたなら、男冥利に尽きるってもんですから」


 嬉しそうに笑う藤咲。

 魔術師である未来から見れば、彼は決して強くも逞しくもない。彼に限らず一般人など、そのすべてがひ弱な存在だ。

 しかし、不思議と彼には頼り甲斐を感じる。だからこそ、この日も、こうしてついてきてもらったのだ。

 それでも今のところ未来は彼を恋愛対象としては見られない。

 たとえ、叶わぬ恋だとしても、今はまだ昴以外の人を好きにはなれなかった。

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