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第107話 ハルメニウスの影

 陽楠市のように、いくつもの巨大な霊脈が交わる土地は神秘の力に精通する人々にとっては、極めて魅力的な場所だ。

 大量の魔力を必要とする様々な実験や大規模魔術の使用に適しているためだが、現在ではそのほとんどが円卓の管理下に置かれており、それ以外のいかなる組織も表立った活動はできない。

 それぞれの土地には円卓の小さな支部が置かれているが、いかに円卓が世界最大の巨大機構とはいえ、優秀な人材は常に不足しており、どこも規模は小さく、職員の中には魔術師でも異能者でもない、ごく普通の人間も含まれていた。

 陽楠支部に所属する数少ない魔術師も戦闘向きではなく、調査や地球防衛部のサポート以上のことはできない。

 いざとなれば本部から応援が来るとのことだが、よほどの事態でもない限りは早くても数日を要するとのことだ。

 例外的に支部長だけは、円卓十二騎士にスカウトされるほどの実力者とのことだが、現在は後進の育成のために出向しており、当分は戻って来ないらしい。

 そのような状態だけに、支部の人々は優れた魔術師である朝日向耀を諸手を挙げて歓迎してくれた。

 もちろん、それだけに仕事は多く、円卓支部に所属してからの毎日は目が回るようだった。

 負のアイテールが堆積する場所の調査、可能であれば解消。過去の事件の分析や、回収された曰く付きの物品の解析。当直制のパトロール任務は免除されていたものの、それでもやるべきことは山積みだった。

 そんな毎日を送りながら、それでも彼女の心から離れなかったのは人造生命体ホムンクルスたちのことだ。

 たとえハルメニウスに操られた結果だとしても、それに抗えなかった自分に罪がないとは思えない。誰にそう言われたわけでもないが、耀自身がそう感じていた。

 とくに深天と槇村に、不条理な十字架を背負わせてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。自分たちが人間でないと知って、彼らがいったいどれほど傷ついたことか。

 ふたりには一生をかけてでも償う覚悟を決めているが、そのためには、まず彼らの所在を突き止める必要があった。

 多忙ではあったが、それでも業務の合間を縫って可能な限り情報を集め、就業後は夜遅くまで町中を散策して、ふたりの姿を捜した。

 もちろん、すでにこの町を離れた可能性もあるが、ふたりには行く当てもなければ、まとまった資金もないはずだ。

 いかに人造生命体ホムンクルスが人間よりも強靱な肉体を持つとはいえ、飲まず食わずで動ける時間などたかが知れている。時間が経つにつれて焦燥ばかりが募っていた。

 その日も耀は疲れた身体を引きずるようにして夜の町を歩き回ったが、結局収穫はなく途方に暮れたように人気ひとけのない道端で項垂れていた。

 懐の携帯端末が鳴り始めたのはそんな時だ。それは昨今出回りはじめた携帯電話ではなく、それよりも遥かに高機能な円卓職員専用の通信機だ。もちろん電話として使うことも可能で、実際、相手は公衆電話からかけてきているようだ。

 一抹の期待を抱きつつ電話に出ると、聞こえてきたのは篤也の声だった。


「耀、槇村が見つかったぞ」


 まさかの僥倖に目を見開き、込み上げる喜びに思わず天に感謝の祈りを捧げそうになるが、もはや祈る神はいない。

 そもそも見つかったにせよ、問題はどのような状態にあるかだが、驚いたことに、この日ばかりは幸運のオンパレードのようだった。


「安心しろ、五体満足で元気にしている」

「そ、それで彼は今どこに!?」


 逸る気持ちを抑えきれずに早口で訊くと、受話器の向こうで篤也が苦笑する気配が伝わってきた。


「まずは落ち着け。彼は今、地球防衛部の部室にいる。慌てて事故になど遭わないように安全第一で来てくれ」

「う、うん、分かった」


 通信を切ると耀は、その姿に見合った少女のような軽やかさで、ビルの合間を駆け抜けていった。



 耀が駆けつけた時、夜の部室には顧問の篤也を含めた地球防衛部の全員が集まっていた。

 槇村は椅子のひとつに座ってコンビニ弁当らしきものをかっ込んでいる。彼の前にはカラになった弁当のトレイが大量に積み上げられていた。どうやらすべてひとりで平らげたようだ。


「運が良かったぜ、まったく」


 得意げな顔でつぶやいたのは槇村を保護してくれた男、柳崎だ。

 未来に依頼されて深天と槇村を探していた彼は、陽楠市の隣に位置する臨海都市の一角で、槇村を見つけたらしい。そのとき槇村は武器を手にしたザンキに追いかけられていて、それを彼が救ってくれたのだ。


「危ないところでしたよ、本当に」


 ようやく腹がふくれたのか、またひとつ弁当を空にしたところで、槇村は事情を説明し始めた。


「とにかく突然でした。大刀を持ったあの男が襲いかかってきたのは」

「なんでまたあの男に?」


 訊ねたのは希美だが、ザンキの仲間だった耀や未来にしても不可解な話だった。


「分かりません」


 沈痛な表情で槇村は続ける。


「ですが、深天が関係していると思います」

「深天?」


 その名前が出たところで、耀が身を乗り出した。


「どういうことなの? あの娘は一緒じゃなかったの?」

「教祖様……」


 やや複雑な表情を見せたものの、槇村は何も言わずに、そのまま話を再開する。今は自分の事情に拘っている場合ではないと判断したのだろう。


「しばらくは一緒でした。でも、あいつは、だんだんおかしくなっていったんです」

「おかしくって……」


 不吉な言葉に青ざめる耀。

 槇村もまた何かに怯えるような顔を見せていた。


「いつからかひとり言を呟くようになったんです。小声だったから、最初は気づかなかったんですが……どうやらハルメニウスに話しかけていたみたいで……」

「ハルメニウスって、そんな……」


 想定外の話に誰もが息を呑んでいた。集まった面々が自然に顔を見合わせる。


「まさか、あのマリスは消滅しきることなく深天に取り憑いて……」


 怯えた顔でつぶやく未来。無理もない話だ。それは自分の身体を狙うバケモノが、今もどこかに潜んでいるということに他ならない。

 篤也もまた、いつになく厳しい表情を浮かべて、槇村に問いかける


「それで、彼女は今どこに?」

「聖地へ戻るって言って、そのまま姿を消しました」

「聖地?」

「はい、彼女が言うには、そこは神の生まれ出でた地で、名を御古神村みこがみむらというそうです……」

「御古神村!?」


 篤也と耀は、ほぼ同時に声をあげていた。

 ただ事ではない様子のふたりを見て、希美が訊く。


「知っている場所か?」

「私の生家だ」

「……あの雪国の」


 希美はハッとした様子だった。

 当然ながら耀もその村のことは知っている。篤也はそこで実の妹を殺めることになったのだ。


「まさか、ハルメニウスはあの村から来たというのか……」

「じゃあ、耀さんもそこで取り憑かれたってこと?」


 神秘にはさほど詳しくない朋子でさえ、その二つを結びつけて考えている。

 専門家である耀もまた、それと同意見だった。


「あり得るわ。わたしは篤也くんと別れたあと、最初にそこに向かったもの。でも……だとしたら、わたしはそんなに前から……」


 それは耀がまだ二十歳になる前の話だ。この推測があたっていたなら、彼女は人生の半分近くを、ハルメニウスに弄ばれながら過ごしたということになる。


「何やら、ずいぶんとヤバイ話のようだな。なんなら俺たちで片づけようか?」


 頼もしい笑みを浮かべる柳崎だが、この申し出に篤也は首を横に振った。


「いや、気持ちはありがたいが、これは私の問題だ」

「わたしたちのだろ? 先生」


 希美が訂正する。


「そうだな。聖深天も我が校の生徒であり仲間だ。ハルメニウスに操られているのであれば、なんとしてでも解放してやらねばなるまい」

「よし、そうと決まれば善は急げ。みんな、すぐに出かける準備をして」


 朋子が部長らしく全員に指示を飛ばす。

 さすがに遠出するとなれば、それなりの準備は必要だ。


「日帰りで帰れるかどうかわからないし、着替えくらいは用意しておくか」

「メイド服とバニースーツでよければ、倉庫にあるわよ」

「自分で着ろ。とくにバニーとか藤咲も大喜びだ」


 つまらないやり取りをしながら廊下に出て行く魔女たち。

 エイダは生真面目な顔で部長に告げる。


「では、わたしは円卓支部に出向いて支援を要請しておきます」

「うん、任せるわ」

「じゃあ、槇村こいつの事は俺に任せな。みんなが戻ってくるまで責任を持ってガードしておいてやる」


 柳崎が告げると、それぞれに一礼して退室していく。

 もちろん耀としては槇村に訊きたいことや話したいことが山積みだったが、この状況では後回しにせざるを得ない。

 深天を助け出すためにも、まず必要なのは足だ。この人数では篤也の車だけでは足りない。教団のマイクロバスが使えれば良かったのだが、あれは円卓支部で改修中だ。別の車を用意する必要がありそうだった。

 ひとまず篤也と相談しようと早足で歩き出すが、その時ふと部室の片隅にいるコカトリスが目についた。

 彼は黙ったまま、じっと槇村の顔を見つめている。

 ただそれだけのことだったが、なぜか耀はそれが奇妙に気になっていた。

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