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第110話 罠と裏切り

 夜通し走り続けた車の中でエイダはいつの間にか眠りに落ちていた。

 頬に当たる日差しに瞼を開くと、眩しい朝日が尾根の向こう側から差し込んでいる。

 篤也は不眠不休で運転を続けているわけだが、さすがはかつて暗殺者としてならした身だ。まるで疲れた様子を見せていない。

 隣では同じように眠りに就いていた槇村がアクビを噛み殺しつつ目をこすっていた。


(彼はともかく、円卓の騎士が徹夜もできずに居眠りとは……弛んでますね)


 嘆息して気持ちを切り替える。


「目的の村までは、あとどのくらいかかりそうですか?」

「かなり飛ばしたからな。村まではあと二時間といったところだろう」

「まだ二時間もかかるんですか……」


 面倒くさそうに槇村がつぶやく。生真面目そうな顔に似合わず、緊張感の足りない男だ。

 少しは気を引き締めてもらおうと、エイダは言葉を選んだ。


「心配ですね、深天のこと」

「え、ええ。なんとか正気に戻せればいいのですが……」


 ようやく自分が置かれた状況を思い出したのか、彼は慌てて表情を引き締める。


「はい」


 ひとまず良しとしてエイダは視線を窓の外に戻した。

 深天がハルメニウスの声に操られているのであれば救いようはあるが、身体に入り込まれている場合は微妙なところだ。最悪、彼女自身がマリスと化している可能性もある。


(その場合、手を下すのは……)


 エイダは愛用の聖剣をそっと握りしめた。

 朋子は言うに及ばず、希美や篤也でさえ形式的には民間人だ。この手の汚れ役は、やはり戦闘のプロである円卓の騎士が担うのが筋だった。

 そういう覚悟は常日頃からできているが、それでも気が進まないのは事実だ。


「信じ難い話ですが……」


 槇村の言葉にエイダはそちらに視線を戻す。

 彼は血の気が引いたような顔をしていた。


「その善悪はともかく、ハルメニウスには本当に死者を蘇らせる力あるそうです」

「それは深天が言っていたのですか?」

「ええ。彼女はあんな調子でしたから、思い込みなのかもしれませんが、もし仮にそんなことができるとしたら……」


 槇村は、そこでエイダに向き直ると、真っ直ぐに瞳を覗き込んできた。


「あなたは神の誘惑を拒めますか?」

「神?」


 槇村の言葉に引っかかりを覚えるエイダだが、突然篤也がブレーキを踏んだために訊く機会を逸する。


「なんだこれは……?」


 茫然とつぶやく篤也。

 その理由は改めて問うまでもない。前方から猛烈な吹雪が吹きつけてきていたのだ。このあたりは冬の寒さの厳しい北国ではあるが、今はもう夏だ。さすがにこんな季節に雪が舞うわけがない。

 そもそも勢力が異常だ。降り積もる雪が瞬く間に世界を白く染め上げていく。

 逃げる間もなく車も動けなくなって、一同は慌てて外に出た。同じように後ろの軽トラからも未来と耀が抜け出してくる。


「先生、これは!?」

「わからん」


 未来の言葉に篤也は周囲を警戒しつつ首を振る。

 打ちつける吹雪とともに猛烈な寒さが襲いかかってくるが、地球防衛部のマントによって体温を奪われることはない。

 マントを羽織っていない篤也と耀は、素早く魔術による防壁を張ったが、槇村の姿は何処へともなく消えていた。

 訝しむエイダだが、突如生じた魔力の圧迫感に慌てて視線を戻す。


「聖!」


 篤也が叫ぶ。

 その圧迫感の主は漆黒のドレスを身に纏った深天だった。身体は身体は地に足を着けることなく宙に浮かんでいる。


「深天!」


 続いて耀が悲痛な叫び声で呼びかけるが、そいつは冷ややかな笑みを浮かべたまま平然と無視した。


「よくやってくれた、アダム・ゼロツー」


 漆黒のドレスの女が呼びかけた相手は、いつの間にか彼女の足下で跪いている。


「槇村!?」


 耀が仰天したように声をあげた。


「罠か!」


 身構える篤也。

 その傍らで未来が金色のステッキの先端を敵に突きつける。当然ながらこれもまた金色の武具アースセーバーの一振りだ。


「待て、未来!」


 篤也が制止の声をあげるが、未来は躊躇うことなく魔術式を組み立てる。

 エイダから見ても彼女の判断は間違っていない。不意を打たれた以上、さらに後手に回るのは避けたいところだ。

 できることなら一撃を加えて態勢を立て直したい。おそらくは未来も同じ考えなのだろう。

 ステッキの先に集めた魔力を破壊の力に変えて解放する。


「爆雷よ!」


 かつて希美が巨大武者を葬り去ったのと同じ術だ。希美のそれは天頂から降り注いだが、未来の術はステッキの先端から水平に迸った。

 閃光が吹雪もろとも堆積した雪を蹴散らしてドレスの女へと突き進む。炸裂するとともに激しいスパークを伴った爆発が生じ、大地すら揺らした。

 円卓で魔術を見慣れているエイダの目で見ても申し分のない攻撃魔術だ。牽制どころか、ふたりまとめて消し飛ばしてあまりあるほどの威力に思えた。

 だが、爆煙の中から平然と女の声が聞こえてくる。


「見事な魔術だ。やはり、お前こそが我が器に相応しい」

「……やはり、ハルメニウスか」


 憎々しげにつぶやく篤也。

 再び吹きつける吹雪で立ち込めた煙が晴れると、そこには奇妙なモノが立っている。

 見たままを言葉にするならば、それは光り輝く鎧に身を包んだふたりの騎士だ。黒いドレスの女の壁になるかのように、並んで宙に浮かんでいる。

 どうやら未来の魔術は、こいつらによって遮られていたらしい。

 あれほどの魔術を受けて平然としているなど、信じ難い話だが、それを可能とする騎士の話をエイダは師匠から耳にしたことがあった。


「セラフ……」


 一瞬早く、未来がその名を口にする。蒼白な表情で茫然と立ち尽くしていた。


「セラフだと!?」


 どうやら篤也もその名を知っているようだ。


「篤也くん、セラフって?」


 耀の問いに、鎧からは決して目を逸らすことなく篤也が答える。


「神獣の眷属だ。聞いた話によれば、あれ一体でも円卓の十二騎士に匹敵する力を持つらしい」

「そのとおりだ。お前たちでは決して勝てん」


 得意げな顔で答えたのは槇村だった。

 ドレスの女の足下から歪んだ笑みをこちらに向けてきている。


「槇村、どうして!?」


 悲痛に叫ぶ耀を、彼は面白がるように見つめた。


「教祖様、あなたには感謝していますよ。僕を生み出して、ハルメニウス様に会わせてくれた。ですが、あなたはもう用済みです」

「ま、槇村……」


 打ちひしがれる耀。人造生命体ホムンクルスを生み出し、弄んでしまったことを己の罪と捉え、贖罪の道を探していた彼女にとって、これはあまりにも手ひどい仕打ちだったかもしれない。

 彼女を庇うように篤也が一歩前に踏み出す。


「ハルメニウスよ。お前にひとつ訊きたい」


 当然のように無視するかと思ったが、意外なことにハルメニウスは答えてきた。


「なんだ、暗殺者よ?」

「暗殺者ではない」


 篤也は真っ直ぐに相手を見据えて言ってのける。


「セクハラ教師だ」

「……は?」


 つぶやいたのは未来か耀か、あるいは両方かも知れないが、篤也は完全に真顔だった。そのままペースを乱すことなく問いかける。


「貴様は御古神村で生まれたのか」

「我は神だ。起源は古すぎて覚えてもいない」

「では十七年前、お前はどこにいた」

「御古神村だ。我はそこで長きにわたって眠り続けていた」


 どこかうっとりした遠い目になってハルメニウスが語る。


「かすかに残された記憶が我に囁きかけるのだ。人々の心に花を咲かせよと」

「花だと?」

「方法は分かっている。人々の心から絶望を消し去れば良い。失われた命が取り戻せぬものだという絶望をな。そうすればきっと、あの人もまた微笑んでくれるはずだ」

「あの人だと?」


 篤也が戸惑いを見せる。それも当然だ。マリスの中にも人語を解するものは存在するが、ハルメニウスの言葉はその手のマリスと比べても異質すぎる。

 それこそ本当に古き神であるかのように。

 だが、マリスというものは、そもそもが人の認知の影響を受けて生まれ出る怪物だ。

 古い伝承などがモチーフとなって生じたものが、勝手な思い込みをしている可能性もあった。


「あの人とは何者だ?」


 問いかける篤也だが、ハルメニウスは答えようとはしない。


「話は終わりだ。邪魔者には、ここで退場してもらう」


 やさしげな笑みすら浮かべながら、ハルメニウスは右手を天にかざす。

 風が激しく渦を巻き、エイダたちの頭上に巨大な雪の塊が形成されていく。


「なっ!?」


 一同がぼうぜんと見上げるその先で、雪塊は瞬く間に増殖し、山のような大きさにまで膨れ上がった。


「ハハハハ、数万トンの雪でぺしゃんこになるがいい!」


 笑い声を響かせる槇村。


「後悔するぞ、ハルメニウス」


 凛とした顔で宣告する篤也。


「私のような貴重なハンサムをぺしゃんこにしようとな!」


 ふんぞり返る篤也を見て、耀は思わず足を滑らせた。


「篤也くん……」


 情けない声で恋しい男の名を口ににする。

 一方、未来は防御のための術式を編み上げようとしていたものの、途中で断念したようだ。


「無理よ、こんなの」


 能力的には匹敵するように思えるが、希美に比べると意外にメンタルが弱い。


(やむを得ません)


 決断すると、エイダは未来の背後に素早く回り込んで、細い首筋に刃を触れさせた。


「なっ!?」


 愕然とする未来。


「動くな」


 冷たい声でエイダが告げる。


「なんの真似だ、エイダ!」


 篤也が鋭い声を発したが、それには答えず、エイダはハルメニウスに向かって口を開いた。


「ハルメニウス、あなたの目的が本当にそれならば、わたしの絶望も消してくれますか?」

「ほう……。円卓の騎士が仲間を裏切ろうというのか」


 ハルメニウスは面白がるように笑う。


「騎士である前にわたしも、あなたの言う絶望を抱えた人間です。取り戻したいものがある」

「なるほど、その娘の身体を無傷で差し出すというのであれば叶えてやろう」

「わかりました。ですが、なぜこの娘なのですか? すでにそれほどの力をお持ちだというのに」


 ハルメニウスの力は、現時点でも未来を優に凌駕しているように見える。それでもなお、器としては深天よりも未来の方が上なのかもしれないが、何か他にも理由がありそうな気がするのだ。

 とはいえ、無理に聞き出すつもりはない。機嫌を損ねてしまっては意味がないからだ。

 それでもハルメニウスは気にすることなく答えてきた。


「簡単なことだ」


 未来を指差して続ける。


「その娘は、かつて曲がりなりにも神獣を召喚したことで、神の巫女たる資質を手に入れている。わたしが神として、力を振るうためには、その資質が重要なのだよ」

「なるほど」


 万物は韻を踏むように魔術的な意味を構築しながら変転していく。未来は自らのその行いによって、神の巫女という魔術的な意味合いを得てしまったのだ。

 納得すると、エイダは未来から武器を取り上げて雪の上に放り投げた。

 悔しげに唇を噛む未来だが、意外に抵抗は弱い。あるいはまだ、エイダを信じようとしているのかもしれないが、それはそれで好都合だ。

 エイダは背中を押すようにしてハルメニウスのもとまで連行すると、やや乱暴に雪の上に突き飛ばした。


「あうっ……」


 小さな悲鳴をあげて倒れた未来の口に、槇村が素早く箝口具を填める。そういう行為に喜びを感じるのか彼はサディスティックな笑みを浮かべながら、さらに未来の両腕を乱暴につかむと、背中に回して枷を填めた。


「そういうことか、槇村」


 篤也が冷然と告げる。


「お前はSMプレイがしたくて我々を裏切ったのだな」


 どうやら彼も似たような印象を抱いたようだ。

 槇村はしばし目をパチクリしたあと、ようやく言われことの意味を理解して真っ赤になった。


「違うわ、アホーっ!」


 意外に人間らしい反応だ。それを見てエイダはなるほどと思う。

 篤也は何もふざけていたわけではなく、その言葉によって彼の反応を確認したのだ。もし槇村が正気を失くしているのであれば、こんな分かりやすい反応はしなかったに違いない。

 あるいは操られていたとしても興奮させることで、その制御から外れる可能性もあった。

 しかし、結果を見るに、どうやら彼は正気のままハルメニウスに与したようだ。


「先生もこちら側についてはどうですか? 好きでしょ、そういうの」


 エイダが告げると、篤也は表情を消した後、やたらと真剣な顔をして考え込んだ。


「あ~つ~や~く~ん~~~」


 背後で鬼の形相を浮かべる耀。

 慌てて篤也は告げた。


「いや、待て。これは芝居だ。時間を稼いでいるだけだ!」


 もしそうだとしても敵に聞かせてしまっては意味がない。

 エイダは苦笑して告げた。


「残念です」

「ま、待て、エイダ」


 篤也は手の平を向けて待ったをかけると、改めてハルメニウスに視線を向ける。


「できれば命だけはお助けを」


 今さらながらに真顔で命乞いをした。

 しかしハルメニウスは過剰な反応を示すことなく淡々と告げる。


「ダメだ。どうにもお前は不気味すぎる」


 それが決別の宣告だった。

 ハルメニウスが指を軽く鳴らすと、空中に堆積していた山のような雪塊が、巨大な滝となって彼らの頭上へと降り注ぐ。

 それは爆撃のような轟音を響かせ、大地を激しく震撼させた。

 余波は一瞬にしてハルメニウスのもとにも殺到してきたが、そいつは槇村や未来はもちろん、エイダも連れて素早く空間転移を行った。

 気がつけば、遙か遠方のかすんだ空に巨大な雪の山が浮かんで見える。一瞬前までエイダたちが立っていたあたりだ。

 その光景をハルメニウスは黙って見つめている。


「あれでは助かりっこないな」


 愉しげな声を発する槇村。

 その傍らで未来は悲痛な表情を浮かべている。


「まだ厄介な相手がふたり残っています。儀式の続きをするのであれば急いだ方が良いでしょう」


 澄まし顔でエイダが告げると、ハルメニウスは静かにうなずいた。

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