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第111話 深天再び

 学園での戦いのあと、北朱里は悩み続けていた。金色の武具アースセーバーで戦ったときの感覚は、今もハッキリと脳裏に焼きついている。

 それまでは、つかみ合いのケンカさえしたことのない、ただの女子高生だった自分が、恐ろしい怪人を相手に、臆することなく立ち向かい、あまつさえ圧倒したなど、今でも信じ難い話だ。

 それでも、あれが夢や幻でないことはハッキリとしている。

 もちろん、あんな事ができたのは、金色の武具アースセーバーがあったからこそだが、それはつまり、あれさえ手にすれば、朱里はこれからも恐ろしい怪物と戦うことが可能だということだ。

 ならば、自分はそうするべきなのだろうか。

 しかし、それは命がけの行いだ。

 死と隣合わせの世界に身を投じるなど、考えただけでも恐ろしい。それに、そんなことをして、もし命を落とすことになったら、残された家族が、どれほど嘆き悲しむことか。それを考えると、どうしても二の足を踏まざるを得ない。

 これについて、朱里は希美にも相談を持ちかけてはみたが、彼女はただ一言、


「それは朱里が決めることだ」


 と言っただけで、道を示してはくれなかった。


(そもそもわたしは、それをしたいのかしら?)


 悩み抜いて自問自答すれば、その答えはノーだ。

 それでも何かが心に引っかかって納得できない自分がいた。

 転機が訪れたのは、そんなある日のことだった。



 朝の学校には未来を含めて地球防衛部員の姿はなかった。


「事件か? 事件なのか!?」


 教室をうろうろしながら焦った顔で繰り返す藤咲。

 朱里と目が合うや否や、机や椅子を蹴散らすような勢いで駆け寄ってくる。


「おいっ、何か聞いてないか!?」

「事件だって言ってたよ」


 希美から聞いたとおりに答えた。


「どこでどんな事件が起きて、今どこにいるんだ!?」

「知るわけないでしょ」


 素っ気ない態度を取る朱里。実際には少しばかり話を聞いていたが、この男に説明するのは面倒である。

 しかし、彼は机の上に両手をつきながら、すがるように身を乗り出してきた。


「けど、事件だってことは聞いたんだろ!?」


 朱里はのけぞりながら、両手で藤咲の顔を押し戻す。


「そうだけど詳しい話までは分からないよ。あと、部室にコカトリスを置いたままだから、ご飯をあげてくれって」

「ニワトリなんてどうでもいいんだよ! 未来さんのピンチなら俺が駆けつけないと!」

「どうでもよくはないし、ピンチとは限らないでしょ」


 冷静に告げる朱里だが、冷静ではない藤咲には通じない。


「よし、とにかく部室に向かおう。そこに何か手がかりがあるはずだ!」


 言うが早いか猛然とダッシュして教室を飛び出していく。

 嘆息する朱里。彼女は希美から部室の鍵を預かっているが、藤咲は持っておらず、ひとりで行ったところで入れるはずもない。面倒くさいとは思ったものの、予鈴まではまだ時間もあり、ほったらかしになっているコカトリスのことも気になっていたので、ゆっくり後を追うことにした。

 廊下に出れば、グラウンドから朝練に精を出す運動部員の声が響いてくる。

 学校という場所にありながら、授業も何も課せられていない自由な一時。朱里はこの時間が好きだった。何かが始まりそうな予感に少しだけ心がウキウキするのだ。

 だからこそ一般の生徒よりも、少しばかり早めに登校するようにしているのである。

 一方の藤咲がどうしてこんなに早くに来ているのかは知らないが、大方の想像はつく。

 少しでも長く未来と一緒にいるためだ。

 彼女の登校時間はさほど早くないというのに、毎日ご苦労なことである。

 ちなみに小夜楢未来の名前については、以前襲撃されたクラスメイトの頭には、きっちりとインプットされたままだ。

 髪型を変えて眼鏡をかけてもバレバレなのである。

 それでも彼らが騒がないのは、あらかじめ希美が簡単な説明をしたからだ。


「彼女は悪い奴に操られていたんだ。本来ならば君たちの記憶は魔術で消さなければならないんだが、それは嫌だろ? だったら気づかないふりをしてくれ。誰も騒がなければ、その手の組織も介入してこない」


 とのことである。

 あえて希望者がいるならば記憶を消しても良いと希美は言っていたが、やはりそれを選択する者はいなかった。

 幸いというべきか、未来とはクラスも違うため大きな問題は起きていない。

 どうしてあれほど希美に似ているのかは、朱里も気になっていたが、本人が言うには他人の空似らしい。

 考えごとをしながら歩いているうちに朱里は部室の前まで辿り着いていた。

 見れば、藤咲はそこでうつ伏せに倒れていて、その頭を見覚えのある女生徒が踏みつけている。

 小首を傾げつつ、朱里は女生徒の名を呼んだ。


「聖さん?」

「あら、お久しぶりね、北さん」


 以前と変わらぬ調子で答える深天。長い間会っていなかった気がするが、セーラー服も小ぎれいでやつれた感じもない。

 どうして藤咲を踏んでいるのかは分からないが、どうせ彼が馬鹿なことをしたんだろう。そう判断して気にしないことに決める。

 朱里は預かっていた鍵を取り出すと、それを使って部室のドアを開けた。


「雨夜さんは?」


 深天に訊かれて朱里が答えようとすると、突然室内からコカトリスが飛び出してきた。慌てて受け止める。この興奮具合を見ると寂しい想いをしていたのかもしれない。朱里がそっと背中をなでつけてやっていると、やや固い声で深天が答えを急かしてきた。


「雨夜さんたちはいないのですか?」

「うん。昨日遅くに槇村って人が見つかって、その人と一緒にどこかに行ったみたいなんだけど」

「しまった……」


 つぶやいた深天の表情は深刻なものに見えた。

 嫌な予感を覚えつつ、朱里はひとまず疑問に思ったことを訊ねる。


「聖さんは、今までどこに? みんな心配してたんだよ」

「わたしが人造生命体ホムンクルスだったということは、あなたも聞いているのではないですか」

「うん、それはまあ……」


 陽楠学園での戦いには朱里と藤咲も参加していた。朱里自身は屋上での決戦には参加しなかったが、戦いの後、おおよそのあらましは聞かされている。

 深天は哀しげな顔で自分の両の手の平を見つめた。


「わたしのこの身体は作り物で、記憶まで偽りのものだったのです。それを知ったわたしが、どんな気持ちになったか、あなたに想像がつきますか?」

「えーと……ぜんぜん」


 やや迷いはしたものの正直に答える。


「でしょうね」


 やるせなく首を振る深天。


「ショックでした。ショックという言葉では足りないくらいに」

「そう……なんだ」


 朱里が戸惑ったのは、なんとなく深天の態度が芝居がかっていたからだ。


「わたしは絶望しました。だって、これまで信じてきた世界がひっくり返ったんです。冷静に考えれば三ヶ月にも満たない時間でしたが、それでもその間わたしは自分が人間だと思っていたのに……」


 フラフラと部室の中に歩み入ると、手近な机に両手をついて続ける。


「……それが実は造られた存在で、人間のように老いることもなければ寿命もなく、未来永劫この美貌を保ったままで、これからずっと面白おかしく生きていく運命さだめだったなんて……」


 ガックリとうなだれる深天。

 朱里は平静を保ったまま告げた。


「とりあえず、案外平気だったってことはよく分かったわ」

「なんつう鋼のメンタルだ」


 呆れたように藤咲が言う。ついさっきまで床に這いつくばっていたはずだが、いつの間にか立ち上がって朱里の横に並んでいる。


「絶対に落ち込んでるだろうと思って、わざわざ逃げ出さないように後ろから襲いかかったのに、心配して損したぜ」

「心配はともかく、なんで襲いかかるかな?」


 首を傾げる朱里。

 その視線の先で深天は思い出したように顔を上げた。


「それどころではありませんでした。彼女たちが危険です」

「え?」


 朱里はもちろん、藤咲も急に真面目な顔になる。毎度のことではあるが、この露骨な変わり身は未来が関係していることだからだろう。


「どういうことだ、深天?」

「あの事件の後、わたしと槇村は矢満田に匿われていたのですが……」

「矢満田?」

「矢満田慚愧です」

「あのヒョロイのか……」


 藤咲はそんなふうに表現したが、背が高くて手脚が長いために、そんな印象を受けるだけで実際にはまったく細身ではない。


「あの事件の後、さすがにしばらくは落ち込んで食事も喉を通りませんでしたが、先ほども申しましたように、たかだか三ヶ月足らずの勘違いでは絶望とまではいかなかったのです」


 深天はことさら簡単に言ってのけたが、本当は苦しみ抜いた果てに見出した結論なのではなかろうか。朱里にはそう思えたが、あえて口を挟まずに話の続きに耳を傾ける。


「そうしてわたしは気を取り直しましたが、槇村はずっと鬱ぎ込んだままでした。慰めても、励ましても、なじっても効果がなく、さすがにこのままではいけないと思って、無理やりにでも連れて戻ろうと思ったのですが……」

「今ちょっとおかしな発言があった気がするんだが?」


 藤咲が半眼でつぶやくが、深天は不思議そうに首を傾げる。


「どのあたりがですか?」

「なじってもってところだよ。何でお前は失意のどん底にある男をなじるかな……」

「ただのショック療法です。同じ苦しみを味わったわたしが立ち直っているというのに、いつまでもウジウジされれば見ているこちらまで憂鬱になりますので」

「結局そっちが本音だろうが。お前ら女はどうにも勘違いしているが、男心ってのは結構繊細でデリケートなものなんだぜ」

「本当にそうであったなら良かったのですが……」


 深天はやや含みのある言い方をして目を伏せた。

 顔を見合わせる朱里と藤咲。

 肩で大きく息を吐いた後、深天はより詳しい事情を話し始めた。

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