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第112話 急転

 陽楠学園の屋上から闇夜に紛れて逃げ出した深天と槇村は、慚愧に拾われる形で臨海都市の外れにある無人のビルへと逃げ込んだ。

 この辺りではさほど珍しくもない六階建てのビルだが、テナントのひとつも入っておらず、彼らの他には誰もいない。


「こんな人口密集地のすぐ近くでは、すぐに見つけられてしまうのではないですか?」

「逆だ。人目につきにくい場所ほど、プロは目を光らせている。むしろ、こういった人の多い場所にこそ、奴らの死角があるものなのさ」


 深天にはピンと来ないが、実際これまで、それらしい相手に見つけられたことは一度もない。目立つ慚愧が平然と出歩いているのにだ。


「でも、こんなふうに電気もガスも水道まで使い放題で良いものなのかしら?」


 生来の人の良さから深天がつぶやくが、これに慚愧は意外な答えを返した。


「構わんさ。どうせ俺のビルだ」

「え……?」


 硬直する深天に気づいてふり返ると、慚愧はひと言つけ足す。


「安心しろ。名義は変えてある。金を払っているのは俺だがな」

「いえ、そういうことで驚いたのではないのですが……」


 つぶやきながら慚愧の後に続いて部屋の出口へと向かう。

 たとえ水や電気が使い放題でも、生活するためには食料を始めとする日用品を調達しなければならない。

 立ち止まって振り向けば、槇村が部屋の奥の壁際に背中を預け、両足を放り出したまま無気力に項垂れている。


「まるで落ち武者ね……」


 槇村だけのことを言ったわけではないが、このままでは彼はダメになってしまうように思える。しかし、少々キツくあたってみせても効果はなく、その反省から深天はなるべくやさしく聞こえるように告げた。


「必要なものを調達してくるから留守番を頼むわよ。ついでに何か美味しいものを買ってくるわね」


 そのまま部屋を出た深天は、最寄りのエレベータで一階に降りたが、そこで買い物用のメモを忘れたことに気がついた。


「ごめんなさい、すぐに取ってきます」


 その場に慚愧を待たせて慌ててとって返す、深天。

 再びエレベータで五階に戻ると、絨毯が敷かれた廊下を小走りに駆け抜けて、生活の場として利用している五階の一室に舞い戻った。

 すると、槇村しかいないはずの部屋から、怪しげな女の声が聞こえてきたのだ。


「ようやく力は回復した。あとは本来の器を奪い返すだけだ」


 聞き覚えのある女の声だ。


「では、あの女がひとりの時を狙って……」


 こちらは間違いなく槇村の声だが、沈んだ様子ではなく落ち着いている。微妙に声のトーンを抑えているが、それはこれが密談だからだろう。

 深天が困惑している間にも会話が続く。


「いや、ここで捕らえたところで、あの祭壇はもう使えまい」

「ですが、他に神降ろしの場となると……」

「ひとつ、心当たりがある」

「それは?」

「ここより遙か北の大地、御古神村だ」

「御古神村」

「そうだ、この世界に神獣が召還されたのは一度きりではない。かの地においても別の者によって召還が試みられたことがあるのだ」


 深天は戦慄していた。もはや疑いの余地はない。槇村が話をしている相手はハルメニウスだ。


「誰だ?」


 ふいに女がつぶやく。

 動揺したからといって物音を立てた覚えはなかったが、その女は敏感に気配を感じ取ったらしい。


(しまった……!)


 焦る深天だが、身を隠す暇はなかった。眼前で扉が中から吹き飛ばされる。中に居た女が魔力の圧力だけで扉を破ったのだ。視線を妨げるものがなくなり、その相手と正面から対面することになる。


「イブ・ゼロフォーか」


 無感動に言ったのは深天と同じ顔、そして同じ声の持ち主だ。自分と同じ人造生命体ホムンクルスの一人だが、問題はその中身だ。


「槇村、これは……」


 深天が名を呼ぶと、槇村は立ち上がって振り向いた。ずっと鬱ぎ込んでいたのが嘘のような、さっぱりした顔をしているが、口元に浮かべた笑みはひどく歪だった。


「聞いてのとおりさ、深天。この御方は僕らの神、ハルメニウス様だ」

「違う、そいつは神などでは――」


 深天が言いかけると、槇村は途端に激昂した。


「不敬だぞ、深天!」

「槇村……」


 深天は息を呑んだ。今の彼はどう見てもハルメニウスの狂信者だ。


「槇村、その女は殺せ。もはや使い道はない」


 冷ややかにハルメニウスが告げると、槇村は即座に恭しくうなずく。


「かしこまりました、我が神よ」


 迷ってる暇はない。槇村は完全に本気だ。判断を下すと同時に深天は後方に跳躍して廊下に飛び出した。


「待て!」


 背後で槇村が怒声を上げるが、待てるはずもない。廊下を転がって身を起こすと、魔力で強化した身体機能を駆使して深天はガラス窓を突き破った。そのまま五階の高さから地上まで一気に飛び降りる。

 だが、槇村も同じ方法で後を追ってきた。しかも両手に長柄の鎚矛メイスを握りしめている。


「槇村、やめなさい!」


 叫んだものの、槇村はまったく躊躇することなく鎚矛メイスで殴りかかってくる。

 かろうじて避けるが、狙いを外したメイスがビルの壁を大きく陥没させた。

 あんなものをまともにくらえば一撃でお陀仏だ。


「次は外さん!」


 血走った目で槇村が宣言する。


「槇村……」


 かつては仲間だと信じ、いつしか弟のように思っていた少年に殺意を向けられて、さすがの深天も動揺を抑えきれなかった。

 しかし、一方の槇村は何の躊躇いもなく鎚矛メイスを手に踏み込んでくる。

 反応が遅れて息を呑む深天。

 だが、横から現れた大きな影が槇村を盛大に蹴り飛ばした。


「うわぁぁぁぁっ!」


 素っ頓狂な悲鳴をあげて地面を転がる槇村。

 蹴り飛ばした人物は顔を向けることなく深天に訊いた。


「無事か?」

「矢満田!」


 深天が名を呼ぶと、それで安心したのか、彼は油断なく槇村を見据えたまま口を開く。


「慚愧と呼んでもらいたいが……それよりもこれはどういうことだ?」

「それが……」


 どう説明すべきかと考える深天だったが、槇村はその隙に身を起こすと、今度は脇目も振らずに逃走に転じた。

 さすがに慚愧には敵わないと彼も理解しているようだ。


「待ちなさい!」

「追うか?」


 慚愧に訊かれて、深天はすぐにうなずいた。


「はい、捕まえてちょうだい!」


 こうしてふたりは一転して彼を追う側になった。

 気になるのはハルメニウスの動きだったが、階上を見上げてみても部屋から出てくる様子はなかった。

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