希美と朋子があの場にいたのは移動中にマリスと遭遇したためだった。
飛行能力を備えた強力な個体で、討伐には成功したものの、トンネルに逃げ込んだ挙げ句、内壁に深刻なダメージを及ぼした。そのため、希美は円卓の応援が駆けつけるまでの間、落盤が起きないように魔術で天井を支えていたのだ。
ようやく引き継ぎが終わって、一息吐いていたところに朱里たちが現れ、再出発するに至ったというわけである。
現在、朋子のサイドカーと慚愧の車は白バイに先導されており、左右に割れた車両の波を縫うよう走っている。
『深天が無事だったのはいいけど、槇村の方がアレだったとはな』
サイドカーの側車で希美が声に出さずにつぶやいた。
『すみません、わたしが雲隠れしたせいでこんなことに』
深天の声が脳裏に響く。
これが希美が施した念話の魔術の効果だ。一時的にテレパシー能力を与える術だが、術に参加した者以外と会話することはできない。有効範囲もせいぜい数百メートルといったところで、周辺の魔素の乱れで簡単に使えなくなってしまう。それでもこういった状況下で話し合いをするには最適だった。
『あんなことがあったんだから、しかたがないよ。それよりもハルメニウスが生きていたなんて迂闊だったな』
すぐ隣にいる朋子の声がテレパシーで全員の意識に届く。
『だが、今までどうやって隠れていたんだ? 深天のそっくりさんの中に逃げ込んだにせよ、相当に弱体化していそうだが』
疑問を抱く希美。
弱体化していなかったのであれば、そもそも隠れる必要もなかったはずだ。
『ですが、わたしが感じた気配は相当なもので、底知れぬ強大さを感じました』
深天が実際に遭遇した時の印象を説明する。
続いて藤咲の声。
『待っていて下さい、未来さん。俺が必ず助けに行きます』
『そんなこといちいち言わなくていい』
流れを無視した発言に希美は顔をしかめた。
『あれ? テレパシーになってたか?』
この魔術の欠点だ。上手く意識を操作しないと伝えたいことが伝わらなかったり、考えていることが全部他の人に伝わってしまったりすることがある。
『ヤバイな、エッチなこととか考えられないぞ。希美のバニー姿はヒップが最高だったとかって聞かれちまったらタイヘンだ』
『聞こえているぞ!』
『うげっ……』
『サイテーだね、藤咲くん』
朱里のつぶやき。
『まあ、男ってのはそういう生きもんだ』
慚愧が苦笑する気配が伝わってきた。
ため息を一つ吐いてから希美が話を戻す。
『とにかく不思議な話だ。本来あいつは小物のはずなのに、実はあの時召還した力を取り込んでいたのか? けど、その力を維持したまま逃げたのなら、見落とすはずがない』
『確かにな。あんたはもちろん、西御寺篤也だってその道のプロだ』
慚愧が答える。
続いて藤咲が、またもや場違いな思念を発した。
『胸の谷間もくっきりだったなぁ』
再び顔をしかめる希美。
気にせず、朋子が続ける。
『方法は分からないけど、あらかじめ失敗したときの段取りをしていたのかもね』
『弱体化していたのであれば、行方不明のイブ・ゼロスリーに入り込んで、そのまま逃げたと考えれば筋は通るんだが……』
希美は腕を組みながら、その夜のことを回想する。
イブ・ゼロスリーは学校の坂道で、朋子が戦った敵だ。希美は顔も合わせていないが、聞いた話によれば朋子によって行動不能に追い込まれたとのことだった。
『朋子先輩と戦ってあいつが死ななかったのは先輩が手心を加えたからだ。でも敵の立場で考えると、殺されている可能性だってあったはずだ』
『では、やはり計画的なものではなくて、咄嗟のアドリブだったのかもしれませんわね』
深天もそう考えたようだが、そうなるとやはり
続いて藤咲が疑問を口にする。
『網タイツってなんであんなにエロいんだろ』
まったく関係のない疑問だった。
希美は自制して無視を決め込む。
同様に素知らぬ調子で深天が話を続けた。
『状況を考えれば、あれは最初、槇村の中に入り込んだのかもしれませんわね』
地球防衛部が儀式を阻止した時、その場にいたのは槇村の方だ。イブ・ゼロスリーは受けたダメージを考えても、その場からあまり動いていなかった可能性が高い。
『エナメル製ってのが、またツボだよなぁ』
『俺は魔術には詳しくないが、そう簡単に宿主を変えられるものなのか?』
慚愧の問いかけに希美が答える。
『儀式なしでは完全な定着はできないはずだが、逆に言えば不完全だからこそ、乗り換えは容易なのかもしれない』
『なら、槇村が豹変した最大の原因はそれかもしれんな』
『ええ、教祖様のお力で一命は取り留めましたが、あのとき槇村は
テレパシーではあるが、深天の声は沈んでいた。
『追い詰められたハルメニウスを槇村自身が呼び込んでしまったか……』
あの時、ハルメニウスは目も見えていなかったはずだ。魔力的な感覚を頼りに動いていたのだろうが、魔素が荒れ狂う屋上ではそれすら満足に機能しなかったはずだ。
そんな状況下で、逃げ込むべき身体を見つけ出せるとは思えない。
しかし、槇村自身が救いを求めて呼び寄せたのであれば話は別だ。
その後、どういった経緯でイブ・ゼロスリーに乗り移ったのかまでは分からないが、元々彼女はハルメニウスのシモベだった。失敗した場合に落ち延びる場所でも決めてあったならばそれで説明はつく。
『できれば生で見たかったぜ』
相変わらず脱線したまま雑音をまき散らしている藤咲。
いらつく希美だったが、はたと気づく。
『待て、それはどういう意味だ!? そもそもお前にはまったく見せていないはずだ!』
『ヤベッ』
藤咲の慌てた気配が伝わってきた。
『黙秘黙秘黙秘黙秘』
心を閉ざそうとしているようだが、完全にやり方を間違っている。
『未来か!? あいつが写真とか撮っていたのか!?』
『大丈夫、俺は喋りませんよ、未来さん』
『聞こえたぞ!』
『うげっ』
『お前らあとでしばく! ふたりまとめてしばく!』
憤怒の声を響かせる希美。
「どうどう、落ち着いて希美ちゃん」
朋子の声は、すぐ隣からかけられた肉声だった。
「ただでさえ、魔力をいっぱい使って疲れてるんだから、興奮しちゃダメだよ」
「朋子先輩……」
やさしい笑顔に癒やされる想いの希美だったが、
『なんとかして、その写真を手に入れられないかなぁ』
伝わってきた思念はどう考えても朋子のものだった。
「手に入れてどうするの!?」
「ありゃ、聞こえちゃった?」
「そもそも先輩、時々目つきが怖いのは、やっぱりそういう趣味だったりするんですか!?」
「いやいや、違うって。わたしの嗜好はノーマルだよ。大事な後輩との思い出をカタチにして持っておきたいって思っただけで」
「本当ですか?」
疑いの眼差しを向ける希美。
「うん。わたし、希美ちゃんのこと大好きだから」
「どういう好きかな……」
「純粋な好きだよ」
運転中なので前を向いたままだが、朋子の横顔に浮かんだ笑みは爽やかで、不穏さを感じさせないものだった。
「ならいいですけど……」
「ありがとう。大切にするよ」
「写真を持ってていいって意味じゃない~~~っ」
慌てて叫ぶ希美だったが、朋子は聞こえないフリをしているようだった。