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第115話 エクウス

「なにこれ?」


 思わずつぶやく朋子。

 ひらひらと舞い落ちる雪、そして目の前に広がった雪原を前にして一同は目を丸くしていた。すでに白バイとは別れて、寂れた道を進んでいたのだが、思わぬカタチで行く手を阻まれることになってしまった。


「ただの雪じゃないな。魔力を感じる」


 希美の見立てに慚愧がうなずく。


「ああ、ハルメニウスとやらの仕業だろう。季節外れもいいところだ」

「めちゃ寒い」


 言葉通り震えながら、藤咲は慌ててマントを羽織り直す。

 それを見て朱里が苦笑した。


「最初からちゃんと着ておけば寒さなんて感じないのに」

「確かに、このマントは優れものですわね」


 頷きを返すと深天はマントを身につけていない慚愧に気づかうような視線を向ける。


「あなたは大丈夫ですの?」

「俺は人造生命体ホムンクルスの技術を応用した改造人間だからな。お前たち以上に暑さ寒さへの耐性は高い」

「今さらだけど、あなたは何者なの?」


 朋子に訊かれて慚愧はどこか遠い目をした。


「俺は己の無力さゆえに、ありもしない幻想にすがろうとしたバカな男さ。失われた命が二度と戻らないことなんざ、子供でも理解してるっていうのに、それを受け入れられなかった」

「魔術は世界の摂理を覆すものではない。世界の摂理に基づいて行使されるものだ」


 希美の口調は教科書の一文を諳んじるような調子だった。

 一同が視線を向けると、それに応えるように付け足す。


「お父さんの口癖だ」


 つぶやいたあと、さらに続ける。


「でも、これは真理ではない。戒めの言葉だとも口にしていた。時に魔術は、この常識を覆すけど、それは人が望んでいいことじゃないって……」

「なるほど、賢明な人だな」


 うなずきつつ慚愧は自嘲の笑みを浮かべた。


「確かにあのハルメニウスとやらには常識を覆す力があったのかもしれねえ。だが、本当は俺にだって分かってはいたんだ。それを望むことを、あの人は喜びはしない。ハルメニウスが力を得るために犠牲を必要とするならなおさらだ」

「それって、あんたの恋人なのか?」


 藤咲が訊くと、慚愧は大きく頭を振った。


「いや、そんな気持ちを抱くなんて大それた話だ。彼女は俺の主人だったからな」


 やるせない笑みを浮かべた男の横顔を希美は淋しげに見つめている。

 この時も、朋子はやはり気がついていた。

 希美が本当なら覚えていないはずの「父親」の話を口にしたことに。


「なんにせよ、ここから先は車もバイクも進めませんわ」


 深天は途方に暮れるように目の前の雪原を見つめた。前が見えないというほどではないが、舞い落ちてくる雪で視界は白く煙り、それは確実に広がりつつあるようだ。


「みんな、乗馬の経験はあるか?」


 唐突に希美が訊いた。


「ああ」

「うん」


 慚愧と朱里がうなずく。

 朱里については意外だったが、親戚が北の方で牧場を経営していると聞いて納得した。残念ながら朋子は本物の馬にはふれたことすらない。

 希美は質問の意図について説明するより先に、金色の鎌プレアデスを使って、雪の上に魔法陣を描き始めた。

 鎌の柄がなぞるラインが魔力の赤い光彩を発していく。高密度の術式が空間を埋め尽くすかのように描き出されていくのが朋子にもハッキリと見えた。


「ほう……」


 感嘆の声を漏らしたのは慚愧だ。

 どうやら彼は朋子よりよほど魔術に関する知識があるようだ。朋子には未だ希美がしようとしていることが分からない。

 希美は固唾を呑んで見守る朋子たちの前で陣を書き終えると、最後に鎌の柄で軽く突いた。涼しげな音を立ながら、魔法陣がスライドして三つに増える。


「出てこい、エクウス」


 希美の声は期待していたほど高らかではなかった。

 しかし、それで生じた現象は圧巻だ。

 魔法陣のそれぞれから、頭を突き出すようにして、大型の獣が姿を表そうとしている。


「なんだぁ?」


 身をのけぞらせる藤咲。

 朋子も驚きはしたが、話の流れを考えれば、それが何であるのかはすぐに判る。


「馬……だよね?」


 疑問符がついたのは、その獣が魔力の燐光を纏っていたからだ。馬だとしても、ただの馬のはずはない。

 一同が見守る前で、その馬型の獣は魔法陣の中から突き出した前足で力強く大地を踏みしめ、後ろ足を引きずり出すようにして、魔法陣を抜け出した。

 躍動感を感じさせるフォルムが露わになり、大きく身震いする。


「魔術で生み出した疑似生命体、エクウスだ」


 希美がそのうちの一頭にふれると、その馬は気持ちよさそうに目を細めた。


「これはマリスなのですか?」


 深天が問う。実際、朋子も真っ先にそれを連想したが、希美がそんなものを作り出すはずがない。


「考えようによっては親戚みたいなものだけど、こいつはマリスと違って歪んだアイテールではなく、真っ当なアイテールから生み出したものだ。命令には忠実だから心配しなくていい」

「魔術ってモンスターまで作り出せるのかよ……」


 眉をひそめる藤咲。

 希美はそれを見て苦笑した。


「こんなのでビビってたら、未来とはつきあえないぞ。あいつはこの手の術が得意なんだ。土塊に仮初めの命を吹き込むこともできるし、その気になれば正真正銘のマリスだって生み出せる」

「べ、べつにビビったわけじゃねえよ」


 言い返すと藤咲は目の前のエクウスに近寄って、そこで固まった。


「これ、さわっても大丈夫かな?」


 引きつった笑みで希美に訊く。


「さわらないと乗れないだろ」


 希美は肩をすくめてくすりと笑った。

 朋子は思いきってエクウスの頬に手を添える。伝わってきた感触や体温は実物そのものだ。希美にふれられた時と同様、小さく鼻を鳴らして気持ち良さそうに目を細めている。


「おおっ、ちょっとカワイイかも」

「こいつは空こそ飛べないが、地表からやや浮いたところを駆ける力がある。幸い、乗馬経験者がわたしを含めて三人いることだし、ここから先はこいつで進もう」


 希美が言うと、藤咲は先ほどとは打って変わって感動したように目を輝かせた。


「すげえな! 空中を走れるのかよ!」

「少し浮く程度だけどな」

「それでもすげえよ! よし、早速乗らせてもらうぜ!」


 藤咲は意気揚々と馬の背中に手をかけて、颯爽と跳び乗ろうとするが、ただでさえ大柄な馬に素人が上手く乗れるはずはない。上手くいかずにズルズルとずり落ちた。


「あれぇ~~?」


 首を傾げる藤咲。

 それを朱里が面倒くさそうに押しのける。


「もう、何してるのよ。どうせ藤咲くんは乗れないんだから、あとにしてちょうだい」


 朱里は藤咲とは対照的に器用に馬の背中によじ登ると、危なげなく鞍に跨がった。その上で藤咲に手を差し伸べる。


「ほら、藤咲くん」

「女の後ろってのは格好がつかねえなぁ」


 藤咲は愚痴りながらも朱里の手を借りて、今度はなんとか無事に彼女の後ろに跨がった。

 同じように深天が慚愧の後ろに、朋子が希美の後ろに跨がり、コカトリスは希美の膝の上に陣取る。


「なんで付いてきてるんだ、お前は?」


 今さらながらに首を傾げる希美だが、もちろんコカトリスは答えない。目を細めたまま知らん顔をしている。どことなくすっとぼけているかのような表情だ。

 朱里が申し訳なさそうに告げる。


「ごめんね。ニワトリのお世話を頼める人って思いつかなかったから」

「い、いや、気にしないで。言われてみれば当然だし」


 希美は慌てて朱里に告げた。もともと何かと絡んでくるコカトリスに愚痴っただけで、彼女を咎めるつもりなどなかったのだろう。

 まずは慚愧が先頭に出て、ゆっくりと馬を走らせ始めた。

 乗馬の経験があるとはいえ、普通の馬ではないため、まずは様子見だったのだろう。すぐに問題がないと分かると、彼は仲間の様子を確認した上で馬を加速させた。

 それを追いかける形で朱里も馬を加速させる。

 希美は言うに及ばず、慚愧も朱里も見事な手綱捌きだ。

 魔術で造り出された不思議な馬エクウスたちは、舞い散る雪を蹴散らしながら雪原を猛スピードで疾走していく。おそらく先ほどまで乗っていた車よりも速い。乗り心地は悪くないが、さすがに無駄話はできない。ヘタをすると舌を噛みかねないからだ。従って一行は黙々と前進を続けた。

 やがてその行く手を遮るように地図にない雪山が現れる。迂回することは可能だったが、さすがに不審に思ったのだろう。

 慚愧が馬を止めると、希美と朱里ともそれに倣った。

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