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第116話 アンブレラ

 仄かな光が薄暗い場所を照らし出していた。

 ここはハルメニウスが常識外れの魔力で造り出した雪山の地下だ。

 神を名乗るあの敵が空中に作り出した膨大な雪の塊を頭上から降らせたとき、篤也は咄嗟に未来が手にしていた金色のステッキに手を伸ばした。

 それがそこにあったのは、もちろん偶然ではない。裏切ったふりをしたエイダが、絶妙な位置へと放り投げてくれていたからだ。

 ステッキを手にした篤也は素早く柄の部分を回転させて、その形状を傘へと変形させた。

 これこそが、この武器――アースセーバー金色の傘アンブレラの本当の姿だ。

 耀を抱き寄せて傘を開いた篤也は、それが形成する円錐状の防御結界によって、完璧に守られていた。

 もともとこの金色の武具アースセーバーは防御にこそ真価を発揮するものだったのだ。

 当然ながら傘の上には想像を絶する加重が加わっているはずだが、金色の傘アンブレラを握った篤也の手には何の重みも伝わってはこない。使っている篤也でさえ、目を疑いたくなるほどの防御性能だった。


「まさか、こんな奥の手があったなんてね」


 疲れた顔で耀がつぶやく。

 あの一瞬、おそらくは死を覚悟したのだろう。悪いとは思うが、敵の目の前で、このことを説明するわけにはいかなかった。


「正直、本当に裏切ったのだと思ってしまったけど……」

「エイダにとっても苦肉の策だったのだろうが、ハルメニウスが尊大で助かった」

「尊大で?」

「ああ。奴はエイダの裏切りを信じたわけではないはずだ。ただ、その尊大さゆえにエイダひとりが手のひらを返したとて、どうにでもできる気でいるのだろう」

「実際どうにでもできそうだわ。あの力では、わたしたちなんてとても……」

「ひとまず、脱出して救援を呼ぼう」


 傘の柄を握り直して念じると、それは重たい雪を平然と掻き分けながら、結界もろとも上昇していく。


「すごい力ね」


 耀の口調は感心を通り越して呆れているようだったが、規格外のこの力を見せつけられれば、そんな気分になるのも頷ける。

 魔術師でさえ、普通の人間から見れば不可能を可能にする力を持つが、その魔術師でさえ、どうにもできないことを簡単にやってのけるのだ。

 円卓の中には、これらを「奇跡を起こす武具インクレディブル・アームズ」と称する者たちがいるが、それも頷ける話だ。


「けど、篤也くん。あなたはどうしてそんなに愉快な性格になってしまったの?」


 今さらながらに訊かれて篤也は軽く肩をすくめる。


「私はすぐに思い詰めるタイプだからな。本来の自分とかけ離れた別の自分を演じることで、心の余裕を保っているのさ」

「やっぱり演技だったのね」


 それには納得しつつも、耀は小首を傾げるようにしてしかめっ面を向けてくる。


「でも、だからってセクハラ教師はないでしょう」

「しかたがあるまい。雨夜のリクエストなのだ」


 これもまた演技の一環だったのだが、耀は真に受けたらしく、トゲのある視線を向けてきた。


「いったいあの娘とどういう関係なのよ? やたらとベタベタしてるけど、まさか教え子とつき合ってるの?」

「いや、あいつとは教師と教え子以上の関係ではない。というか、私は雨夜には嫌われているのだが」


 素に戻って答えたが、耀はまったく信じない。


「篤也くん好みの黒髪美人だものね、あの娘」

「私の歳を考えろ。女子高生など、ただの子供だ」

「身体はオトナよ。それに、若い娘ってオジサンの大好物じゃない」

「そういう君も見た目は女子高生と大差ないだろ」

「中身はオバサンだけどね」


 耀の言いぐさに篤也は困り果てた。耀は完全にふてくされてしまっている。

 とはいえ、考えてみればすべて自業自得だ。篤也が道を誤ったせいで、耀の半生はハルメニウスに翻弄されるという暗澹たるものになってしまった。


(しかし、もし今からでもやり直せるのであれば――)


 篤也は耀の横顔を見つめた。

 幸いにも魔力保持者ゆえに彼女は今も若々しく美しいままだ。残された時間も普通の人間よりは、ずっと長い。

 迷った末に、真摯な想いで口を開く。


「耀。私はそれほど器用な男ではない。今も昔も、ただひとりの女しか愛せていない」


 告げると、耀はふり返って篤也を見上げた。

 もちろん彼女は覚えているはずだ。かつて、篤也が自分に向かって愛を告げたことを。時が止まったかのような静寂の中をじっと見つめ合う。

 耀の瞳には期待と不安が入り混じっている。狭い傘の下、彼女は篤也に顔を近づけてきた。


「篤也くん、わたし――」


 感極まったかのように彼女が何かを告げようとしたところで――

 ずぼっという間の抜けた音とともに、ふたりは地表に放り出された。

 金色の傘アンブレラが無事に雪の中を突っ切ったのだ。


「きゃあーーーっ!」


 耀のものとは異なる悲鳴が響き、篤也はその人物にのしかかるような体勢になってしまう。

 まるで押し倒したかのような体勢だ。慌てて立ち上がろうとして柔らかい何かに手を突く。


「いやぁぁぁーーーっ!」


 教え子の悲鳴が響き渡った。

 気がつけば篤也は希美の胸を鷲づかみにしていた。


「あーつーやーくーーぅぅぅん!」


 地獄から響く怨嗟のようなその声は、言うまでもなく耀のものだ。


「待て、耀。これは専門用語で、ラッキースケベという状況で――」

「そんな用語があるかぁぁぁっ!」


 叫び声とともに放たれたボディブローが篤也のみぞおちに突き刺さった。

 ただし、叫んだのは耀だが、一撃をくらわせたのは朋子だ。


「綺麗なフォーム!」


 朱里が感嘆の声をあげる。

 怒りの矛先をぶつけ損ねた耀は、やや唖然としていたが、彼女たちと一緒に深天と慚愧がいることに気づいて目を丸くした。


「あ、あなたたち……」

「お久しぶりです、教祖様。ご心配をおかけして申し訳ありません」


 わだかまりを一切感じさせない顔で、深天は深々と頭を下げた。

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