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第117話 彼らならば

 御古神村は廃村になって久しかった。

 もともと西御寺家の関係者だけが住んでいた村だったが、十年あまり前に起きた事件で大きな打撃を受け、そのまま放棄されたらしい。

 人々が去った後には取り残された家屋が寂しげな佇まいを見せていた。

 例外的に、そこから少しばかり離れた丘の上に位置する一軒家だけは、古いながらも手入れが行き届いていて、ハルメニウスはそこで人間さながらにくつろいでいる。

 現在、この村にも真っ白な雪が堆積しているが、雪はチラホラと舞い散るていどで風も穏やかだ。

 もっともそれは村の中だけで、外に出れば荒れ狂う吹雪に圧倒されることだろう。

 村の中と外には不自然な境界が生じており、ここから三百六十度をぐるっと見回せば、境界線が白い壁のように見える。

 魔術が生み出した自然ならざる光景だ。

 一軒家からやや離れた場所には、半ば雪に埋もれるようにして小さな石碑が建っていた。

 そのすぐ傍らに真っ赤な十字架が立てられていて、未来は冷たい鎖によって、そこに磔にされている。

 当然ながらマントは剥ぎ取られ、それどころか制服は引き裂かれて、またしても扇情的な衣装を身につけさせられていた。いかにも生贄といった、この手の装束には魔術的な意味合いを強化する働きがある。

 幸い、エイダがいたために、槇村の手で着替えさせられるというような事態にはならなかったが、どうやら彼はそうしたがっていたようだ。

 首には例によって魔力封じの封環をはめられて、それもまた首輪のような代物だ。

 篤也の言ったように槇村はSM趣味の男なのかもしれない。くわえさせられている箝口具にしても、そういうプレイに使うであろうボール型の物だ。

 吹雪が止んでいるとはいえ、こんな雪景色の中で暖かいはずもなく、寒さと惨めさが身に染みる。

 十字架の傍らにはエイダが立ち、さらには二体のセラフが見張りについていた。

 エイダのことは味方だと思いたいが、どうしても疑念がつきまとい、不安にさせられる。

 彼女がステッキを篤也たちの方に投げた意味は理解していても、そもそもこのような状況で未来を助けられるとは思えない。

 それに、もしエイダが本当に恋人を亡くしているのであれば、ハルメニウスが提示した条件はあまりにも魅力的だ。


(死者を蘇らせる……か)


 考えてみれば未来と耀も、その認識によってハルメニウスに操られたのだ。

 それが叶うならば、他の何を犠牲にしても構わない。

 言い訳のしようもないほどに利己的な発想でありながら、それを尊い考えのように錯覚させる。死者の復活とは人間をそんな気分にさせる猛毒だった。

 じっと見つめる未来の視線に気づいたのだろう。エイダは向き直って薄笑いを浮かべた。


「今さらこんなことを言うのもなんですが、あなたは希美とソックリですね。とくに、そういう恰好が似合うところとか」


 揶揄されて頬が紅潮するのを感じるが、言い返そうにも箝口具が邪魔で、くぐもった声しか出せない。


「知っていましたか? あの家は先生の実家だそうです」


 これは初耳だった。以前、結界の中にこの景色を造り出して篤也を苦しめたのは、他ならぬ未来だったが、あの術は人の心からトラウマを抜き出すだけた。その内容については、あえてそこに入り込まない限り、術者でも把握できないのだ。


「かつて、このあたりは極端にアイテールが薄い地方だったそうですが、それは四方に設置されていた要石かなめいしによって遮られていたからで、十年あまり前にそれが破壊されたことで、今は逆に霊脈の交わる土地となっているそうです」


 かつてのことなど知るよしもないが、現在のこの村には異常なまでのアイテールが満ち満ちている。

 西御寺篤也の実家かが存在する場所。つまり、西御寺家の管理する土地ならば、不思議のない話だが、それにしては活用されていないのが奇妙だった。


「要石を壊したのは、あなたのお爺さまだそうですよ」


 思わぬ人物の話を聞かされて未来は驚いた。

 祖父はもともと行方不明で生死も定かではなかったのだ。幼い頃には会ったことがあるらしいが、顔も覚えておらず、とっくに亡くなったものだと勝手に思い込んでいた。


「あなたのお爺さまは、あなたの実家が西御寺の手の者によって襲撃されたことを知って、復讐のために、この地で神獣の召喚を試みたそうです」


 これも初耳だ。未来は思わず声をあげかけたが箝口具が邪魔でくぐもったものにしかならない。

 エイダは未来の反応などお構いなしに淡々と話を続ける。


「召還そのものには成功して、西御寺家に大きな被害を与えたそうですが、結局それは不完全な状態だったようで、西御寺家は召還の鍵にされた天使の少女を殺すことで、事態を収束させたそうです」


 この事件について、今の今まで未来はまったく知らなかった。

 時期的に考えれば未来に先駆けて召還を試みたことになるのだが、どうやら未来と同じ失敗をして、神獣を不完全な状態で召還してしまったようだ。

 しかも、おそらく祖父は未来の生存さえ知らなかったのだろう。

 息子夫婦に孫娘まで殺されたと思い込んで、復讐に猛ったのだとしたら、自分のしたことは、さらに愚かなことに思えてくる。

 打ちひしがれる未来にはお構い無しに、エイダはそのまま話を続けた。


「重要なポイントは、ここが神獣召喚の地だということです」


 つまりは儀式のやり直しに最適の場所だということだ。

 あの時とは異なり、祈りを捧げる若者たちはいないが、ハルメニウスはすでに召還した力を取り込み終えている。未来の身体を乗っ取るだけならば、彼らは必要ないのだろう。


「あとは月の出を待って儀式を再開し、ハルメニウスは今取り憑いているイブ・ゼロスリーの身体から、あなたの中へと移るわけです」


 エイダの態度は情報を与えてくれているようにも、突き放しているようにも見える。

 だが、未来にはもうどうでも良いことだった。

 さすがにこの状況では、もはや助かる見込みはない。たとえ雨夜希美が駆けつけたとしてもハルメニウスの力は圧倒的だ。勝ち負け以前に戦いにもならないはずだ。

 惨めさと悔しさで涙が溢れ出して頬を伝い落ちていく。

 せっかく生き延びて、ハルメニウスの支配からも逃れ、夢のような時間が始まったと思った矢先に、この結末だ。

 磔にされたまま力なく項垂れ、あきらめかける未来。

 それでも脳裏に蘇る人々の姿があった。


(葉月くん……)


 愛しいその名を胸の裡で呼ぶ。

 それだけで胸の奥に希望の光が灯る気がした。

 彼と、その仲間たちならばハルメニウスに勝てる。

 彼らならば自分を助けてくれる。

 彼らならば……。

 その希望を砕くかのように、エイダが告げる。


「狡猾なハルメニウスはマリスをはなって希美たちを足止めしたそうです。おそらくは、それ以外にも邪魔な者たちが、ここに来られないように、数々の策を講じているのでしょうね」


 微かな希望は消え去り、夜のとばりが降りるかのように未来の心は昏く沈んでいく。

 たとえ、昴たちが神獣すら退ける力を持った猛者であっても、間に合わなければそれまでだ。

 彼らはきっと未来の仇は討ってくれるだろう。

 しかし、そんな彼らでさえ失った命は取り戻せない。それがこの世の摂理だ。

 その摂理を覆せるものが、あの邪悪なマリスだけだとしたら、それはあまりにも笑えない現実だった。

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