黄金色に染まった山間を縫うように走るアスファルトの上をサイドカーが軽快に走り抜けていく。
前方には円卓支部が用意してくれたマイクロバスが走っており、朋子と希美以外のメンバーは、そちらに乗っていた。
篤也は意外に愛車に思い入れがあったらしく、美剣姉妹に頼んで雪の中から掘り出していたが、案の定見事なまでにグシャグシャになっていて、しばし茫然自失となっていた。
その後、昴たちはすぐに鉄奈のテレポートで帰っていったが、希美たちはわざわざ普通の交通手段で住み慣れた町を目指している。
これは「家に帰るまでが部活」という、朋子部長の進言によるものだ。
もっとも、それは口実で、実際は希美の様子を窺うためのように思える。
往路と同じように朋子が運転するサイドカーの横で希美はグッタリと項垂れていた。
「もうお嫁に行けない……」
ぼそっと呟いたのが聞こえたらしく朋子がチラリと横顔を覗き込む。
「オーバーだなぁ。ちょっとくすぐっただけじゃない」
「わたし、縛り上げられたりして、ビジュアル的にかなりアウトだった気がしますけど……」
「ごめんごめん、ちょっとやり過ぎた。でも、もしもって時はわたしが貰ってあげるから安心して」
いつもどおりの笑顔でくすくす笑う。
先刻の朋子はいつになく真剣な顔をしていて怖かったが、今は機嫌も戻っているようだ。
「新しいトラウマができてしまいました……」
「でも逃げずにいてくれたよね」
つぶやく朋子の声には、実際に安堵しているような響きがあった。
「希美ちゃんが本気を出せば、いくら縛り上げたって簡単に逃げられるはずだから、怖かったんだよ、わたし」
「怖かったって……朋子先輩が?」
朋子は少しだけ躊躇うように間を空けた。運転中ということもあって前を向いたまま口を開く。
「先輩たちが卒業して二年生で部長になった時、本当はすごく不安だったんだ」
声のトーンが変わったことに気がついて希美は隣に顔を向けた。ハンドルを握る朋子の表情はゴーグルに西日が反射していてハッキリとは見えない。
「部員はわたしひとりで、先生が助っ人を手配してくれたけど、外国の人で、しかも現役の円卓の騎士って聞くと、怖いイメージしかなかった。もちろん、実物を見て安心したけどね」
くすりと笑う朋子。普段物怖じしない彼女が、そんなことを考えていたことを知って希美は驚いていた。
「とにかく、不安に負けまいと、入学式のあの日も空元気を総動員して部室に行ったんだよ。そしたらそこに
すんごい美少女と聞いて、一瞬誰のことかと思う希美だったが、話の流れを考えても自分以外にはあり得ない気がする。
「あれで一気にテンションが上がっちゃってさ。こんな綺麗な娘が入ってくれるなら張り合いもあるし、よっしゃガンバルゾォってね」
実際に左手を突き上げる朋子。
希美は申し訳なさそうに目を逸らした。
「すみません、その直後に逃げてしまって……」
「それはまあ、先生があんなこと言ったからね」
苦笑するが、それも一瞬ですぐにまた元気な顔で続ける。
「でも、うちの生徒だから学校にはいるわけだし、べつに心配はしなかったよ。
相変わらず表情はよく見えなかったが、その笑顔はキラキラと輝いているように思えた。
決まりが悪そうに希美が告げる。
「すみません」
「なんであやまるの?」
「実物を知って落胆したでしょうから」
「いやいや、むしろ逆だよ。だって、希美ちゃんって、わたしが考えていたよりもずっと面白い娘だったもの」
声を弾ませる朋子だが、希美としては微妙な気持ちだ。
「面白いって……珍獣的な?」
「それもあるかな」
「ひどい……」
「だって、食生活がアレだったもの」
「うっ……」
それ以来、学校ではいつもお弁当を作ってきてもらっていて、それだけでも朋子には頭が上がらない。
「でも、ものすごく強くて、戦いでは最高に頼りになって」
「それしか取り柄がないですから」
魔術を使った戦いにだけは自信がある。もともとプロの暗殺者チームを一方的に蹂躙するほどの実力者だったが、記憶を取り戻して以来、いつか地球防衛部で活躍する日のためにと研鑽を続けて、今では小夜楢未来を名乗っていた頃よりも数段上の実力者になっていた。
「そんなことないよ。希美ちゃんにはいいところがいっぱいある。でも、それを自覚していなくて、意外にナイーブで……」
さして昔のことではないはずだが、朋子はどこか懐かしむようにつぶやく。
「悩みごとを打ち明けてくれたときは本当に嬉しかったんだ。先輩として、ちゃんと頼りにされてるんだなって思えて」
もちろん希美も覚えている。あのとき朋子がいなければ、朱里とも上手くつきあえなかったはずだ。
「先輩には本当にお世話になってばかりですね」
今さらながらにしみじみと感じていた。
「そうだよ。だから……」
朋子の言葉が途切れる。胸の中に膨れあがった想いが大きくなりすぎて、吐き出せなかったかのように。
その横顔に息を呑む希美に、彼女は震える声で告げた。
「だから……お願いだから、わたしを捨てないでよ……」
ひどく淋しげな声が希美の鼓膜を揺らした。
うつむき、肩を震わせる。罪悪感が胸を締めつけるが、それ以上の何かが込み上げてきて感情を抑えきれなくなった。
「うっ……くっ……」
呻き声を上げる希美に気づいて朋子が驚いて声をあげる。
「希美ちゃん!?」
「ごめん……なさい……」
それだけ告げるのが精一杯だった。涙がボロボロ溢れて止められない。
朋子を傷つけたと知って、自分の愚かさを痛感するが、それ以上に自分のことで傷ついてくれたことが嬉しかった。
いつからか、ずっと忘れていた。
希美が誰かを愛するように、誰かもまた希美を愛することがあるのだということを。
やさしくしてくれた人はいた。
手を差し伸べてくれた人も。
その眩しさに焦がれながらも、相手の手を取ることができなかったのは、自分の価値を信じられなかったからだ。
自分が誰かに背を向けたとき、その相手が悲しむことは想像できた。それでも、その悲しみを実感したことはなかった。
だからこれまで出会った来た人たちにも平気で背を向けることができたのだ。
その愚かさを朋子の横顔は突きつけていた。
かつて父や母がそうだったように、この世界には希美を愛してくれる人がいる。
愛を失えば人は傷つき、嘆き悲しむ。人が人である限り、それはいつの時代も変わらない。そんな当たり前のことを、どうして忘れていたのだろうか。
「希美ちゃん……?」
気づかう朋子の声。やさしく温かい気持ちが胸に染み入るような、そんな涼やかな声だ。
溢れる涙を止められず、嗚咽まじりに答えを返す。
「そばに……います……先輩が……わたしを望んで……くれる限り……ずっと……」
思いの丈をなんとか言葉にして絞り出すと、朋子の顔に花が咲いた。
「希美ちゃん!」
ゴーグルを押し上げると両手を広げて思い切り抱きついてくる。
「うわっ、先輩!? 危ない!」
慌ててあたふたする希美だが、ふと気がつけば、いつの間にかサイドカーはサービスエリアの駐車場に止まっていた。
「あなたたちって、そういう関係だったの?」
すぐ近くでマイクロバスから降りてきた未来が呆れたようにつぶやく。すでにバニースーツではなく、サイドカーに積んであった希美の私服に着替えていた。
「違っ――」
噛みつきそうな顔で否定しかける希美だったが、朋子はそれをギュッと抱きしめて未来に答える。
「そうだよ! 希美ちゃんはわたしの恋人なの! 傷物にしちゃったから責任取るんだ!」
「されてない!」
喚く希美を仲間たちが笑って見つめていた。
エイダ、朱里、深天、白雪、藤咲、耀、篤也……ついでにコカトリス。そして、もちろん未来もまた希美の大切な仲間だ。
明日には背を向けるつもりだった彼らが、今はたまらなく愛しく思えてくる。
彼らが変わったわけではない。
もちろん、希美が変わったわけでもなかった。
ただ少し、ほんの少しだけ素直になることで、すべてが変わって見えるようになっただけだ。
希美は朋子から離れて姿勢を正すと、仲間たちに向かってバカ丁寧に頭を下げた。
「ふつつか者ですが、今後ともよろしくお願いします」
突然の振る舞いに誰もが目を丸くする中、コカトリスは篤也の腕からフワリと舞い上がって、頭を下げている希美の後頭部に着地した。
「…………」
しばらくそのまま硬直していたが、素早く手を伸ばして鷲掴みにすると、正面から睨みつけて叫ぶ。
「本っ気でカラアゲにするぞ!」
しかし、彼は首を傾げるだけで何も言わない。
まるで中身が抜け出して、ただのニワトリに戻ってしまったかのようだが、もちろん希美は信じなかった。
「すっとぼけてるだけだろ~~っ」
声を震わせながら首を絞める希美を見て、慌てて朱里が駆け寄ってくる。
「ダメだよ、希美!」
「雨夜さんってば、おかしいおかしいとは思っていましたが……つまり、平常運転ですね」
深天がつぶやく隣で、意外にも藤咲だけは神妙な顔をしたままコカトリスを眺めていた。
「いいの、篤也くん? あのニワトリって、いちおうあなたのペットでしょ」
耀に言われて篤也は想いだしたように慌てた。
「待て、雨夜。カラアゲにするなら、もも肉は私に!」
と、いつもどおりの彼だったが、だからこそ今は安心できる。雪菜とハルメニウスのことで挫けていない証なのだから。
白雪はまだ仲間との関係はぎこちないが、それでもこのやり取りを見てケラケラと笑っている。
ひとりエイダは騒ぎに加わらずにいるが、その幸せそうな横顔は兄弟子とやらのことを考えている証拠だろう。暮れなずむ空を見上げて、そこに何かを思い描いていたようだが、ふとそれを見つけてつぶやく。
「あっ……いちばん星」
それは本当に見たままを口にしただけで、なんの意図もなかったのだろうが、みんなごく自然につられるように空を見上げた。
彼方に黄昏が残る中、夕闇の中に白い星が輝いている。
それは何も特別なものではなくて、気がつけば誰だって目にすることができる平凡な光景だ。
希美もかつて、ひとりで放浪していた頃には幾度となく見上げたことがある。
広大な空の一角にポツリと浮かんだそれは、当時の希美にとっては孤独の象徴のように思えたが、大切な仲間と見上げればまるで違うものに思えた。
(そっか……これがきっと幸せってことなんだ)
自分が手放そうとしていたものがなんであるのかを理解して、希美は微笑を浮かべる。
(バカだなぁ、わたしは)
そしてハッキリと理解するのだった。
まるで希望の象徴であるかのような白い光の下で、今の自分が幸せなのだということを。