煌びやかなシャンデリアの光が夜会場を包む。ここは侯爵家の主催する年に一度の大夜会。貴族たちが優雅に舞踏会を楽しむ中、私は優雅に微笑みを浮かべながら、婚約者であるレオナルド・ヴァルディス公爵と腕を組んでいた。彼は誰もが羨む美貌と地位を持つ公爵家の跡取りで、将来の夫として申し分のない人物だった。そう、表面上は。
私は知っている。この男の裏の顔を。派手な遊びと女性関係の多さ、そして自分より少しでも劣る相手を見下す癖。けれども、貴族の娘として生まれた以上、私には選択肢などない。この婚約は父が決めたものであり、私の意思など最初から求められていなかった。
だが、今夜、この仮面の婚約関係が終わるとは夢にも思わなかった。
「アルシェナール、少し話がある。」
レオナルドの口調はいつになく冷たい。私は舞踏会の喧騒の中で彼に連れられ、庭園の一角へと向かった。夜空には満天の星が輝き、月光が静かに庭を照らしている。
「何の話でしょう?」
私は彼の顔を見上げ、いつも通りの冷静な声で尋ねた。だが、次の瞬間、彼の口から放たれた言葉は、私の予想をはるかに超えるものだった。
「婚約を破棄させてもらう。」
一瞬、頭が真っ白になった。けれども、すぐにその意味を理解し、心を落ち着ける。私は動揺を悟られぬように平然を装った。
「婚約破棄……理由を聞いても?」
「エリゼと結婚する。彼女となら、より良い未来が築けるからだ。」
エリゼ――私の義妹で、父が再婚した際に連れてきた娘だ。彼女は柔らかな印象を与える愛らしい容姿で、初対面の人間からは好感を持たれる。けれども、私は知っている。彼女が影で私を陥れるためにどれだけの策を講じてきたかを。
「つまり、彼女を選んだと?」
「そうだ。彼女は優しくて可憐で、君のように冷たい女とは違う。」
私は心の中で苦笑した。この男が女性を見る基準は美貌と従順さだけだ。私が彼に愛想を尽かし、適度な距離を保っていただけなのに、それを「冷たい」と評するとは滑稽でしかない。
「わかりました。」
私はそれだけを言い、静かに一礼した。驚いたのは彼の方だったようだ。
「……え?それだけか?」
「はい。それだけです。」
私は冷静を装いながら、その場を立ち去ろうとする。だが、背後から彼の声が再び響いた。
「君がこんな態度だからだよ!婚約者としての自覚が足りないから……」
彼の言葉は続いていたが、私は耳を傾けなかった。ただ、心の中で呟く。
「自覚が足りないのはどちら?」
義妹エリゼが私の婚約者に接近しているのを知っていながら放置していた彼が、どの口でそんなことを言えるのだろう。滑稽だ。本当に滑稽だ。
庭園を去り、夜会場に戻ると、周囲の視線が一斉に私に向けられる。どうやらレオナルドが「婚約破棄を宣言した」という事実はすでに会場全体に広まっているようだった。
「まあ、かわいそうに……」
「アルシェナール様が婚約破棄されるなんて……」
そんな囁き声が聞こえる。私はそれを意に介さず、真っ直ぐに会場を横切る。噂話に興じる彼らが滑稽に見える。今の私には、彼らの同情も好奇の目もどうでもよかった。
夜会を後にして、馬車に乗り込むと、ようやく深いため息をついた。胸の奥には怒りや悲しみではなく、不思議なほどの解放感が広がっていた。
「これでやっと自由だ。」
確かに婚約破棄は大きな痛手だ。貴族社会では女性にとって「婚約破棄された令嬢」という汚名は消えない傷になる。けれども、私はその先を考えていた。この婚約が終わった今、私はもう誰にも縛られない。自分の人生を自分のために歩めるのだ。
「婚約破棄された令嬢ですが、何か?」
私は小さく呟き、夜空に輝く星を見上げた。人生の新たな幕が今、静かに開こうとしている。