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03 過去の影

翌朝、或斗は身体中の酷い痛みで目を覚ました。


普はあのあと、もちろん或斗に肩や手を貸してくれるわけもなく「明日午前7時にこの住所まで来い」とメモだけ投げつけてさっさと帰って行った。


一応「あの、学校があるんですが」と言ってみたが、「ドブカスが受ける授業なんてどうせクソの役にも立たねえだろうが。サボれ」と一蹴された。


あの口の悪さは何なのだろうか、或斗だけに発揮されるのか、罵倒を挟まないと話せない性分なのか、どちらにしても或斗に対して辛辣なことには変わりないのだが。


ちなみにこのダンジョン社会にはポーションなるファンタジー治療薬がある。


とはいってもゲームやファンタジー小説にあったような、飲んだりかけたりしたら即傷が治るというものではなく、飲むことで一晩ほどの時間をかけて傷を治すという効果をしている。


それだけでも十分ファンタジーレベルだと思うが、瀕死の人間なんかは傷の度合いによっては飲んでも助からないことがままあるらしい。


このポーションの効果を高める研究開発は国が主導して日進月歩しており、その結果効果の低めな廉価品などもありはするのだが、廉価品でも或斗が手にできる値段はしていない。


普ならいくらでも持っているだろうが、もちろんそんなものを以下略。


何なら市販薬を買うのもお財布に痛い経済状況の或斗は、ドラッグストアで湿布を1袋だけ買って、傷の目立つ顔と昨夜の時点で鬱血していた腹に貼って寝たのだった。


気休め、そんな単語が脳裏を過ったが、食事はとらなければならないし、普の指定した時間に遅れるわけにもいかない。


そんなわけでルーティン通り捕獲したダンジョンネズミを丸焼きにして食べ、或斗は投げつけられたメモの住所へ向かった。


服装を迷ったが、制服で行くのは何か違うだろうと思い、ダンジョンに潜る際のモグリ装備で出かけた。






指定された住所は安全区域外では最高級だろう、高級マンションの一室であった。


この超高級マンションに入るまでに或斗は中々苦労をした。


当然のように警備員に見とがめられ、凶器になりうるナイフなどは没収され、3回くらい事情を説明させられ、最終的に警備員が或斗を呼びつけた主である普に確認の電話をして、渋々という風に中に入ることを認められたのである。


普はそんな苦労を経て部屋に入ってきた或斗に声をかけることなく、広いキッチンで妙に手際よく、見るからにおいしそうな何か(エッグベネディクトだが、或斗は見たことも聞いたこともない)を作っていた。


しかし意外にも、料理を作り終えたところで普は或斗へ「朝食は?」と問うた。



「……ネズミを少々」



と返したら、世にも汚い腐った生ゴミでも見るかのような一瞥を寄越してきたが。


というか料理は明らかに一人前しか作っていないのに、訊く必要はあったのだろうか。


普が哀れんで何か食べ物を恵んでくれるとは或斗は全く考えていなかった。


食べていないと答えたら、それはそれで鼻で笑って目の前でおいしい朝食を食べる様を見せつけてきたような気がする。


或斗が痛む体をおして所在なさげにダイニング周りで突っ立っているのを見た普は、顎でしゃくって床を指し、「座れ」と促した。


あ、椅子とかじゃないんだ、というのが顔に出た或斗へ「ドブネズミに勧める椅子なんかあるかよ」と言ってのける。


そして出来るだけ楽な姿勢で座ろうと胡坐をかこうとしたら、当然のように「正座」と飛んできた。


この男は昨夜或斗にどれくらいの暴行を加えたか、覚えていない可能性がある……或斗はさすがに憮然としたが、ここでゴネてまた暴力ターンが回ってくると今度こそ死ぬ可能性もある。


或斗は痛みを訴え続ける腹を気合で無視して、脂汗をかきながら床に正座した。


そんな或斗の挙動を一顧だにせず、普はお上品にもナイフとフォークで半熟卵を崩しながら、話を始めた。



「それで、お前の妙な能力のことだが。何が出来る? 具体的に……まさか攻撃を止めるだけの性能じゃないだろう」



そう問われると、或斗は困った。


何せ虹眼の力はこの5年間ほとんど使ってこなかったし、未零と実験した以外の具体例となると、1週間少し前に大分強そうな双頭の獅子を押しつぶしたことくらいしかないのだ。


その上昨夜、普の足を止めた力はそれまでに使ったものとはまたまったく別種であるようにも感じている。


或斗は未零との実験を思い出しつつ、分かっていること4つと、この間重力を操って強そうなモンスターを潰した話、普の足を止めた力については昨日初めて発現した旨を説明した。



「……おい、要するに何も分かってないってことか? それは」


「…………はい」



ハァー、と普は見せつけるように深々とため息を吐く。



「よくもそれで自分の力が有用だとかほざいたなこの腐れド間抜け馬鹿クソ虫が」


「自分の能力もろくに把握出来ていない奴が何の役に立つってんだ、言ってみろドブカスネズミ」


「俺を舐めてんのか? ゴミみたいな説明で俺の時間をとってんじゃねえよモグリもどきの分際で」



怒涛の罵倒ラッシュである。

残念ながら昨夜と同じく言っていることは正しいので、或斗は何も反論出来なかった。



「クソが。しょうもねえ余計な手間だが、わからんものは調べるしかねえ」


「この後ダンジョンに行く。そこでお前の力を死ぬ気で使って有用性を示せ」


「使えなかったらその場で殺す」



朝食を食べ終えた普は、手元のナイフを或斗に向けて物騒極まりない宣言をした。


殺す云々はともかく、或斗にしても自分の能力を把握する必要があることはわかっていたし、ダンジョンに行くことに否やはない。


武器は薬草採取用のナイフしかない上にこのマンションの警備員に没収されているが……返してもらえばまあ何とか。


そう思って正座のまま、食器を洗う普の長身を眺めていたが、不意に普が振り向いて顔を顰めた。



「ところで、その恰好はツッコミ待ちか? 俺は芸人でも何でもねえぞ」



恰好、と言われても、今の或斗の服装は初心者セットの革鎧に黒いボロローブ、モグリの制服とでも呼ぶべきものである。


自分でもモグリもどきと罵倒してきて、まさか一般的なモグリの恰好を知らないわけはないだろう。


或斗が首をかしげると、普は苛立たし気に或斗の装備にダメ出しをした。



「そんな貧乏貧弱ゴミカス丸出しの恰好で俺の近くを歩くな」


「そもそもその装備でモンスターと戦えるつもりか? ダンジョン適性無し野郎。自殺幇助するために行くんじゃねえんだぞ」



確かにそう言われれば、この装備ではモンスターの攻撃を食らって無事で済むとは思えない。


モグリは基本的に隠密、モンスターとの戦闘を避け、逃げながらダンジョンで採取できる資源を採って来るだけの存在なのだ。


モンスターと対峙する前提の恰好でないことは事実である。


しかし装備を揃えるのには絶対的に必要なものがある。金だ。



「装備を買う金がない……です」



腐れド貧乏野郎死ね、くらいの罵倒を予想しつつ自己申告をすると、普は意外にも落ち着いた様子で「ネズミ食ってるくらいならそりゃそうだ」と言って、クローゼットにかけてあった上着を羽織り、さっと部屋を出て行った。


或斗についてこいとも来るなとも言わず、もう本当に声をかける暇もなくさっと出て行ったものだから、或斗は正座のまま呆気にとられた。


今から追いかけても追いつけるか不明であるし、もう一度このマンションに入るためのアレコレをやり直すのは面倒極まりない。


ついて行く必要があるなら呼ばれるだろうし、ひとまずこの部屋で待っておくことにした。


ついでに寝心地の良さそうなソファがあったので、普が戻ってくるまでコッソリ使わせてもらおうと思い、体を横たえると、沈み込むような柔らかい感触に包まれ、或斗は気絶同然に寝入ってしまった。


結果、或斗は1時間後に戻ってきた普にソファから蹴り落されて目覚めた。



「この俺に買い物に行かせて悠々と朝寝とは良いご身分だなドブネズミ」


「え? は、買い物?」



普はドサリと有名装備ブランドの紙袋を床におろして、中身を1つ1つ或斗に投げ渡していく。


それはすべてダンジョン適性B以上に推奨されるような装備で、とてもではないが投げ渡して良いような代物ではない。



「今日からお前の装備はそれだ。今着てるそのドブ臭い装備は全部捨てろ」


「は!? これが俺の、装備!? え、いや、こんな装備の代金返済出来ない! ……ですよ!」



この装備一式にかかる費用にゼロが何個付くかを考えるだに頭痛がしてくるくらいだ。


多分さっきソファから蹴り落されたせいではない。



「お前のために買ってやったとかじゃねえよ、俺が俺の道具の整備してるだけだ。勘違いすんなカス」



これが年上美女の言う台詞であれば思わず或斗もときめいたかもしれないが、残念ながら普である。


年上美女とは年上と顔が良いことくらいしか共通項が無い。そうなると意外とあるか? 共通項。



「……いやいや、そもそもこんな高ランク装備、俺に使いこなせるわけない……です」



高ランク装備には高ランク装備である理由というものがあって、例えば筋力がある程度要るとか、体を軽くするがその代わり高い動体視力が求められるとか、そういう類のハードルがある。


ダンジョン適性無しの或斗では、十全に装備の性能を引き出せると思えなかった。



「知るか。使いこなせないなら死ね」



とりつく島もない。


1つで或斗の総資産の軽く10倍はするであろう装備を慎重に触って、効果の説明などを見たが、どうやら普も何も考えなしに高ランク装備を買ってきたわけではないらしいことに気付いた。


体の動きを速くする装備、防御力を補う装備、動体視力を補助する装備などが主体だったのである。



「お前の武器はあの目だ。死なずに敵を直視出来ればそれだけで良い」


「……はい」


「あとは実地で使ってみて慣れろ。無理ならさっさと死ね」


「……ありがとうございます、ええと……普、さま?」


「さまはやめろ。普さん、だ」



試しに敬称をつけてみたらやたら反射的に拒否られたのが不思議ではあったが、或斗はとりあえず頷いておいた。


お前が死んだらその装備は中古で売るから死ぬ時も傷つけるなよ、と無理難題を付け足し、普は自分の準備をするために自室へ行ったようだった。


或斗はいまいち普との距離感がつかめずにいたが、とりあえず本気で或斗を殺そうとは思っていないようだとは分かった。


或斗は1年親しんだモグリ装備を脱ぎ、真新しい身の丈に合わない装備を慎重に身に着けた。






旧渋谷ダンジョンはこの辺りではそこそこ規模が大きくて賑わっている、という話は前にした。


或斗が驚いたのは、普と共にダンジョン入口に来た時の周囲の反応だった。


以前『炎の継手』だかなんだかが来ていたときとは比較にならないほどの騒めきが普の周りで起こったのである。



「元『暁火隊』エースの此結 普だ! なんでこんなとこに!?」


「普様じゃん!! すご! こんなとこで会えるなんて……! 遭遇情報出しちゃお」


「『暁火隊』を抜けてからもいくつもソロでダンジョン攻略を成し遂げてるガチ勢……! オーラがちげえわ」



外野の反応も、旧時代で言う芸能人に会ったときのような、とにかく有名人というだけでない崇敬にも似たものを感じる。


『暁火隊』はあまり動画などのアピール活動はしていないという話だったが、それにしては知名度が高いのは何故だろう。


ていうか普様って何だ、様って。さっきはすごい勢いで拒否られたぞ。


普に訊いても教えてくれなさそうなのでその場では黙っていたが、ソロのダンジョン攻略というのが物凄い話なのは底辺の底の底を舐めて生きてきた或斗にも分かる。


そういう功績がメディアで公開されていたりするものなのだろうか。


ここで割とどうでもいい或斗でも知っている話をすると、『炎の継手』とか『暁火隊』とか、火に関するパーティ名が多いのは偶然ではない。


ダンジョン発生黎明期、盛んにモンスター対峙に乗り出して世間に情報を発信し、日本で初めてダンジョンの最深部到達を成し遂げたのが『焔の心ほむらのこころ』というパーティであったため、そこから火に関するパーティ名をつけるダンジョン攻略者が多いのである。


逆張りで水や氷に関する名前をつけるパーティもまあまあ居るが、名前が売れなければダサいと思われがちになるらしい。


そんなダンジョン攻略底辺層でも知っている話を思い浮かべていると、野次馬の視線が普の後ろをこそこそとついて歩いていた或斗にも向く。



「アイツは見たこと無いな。若いし、適性高そうには見えないが」


「でも装備はBランクくらいのやつだぞ、外見に出ないタイプなのかもな」


「大型新人の育成か? ついに此結 普がパーティを組みなおす相手を見つけたのか?」



それはモグリに対する侮蔑ではない、どこか期待を孕んだキラキラとしたものであった。


前にここへ来たときから1週間少ししか経っていないのに、周囲の反応は真逆のものだ。


或斗が何か変わったわけでもなく、普に買ってもらった装備を身に着けて普の後ろを歩いているだけで、この変わりよう。


或斗が知らなかっただけで、此結 普という男はただの毒舌暴力鬼畜男ではなく、天上人的な立ち位置の人間なのかもしれない。


本人に言ったらとりあえずで数発拳が飛んできそうなことを考えつつ、或斗は普の後ろについてダンジョンへ入った。







「攻撃を受けるなグズ」


「見るだけなんだから意識せずに見るのと同時で発動しろ、神経にゴミ詰まってんのか」


「位置取りが悪い、ドブネズミ以下の力しかないくせに前に出るな。常に後衛の意識を持てウスノロ」



これはダンジョン中層奥地にやって来るまでに普から飛んできた数百の罵倒のうちの抜粋である。


よく指示と同時にそうも即時罵詈雑言を思いつけるものだ、悪口雑言大会とかあったら普は全国優勝出来ると或斗は思う。


ちなみに指示に対してすぐ返事をしなかった場合平手で打たれる。


ここに来るまでに10回は打たれたが、「これ以上打つとキモいツラが一層見られたもんじゃなくなる上貧弱ドブネズミが使い物にならなくなる」というありがたいご判断によって、ビンタは一時中断となった。


出来れば或斗の頬がパンパンに腫れて口の中が切れる前にその判断をしてほしかった、と中層奥地の休息エリアで血の味の不味いレーションを食べながら或斗はしみじみと思ったが、抗議するために口を開くのも顔が痛くて億劫なので何も言わなかった。


中層奥地、そう、現在地は中層奥地である。


普がギャラリーに囲まれた状態で或斗の力を使わせることを嫌って、或斗を荷物担ぎして低層を数分で突破したことが大きな時間短縮にはなったが、その後も普はすごかった。


まともにモンスターと対峙するのが初めてで腰の引けた或斗を(物理的に、本当に)蹴り飛ばしながら、或斗と対峙していない他のモンスターをまるで豆腐でも切るかのごとく数秒で切り捨てて片付けていた。


蹴り飛ばされた或斗は蹴りのダメージとモンスターとの強制的な接近によって何度も死にかけた。


中層のモンスターは今まで或斗が避け、逃げ回ってきた低層のモンスターより何倍も強いと思われる。


低層のモンスターと戦ったことは無かったため具体的な比較は出来ないのだが。


或斗は中層モンスターのデカい体躯の体当たりを避け、鋭利すぎる爪の振り下ろしを避け、モンスターの口から飛んでくる火の玉を避け、時にはそれらに当たって死にかけながらも何とか虹眼を発動させてその場をしのいでいた。


反撃方法は、重力で押しつぶしたり、風の刃を発生させて斬り飛ばしたり、モンスターの周りを真空にしてみたり、様々だ。


というのも普が常に違う手を考えて試行しろと指示を出しており、同じような攻撃でしのぐのを繰り返すと「今日の目的忘れてんのか俺の時間を食い潰してんのを自覚しろ足りない脳を死ぬ気で回せそうじゃねえなら死ね」と平手が飛んできた故である。


普の平手を避けているのかモンスターの攻撃を避けているのか半ば分からなくなりながらも、或斗は虹眼を使った攻撃法を少しずつ把握することが出来ていた。


未零の言っていたように、何かの力を与えることが出来る能力の応用で、その力を空気に作用させたり、モンスターの体自体に作用させたり、力を加えることで真空状態のような自然現象を再現したり。


イメージが難しくて脳が混乱したが、水を分解して水素爆発を起こすことも出来た。


ただ、昨夜普を止めたのと同じようにモンスターの動きを止めることは出来たものの、これは何かの力を操っているというより、"止める"という現象をそのまま起こしている……ような気がする。


或斗の虹眼にはまだ知らない能力があるようで、しかしその能力の正確な把握がまだ出来ないでいた。


普に「グズ」「脳無し」「頓馬」と罵られながらようやくたどり着いた中層奥地の休息エリアで、或斗は血の味から気を逸らそうと自分の能力について考えていた。


すると急に、近くで上等なレーションを食べている普が二重に見えた。


いや、今の普ではない――片方は透けていて、もっと若く見える――その普がやはり上等なレーションを食べながら、隣の人物をあしらっている。


隣の人物は見慣れない蒼銀の剣を腰に佩いて、似たようなレーションを食べながら若い普に絡んでいる。


桃色の髪で、緑色の大きな目……それは未零だった。



「先輩、先輩のレーションちょっと分けてくださいよ。私のも分けてあげますから」


「誰がやるかクソガキ。お前のレーション安くてマズいやつじゃねえか、せめて等価交換出来るもんを出せ馬鹿」


「いやいや、この完璧美少女未零ちゃんが口をつけたレーションですよ、時価5億は下りませんって」


「ペソでもリアルでもそこまでの値はつかねえよ。そもそも俺からそんなキショい需要が出てくるわけねえだろ」


「じゃあかわいい後輩とレーションを分けっこする思い出プライスということでここは一つ」


「興味ねえわ。さっさと稼いで自分の金で買え貧乏ルーキー」



えーっと口を尖らせる未零……を見ていると、現実の普が怪訝な顔で或斗を見ているのに気づいて、その白昼夢のような幻覚は消えた。



「何だ、叩かれすぎてボケたかドブネズミ。攻撃でもする気なら半殺しじゃすまねえぞ」


「……普、さんって未零から先輩って呼ばれてたんですか?」



そう言うと、普は訝し気な顔を不審の色に変えて、或斗を睨んだ。



「……何で知ってる?」



普の反応を見るに、今或斗が見たものはただの幻覚ではなく、現実にあったことなのだろうか。


或斗が今見えたものの説明をすると、普は黙って考え込んだ。



「……今、俺の方を見ていたお前の目はあの虹色だった。お前が見たものにはお前の能力が関わっていると考えられる」



或斗は虹眼を発動させていた自覚がなかったため、これには驚いた。


今日だけで今まで発動させた数を軽く超えた酷使をしたから、無意識に能力が発動したのだろうか。



「確かに、俺はあのクソガキの訓練をここで見てやったことがある……あのクソガキの戯言なんざいちいち覚えてないが、そんなやりとりをしたような気もする」


「未零のことずっとクソガキって呼んでたんですか?」


「クソガキ以外の何ものでもなかったからな」



平然と返す普であるが、あの未零をそうも粗雑に扱う人間は中々いなかったろう。


見た光景から、未零が暴行を受けていた感じはなかったし、口の悪い先輩として面白がっていたのかもしれない。


『暁火隊』元エースという肩書を持った男、此結 普の強さと知名度、そこに感じる住む世界の差。


同じ『暁火隊』に入って過ごしていた未零はこの普と気安いやり取りをしていた。


未零を遠くに感じて、ずっと分かったつもりになっていた、未零と自分との釣り合わなさが或斗の心を重くした。


そんな或斗の気持ちを他所に、考え込んでいた普は急に立ち上がって或斗に告げる。



「旧新宿ダンジョンに行くぞ」


「旧新宿ダンジョン……? 何で急に」



旧新宿ダンジョンは東京都のダンジョンの中でも一等大きな規模を誇る上級ダンジョンだ。


確かに、今日の成果があれば上級ダンジョンでも或斗は自分の身を守る程度なら可能だろうし、普は1人でも苦戦している姿が思い浮かばない。


本来なら2人などという少人数での挑戦は無謀極まりない行為だが、不可能ではないと感じる。


しかし何故唐突に……そう見上げる或斗の顔を見て、普は苛立たし気に舌打ちした。



「そういやド薄情の腐れドブカス幼馴染くんは知らねえんだったか」


「知らないって……」



昨日の今日で、こう言われて何のことを、と問うほど或斗も鈍くはない。



「旧新宿ダンジョンは、あのクソガキが消えた場所だ」



未零が消えた、死んだとされたダンジョン。


或斗は何か事態の核心に近づく予感を覚え、胸をざわつかせた。


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