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05 『暁火隊』


白く細長い電灯に、同じく白く冷たい印象のある見覚えのない天井。


何故なのかは全く知らないが、インターネット史の授業で旧時代はこういう時に「知らない天井だ」と言うのが流行っていたと聞いたことがある。


どことなく詩的で良い。


或斗が知っている天井というのは常に埃がかって灰色の汚らしいものばかりだから、特にそう思う。


ぼう、とそんなことを考えていると、視界が虹色に歪むように見えて、一瞬頭痛が走る。


ブンとその一瞬、視界にある電灯が点滅した。


頭痛と視界の異変はその一瞬だけで、その後は思い出したように全身が痛み始めた。


思わず体を揺らすと、腕に繋げられていた点滴のチューブが揺れる。


その音に気が付いたのか、閉ざされていたカーテンが開き、看護師の男性が「ああ、遠川さん。お目覚めですね」と安心したように言った。


それからは検温、身体中の痣の点検、包帯の巻き直しなど様々の世話をしてもらって、そんなうちにおそらく医師だろう白衣の人物と普が病室に入ってきた。


或斗は人生で、というか物心ついて以降初めて医師を見る。


おそらく、或斗の両親が善良な人間であったなら、生まれてから何かしら予防接種など受けているはずだが、流石に赤ん坊の頃の記憶は無かった。


今まで致命的な病気には罹ったことがないので、或斗の両親は善良だった説が或斗の中では多数派だ。


病室に入ってきた医師は言った。



「遠川さん、貴方ね、若いからって生き急いじゃいけません。無茶は命に関わりますよ」



何の話だかサッパリだった或斗は首を傾げた。


そもそも、何故自分は今病院にいるのか……そういえば、ダンジョンの最深部でダンジョンコアに触れて、それで……何だったか。


黙ってしまった或斗の反応を反発だと誤解した医師は更に言葉を重ねる。



「全身打撲、特に腹部のものが酷いです。一歩間違えたら内臓に損傷がありましたよ。それに、頭も少し切れていますね、運ばれたときは顔も何度も殴られたかのように腫れていましたし、一体どんな修行をしたんです」


「しゅぎょう」


「此結さんが止めに入っていなかったら、貴方は命を落としていたんです。ダンジョン内で気を失うというのはそういうことですよ」



何か話がおかしい気がする。


当然のように或斗の隣に立っていた普を見上げると、しみじみとため息を吐いてこのように言った。



「まったく、私が止めに入れたから良かったものの、モンスター相手に何度も突撃を仕掛けていましたからね。命知らずとはこのことかと肝を冷やしました」



その時或斗の頭に電流、は走らなかったが、話が一直線に繋がった。


この此結 普という男、ダンジョンで倒れた或斗を病院へ運んだときに自分のやった暴行行為を全部モンスターと或斗のせいにしやがった!



「或斗くん、約束してくれ。もうあんな無茶はしないと……こうして先生も心配してくれている」



何が或斗くん、だ。


どの面で! どの面で! どの面で! と或斗は普を上から下まで5往復ほど見たが、長身で足が長くて顔の良い、素晴らしい外面がそこにあった。



「遠川さん、分かりましたか?」



悲しいかなここはダンジョン社会。


ここで或斗が普の暴行を訴えたとして、絶対に誰も信じてくれない。


言うだけ無駄である。


何ならダンジョン最深部で倒れたらしい或斗を病院まで運んできてくれただけ、普にしては善良な行いなのではなかろうか。


いや、騙されている気がする。ぼったくり店が50%オフを謳っているような欺瞞がある気がする。



「或斗くんはお金を持っていなかったから、ここの入院費は私が出しておくよ。もちろん、返済なんて考えなくて良い」



普は爽やかな笑顔でそう言った。


或斗は社会の欺瞞を呑み込むことにした。


無論そんな都合の良い話があるわけもなく、家で絶対安静を言いつけられ無事退院、病院を出て5歩の或斗に対し、普は無表情で言い放った。



「入院費30500円、C級ポーション代15800円、しめて46300円。トイチで貸しな。病院までの運び賃が無いだけありがたいと思えよ貧弱ネズミ」







「お前が寝こけてた間にアポを取り付けた。今から向かうぞ」



病院を出て無人タクシーに乗り込んだかと思えば、普は脈絡なく家で絶対安静を言いつけられた或斗を連れ回す旨を告げた。


普の傍若無人に慣れつつあった或斗は、まあ何だかんだとポーションも飲んで若干体が軽くなった気もしており、ひとまずその方針に異義を唱えることなく尋ねる。



「向かうってどこに? ……ですか?」


「『暁火隊』本部だ」



普は無人タクシーのナビに慣れた様子で住所を打ち込み、発進させる。


何故『暁火隊』本部に向かうのか或斗が尋ねる前に、普はダンジョン最深部での話を追求してきた。


何故倒れたのか、あのバチバチと音のした発光現象は何だったのか。


問われて或斗も思い出そうとしたものの、いまいち要領を得ない話しか出来なかった。


何か声が聞こえたこと、怒りがどうとか、人がどうとか……あのとき頭に流れ込んできた情報の塊は膨大に過ぎて、1つ1つを切り離して説明するのが難しい。



「つまり、また何も分からねえと。そう期待はしていなかったが、本当につっかえねえ頓馬だな。最深部で放棄してくれば良かった」


「…………」



さっき爽やかスマイルで或斗くんだのと言っていた男とは同一人物と思えない言動である。


何かしらこの男の弱味を握りたい、或斗は強く思ったが、意外にもそのチャンスは早く回ってきた。


無人タクシーを降りた場所は、繁華街にほど近いオフィス街の一角の大きなビルの前であった。


築10年ほどだろう新しめのビルは壁も白く清潔感があり、入口の自動ドアの隣に「暁火隊 本部」と銅板プレートが掲げてある。


或斗の半生ではこのような場所にとんと縁がなかったもので、おっかなビックリ周囲を見回していたが、普は何の躊躇もなく暁火隊本部ビルへ入っていく。


慌てて或斗も後を追い、中へ入るとそこはいかにもビジネスの場といった風で――というのは或斗のイメージの問題であるが――事務の制服を着た綺麗な女性が受付で座っており、電話をとったり訪問客の対応をしていたりする。


他には待合用のソファや軽い打ち合わせ用だろうテーブルと椅子が置いてあり、ドリンクサーバーなんかが奥にある。


場違いな感覚が拭いづらく、或斗は身を縮こませるようにこそこそと普の後ろをついていく。


普が受付に声をかけると、受付の女性は明るい声音で「普さん! お久しぶりです!」と笑顔を向ける。


すると周囲の色んな場所から普の名前を聞きつけて、普へ声をかけてくる人たちが来た。



「普くん、元気にしてたか!」


「普様だ~! すごい、本物初めて会った! 私普様に憧れて暁火隊に入ったんです!」


「普~~~~~~~! ようやく戻ってくる気になったか!?」


「ハァハァ、普たん……今日も麗しいんだな……ハァハァ」


「普くんまた背、伸びた? ってもう成長期じゃないか」



普は気さくに適当な言葉を返して対応しているようだ。


或斗の中の普は暴言暴行鬼畜野郎なので、こうして気安く声をかけられている様子を見ると少し驚きがある。


いやなんか今変なの居たな?



「おい、何ボサッとしてる。行くぞ」



或斗が訝しんでいる間に普は受付でのやり取りを終えたようで、エレベーターへ歩いていく。


周囲の普の知り合いたちの誰? という視線に居心地悪さを感じつつ、普と共にエレベーターに乗り込む。



「今から会うのは『暁火隊』のリーダーだ。ドブネズミには難しい話だろうが、失礼が無いようにしろ」


「リーダー、ですか」



普の口ぶりから想像すると、礼儀に厳しい人物なのかもしれない。


育ちが育ちな或斗はひとまず敬語を徹底し、失言をしないようなるたけ説明は普に丸投げしよう、と思った。


エレベーターが到着した5階は、会議室が並んでいるフロアだった。


それぞれ仕切りではなく部屋として分かれていて、防音もしっかりしているのだろう、どの部屋が今使われているのか分からないようになっている。


普が向かったのは一番奥の部屋で、あの普がノックをして「失礼します」と声をかけて入室した。


或斗もそれに倣って「失礼します……」と声に出し、恐る恐る部屋へ入る。


そこは会議室というより豪華な応接室のようだった。


壁には派手過ぎない風景画がしっかりと額装されてかけられており、部屋の奥には先ほど1階で見たものより質の良さそうなソファが背の低いテーブルをはさんで向かい合わせに置かれている。


そして部屋の奥側のソファには臙脂色の髪をオールバックに撫でつけ、くすんだというより落ち着いた色合いの橙の瞳で鋭くこちらを見ている壮年の男性が座っていた。


その厳めしい表情もそうだが、スポーツ選手のようなガッチリとした体形とそれにピッタリと合ったオーダーメイドだろうスーツが、強く厳しい社会人という雰囲気を強調している。


或斗は自然と背筋を伸ばして、そうすると腹の痣が痛むことを思い出したが、何とか気合で姿勢を正したままでいることに成功した。



「普、久しぶりだな」



男性が低い声で挨拶する。


それほど大きな声量ではないのに、不思議と部屋に響く、重厚感のある声だ。



「ご無沙汰していてすみません。今日はお時間をくださってありがとうございます」



しかもあの普が! 低姿勢である。


信じられないものを見る目で隣の普を見ていると、或斗にも低くこわい声がかけられた。



「君が遠川 或斗くんか」


「あっ、は、はい! 遠川 或斗です! 初めまして!」



思わず、学校のグラウンドで遠目から見たことのある運動部の学生のように90度体を曲げる礼をする。


ちょいちょいと忘れる腹の痣が痛んだが、辛うじて呻き声を上げるのは我慢できた。



「初めまして、私は『暁火隊』のリーダーを務めている、日明 眞杜ひあがり まもるという……」



日明と名乗った『暁火隊』リーダーは無言で睨むように或斗を上から下まで眺める。


或斗は緊張で喉が渇く感覚を覚えながら姿勢を正して視線に堪えた。


何を言われるのだろうか、やはり普のように未零に対する今までの態度を責められるか、しかしそれはもう受け入れるしかない話だ。


学校の生徒指導の教師より何倍も迫力のある日明の眼光に、それでもと視線をそらさずにいると、突然日明が破顔して笑い声をあげた。



「ハハハ! 緊張しすぎだ、或斗くん。一体普は私をどんな人間だと教えていたんだ? 取って食われそうな顔をして!」



笑っている顔を見ると、目の端に笑い皺が滲んで、一気に人の好さそうな雰囲気に切り替わる。


厳めしい様子からの急な転換に、或斗は目を白黒させた。



「俺が眞杜さんのことを悪く言うわけがないでしょう。コイツがビビリなだけです」


「どうだかなあ。大体予測がつくぞ、どうせ普が厳しいことを言って2、3発小突いたんだろう、それで私も同類だと思われたんだ」


「いや、2、3発どころじゃなかったです。半殺しでした」



思わず口から零れ出た告発に、隣の普からの殺気が膨れ上がる。


余計なことを言いやがってという声が音を無しに聞こえてくる。



「…………普、お前まだヤンチャをやる歳だったか?」


「……面目ありません」



すごい、あの普が、傍若無人の擬人化みたいな男がしおらしい態度をとっている。


既に或斗の日明への人物評はうなぎ上りであった。


日明はソファから立ち上がり普と或斗の前へやってくると、普にデコピンを食らわせた。



「年下の子供を虐めるんじゃない、もう24だろう、普ちゃん?」


「……ちゃんはやめてください」



普が苦々しい顔でそっぽを向くと、日明はまた笑って、今度は或斗の前へ来た。



「或斗くん、君の事情や境遇は普から多少聞いている。申し訳ないがこちらでも少し調べてな」



そうして、優しく或斗の肩へその分厚い手を置いて、ポンポンと宥めるように軽く叩く。



「未零くんを守れなかったのは私たちの落ち度だ。君の大事な人を、守り切れなくてすまなかった」


「君は今まで1人で、大変だったろう。それなのにしっかり生きてきた。私の勝手な感情だが、どうか労わらせてくれ」



或斗の小さな肩が、日明の大きな手で包まれ、まるで抱きしめられているような心地になる。


ダンジョン適性ゼロの、社会不適合者、コソコソと生きるしかないモグリ……それを、『暁火隊』のリーダーという地位ある人が、1人の人間として見て、認めてくれた。


自分の目からポロリと涙が零れたのに、一番驚いたのは或斗自身だった。



「よく頑張ったな。これからはもう、1人で生きなくて良いんだ」



日明はそれを笑わずに、もう一度肩を優しく叩いてそう続けた。


視界の端で滲んでいる普はふてくされたような顔をしていて、それが少しだけ面白かった。






或斗の涙が落ち着くと、普と共に日明と向かい合ってソファに座り、詳しい話をすることになった。


主に或斗の虹眼の能力と、それで見た未零の行方の話である。


そして「カージャー」という単語と組織の象徴ではないかと思われるブローチの話も明かした。



「あのクソガキが生きて、テロ組織に利用されている可能性があります。眞杜さん……眞杜さんなら、ご存じのはずだ。あの日の任務の詳細と、『カージャー』の意味を」



普はほとんど確信をもって話しているようだった。


それに対し日明は、また厳めしい顔に戻ると、しばらく何事か考え込んでいるようだったが、覚悟を決めた顔で口を開く。



「若いお前たちを巻き込みたい話ではないんだが……未零くんのことがある。何せ我がパーティのエースがパーティを抜けてまで調べ続けていた後輩の行方に関わる話だ」


「俺は身軽になって自分の力を試したかっただけで、あのクソガキのために辞めたわけじゃないです」


「分かってる分かってる、普ちゃんがどのくらい未零くんを可愛がっていたかはよく知っているからな」


「違います」



普が大人しくからかわれる側にいるのは、非常に驚くべきことだ。


今度殴られたら日明さんに言いつけるぞって言おうかな、でも後から倍返しされそうだな、と珍しい光景を眺めていると、或斗へ話が飛んできた。



「或斗くんの力のこともある。黙っておくべきではないだろう」


「俺の力、ですか?」



日明は普をからかう姿勢をやめ、重々しく頷いた。



「『カージャー』についての話をしよう。もっとも、これは危険思想として公に語ることを避けるように国から伝達されている話だ。他に吹聴するようなことは無いように気を付けてくれ」


「無論です」


「わかりました」



普と或斗が頷くのを見て、日明は「カージャー」についての話を始めた。


「カージャー」とは国際テロ組織である。


創始はダンジョン発生後数年の、混乱期と考えられている。


その思想は大きく分けて2つ。


全てのダンジョンを「カージャー」が管理し、人口の増減を含めてダンジョンを有効活用すべきだという考え。


ダンジョン適性は遺伝しない。よって高ダンジョン適性者の数を、クローン技術によって保つべきだという考え。



「人口の増減……まさか『カージャー』はモンスター氾濫を人工的に起こそうとしている?」


「ああ、『カージャー』の連中はそれを大真面目に考えているらしい。それで食糧不足や孤児難民問題も解決する、とな」



これは一般には秘匿されている話だが、ダンジョンコアを掌握すれば、モンスター氾濫を人為的に起こすことが可能であるらしい、と日明は語った。


モンスターに人間を殺させることによって人類全体の人口を管理する……合理性を煮詰めた結果狂った考え方だとしか思えない。


しかし或斗はもう一方の話が気になった。



「クローン技術で高ダンジョン適性者の数を保つ……それが可能なら、もしかして、あの映像に映っていた未零は……」



日明は忌々し気に眉間に皺を寄せ、頷いた。



「未零くんが攫われてから、もう5年になる。クローン技術の実験体として利用されているというのは、十分あり得る話だ」



未零を攫って、好き勝手に実験体にした挙句、未零の姿をしたクローンに犯罪の片棒を担がせている。


怒りと悍ましさで、或斗の頭はグラグラとした。


今すぐ立ち上がって何かに力いっぱい八つ当たりしたい衝動、未零がどんな目に遭っているのか分からない不安から来る吐き気。


顔色を悪くした或斗の頭を、普が軽くはたいた。



「落ち着け。あのクソガキが自分の意志でテロ組織に所属しているわけじゃない可能性は高くなった。これは朗報だろう」


「……はい」


「もう1つ。コイツの力についてというのは……?」



普が日明に問う。


日明は複雑な顔をして或斗へ、1度虹眼の力を見せてくれと言った。


頷いて、或斗は虹眼を発動させる。応接間に不自然な風が吹いた。



「……確かに、ダンジョンコアと同じ虹の輝きだ。魔法の発動とも全く違う、別の力だと考えるべきだな」



日明はもう一度、「カージャー」はダンジョンを管理したがっているという話をした。



「ダンジョンを管理するというのはすなわちダンジョンコアの掌握だ。或斗くんの目の力は、ダンジョンコアと何かの繋がりを感じさせる見た目をしている」


「コイツがダンジョンコアに触れたとき、何かが起こって気絶しました。少なくとも何かの関係があることは間違いないでしょう」


「そうか……私が危ぶんでいるのは、その力が『カージャー』の目に留まったときの或斗くんの身の安全なんだ」


「俺の? 未零みたいに、攫われるかもしれないってことですか?」


「ああ。『カージャー』は今まで、ダンジョンコアの制御権を奪うために暗殺や誘拐を躊躇なく行っている。そして国の中枢に入り込んでいるという噂もあって……それは日本も例外じゃない」


「そんな……政府も信用できないってことですか」


「ああ、未零くんの事件の時の話を聞いたろう。あの任務も、『カージャー』にダンジョンコアの制御権を渡さないための作戦だった。あの時の異常に強いモンスターの出現、その後にタイミング良く『カージャー』の人間が出てきたことを考えると、あの日の任務の情報が『カージャー』に漏れていた可能性は高い。狙われていたのはおそらく、普か未零くん」



その言葉に普が顔を歪ませる。


あのとき回復役を庇っていたのが自分であったら……そう考えたのではないかと或斗は察した。



「俺がパーティを抜けてソロでやるって言ったとき、やたら反対したのはそのせいですか」


「それも大いにある。が、そうでなくとも心配だったに決まっているだろう、あの頃のお前は随分と思い詰めていたし、そもそもダンジョンをソロで攻略するなんて普通は無謀だ」



普はム……と黙り込んだ。


日明との会話を聞いていると、普が随分子ども扱いされているように思う。


年回りを鑑みても、日明と普は親子のような関係性なのかもしれない。



「ともかくだな、或斗くんの力は強力だ。未零くんの行方を追うなら必要になる機会もあるかもしれない……だが、基本的には隠して動くべきだと、私は思う。ダンジョンコアと通じる力を持った人間なんて、『カージャー』が狙わないはずがない」


「既にダンジョンで使いまくってきちゃったんですが、大丈夫でしょうか……?」


「ハハハ、普が居たんだろう。普なら人に見られないように立ち回っていたはずだ。そうだろ?」


「当然です」



すまし顔で普が答える。


ダンジョン内では或斗は蹴り飛ばされビンタされていた記憶しかないが、普はそんな気まで回していたらしい。


しかし、『カージャー』が狙ってくるというなら、むしろ絶好の機会でもあるのではないだろうか、と或斗は思った。


今は『カージャー』に辿り着く手がかりすら何もない状態だ。


向こうから出て来てくれるなら、未零に辿りつく機会を得られるかもしれない。



「……或斗くん、もしかすると君は自分が囮になれば、なんて考えているのかもしれない。だが、それは駄目だ」


「! でも、『カージャー』の手がかりを得ることには繋がるかもしれない……! それなら俺は……!」


「或斗くん。君はまだ16歳で、守られるべき……いや、そうじゃないな。私たちは、君のことも守りたいんだよ」



日明は真っ直ぐに、真摯な目で或斗を見つめた。



「君が今までの境遇から、自分を軽く見てしまうのは仕方がないことかもしれない。だが、私は君とこうして知り合い、話し、君のことを知った。君の未零くんへの想いの強さもね」


「君は尊重されるべき1人の人間だ。私の守りたい相手だ。だから、自分を犠牲にするような考えはやめてくれ」



或斗は絶句した。


日明は或斗と初めて会って今少し話しただけの間柄だ。


それなのに、どうしてこうも或斗の身を案じてくれるのだろう。



「君はどこか、昔の普に似ているね。自分を大事に出来ないところなんか、特に」


「ちょっと、眞杜さん……」



普が抗議の声をあげるが、日明は笑って流す。



「私はそんな普のことも、或斗くんのことも、愛おしく思っている。だから守らせてほしい」



日明は或斗の両手を、その大きな両手で包むように握った。


手の温度とともに、日明の心の温かさが伝わってきて、或斗はまた泣きそうになる。



「『カージャー』の件は、私たち『暁火隊』が全面的に協力する。君を守り、共に戦う。必ず未零くんを捜し出し、助け出そう。だからどうか、私たちを信じてくれないか」



信じてくれ、と請われたのは或斗の人生で初めてのことだった。


或斗は他人から信用されない出自で、弱い者、不要な者として断じられてきた人間だ。


他人から信じられないことが当然で、だから或斗も他人を信用したことなど、未零以外は一度もなかった。


あるいは未零のことさえ、信じ切れていなくて、だから未零の死の真実から逃げ続けていたのだ。


何か名前の分からない、ぼんやりと温かい靄のような感情が、或斗の心を満たしていた。



「おい貧弱ネズミ、どうせお前1人じゃ何も出来ないのは変わらないんだ。さっさと眞杜さんの厚意に甘えとけ」


「普、大事な話を腰から折るんじゃない」



日明と普の関係を見て、羨ましく思っていたことに、或斗は気づいた。


信じあっている関係、心を預けられる相手。


或斗にも、そんな相手が出来るのだろうか。



「俺、は……この眼の力以外、何もありません。金も、ダンジョン適性も……きっと足手纏いになる」


「君にしか出来ないことがあると、私は信じているよ。こうして『カージャー』と未零くんの件を繋げられたのは、君のお陰だ」



日明は或斗の手を握る力を強めた。


温かい橙色の瞳が、信頼と期待を或斗へ伝えてくる。



「…………よろしく、お願いします。俺に出来ることなら、何でもします」


「ああ、よろしく頼む。でも、何でもはしなくて良い。君の保護者として普をつけるからね」


「は? 俺にこの頓馬のお守りをしろってことですか、眞杜さん?」


「好きだろう? 年下の面倒見るの」


「誰が……!」



それからしばらく普と日明がじゃれあうように言い合いをしていたが、或斗の手の中にはずっと、人の温もりが残っていた。






帰りは歩きで、繁華街を通った。


その際、普がおもむろに携帯ショップに寄ったかと思うと、まるで菓子でも買うかのような気軽さで1回線契約し、スマホを或斗に渡してきた。



「えっ、これ、スマホ? 何で……」


「これから連絡とるのに、いちいちお前のボロカス小屋まで俺に足を運ばせるつもりか? 不便が過ぎる。眞杜さんにも迷惑かけるからな、スマホくらい持っとけ。どうせ一番安い型落ち品だ」


「……これもトイチ?」


「ドブネズミを自己破産させる趣味はねえよ」



つまり、完全に普の手出しらしい。


何だかんだと言ってはいるが、これもまた普の面倒見の良さということだろうか。


ウッカリ初対面以降の暴虐を忘れそうになる。


普は或斗に与えるスマホをいくらか操作していたかと思うと、有名メッセージアプリとSNSアプリを入れてくれていた。


メッセージアプリには普と日明の名前が登録されており、他に『暁火隊』のグループにも入れてもらえているようだった。


グループメッセージのページには日明と普からの紹介によって、『暁火隊』のメンバーから「よろしくね」「何でも頼って良いぞ後輩」などといった歓迎のメッセージが飛び交っていた。


或斗はスマホの小さな画面の中に、自分の居場所が出来たのを実感する。


この心を満たす温かい靄のような感情が、安心と呼ばれるものであることを知った。



「……あ、ありがとう、ございます」



恐る恐る渡されたスマホを操作する或斗に、普が真剣な声音で釘をさす。



「それ操作ミスったら爆発するから気をつけろよ」


「は!? ば、爆発!?」



思わずスマホを取り落としかけ、慌てて受け止めた或斗を普が指さして笑う。



「ド間抜け。そんな危険物が普及してるわけねえだろ」



果たしてこの男を無条件に信頼出来る日はくるのだろうか。


或斗はいつか日明に告発する普の所業リストを作ろう、と心に固く誓った。


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