普は言った。
「お前、繁華街なんか来ること滅多にないだろ。観光でもしたらどうだ、俺は先に帰るけどな」
そんな体のいい置き去りを食らった或斗は、スマホを手に繁華街を右往左往していた。
何なら「ダンジョン外でまでノロマのお守りなんかしていられるか」とストレートに言ってもいたので最悪である。
或斗の中の普の株価はジェットコースターのように乱高下を繰り返していた。
スマホ初心者を見知らぬ繁華街の中心に放置して帰るのは、一種の嫌がらせに近い。
あの鬼畜野郎は観光でも、と適当なことを言ったが、古来都会の観光を楽しむために必要なものは1つ。
金である。
持ち合わせの無い或斗は、それでもまあ何だかよくわからない服や菓子なんかを眺めて帰ろうかなと素直に普の言ったことに従って観光を楽しもうとした。
いわゆるウインドウショッピングというものだが、ここで問題が1つ。
今までの或斗であれば、この繁華街の店々を見回って歩いていても、恰好からコイツ金ねえなというのが1発で分かるので、人の多い駅を歩いているゴキブリを見る目で遠巻きにされるくらいで済んだだろう。
しかし、今の或斗は普から買い与えられた適性B以上向けの高ランク装備を着ていた。
そうなると、もうゆっくり商品を眺める時間など無い。
店の品を見始めた瞬間に店員が寄ってきて「何かお探しですか~?」と愛想100%の売り込みをかけてくる。
「いえ、お金がないので見ているだけで……」と或斗が断ると「失礼しました。ごゆっくりご覧ください~」と去っていく。
その去っていくときのオーラがもう、「コイツこの見た目で金ねえのかよ、紛らわしいな、チッ」と舌打ちまで聞こえてきそうな感じであるため、或斗は居たたまれなくなり早々に店を去る。
これを5件は続けたところで、さすがに或斗も観光というのが無理筋であることを理解した。
普なら「2件目で気づけよ唐変木」とでも言ってきそうだと勝手に嫌な気持ちになりつつ、或斗は人ごみの中でどこかゆっくりスマホを見られる場所を探していた。
もちろん、帰宅のための経路を検索するためである。
散々言うが或斗は普のように金を持て余してはいないので、来た時のように無人タクシーで帰るなどという贅沢は出来ない。
旧時代より人件費分安くなったとはいえ、1台ごとに管理費のかかるタクシーは決して安くないのだ。
ひとまずどこかで立ち止まって、スマホで近くの駅を探して、出来るだけお金をかけずに歩けるところは歩くルートを検索する。
マップの経路検索機能くらいなら、或斗も公共のパソコンで触ったことがあるため、問題ない。
問題は人ごみの途切れる場所が見当たらないことだ。
もうその辺の人に近くの駅の方角を訊くのが良いのではないかと思い始めていた頃、不意にすれ違った少女から声をかけられる。
「あれ、ねえ貴方……えーと、そこの黒髪の!」
どこか聞き覚えがなくもない声であったため振り向くと、そこには或斗と同じく黒髪黒目の、微妙に見覚えのある少女が居た。
黒髪は顎辺りまでのショートで揃えられており、顔立ちは親しみを感じる程度に平凡。
自慢ではないが、或斗は友達どころか知り合いすらほぼいない。
友達と呼べるのは未零だけだったし、知り合いといえば今日知り合った日明と、同じ枠に入れるのは業腹ではあるがその前に出会っている普、あとはメッセージアプリで挨拶をくれたまだ顔も知らない『暁火隊』の面々。
そんな中で或斗に声をかけてくる、見覚えのある少女……間違いなくクラスメイトではないだろうし、誰だったか。
或斗が困惑していると、少女は近くまで駆けて来て、素朴な笑顔を向けた。
「この間、旧渋谷ダンジョンで会った人だよね。私、ミクリっていうの」
「……あ」
言われて思い出した。
確かに彼女は一週間と少し前、或斗が旧渋谷ダンジョンで出会い、そして彼女は知らぬことだろうが、初めて虹眼で助けたミクリというポーターの少女だった。
あの日は大きなリュックサックを背負っている印象が強くて、今の少し綺麗な服――といっても古着だろうとは見て分かる程度――を着ている様子からパッと思い出すことが出来なかった。
自分はモグリという立場で見られることに辟易していたというのに、その自分も他人をポーターというポジションで認識していたことに気が付いて、苦い気持ちになる。
そんな或斗の内心を他所に、ミクリは嬉しそうに或斗へ話しかけた。
「あの日はちゃんとお礼も言えなかったから、もう一度会えて良かった!」
「お礼なんて……ただ物を拾っただけで、大したことはしてないし」
「ううん、あの日も言ったけど、見知らぬポーターを助けてくれるなんて、貴方は親切だよ。それに私のせいであのとき貴方まで馬鹿にされちゃって……そうだ、お名前は何ていうの?」
「あ、ええと、或斗。遠川 或斗っていう」
「じゃあ或斗くんって呼んでも良いかな。あ、ここで話し続けてたら邪魔になっちゃうね、ちょっと避けようか」
そう言うとミクリは慣れた様子で人ごみを避けて、建物同士の間に空いた小さな空間を見つけてそこまで或斗を誘導する。
この時点で或斗はミクリの人物評を改めざるを得なかった。
或斗の100倍は都会慣れしている。
「繁華街とか、慣れてるんだ……?」
「え? ああ、ポーターってパーティの買い出し係もするでしょう。何度か来たら歩き慣れるよ」
なるほど、言われてみれば納得の理由である。
孤独にコソコソダンジョン内をうろつくだけのモグリと違い、ポーターはパーティに入っている都合上、様々な雑務を引き受ける立場なのだ。
「すごいな、俺は今日初めてこういう街を歩いたけど、勝手が分からなくて」
「全然だよ~。それより、或斗くん、装備が前と全然違うね! 驚いちゃった」
そう、その点でもミクリはすごい。
何度も或斗の顔を見ているだろうクラスメイトであったとしても、今の或斗の恰好では、或斗本人だと認識するのは難しいはずだ。
ダンジョン適性ゼロ、モグリの或斗が、こんな高ランク装備を身に着けているはずがないという偏見が先に来て、他人だと思い込むことだろう。
それをたった1回顔を合わせただけのミクリは或斗だと気づいて呼び止めたのである。
よほど気の付くタイプであるか、あるいは、あまり考えたくないが或斗の装備の変化に金の臭いを嗅ぎ取ったとか……。
「あの、全部人に買ってもらって……」
だから或斗が金を持っているわけじゃないぞ、という消極的な主張に、ミクリは顔を輝かせた。
「そうなんだ! すごく良い人にパーティに入れてもらったんだね! 良かったねえ……! おめでとう!」
シロもシロ、ミクリの心は病院のシーツより白かった。
ほぼ他人も同然の、しかも元はモグリという自分と同じような立場だった人間が得た幸運を、こんなに素直に喜ぶ少女を少しでも疑ってかかったことを或斗はいたく反省した。
この心の清い少女の顔を曇らせないためにも、この装備の代償とばかりに浴びた暴力の話はしないでおこうと思った。
「ええと、まあ。良い出会いはあったかな。ミクリ、さんは……あれから何かあった?」
「ミクリで良いよ! ええと、私はね……そう、すごい人に命を助けてもらったんだよ!」
ギク、と或斗の顔が強張ったのには気づかず、ミクリは1週間と少し前の話をした。
パーティメンバーが踏んだワープトラップから出てきたモンスターに殺されかけたが、謎の魔法を使うモグリのような人物に助けられたのだと。
「一瞬! ホントに一瞬だったんだよ、パーティのすごく強い皆でも敵わなかった怖いモンスターをね、一瞬でぐしゃって!」
身振り手振りを駆使してその時の様子を伝えるミクリに、或斗は苦笑した。
まさかそのヒーローがほんの数秒前までミクリたちを犠牲にして逃げおおせようとしていたとは思いもよらないだろう。
或斗の苦笑に、ミクリは顔を曇らせて声のトーンを下げた。
「やっぱり、信じられない話かな……? モグリの恰好の、そんな強い人なんているわけないって……」
思わずミクリに教えてしまいたくなった。
その人間はただの気まぐれを起こしただけの小心者で、何も、少しも強くなんかなかったんだと。
もちろん、虹眼のことを隠すためにも、ミクリの夢を壊さないためにも、そんなことは言えなかったが。
「いや、ええと……どうだろ。見てないから何とも……本当だったら、すごいと思う」
「うん……ありがとう! 私もね、あんな風に強くなるのは難しいかもしれないけど、でも、困っている人が居たら、絶対助けようって思ったんだぁ」
ミクリの中で、あの時の或斗の行動は随分と神聖視されているらしい。
あのときのことを馬鹿なことをしたとまで思っていた或斗は見事に居心地悪くなり、話を逸らした。
「ところで、ミクリは今日は買い物? パーティメンバーの代理で?」
「ううん、『炎の継手』は2人も大怪我しちゃったから、少し休もうって話になってて。ポーションで怪我自体はもう治ってるんだけど、もっと強くなるために修行してからダンジョンに入るんだってダイキさんたちは言ってたの。だから今日は休日なんだ~! お給料を少しもらえたから、何かお菓子でも買いたいなって思って」
ミクリと話をしていると、ダンジョン適性でほとんどが決まる人生というものを、それでも目一杯に楽しんでいることが伝わってきて、どうにも居たたまれない気持ちになる。
未零の死という知らせに心折れて、斜に構えて生きていた自分の小ささを思い知らされるようだ。
今だって、或斗には何が出来るわけでもない。
虹眼の力は極力隠さなくてはならないし、力を抜きにした或斗は本当に何も出来ないただの弱者だ。
ダンジョン適性無しとまではいかないけれども、世間的には悲観するだろうポジションで生きている少女の明るさは、或斗には奇妙にさえ映った。
「……ミクリはさ。どうしてそんなに明るいんだ? ポーターだし、ダンジョン適性高い方じゃないだろ。パーティの一員って言ったって、戦力にはならないし、雑用に使われるし」
出来ればミクリの人生を否定するようなことは言いたくなかったが、それでも気になった。
ミクリが気を悪くしないか不安であったが、ミクリはその平凡な顔をきょとんと不思議そうに傾けてから、満面の笑顔で返した。
「確かに私の適性はEで、あんまりダンジョンでは役に立たないと思う! でも私、人生って見つけることだと思うの!」
「見つける……?」
「そう、私が生まれてきた意味だったり、居場所だったり、大切な誰かだったり! 小さなところだと、安くておいしいケーキ屋さんとかね」
言いながらミクリは少しはにかむ。
「そうやって見つけたもの全部が私の人生になるの。それってダンジョン適性がEでも、ポーターでも、叶うことだと思ってる!」
『炎の継手』の人たちも、あの日大怪我した二人を背負ってダンジョンを脱出した後から、ずっと優しく接してくれるようになったんだよ、とミクリは笑った。
「或斗くんも、素敵な居場所を見つけたんでしょう?」
「あ、ああ……」
或斗は日明に包まれた手の温もり、不器用に買い与えられたスマホとグループメッセージを思い出す。
「これからもたくさん見つけられるよ。諦めて、見ないふりしなければ、親切な人も、やるべきことも、何だって!」
「……そうか」
或斗は曇っていた、ダンジョン適性を言い訳に自分を卑下していた心を啓かれた心地になった。
どうせ何も出来ない、ではなくて、何か出来ることを見つけるべきなのだ。
或斗には、常人にない不思議な眼だってあるのだから。
「ありがとう、ミクリ。思い違いを正せた気がする」
「ええ? そんな大げさな話じゃないよ~、それにホラ、こうして見つけられた親切な人の一人は或斗くんだもの」
「それこそ大した話じゃない。ただ荷物拾うの手伝っただけだったよ」
「大きくても小さくても親切は親切! こうしてまた会えたことも嬉しいもん」
そうだ、とミクリはバッグからスマホを出した。
「ポーターになったときにパーティの人に代理で契約してもらったんだけど、私もスマホ持ってるんだ。メッセージアプリやってる? 友達になろうよ!」
「ともだち」
或斗は間抜けな顔で繰り返してしまった。
ミクリは不思議そうな顔をしているが、或斗の人生にはお金よりも縁のない単語だったのだ。
「やり方分かる? えっとね、画面のここを押して、スマホ同士近づけるとホラ、友達になりますか? って出るでしょ」
「ああ……ああ、なるほど」
友達というのはメッセージアプリでの登録の話だったらしい。
連絡を取り合おうという意味だったのか、と或斗は納得した。
慣れない動作でポチポチとスマホを操作し、アプリの友達登録を済ませる。
「よ~し! これで私たち立派な友達だね! ねえ、次の休みの日とか合ったらさ、一緒に遊びに行こうよ!」
「えっ」
「え? ごめん、もしかして嫌だった? それとも忙しい?」
急すぎたかな、とミクリが慌てている。
「いや、じゃなくて……それってその、友達だなって」
「? うん、友達だよ?」
噛みあわない会話に二人して不思議そうな顔をしたが、先に或斗が思い違いに気が付いて、フッと噴き出した。
「ごめん、そうだよな、友達だ。休みの日はまだ分からないけど、分かったら連絡するよ」
「? うん! じゃあ待ってるね! あ、後で道端で見かけた可愛い猫ちゃんの画像送っても良い? 靴下柄でね、とってもかわいくて……」
ただ或斗が身構えていただけで、ミクリとの会話は本当に普通の友達とのそれだった。
今日だけで或斗は温かい居場所を1つ、新しい友達を1人、見つけることが出来た。
ミクリの言う通り、見ないふりをしていなければ、他の何でも、未零のために或斗が出来ることだって、見つけられるのかもしれない。
「そういえば、或斗くんはスマホを持って歩いてたけど、どこか行きたいところがあったの?」
「ああ……帰ろうと思ってたんだけど、近くの駅の場所が分からなくて」
「そうだったんだ、じゃあ駅まで案内しようか?」
「それは悪いよ。ミクリはせっかくの休日だろ? 場所さえ分かれば辿り着けると思うし」
「せっかくの休日だから、せっかく友達になれた或斗くんを送って行きたいんだよ。良いでしょ?」
思うに、ミクリの対人コミュニケーション能力は推定で或斗の100倍はあるに違いない。
或斗はすっかり言いくるめられて、「じゃあ、せっかくだから頼む」と笑った。
そうしてミクリが先導して、少し歩き始めたところで、ゴーンと大きな音が鳴った。
曰く、禍福は糾える縄の如し。
或斗たちの歩いていた道の真横には、建築中の高層建造物があった。
工事中を示すために張られていた白い布が、一瞬にして何本もの赤い鉄骨に押し破られたのが見え、落ちてくる鉄骨に気付いた他の通行人が悲鳴を上げた。
ほんの数秒で、真っ赤な鉄骨が地面に到達して、そこら中の人々の体を押しつぶすだろう。
そう、目の前の、ミクリの頭上にも、鉄骨は迫っていた。
ダンジョン適性のある人間は、旧時代の人間よりずっと頑丈である。
適性がAともなると、旧時代の人間では致命傷であった傷でも、ポーションで後遺症もなくすっかり元気になれるということは世に知られている。
ただし、それは脳のある頭部や心臓といった急所を外した傷の場合だ。
どんな人間でも、頭や心臓が潰れては生き残れない。
落ちてきた鉄骨は、ミクリを含めた何人もの人々の小さな頭や胸部を押しつぶして余りある大きさをしていた。
――或斗くんの力は強力だ。未零くんの行方を追うなら必要になる機会もあるかもしれない……だが、基本的には隠して動くべきだと、私は思う。
先ほどの日明の警告が脳裏を過る。
けれど同時に、目の前の彼女の素朴な笑顔が言った。
――人生って見つけることだと思うの!
――そうやって見つけたもの全部が私の人生になるの。
「カージャー」に狙われることは、捕まってしまうことは恐ろしいことかもしれない。
『暁火隊』の面々に大きな迷惑をかけてしまうかもしれない、せっかくの居場所がなくなってしまうかもしれない。
だが、まだ人生のいくばくも見つけられていない、或斗の新しい友達を見殺しにすることは、それよりもっとずっと恐ろしいことだ。
或斗は選んだ。
具体的に何が出来ると考えたわけではない、しかし"必ず出来る"と確信があった。
或斗はその虹色の眼を開いた。
ドン! と大きな音が地響きのように鳴る。
だが、次の瞬間誰もが驚愕した。
全ての鉄骨は、まるで意志を持って通行人すべてを避けたかのように落ちており、誰一人として怪我さえしていなかったのである。
砕けた道路の瓦礫と少しの砂埃が舞う中で、或斗の虹眼がひと際輝いていた。
目の前で、頭を押さえ腰を抜かしているミクリが或斗を見上げて呆然としていた。
「或斗、くん……?」
その声で我に返り、或斗はすぐに虹眼の発動を止めると、その場から走って逃げ出した。
事件がこれだけで終われば、ただの奇跡的な事故というだけの報道で済んだだろう。
しかし、起こった場所は繁華街であり、鉄骨が落ちてくるちょうどその瞬間から、偶然スマホで動画を撮っていた通行人が居た。
動画は、鉄骨が落ちた場所のすぐ近くにいた虹色の眼の人物を遠巻きながらも映しており、通行人は単純な好奇心によってその動画をSNSにアップロードした。
『鉄骨落下事故で起きた奇跡! 誰かが虹色の魔法で皆を助けた!?』
そう添えられた文章と共に、動画はあっという間にあらゆるSNSで拡散された。
薄暗い研究室を、パソコンのモニターが照らしている。
3つも4つもあるモニターのほとんどは専門知識がなければ分からないだろう謎の数値データやグラフを表示していたが、1つだけ俗っぽいSNSの投稿を開いているものがあった。
その投稿には転載された動画が載っており、元の投稿とは言語が違うが、『虹色の魔法の人物は誰だ?』と書かれてある。
繁華街の中心で工事中の高層建築物から何本もの鉄骨が落ちてくるという、致命的な事故。
それは奇跡的に怪我人の1人も出さず、そして現場には虹色に光る眼をした少年くらいの背格好の人物が映っていた。
ネットではもっぱら、この人物が魔法で奇跡を起こしたのだという言説が支持されている。
パソコンの主は、小難しいデータ類のすべてを放り出して、齧りつくようにその動画を何度も再生していた。
「虹色の光……」
「我らが
何度も何度も、旧時代で言う擦り切れるほどの回数、パソコンの主は動画を見返していた。
薄暗い研究室には、パソコンの主の息遣いと、コポコポという水音だけが響いていた。