旧江東区港湾区域というのは、東京湾上に島のようなダンジョンが発生したことにより放棄された元港である。
東京湾上のダンジョンはそのまま東京湾ダンジョンと呼ばれているが、船で行く他なく、移動手段が限られており、人気はない。
ただほどほどに規模が大きく、放っておくと強大な水陸両用モンスターがダンジョンから出て来て人の居住区を襲う可能性があり、国主導で年に3~4回ほど大規模なダンジョン攻略が行われている。
ダンジョン内部の地形も水場が多く、完全攻略には至っていないが、立地的にも漁業権的にも、完全攻略が成されたら即座に消滅させられるダンジョンのうち1つだろう。
東京湾に接している区の沿岸区域は、ほとんどが同じ理由で人類の生存圏とは見なされていない。
結果、倉庫群や廃船の並ぶ元港は廃墟として放置されている。
一応、国主導のダンジョン攻略の際にベースキャンプの役割を成している建物がいくつかあるらしく、人の出入りが全く無いということはないのだが、今は攻略の時期ではなく、また夜も更けていることで、廃墟となった倉庫群は寒々しいほど人気がなく静かであった。
夜11時、或斗は一人で倉庫群の中を歩いていた。
指定された倉庫は元々どこかの企業所有のものであったのを、廃棄された後に国が区画整理番号として189番とつけた場所である。
倉庫入口の錆びついたシャッターは或斗を招き入れるように上げられ、或斗を丸のみせんとばかりに黒々とした口を開けていた。
或斗は少しだけ躊躇して足を止めるが、すぐにシャッターの内側へと踏み入った。
倉庫は2階ほどの位置に窓がいくつも設けられており、月と星の明かりが差しこんで、暗いには暗いがまったく何も見えないというほどではなかった。
見回した倉庫の中にはほとんど物がなく、ただ端に放棄されたコンテナがいくつか詰んであって、壁際に完全な暗闇を作っている。
或斗が人の気配を探って周囲を見回していると、壁際の暗闇の中から、黒いローブを目深に被った人物が出てくる。
顔は分からないが、旧新宿ダンジョンでの過去視で見た人物と同じように蒼銀の杖を持っており、未零の攫われる様を思い出した或斗は警戒を強めた。
黒ローブはゆっくりと、宗教者のような語り口で或斗へ声をかけた。
「よく来てくれた、神の断片。虹の瞳を持つ者よ」
「神の断片?」
「お前の力は神の力の一部。我々が檻に入れて管理すべきもの……」
或斗の怪訝な声への返答は、どうにも要領を得ない内容である。
黒ローブの喋り方は語りかけるというよりも、既に決めていた文句を読み上げるような人間味の無さがあった。
ただ、声の雰囲気から、黒ローブの人物は女性らしいとだけ分かる。
或斗は意を決した顔つきで黒ローブに向き直った。
「要求が2つある」
「要求……? そんなものを聞く必要は我々にはない。お前を連れて行き、檻に入れる」
黒ローブは奇妙なことを聞いたという風に僅かに首を傾けて、或斗の言葉を拒絶する。
或斗も拒絶を予想していたように、動揺せずただ腰元から小ぶりのナイフを取り出した。
以前モグリとしてダンジョンに潜っていた時に薬草採取用に使っていたものだが、手入れをしていたおかげで錆はなく、人の皮膚くらいなら斬り裂けそうな光り方をしている。
「脅しのつもりか? まさかそんなもので私を害せるとでも?」
黒ローブは馬鹿にするでもなく、ただ不思議そうな声音で言う。
或斗はぐっとナイフを握る手に力を入れ、緊張を孕んだ目をして首を横に振った。
「そんな甘いことは考えてない。けど……」
そう言うと、或斗はナイフの刃を自分の"目"の前に移動させる。
「要求を聞かないなら、俺はこの場でこの目を潰す」
或斗はハッタリではない、確かな覚悟を持った強い声を出した。
或斗の覚悟を見て取った黒ローブは暫し沈黙してから、「要求とは?」と短い言葉で交渉のテーブルに座った。
或斗は目の前の刃物に映る自分の黒目に気を散らさず、黒ローブを睨みつけるようにして告げた。
「未零とミクリの解放だ。2人とも、お前たちが攫っているんだろう」
黒ローブは少し考えるような沈黙を挟んでから、杖を持っていない方の手を挙げて合図のような動作をとる。
するとまた壁際の暗闇から、別の黒ローブの人物が、気を失ったミクリを抱えて出てきた。
ミクリの胸は小さく上下しており、生きていることは間違いなさそうだ。
「その娘の解放には応じよう。ダンジョン適性も低く、利用価値もない」
「未零は?」
或斗は気を緩めず追求する。
交渉相手の黒ローブは大げさに首を横に振って、交渉の余地を蹴った。
「あちらの娘は利用価値が高すぎる。もはや我々の計画に組み込まれている存在だ。手放すことは考えられない」
「それなら……」
と或斗はナイフを更に自分の目に近づけるが、黒ローブはそれを制して言った。
「お前の目が傷つけられたとき、この娘の命は保証されない」
その言葉を合図に、もう一方の黒ローブはミクリを床に降ろし、剣を取り出して意識の無いミクリに突きつけた。
目の前の黒ローブはやはり人間味の薄い声音で或斗に交渉の終わりを告げる。
「お前の身柄と、この娘の身柄の交換だ。つまらない脅しに付き合っただけありがたいと思え」
黒ローブはもうそれ以上言葉を並べるつもりもないようで、薄暗い倉庫に冷たい沈黙が満ちる。
ミクリに向けられた剣先は少しもブレず、彼女の心臓の上に向けられている。
或斗は悔し気に顔を歪め、ミクリに突きつけられた剣を見てから、ナイフを下ろして項垂れる。
そしてゆっくりと、黒ローブの方へ近づいていった。
黒ローブはそれを迎え入れるように両手を大きく広げ、興奮を隠さずに声をあげた。
「ああ、ついに! 最高の実験体が手に入るのだ! 人間が神を制御し、あるいは神を宿すための手がかりが!」
しかし、或斗が黒ローブまであと5歩ほどまで近づいたところで、ガシャンと廃倉庫の高い窓が割れる派手な音が鳴り響いた。
窓からは2人の人物が飛び込んでくる。
普と日明だ。
それを瞬時に判断した黒ローブは仲間の黒ローブに指示してミクリを人質にしようとするも、或斗の虹色の眼が黒ローブ2人ともの動きを止める。
数瞬、またたくような速度で、普がミクリに剣を突き付けていた方の黒ローブを蹴り飛ばし、ミクリの身柄を確保する。
遡ること12時間ほど前、『暁火隊』の応接間で、或斗と普が口論をしていた。
「俺1人で指定の廃倉庫へ行きます! そうしなきゃミクリが死ぬかもしれない!」
「馬鹿丸出しの妄言吐いてんじゃねえよノータリン! 敵の要求そのまま呑んでどうすんだこのクソ間抜け!」
或斗はミクリを助けたいと主張し、普は見捨てろと言う。
日明はじっと考え込むように目を閉じて黙っていた。
「俺のせいでミクリは巻き込まれた! 何も悪くない、普通の子なんです! それで、……友達なんだ!」
或斗は必死に言い募るも、普は出会った時のような見下げ果てたという視線で或斗の主張を切って捨てる。
「その小娘がどんな善人でも悪人でも関係ねえよ。お前は『カージャー』に繋がる唯一の鍵だ、ただの適性Eのぼんくら女の命ごときと引き換えに出来るか」
或斗は頭にカッと血が上るのを感じた。
自分が適性無しの無価値なものとして見られることには慣れていた、お仲間の低適性者が似たような目で見られているのにも慣れているはずだった。
でも違うのだ、自分だって本当は居場所を欲しがっていた。
ミクリだってほんの小さな幸せを拾い上げて喜べる、たった一人の人間なのだ。
その命をダンジョン適性という、ダンジョン社会では当たり前の価値観で切り捨てられたことに、どうしようもなく腹が立った。
或斗は怒りのまま普を睨みつける。
その敵意に、普は初対面の夜同様、拳を振り下ろそうとした。
或斗はあの夜とは違い、その暴力に対して虹眼を発動させてやり返そうとする。
その瞬間を、日明が低く、大きくはないものの二人の動きを止めるほどの重圧を持った声で遮った。
「考えがある」
或斗は縋るように、普はばつが悪そうな顔で直立し、日明の語るところを聞いた。
「今回の脅迫では、未零くんの話は少しも触れられていない。美来里くんのことを調べ上げるほどの『カージャー』の情報網だ、或斗くんと未零くんの関わりを知らないとは考えられない」
「おそらく、或斗くんを動かすには美来里くんの身柄だけで十分だと判断したのだろう。今回指定されている倉庫へは、良くて美来里くんしか連れて来られていないはずだ。この時点で、未零くんと美来里くん2人ともの身柄の保護は出来そうにない。『カージャー』のやり口を考えれば、或斗くんが1人で倉庫へ行けばそのまま連れ去られ、美来里くんは口封じに殺されるだろう。よって、或斗くんが1人で行く案は認められない」
日明にまで否定されて、或斗は顔をくしゃくしゃにして反駁した。
「じゃあ、じゃあミクリを見捨てろって言うんですか!」
そう問われた日明は大きく首を横に振る。
「或斗くんが1人で来たように見せかけて、私たちは隠れて同行する。指定の廃倉庫付近の隠れられる場所については、栞羽くんがルートをとってくれるだろう。無論、『カージャー』の伏兵と出くわす可能性はあるが、普と私なら気づかれないように無力化することは可能だと考える」
普は当然だとばかりに鼻を鳴らす。
日明は少し落ち着いた或斗に、3本の指を立てて見せた。
「或斗くんには、3つやってもらうことがある。1つはまず美来里くん本人を交渉の場に出させ、無事を確認すること。2つめは、『カージャー』の口から未零くんの現状、あるいは身の安全が確保されている情報を引き出して確かめること。それが出来れば合図をしてもらい、私たちが倉庫内へ突入する。『カージャー』は美来里くんを人質に取ろうとするはずだから、或斗くんはその時、虹眼の力で倉庫内の『カージャー』全員の動きを止めてくれ。これが3つめだ。以上の状況が整えば、私たちは必ず美来里くんを助け出す。そして君の身柄も渡さない」
提案に飛びつこうとする或斗を、日明は言い含めるように諭した。
「正直に言っておこう、もし倉庫へ近づいた時点で作戦決行が難しいようなら、私たちは美来里くんの身柄を諦めて或斗くんを保護する方針に変えざるを得ない。適性や能力がどうこうではなく、みすみすと大切な人々を2人失うか、1人の犠牲に留めるか、そういう問題だ」
納得はいっていないものの、或斗はそれ以上を望むのは我儘でしかないと理解する。
「倉庫へやって来る『カージャー』の人数も分からない。人質を取られている以上、交渉まで持っていくことも難しいだろう。上手くいくかは運にもよる。だが、私たちの勝利条件は或斗くんの動きにかかっている」
出来るか、と日明は問うた。
或斗は力強く頷いた。
割れた窓ガラスが月明りを反射する倉庫の中で、ミクリを日明へ渡して自由に戦えるようになった普がパキンと足元のガラスを割った。
その隣には虹眼で『カージャー』2人の動きを止めている或斗が居る。
「楽に死ねると思うなよ、お前ら。今までクソほど煩わされた分、搾りカスになるまで情報引きずり出してやる」
台詞も顔も、完全に悪役のそれであったが、この状況で普の武力は充分すぎるほど場を支配するものになり得る。
或斗とミクリの身柄はこちらが確保し、敵は動けない。
後は蹂躙するだけ、とばかりに普が一歩踏み出したところで、杖を持っている方の黒ローブが不気味に笑った。
「何を……!?」
直後、黒ローブの持った蒼銀の杖から、あるいは黒ローブ自身の体から出ている音を杖が増幅しているのだろうか、謎の鳴き声のような波動が発され、倉庫を満たした。
「ぐっ……」
或斗と普と日明の3人は全員、発された波動により視界が大きく揺れ、その場に膝をついてしまう。
天地がひっくり返るかのごとき視界の揺れに、或斗の意識は朦朧とし、虹眼の力が切れてしまう。
「この鳴き声は……あのキメラモンスターの……!」
隣で意識を失うまいと耐えている普が、呻くように言う。
モンスターの鳴き声を人間が発したというのか? 或斗は信じがたい気持ちでどうにか黒ローブの方を見上げる。
動けるようになった杖の黒ローブは、目深に被っていたフードをはねのけ、その顔を月明りの元に晒した。
その容貌は異様なものだった。
顔中至る所に魚の鱗のようなものが生えており、眉はなく、鼻は潰れ、目だけがギョロリと飛び出している。
頬骨のあたりには鰓に似た棘があり、口は耳元まで大きく裂けていた。
人間と魚のキメラ、といったところだろうか、異形はニタリと大きな口を歪ませて、或斗たちの様子を嘲った。
「『暁火隊』、だったか。お前たちが潜んでいるだろうことなど想定内だ」
「お前たちの動きもいい加減に鬱陶しかったことだ、ここで始末するのも良いだろう」
それに……と異形の黒ローブは倉庫の奥を見る。
そちらからは、先ほど普に蹴り飛ばされたもう一人の黒ローブは歩いてきていた。
「この個体に殺されるお前たちという図は、実に面白い余興だ」
異形が合図をすると、もう一人の黒ローブがフードをはねのけた。
フードに隠されていたのは、桃色の髪と緑の目、人形のように整った顔。
「未零……!?」
或斗が驚愕の内に名を呼ぶも、黒ローブを身に纏った未零は無表情で、何も言わず、剣を持ったまま普たちへ近づいてくる。
そうして黒ローブの未零は、剣でやっと体を支えて膝をつく普の首筋に向けて、無感情に剣を振り下ろそうとする。
こんなことがあってたまるか。
或斗は過去視で見た、先輩、と普に懐く未零の姿を思い出す。
あの2人の間には、或斗との間にあったものとは全く違う形だけれど、確かな絆があった。
普は、或斗が逃げ続けていたこの5年の間も、未零の行方を追っていた。
本人は決して認めないけれど、情のある人だ。
未零の姿をした者に、普が殺されるなど、あってはならない。
絶対に止めなければならない、けれど或斗の体は動かない。
虹眼で黒ローブの未零の持つ剣を壊すことは出来るだろう、だが、或斗以外の2人も動けず、或斗も今にも気を失いそうな現状を踏まえるとそれは有効な手段ではない。
未零の身体能力がそのままであれば、素手でも、気を失った普と日明の2人の首を捻じ切ることが可能だからだ。
では異形の黒ローブの持つ杖を壊せば? 否、それも確実ではない。
今或斗たちを襲っている異形の黒ローブの力の源は、あの杖ではなく、異形の黒ローブ本人にある気がするからだ。
普の首筋に鋭い銀の刃が振り下ろされようとしている。
ほんの数瞬の間、スローモーションのような視界の中で或斗は考えた。
意識はグラつき、普の命が危ない。
今にも意識を奪い去ろうとするこの波動の中で虹眼が使えるのは、おそらく1度きり。
どうする?
何をする?
何が出来る…………そこで、或斗の頭に初めの異形の黒ローブの言葉が蘇った。
――お前の力は神の力。
或斗は賭けに出ることにした。
或斗は普に振り下ろされようとする剣から耐えきれず目を逸らした、ように見せかけて、異形の黒ローブを"見た"。
神の力なら、神が全能ならば。
神が見るものだけが、本当だ。
"俺"の見るものだけが、本当だ。
俺が本当と認めないものは、存在することを許さない……!
或斗の虹眼が輝き、突如異形の黒ローブが悲鳴を上げて蹲った。
瞬間、膝をついていた姿勢から普が剣を振り上げ、黒ローブの未零が振り下ろしていた剣を弾く。
「よくやった或斗!」
そう叫んで、普はつい今までの不調が嘘のように軽やかな動きで、黒ローブの未零へ剣を振るう。
黒ローブの未零はやはり無表情に応戦するも、たった何合かの斬り結びあいを経て、すぐに防戦一方になる。
「遅いし、弱えな! 俺の鍛えたクソガキは、こんな惰弱な剣は振るわねえぞ!」
怒りを顕わにした普の剛剣が、黒ローブの未零を剣ごと吹き飛ばした。
「やはりまだ完璧には程遠いか……!」
蹲っていた異形の黒ローブはその様子を見て、忌々し気にそう言うと、よろよろと立ち上がる。
そしてどこにそんな余力があったのかと思うほどの動きで蒼銀の杖を振りかざすと、倉庫の壁中から煙幕が噴き出て、視界を塞ぐ。
「虹眼の力、いずれ必ず我らが檻へ入れる……!」
そう捨て台詞を吐いて、異形の黒ローブと黒ローブの未零は煙幕の中へ消えて行った。
『暁火隊』本部地下の隠し部屋の中で、パソコンと向き合っていた栞羽がため息をついて、肩をすくめた。
「ダメですね。くっつけてもらった発信機の類は全部機能不全。あの煙幕には妨害電波の役割もあったようです、電子的にも物理的にも、足取りが追えません」
「怠けてんじゃねえぞクソビッチ。お前がここで悠々ナビしてる間に人が稼いだアドを何だと思ってやがる」
「そんなこと言われてもぉ、無理なものは無理なんですぅ~! コンピューター言語のいろはが分かるようになってからナマ言ってくださ~い!」
「ダンジョン社会の第二言語は暴力って決まってんだよペチャパイが。良いから何か手がかり出せカス」
「その第二言語で負けかけた癖してパワハラやめてくださいね~」
「あ゛?」
普の味方をする気にはなれないし、かといって普を止めようとしたら殴り倒されることが目に見えている。
或斗は年上2人のガキみたいな喧嘩から流れてくる殺気に辟易していた。
年上2人、普と栞羽の間に一触即発の空気が流れ始めた頃、地下へ日明が下りてくる。
「医務室に行ってきたが、美来里くんはもう大丈夫だ。特Aポーションなら、何とか指もくっつくだろう」
その言葉に或斗は心から安堵し、視界が潤んだ。
「日明さん、栞羽さん……あと普さん、ありがとうございます」
「俺はついでか? ぶち殺すぞドブネズミ」
日明は気が立っている普の肩を叩いて宥めながら、首を横に振って答えた。
「お礼を言うならこちらの方だ、『カージャー』の持つ力の見積もりが甘かった。私と普は、或斗くんに命を救われたよ」
日明に促され、普が非常に不本意そうな顔をして呟く。
「10000ある貸しのうち1くらいはチャラにしてやる」
普の言はどう捉えても礼を言う姿勢ではなかったが、或斗も慣れたもので、適当にありがたみをもって頷いておいた。
落ち着いたところで、日明が真剣な顔つきになり、或斗へ問う。
「あの時『カージャー』の女が使った魔法はモンスターの力だった。おそらくセイレーン型の上位個体……『カージャー』たちは自分たちさえ実験体として、モンスターの力を取り込んでいるのかもしれない」
「セイレーンの眠りの呪いを解くには、回復魔法か特殊なポーションが必要だ。或斗くんはあの時、一体何をしたんだ?」
問われて或斗は思い返す。
あの時は無我夢中で、ロジックを理解して使った能力ではなかったが、曖昧ながらも言葉にすることは出来た。
「あの異形の黒ローブは、初めに俺の力を神の力と言いました」
荒唐無稽なんですが……と足して続ける。
「神の力だっていうなら、神としてあの異形の黒ローブのモンスターの部分を認めないと強く思えば、俺の視界にその思考が反映されて、モンスター部分の影響が消えるんじゃないかって……」
日明は或斗の言ったことを反芻するように何度か頷いていたが、やがて重々しい声で呟く。
「神の力、存在の否定か……或斗くんの虹眼の力は、私たちが思っているよりずっと強大なものなのかもしれない」
日明の言葉に、或斗も黙ってしまう。
深く考えてこなかった、5年封印してきたこの力。
この力があったからこそ、今回ミクリと日明と普を助けることが出来たのは事実だ。
しかし、強大過ぎる力は身に余るものだとも、不気味だとも思った。
シンと静まった情報部の部屋に、無神経な声が1つ。
「ドブネズミが持つには過ぎた力ってことだな。案の定使いこなせてねえし」
「普ちゃんってば助けられておいてそんなこと言う~」
「倉庫ではちゃんと或斗って呼べていたのにな。照れ隠しか?」
栞羽におちょくられ、日明にからかわれて言葉に詰まる普を見て、或斗は笑った。
この人はまったく、と仕方のない気持ちになり、同時に何も態度を変えない普に少し救われる気がした。
すぐに鉄拳が飛んでくるところは本当にどうかと思うが。
頭を摩る或斗を撫でてから、日明は力強い声で言った。
「『カージャー』はまた必ず、或斗くんを捕らえようと接触してくるだろう。今度こそ奴らの足取りを掴み、未零くんを助け出す手がかりを得よう」
或斗は頷き、決意を新たにする。
この虹眼の力が何だとしても、未零を取り戻すためならいくらでも利用する。
不気味な力も、『カージャー』の思惑も、恐れずに挑む。
無才の身なれど、確かに或斗は自分の力で、仲間を、友達を守れたのだから。