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10 ゾエー


『暁火隊』地下情報部では、昨夜得た新たな情報を元に、物々しい雰囲気でブリーフィングが行われていた。


栞羽が目の下に隈を作って収集したデータをいつもの調子で読み上げる。



「旧名古屋ダンジョンでは、一番古くて3日前、最新は昨日のもの、で未零ちゃんの顔をした黒いローブのダンジョン攻略者の目撃情報が上がっています~。顔に惹かれて話しかけた者も居たそうですがぁ、返答をすることはなくダンジョンの奥へ去って行ったとのことですね」



栞羽はスクリーンに旧名古屋ダンジョンのマップ情報を出し、その上に未零の顔をしたダンジョン攻略者の目撃情報のあった場所を重ねる。



「以降は未零ちゃんの顔をした黒いローブのダンジョン攻略者のことを、暫定で未零クローンと呼称します。未零クローンはダンジョン低階層から上層の明らかに人目につく場所でモンスターとの戦闘を行い、ダンジョンの奥へ去っていくという行動を繰り返しているようです~」


「……やっすい餌だな」



白けた目をして普が言う。


栞羽が頷き、日明も同意の見解を示した。



「明らかに、旧名古屋ダンジョンへ或斗くんをおびき寄せる罠だろう。旧名古屋ダンジョンというところが気になるな。3年前までは『カージャー』の拠点があった場所だ。誘拐や逃走のルートをとりやすい場所を選んだのかもしれない」


「はぁい、既に予測できる逃走ルートや隠された拠点が無いかの確認に人員を割いていますよぉ。ただ、今のところは伏兵なども確認出来ていなくて、不気味な感じですね~。ただの罠にしては単純すぎますもん」


「先日の件で釣れたメンバー1匹、アレはブレーンのような感じでもなかった。『カージャー』がただの烏合の衆なら、何も考えてねえ馬鹿集団ってことで遠慮なく殴りに行けるが、それなら5年も骨折らされてねえ。何かを企んでやがるのは確かだな」



慎重路線で話し合う大人たちに、それでも或斗は意見を出す。



「でも……手がかりがある以上は向かうべきだと、俺は思います。ダンジョンの中なら、大量の伏兵を忍ばせておくことは難しいんじゃないかと思いますし」



前回よりは相手をする人数の見立てなども立てやすいはずだ、と或斗は続ける。



「ま、前回程度のクソガキもどきなら何人居ようと俺1人でぶちのめせる。だからこそ読めねえな、またキメラ人間ビックリショーでもしようってのか」


「状態異常系のモンスター対策ならポーションを用意すればほぼ対処出来る。こうなってくると、陽動の可能性もあるな。普という戦力を本部付近から遠ざけ、先に私たちを叩く作戦なのかもしれない」


「そこまで『暁火隊』が見くびられてるとすると、ムカついちゃいますねぇ。普ちゃん1人抜けたくらいで揺らぐパーティじゃありません」



ですが、都内の情報もいつも以上に厳しくかき集める必要がありますね、と栞羽は砕けた表情に真剣な光を宿して言った。


日明は頷き、これからの方針に話を向ける。



「正直、思惑通りに或斗くんを行かせるのは不安が大きい。しかし最大戦力である普から離すのが一番下策だろう」


「俺はいつになったら貧弱ドブネズミのお守りから解放されるんですかね」


「普が安心出来るようになったらだな」



普は苦い顔で黙った。


日明はその様子へ満足げに頷いてから、真面目な雰囲気へ戻り、栞羽へ確認をとる。



「すぐに動かせる適性A相当の戦闘メンバーは?」


「ん~……高楽たからさん、はなぶささん、くらいでしょうか。今は政府からの依頼で皆さんあちこち行ってますから。拠点の防衛も考えると……」


「……永李なごりくんだな。じゅんくんは護衛任務と考えればアリなんだが……」



日明が困った顔で普を見た。



「高楽のボケなら俺が道中ウッカリ殺しても良い場合だけつけてください」



普は悪びれずに言い切る。


或斗は、この人ってやっぱりまともな人間関係が或斗並に希薄なんじゃないだろうか、と呆れが一周回って心配になってきた。


本人曰く人の気配には敏い普は、微妙な顔をしている或斗の視線にも目ざとく気づく。



「おいドブネズミ、言いたいことがあるなら口で言え。今なら半殺しで済ませてやる」


「護衛対象を任務前から半殺しにするのはやめなさい。任務の前後は関係なく、半殺しもやめなさい」



日明はため息と共にそう言うと、今回の作戦目標を告げる。



「後から永李くんにも共有するが、今回の目的は2つ。未零クローンを可能な限り生かして確保すること。裏で動いているだろう『カージャー』のメンバーを場に引きずり出して捕まえること。以上だ」






英 永李はなぶさ なごりという人物は、深緑色の髪を短く切り揃え、首筋やもみあげの辺りは刈り上げている、清潔感のある男性だ。


少しつり目気味だが、橙色の目は日明を思わせる温かみを醸し出して、人柄が滲んでいるのだろう優し気な面立ちをしている。


或斗は英について、普の家での下宿を始めてすぐくらいのタイミングで、既に日明から紹介を受けていた。


曰く、リーダーシップがあり面倒見もよく、ダンジョン適性はBながら技の冴えた剣術を使い、普が抜けて以降の『暁火隊』のエース格のうち1人として活躍しているのだそうだ。


そして、ゆくゆくは日明の後継として『暁火隊』リーダーとなってもらうことを考えているという。


後継の下りでは、英本人はまだまだ日明さんに重石をしていてもらわないと何も出来ないペーペーですよ、と恐縮していた。


ポジションは物理特化の剣士ということで、或斗は思わず本人に尋ねたのだが、苗字の通り英流剣術の本家長男らしく、学校の授業でも聞いたことのある流派の名前に或斗はいたく驚いた。


普は「世間的には俺の方が有名人なんだよ」と青筋を立てていたが、或斗的には教科書に載っている偉人と会ったような感動があった。


英は子供っぽい憧憬の目を向ける或斗にも爽やかに笑って、「道場は俺じゃなくて妹が継ぐから」と言い、少し照れくさそうにして或斗の頭を撫でてくれた。


その撫でる手の温かさが日明を思わせて、なるほど後継候補になるわけだ、と或斗は深く納得した。


そんな英と共に、或斗と普は、旧名古屋ダンジョンの奥を目指して何度もモンスターと戦っていた。


英は完全に前衛、或斗は完全に後衛なので、普がバランスを見て前~中衛をこなす。


或斗はRPGゲームなるものを遊んだことはないが、もしもゲーム風に言うなら、クリティカル物理アタッカーにDPSの高い魔法剣士、或斗はデバッファーといった感じだろうか。


普と英の2人で既に攻撃力が過多なので、或斗はほとんどモンスターの動きを止める役を担っていた。


今まで普のお守りの元戦ってきた或斗は、3人になって上手く連携が取れず、いつも通り普の罵倒の的になっていた。



「すっトロいわノロマネズミこのボケ。視界も狭すぎんだよイヌ以下野郎。少しはタイミング読んで力使えや」


「すみません……」


「まあまあ、普。俺はやりやすいよ、動きを止めてもらえると、急所が狙いやすいしさ」



戦闘後、とめどなくあふれ出てくる普の暴言を宥めて、英は或斗をフォローしてくれる。



「聞いてはいたけどすごい力だな。これに慣れちゃったら、俺の方がダメになりそうだ」


「いえ、そんな……」


「英さん、バカネズミをあまり調子に乗せないでくださいよ」


「俺は本気で言ってるよ。何より、攻撃にも使える力なんだろ? なのにサポートに徹せるその精神性がすごい。まだ16歳で、中々出来ることじゃないよ」



英は優しい目で或斗の頭を撫でた。


戦闘に関しては今まで普から反省会という名の心と体をしばかれるフィードバックしか受けたことがなかったため、或斗は照れて小さく「ありがとうございます……」と呟いた。


普は面白くなさそうに舌打ちしている。


2人の対照的な様子を見て苦笑した英は、周囲にモンスターの気配がないのを確認して、歩きながら雑談を振る。



「或斗は今普の家で保護されているんだっけ。普は厳しいだろ?」



姑みたいに、と言って笑ってみせる英に、普は不本意そうに鼻を鳴らした。


ここで勢いよく頷いてそうなんです! と言ったら最後、確実に普にブン殴られる。


或斗は曖昧に笑い、おいしい食事を食べさせてもらってます、と言うに留めた。



「料理か~、俺も自炊はする方だけど、普の腕には勝てないな。もし普の家が嫌になったら、うちに来ても良いんだぞって言いたいところだったんだけど」


「え!?」



降って湧いた魅力的な提案に或斗が身を乗り出す。


暴行つきのシンデレラ生活から抜け出しても良いのか!? と飛びつきかけてから、普の刺すような目線で我に返り、ひとまず遠慮の姿勢に戻る。



「でも、俺が居たら邪魔になることも多いんじゃないでしょうか。英さんなら、彼女さんとかいるでしょうし」



言外に普には居ないことを強調した形になってしまったため、普からの視線に殺気が籠ったのを感じる。


しかし意外なことに、英は或斗の言葉を否定した。



「今のところは彼女なんて居ないよ。妹にも早くしっかりした相手を作れって言われてるんだけどさ」


「え!? 何故? どうして?」



普に彼女が居ないことは妥当順当この世の必然だが、英に居ないというのはおかしい。


ミステリーだ。世界七不思議の1つに値するだろう。


まさか性質の悪いストーカー被害などに遭っているのだろうか、心配そうに見上げる或斗の顔に、英は堪えられず噴き出す。



「片想い中ってだけだよ、多分叶わないから、早く諦めなきゃって思ってるんだけど」


「叶わない?」



そんなことがあるんだろうか。


或斗は世間知らずだが、英が顔ヨシ性格ヨシ社会的地位アリ家に由緒アリの超完璧物件であることは分かる。


この英という男に好かれて嬉しくない女は、或斗が思いつく限りの薄い女性像では想像もつかない。


もしかして人妻とかだったりするのだろうか……と真剣に悩み始めた或斗へ、英が意想外の答えを寄越す。



「栞羽さん、かっこいいよな……」


「えっ……」



視界の端で普が世にも珍しい痛ましげな顔をしているのが見える。


英なりのブラックジョークではないらしい。


或斗は今までの栞羽の言動を思い返し、口をポカンと開けたまま背景に宇宙を作っていた。


そんな2人の様子に気付かず、英は栞羽の魅力的なところを照れながら挙げている。


完璧超人だと思っていた英だが、天は中々そんな人間を作らないようだ。


女の趣味が悪い。


英の唯一の欠点と言えるだろう、或斗は一刻も早く、英がこの欠点を克服できることを願った。



「或斗は、未零ちゃんが好きなんだよな」



この世の理不尽が早く正されるよう祈っていた或斗は、急に飛んできた恋バナに驚いて咽る。



「す、好きっていうか……友達です。初めての……?」



言われてみると、或斗は未零との間で「俺たち友達だよな」なんて確認をしたことは無かったし、初めての友達、という言葉でまとめられる程度の存在かと問われれると、それは違う、気もする。


あの頃の或斗には未零しか居なかった。


小汚い孤児院の荒れた裏庭に住み着くドブネズミだった或斗へ、唯一手を差し伸べて、光を与えてくれた相手。


或斗以外の人間には、いつもつまらなさそうに似たような笑顔でおざなりに対応していた未零。


あの、手入れされた庭に咲く牡丹のように美しい少女が、何故か或斗だけを特別扱いしてくれた。


底辺から、未零があの白く綺麗な手で持ち上げてくれた分だけが或斗の価値だと思っていた。


あの頃、世界は或斗と未零の二人だけで完結していた。


閉じていて、歪で、しかし美しい日々。


それは今思えばどこか白昼夢にも似ていて、未零を失ってからの5年はまた別の、茫洋とした悪夢の中にいるようだった。


普がやってきて悪夢ごとボコボコにされて引き戻されるまで、或斗は現実に生きていなかったように思える。


或斗にとっての未零は救い主で、自分だけの美しい宝石で、世界の全てだった。


未零のことをこの世で一番美しいと思っているし、そんな未零の特別でありたい。


そう思うことが恋愛感情というのなら、或斗は未零のことが好きなのだろう。


言葉に詰まった或斗の反応を照れと見たのか、憂いと見たのか、英は安心させるように微笑んで、「必ず助け出そうな」と言ってくれた。


そんな雑談混じりに戦闘を続けて、ダンジョン中層まで来た。


中層からは潜っているパーティも少なくなり、必然モンスターとの遭遇率も上がる。


はずなのだが、進むうち、妙にモンスターの気配が希薄な階層に行きついた。


先行していた別パーティが倒し尽くしたのかと思ったものの、あまりにも唐突で、そして戦闘音などの人の気配はしない。



「……来るぞ」



普が自然体で剣を構える。


すると言葉通り、周囲の木立の中から黒ローブを纏った、未零の顔の人物が剣を片手に音もなく現れた。



「確かに、未零ちゃんの顔だな。随分無口だけど」



英は前衛として前に出ようとするも、普が制して「俺がやります」と未零クローンの前に出る。


両者は数秒見合って、どちらからともなく、気づいた時には剣のぶつかる音が高く鳴った。


ダンジョン適性Aの人間というのは、平たく言ってしまえば人外だ。


素早さも筋力も、およそ旧時代基準では測りようのないところにある。


ソロでダンジョン攻略を果たし、日本最強とも囁かれている普と、ダンジョン適性Aの才能を持つ未零のクローンと思われる人物。


いわば人型をした怪獣決戦だ。


前回の倉庫での1件では圧倒的な技術の差により、ほんの十数秒で普が圧勝したが、今回の未零クローンは前回よりも技術が高められているらしく、しばらくの粘りを見せる。


素早さは元々未零クローンの方が上であるようで、紙一重の回避をする普の肌が薄く裂けることもあった。



「普さん……!」


「問題ねえよ、かすり傷だ」



虹眼で加勢に入ろうとする或斗を、普は落ち着いた様子で拒否する。


時間にして1分ほどだろうか、或斗には長く感じたが、やはり前回同様決着はすぐについた。


普が未零クローンの剣を弾き飛ばし、足を蹴り折って無力化する。


未零クローンは苦悶の声をあげるでもなく、ただ無表情に地面に蹲った。



「雑魚モンスターどもで戦闘経験でも詰ませたか、前のに比べりゃマシだが、元のクソガキの実力には遠く及ばねえ」



痛々しく赤黒く腫れた未零クローンの足を見て、或斗は少し動揺するも、未零本人ではないと気を強く持つよう意識した。


英が気を遣って、或斗の前に立ち、未零クローンの負傷から意識を逸らそうとしてくれる。



「さすがだ、普。これで前のように逃げられるってことはないと思うけど、ちゃんと拘束しておこうか」



荷物からロープを出した英が近づく。


それを見て、未零クローンは懐から短剣を取り出した。


英がロープを手放し、剣を構えるも、未零クローンの狙いは違っていた。


普が短剣を弾こうと動き、或斗は虹眼で動きを止めようとする。


だがほんの一瞬、タッチの差で間に合わず、その短剣は未零クローンの心臓部に勢いよく突き刺さって、血しぶきが周囲へ飛び散った。



「チッ……!」


「……!」



普が接近した時には既に短剣は引き抜かれ、未零クローンは派手に赤い血をまき散らしながら、何度か体を痙攣させてやがて動かなくなった。


未零と同じ顔をした存在の残酷な死を目の当たりにした或斗は、顔色を無くして口元を押さえる。


止められなかった、死なせてしまった……未零の欠片が目の前で零れ落ちたように思われ、或斗は足元が不安定に揺れているような心地になった。


未零クローンの死を脈などで確認した普は、血液の採取や持ち物の検分をしながら、或斗の顔を見ずに淡々と言う。



「捕まるくらいなら死ねって命令されてたんだろう。お前が一生虹眼で見続けて止めとくわけにもいかねえんだから、コイツの死はどうしようもなかった」



珍しく罵倒の入っていない、慰めに分類される言葉であった。


或斗は意外に感じたが、すぐに、普も未零と同じ顔の存在を目の前で死なせたことに思うところがあるのだろうと察する。



「すまない、無手だと思って油断した……迂闊だった」



英の痛みを堪えていることが伝わってくる声音の謝罪にも、普は黙って首を横に振った。


検分を済ませた普は立ち上がり、不機嫌な顔で未零クローンの持ち物に重要な情報は無いことを共有する。



「コイツの死体は持って帰るとして……肝心の『カージャー』の連中はどう動くつもりだ?」



その声に応えるように、先ほどの未零クローンと同じように木立の中から小さな黒ローブの人物が歩み出てくる。


本当に小さい。背丈だけを見るなら、小学校低学年の子供と同じくらいだろう。


普は殺気を隠さず、剣を小さな黒ローブに向ける。



「呼んだら出てくるってのは便利だな。普段からそうしてくれねえか?」



小さな黒ローブは普に答えることなく、地面に寝せられている未零クローンの死体に向かって声をかける。



「死んでしまったのね」



その声は背丈に見合った、幼い少女のものだった。


ただ、少女の声色には未零クローンの死を悼むような響きは無い。


むしろどこか嬉しそうに、鈴の鳴るような声で黒ローブは続けた。



「じゃあ、わたしのお友達になってくれるわね」



小さな黒ローブは自分の背丈の1.5倍は長さのある蒼銀の杖を掲げて、おそらく何らかの力を使った。


おそらくというのは、前回の異形の黒ローブの時とは違い、鳴き声のような分かりやすい証が無かったためだ。


しかし何か、背筋の冷えてゾッとする気味の悪い気配がその場に充満した。


すると、普の足元で寝かされていた未零クローンの閉じられた瞳が開き、不自然な動きで体を起こして立ち上がる。


その肌は血の気を失って青白く、緑の瞳は光なく濁っていた。


未零クローンは先ほど弾き飛ばされた剣の場所まで跳ねるように駆け、とって返して或斗を剣で襲撃する。


即座に普が割り込んで、その剣を弾く。



「もう1回遊べますってか? ふざけやがって」



普は何度か、再び立ちはだかった未零クローンの攻撃を受けたが、ついさっき戦ったときとはその膂力と動きに雲泥の差があった。


人間は自分の体を保護するため、自分の体が壊れるほどの力は出さないように脳がセーブをかけている。


適性Aのダンジョン攻略者さえそうであるはずなのだが、今の未零クローンの膂力はそのリミッターが外れていると思わされるほどに理不尽な強さである。


また動きも、人間の関節可動域を外れた、つまりは定石から外れたものが多くなっており、隙を見せれば背後の或斗の首まで獲っていきそうな、無茶苦茶なものになっている。


普は警戒レベルを引き上げた。



「普、悪いがそっちは任せる! 或斗は待機、俺がこの黒ローブをどうにかする!」



英は金の光を纏った細剣を構え、蒼銀の杖を持つ小さな黒ローブへ攻撃を仕掛けた。


英ははじめ、黒ローブも今の未零クローンのように人間離れした動きをするのかと思い警戒しながら細剣を振るったが、すぐに予想外な結果に終わる。


小さな黒ローブは英の剣を3発も受けないうちに弾き飛ばされ、地面に尻もちをついた。


同時に未零クローンも動きを止めるが、普は或斗を背後に油断せず剣を構え、警戒している。


不可解な黒ローブの動きを受けて、英は一定の距離を保ち、細剣で小さな黒ローブのフードをはねのけた。



「な……!」



小さな黒ローブのフードの下にあったのは、埃を被ったような斑の灰色の髪に、アイスブルーの瞳の、7~8歳ほどの少女の顔だった。


少女の顔は造作こそ整っているものの、表面は別人の皮膚をいくつも貼り合わせたごとくに斑色で、額から露出した首元まで、引き攣れた手術痕だろう傷跡が縦横に走っていた。



「こんな子供が『カージャー』だっていうのか? こんな子供まで……戦わせているっていうのか!」



雑談の中で子供好きを自称し、小さな頃から妹を可愛がってきたと話していた英は、目の前の少女の置かれた状況を想像して、堪え難いほどの怒りを覚えた。


そして自分の転ばせた少女が、ぽろぽろと涙を零し、「いたいわ……ひどいわ……」と泣く姿を見て動揺を抑えきれず、思わずかがんで少女と目線を合わせる。


そして努めて穏やかな声音で、対話を試みようとした。



「君は……名前は何というんだ?」


「英さん、ソレは『カージャー』だ。同情する前に手足へし折るくらいするべきですよ」


「普、だがこの子は子供だ。抵抗出来ない子供にそんなことは出来ない」



普は舌打ちせんばかりに苛立ったが、英のフォローに入るには目の前の未零クローンが邪魔だ。


それこそ動かない今のうちに未零クローンの手足や首でも落としておけば良いことは明白であったが、動かない、未零の顔をした人間に、特に或斗の目の前で、そこまでの残虐行為を働けるほど、普も感情を殺せてはいなかった。


英は優し気に微笑んで見せて、もう一度少女へ名前を問う。



「わたし……わたしは、ゾエー」


「そうか、ゾエー。君は『カージャー』に所属しているね。それはどうして?」


「どうして? どうしてかしら……わたしは……」



そしてゾエーと名乗った少女が語った内容は、ダンジョン厄災以降はありふれた、しかし運の悪い、心の壊れた弱者の顛末であった。


モンスター氾濫時に住む家を襲われた少女は両親を亡くし、両親に隠された自分だけが生き残ってしまう。


年齢のためか、狂気のためか、両親の死を理解出来ない少女はモンスターの去った家の中で、両親の遺体と暮らし続けることを選んだ。


日がたつにつれて腐敗し壊れていく両親の遺体を理解出来ず、困り果てていたゾエーが出会ったのが「カージャー」という組織であった。


「カージャー」は共に来れば両親を直してくれると言う。


ゾエーはその誘いに飛びついて、それから……自分は随分醜く変わったけれど、両親は直って、今も一緒に暮らしている。友達も出来た。


少女の語り口は、死の理解を拒んだ狂気に侵されており、罪の意識を少しも感じさせないものだった。


英は悲し気に少女を見つめる。



「ゾエー、君がさっき未零ちゃんのクローン……あのお姉さんにしたことは、何だい?」


「? お友達になってもらったの」



ゾエーはやはり悪びれる様子もなく、首を傾げた。



「死体のゾンビ化能力ってところか。そしてゾンビを操る力」


「ゾンビ……」



普の推察に、或斗は眉をひそめる。


攫った未零のクローンを勝手に作り、更にそれを死なせ、ゾンビにまでして操る「カージャー」のやり口に怒りと嫌悪を覚えた。



「或斗も、普も、気分が悪いよな。すまない。でも、この子は何が悪いのか、分かっていないんだ」


「英さん……」



少女の狂気と境遇を聞いてなお、むしろ深く同情する姿勢を見せる英に、或斗は何も言えない。


そして英は、細剣を置いてゾエーに手を差し伸べた。



「ゾエー、『カージャー』になんか居ちゃダメだ。俺たちと一緒に行こう。両親とはもう会えないかもしれないけれど、俺たちが君の新しい居場所になる」


「あなたたちと、一緒に? でも、他のみんなに怒られてしまうわ」


「怒らせない。俺たちが必ず、君を守る」


「わたし……わたしは醜くなってしまったわ。あなたには、わたしの醜さが見えないの?」


「君は醜くなんかない。とても、かわいらしいよ」



温かな声でゾエーに手を差し伸べる英の姿は、あの日自分を受け入れてくれた日明と被って見えて、或斗は騒めく心を感じながらも止めることが出来なかった。


ゾエーはアイスブルーの目を丸くして、差し伸べられた英の手を、英を見た。



「……あなた、わたしを守ってくれるの?」


「ああ」


「わたしの、お友達になってくれる?」



英は力強く頷いた。


ゾエーは嬉しそうに微笑んで、英の手をとって立ち上がる。


そして、もう一度蒼銀の杖を使い、冥府の臭いがするその力を行使した。



「ッ! 英さん!」



普が止めようと動くも、同時に動き出した未零クローンがそれを妨害する。


或斗は虹眼でゾエーの力を止めようとするも、目には見えないその気配を押し留めることは出来なかった。



「ごっ……ぐぅ、があぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」



ゾエーに握られた手から死の冷たさに浸食された英は、指先を初めとして順に自分の細胞1つ1つが死に絶えていく凄まじい痛みに、壮絶な断末魔を上げた。


脳までを死が包み、意識が失われるとともに、英はその場に倒れた。



「英さん! 英さん!!」



或斗の叫びに、英はピクリとも答えない。


普と未零クローンの剣激の音が数度響くほどの時間を挟んで、英は無言で起き上がった。


しかしその両腕はだらりと力なく垂れ、肌は青白く、あの温かかった橙の瞳は死体と同じ濁り方をしていた。


そんな英だったものを後ろに従えて、ゾエーは引き攣れた顔で綻ぶようにクスクスと笑ってみせた。



「今日はお友達が2人も増えて、わたし、とてもうれしいわ」


「あら? でも、わたしがお友達にするのはあの子じゃなかったかしら。いけない、また怒られてしまうわね」



ゾエーはあの子と言いながら、或斗を見た。


やはり狙われていたのは或斗だった。


しかし、失われたのは或斗ではなく……。


変わり果てた英の姿。


英の命が目の前で失われ、ゾンビと化した現実に、或斗は頭が真っ白になり、呆然とした。


普は激昂し、力まかせに未零クローンの剣を弾き飛ばし、その体を蹴り飛ばすと、ゾエーに斬りかかる。



「ッんのイカレガキ、ぶち殺す……!」



ゾエーは英の体を自分の前に出して普の動きを一瞬止めると同時に、蒼銀の杖を掲げる。


その途端、静かだった階層中にモンスターの気配が溢れかえる。


そこら中からモンスターが駆けてくるが……それらの体は既に致命傷を負っており、ところどころ腐敗していることに気付く。


ゾンビ化したモンスターが地面から起き出し、或斗と普を襲った。


或斗も混乱の中虹眼の力で応戦するが、数が多すぎる。


普は怒りのままにゾンビモンスターたちを斬り伏せるも、或斗を守りながらでは手数が足りなかった。



「また会いましょうね。そのときはきっと、わたしのお友達になってちょうだい、虹色のあなた」



ゾンビモンスターの大群に紛れ、未零クローンと英のゾンビを従えたゾエーが木立の向こうへ姿をくらませた。


数十分後、ようやくゾンビモンスターの群れの無力化を終えた或斗と普は、モンスターの死骸の中に残された英の細剣を見つけ、黙り込む。


或斗は悍ましく残酷な現実に打ちのめされ、声もなかったが、普は細剣を拾いあげると唸るように言った。



「……次はそのドブより汚ねえツラを継ぎ接ぎに沿って八つ裂きにしてやる、クソゾンビ女」



次、その言葉は確実に、英だったものとの対決をも示している。


或斗はほんの数時間前、優しい言葉と共に自分を撫でてくれた手の温かさを思い、それが失われた事実に叫び出したい衝動を堪えて歯を食いしばった。


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