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12 バル=ケリム


音もなく車が止まり、或斗の両脇を固めた「カージャー」構成員の片方が念入りに拳銃を或斗の腹に押し当てた感触がある。



「到着だ」



そう言って引きずるように車から降ろされ、両脇を挟まれたままいくらか歩かされる。


或斗はここへ来る前に着ていた服を没収され、貫頭衣に似たシンプル過ぎる服を着せられていた。


持ち物も全て没収され、靴さえ履かされない徹底ぶりだった。


そして或斗の目元には黒い布が巻かれてある。


或斗の力と視界を封じるための目隠しだ。


車の外の空気は知らない場所の臭いがした。


ブンと自動ドアの開く音がして、或斗の足下から聞こえる音と感触が固く冷たい床のものに変わる。


建物の中に入ったようである。神経質な印象を受ける消毒液の臭いが漂っていた。


或斗の両脇のカージャー構成員の片方が「24-F、24-R、対象を連行いたしました」とどこかに報告を上げているのが聞こえる。






遡ること、何時間だろう。


具体的なところは時計を確認出来なかったため分からないが、10時間ほどは経っているのではないかと思われる。


はじまりは或斗と普の大喧嘩からであった。


街はずれでいつもの罵倒フルコースを供されていた或斗が、普へ反抗したのである。



「俺のことを好き勝手言ってくれますけど、結局普さんも未零への手がかりさえ掴めてないじゃないですか。5年何やってたんですか?」


「あ? 俺の時間はあのクソガキのためだけに消費出来るほど安くねえんだよ」


「つまり本気で探してないってことだろ? アンタも日明さんも慎重に慎重にって、そんなんじゃ見つかるものも見つからない!」


「眞杜さんはお前ごときドブネズミすら心配してくれてんだろうが!」


「だからそれじゃ駄目なんだって言ってんだよ!」


「うるせえ、頭冷やせカス!」


「アンタたち、強い強いって言われてるけど、本当は臆病なんじゃないのか! 『カージャー』のこと、怖がって……!」



普が或斗の頬を拳で殴り飛ばす。


或斗は3mほど地面を転がった。



「ぶち殺すぞクソバカネズミが!!」



或斗の勢いは殴られても消沈しなかった。


むしろヒートアップして、普に怒鳴り返す。



「毎度毎度、殴れば俺が言うこと聞くと思って! 今日はもうそうはいかない! アンタの指示は聞かない! 俺は未零を探しに行く!」



普は或斗の宣言を鼻で笑って背を向けた。



「お前1人に何も出来やしねえよ。じゃあ勝手に動いて勝手に死ね!」



怒りにゆがめた顔のまま、普は街の方へ立ち去った。


或斗は憮然とした様子で立ち上がると、旧名古屋ダンジョンの周辺市街へ向かった。


旧名古屋ダンジョンは未零クローンが潜伏していた場所である。


何か、誰かが未零クローンや「カージャー」に繋がる情報を持っているかもしれない、とばかりに或斗は市街を行く人へ聞き込みを続けた。


数時間続けて、しかし手がかりは何も得られなかった。


日が暮れて来て、流石に或斗も一旦は諦めたのか、帰宅のために無人タクシーを呼んだ。


やってきた無人タクシーに乗り込もうとしたところで、或斗は動きを止める。


タクシーの中には先客がいた。


どこにでもいるようなありふれた服装をした見知らぬ男が、拳銃を持って或斗に向けている。



「誰だ!? まさか、『カージャー』……!?」



拳銃を前に動けないでいた或斗に、背後から誰か――別の「カージャー」構成員だろう――が黒い目隠しを装着させた。


そのままタクシーに押し込まれた或斗は、目隠しをつけられたまま服を没収されて着替えさせられたり、身体検査を受けるなどしていくつもの場所を経由し、今この施設に連れて来られたのだった。






その施設は森の中に隠されるようにあって、白い壁が周囲の暗い緑と調和しておらず、自然を侵す人間の業を表しているようだった。


門の隣にある研究所の名前は、おそらく架空のものだろうが、一般的でない名称で、人目を忍ぶに最低限の体裁を整えていた。


そもそもこの場所へ来るための山道は随分と入り組んでおり、この場所に向かおうと思って移動をしなければ、まず辿りつきはしない立地である。


そのため人目への対策を十全にする必要はないのだ。


施設入口には見張りの構成員が2人警備員の服装で常駐しており、施設の内部には或斗の到着を待ち受けていた構成員が何人も待機していた。


施設内に入ってすぐの狭い玄関口には空港の金属探知機に似たゲートがあり、そこ以外を通ってその先へ進むことは出来ないように作られている。


或斗が両脇の構成員に引きずられるようにして歩かされ、そのゲートをくぐるも、ゲートは沈黙を保っている。


待機していた構成員たちが頷き、或斗の両脇の構成員から報告を受ける。



「捕縛時、入念に身体検査を行いました。その際検知し没収したGPS以外は身に着けていないようです」


「ゲートに反応なし。問題ないようだな」


「目隠しは指示通りの耐魔法素材で、遮光も完全な布で作られたものです」


「魔力スキャンも済ませてあります、魔法的な追跡もつけられていません」


「よし。では連行しろ」



待機していた構成員は記録をとりつつ、或斗の両脇を押さえる構成員へ指示を出す。


或斗はやはり半ば引きずられるようにして、施設の内部へ連れられる。


ゲートのあった玄関から1つ扉を抜けた先の部屋に或斗が入ったとき、グルゥとモンスターの唸り声が同時に3つ聞こえた。


その部屋をうろついているのは3つの頭を持った黒いケルベロスのような大柄なモンスターである。


しかし、その頭部と胴を繋ぐ首には3つとも毛皮の禿げた繋ぎ目がある。


人工的な3つ首、キメラモンスターだ。


キメラケルベロスは両脇を押さえられて動けない或斗の目の前へ来てその臭いを嗅ぎ取り、問題無しとばかりに定位置に戻る。


両脇の構成員たちは頷きあい、或斗を更に奥へ連れて行く。


キメラケルベロスの待機室を抜けた先には長い廊下が続いていた。


白く冷たい清潔感を感じさせる床とは対照的な、金属と獣の臭いが或斗の鼻を強く刺激する。


両脇の構成員に引きずられる或斗が通っていく廊下には、両サイドに金属製の檻があり、中には様々なキメラモンスターが収容されていた。


うさぎの耳に付け替えられた狼状の頭部にカンガルー型の脚部を持つもの、蝙蝠の頭部を2~3移植されたダンジョンネズミの群れ、猛禽類の翼を取り付けられた凶悪そうな亜竜種、挙げていくには多すぎるバリエーションの人造怪物たちそれぞれが檻の中から、目の前を通る人間たちに暗い目を向けている。


やがて獣臭い澱んだ空気が途切れ、或斗の背後で自動ドアの閉まる音がする。


その部屋は酷く薬品臭い。


部屋中に等間隔で緑や紫の培養液に満たされた培養筒が配置されてあり、その中には人間大の大きさの脳みそを移植されたリザードマン系統の水棲モンスターや、おそらく死んでいるだろう人間の上半身に魚の下半身を継ぎ接ぎ合わされたもの、種類の違う亜竜種同士を足し合わせた化け物、などが眠りについている。


冒涜を絵に描いたような室内に、コツコツと上質な革靴の音が響く。


紫の髪を上品に撫でつけ、同じ色の髭を綺麗に整えて、上質なスーツの上に白衣を着た、紳士風の男が、拘束された或斗の前にやって来る。



「聖霊様、ようこそわたくしの培養室へ」


「わたくしはバル=ケリム。力の収容と実験を司る者」



或斗は声の方へ顔を向ける。


バル=ケリムと名乗った男はニヤリと笑い、モノクルの奥の黄緑色の瞳で或斗の姿を舐るように見た。



「いかがですかな、わたくしの研究成果は……と問いたいところですが、今の聖霊様には何も見えていらっしゃらないか。わたくしの研究のすばらしさは、我々のことをご理解いただいて、その後に見ていただきましょう」



見えていないか、と自分で言ったくせ、バル=ケリムはショーの司会ような芝居がかった動きでお辞儀をした。


培養室の中は、培養液の中へ送られるコポコポという軽い空気の音で満ちている。


そんな中で、バル=ケリムはやはり芝居がかった口調で「カージャー」について語っていく。



「まず、聖霊様は我々について酷く誤解をしていらっしゃるようだ。そこから認識を合わせていくといたしましょう」


「誤解?」



或斗が問うと、バル=ケリムは「ええ」と頷く。



「『暁火隊』の愚劣どもに、我々が悪の組織であるように聞かされているのでしょう。それは大きな間違いです。我々ほど世界平和を望み、叶えようとしている者は居ません」



バル=ケリムは心外だという表情から、微笑みへと顔を順々変えていく。


或斗の目隠しを前にしてこの様子である、普段から大仰な仕草や表情をするのが癖づいているのだろう。



「今の世の中をご覧ください、聖霊様も体感されていたように、この社会はダンジョン適性によって支配され、適性が一定以下の者は落伍者と判押しされて、生きるも死ぬも好きにせよとばかりの放置ぶり。酷い目に遭って死ぬもの、この世を恨みながら餓死するもの、搾取され理不尽に絡めとられる孤児たち、不幸を挙げればキリがありません。その裏には放棄されたダンジョンにより住めなくなったかつての人類生存圏、それ故に人口と比較して全く足りなくなった食糧問題、旧時代の人種差別よりも激しいダンジョン適性差別があります」


「……」



バル=ケリムの言うことは今のところ間違ってはいない。或斗は黙って続きを聞く。



「その一方でダンジョン適性が高いものは富、安全、快楽、この世の全てを自由にしている。何故このような不平等が起こっているか……それはダンジョンが、人々が正しく管理されていないからです!」


「お前たちなら正しく管理できるとでも言いたげだな」


「ええ、その通り。我々が全てのダンジョンを掌握することが出来れば、人類の生存圏を増やすため、小さく余分なダンジョンは消してしまい、有益なダンジョンだけを残す。そしてダンジョン適性の高い人間から低い人間まで、その全てを区別なく管理する。人の要不要は我々『カージャー』が管理し、平等な生死、理由のある死を配布する」


「お前たちの意志で人間の生死を決めるなんてのは、傲慢にすぎない!」



或斗の強い反駁に、しかしバル=ケリムは肩をすくめて鼻を鳴らした。



「傲慢、結構ですとも。今の社会を支配する人間たちと何が違うというのです。少なくとも、我々の管理する社会の中では何のために生まれてきたのかと虚しい疑問を抱きながら死んでいく人間は居なくなるでしょう」


「モンスター氾濫を使って人口の統制をしようとしていると聞いた。それは人々を無駄に死なせることじゃないのか」


「いいえ、無駄な死ではありません。人類全体の生存のための、尊い犠牲です。人間の数が適切に管理されれば、食糧不足問題は解決され、飢える子供もいなくなる」


「欺瞞だ、それで死んでいく人々のことなんか何1つ考えてない」


「どうせ不要と使い潰す命を倫理などという馬鹿馬鹿しい体裁のために生きながらえさせる、今の社会に欺瞞が無いとでも?」



今の或斗は恵まれている。


普や日明というダンジョン社会での強者に庇護され、何不自由……普に殴られる以外の不自由はあまり無い生活を送っている。


世の中クソだと斜に構えて生きていた、ほんの数ヶ月前の或斗が聞いたなら、バル=ケリムの言葉は甘い夢のように思えたかもしれない。


思わず黙った或斗へ、バル=ケリムは我が意を得たりと口角を吊り上げ、続ける。



「聖霊様、どうかそのお力を我々にお貸しください。正しい世界のためには、その神のお力が必要なのです」


「その、聖霊様っていうのは何なんだ」


「聖霊様の存在は最上の創造神の御業、聖霊様は我々のために真の創造神がこの世に遣わしてくださった御遣いなのですよ」



或斗は自分の頭を悪くないとは自負しているが、さほど良いとも思っていない。


バル=ケリムの説明ともつかない謎の言動を理解することは出来なかった。


しかしその声音に、真剣な、あるいは狂気的な妄信が宿っているのを感じて、寒気がした。



「そうそう、ゾエーなんかを使って聖霊様を生ける死体にしようという作戦もありましたが、あれは許しがたい。聖霊様のお力は唯一無二、万一死によってそれが失われるようなことがあったらどうするつもりだったのか! あの時だけはあの小娘が愚かで助かったと思いましたね」



ゾエー、その名を聞いて、或斗は英の悲痛な最期を思い出し、怒りのままに問う。



「ゾエーは今どこに居る」


「はて、そのようなお話は聖霊様が我々と志を同じくしてくださるとお約束くださった後にするもの。無論、聖霊様が我々と行動するにあたって、あの小娘の存在を気に入らないとおっしゃるのであれば、いつでも処分いたしますよ」



先ほどからのバル=ケリムの言動を聞いていると、バル=ケリムはゾエーのことを一段下に見ているようだとわかる。


ゾエーを使った作戦にも納得していない様子であったし、「カージャー」の組織は一枚岩というわけでもないのかもしれない。


ただ、それより或斗の気に障るところがあった。



「俺の一言で、仲間を始末するっていうのか」


「当然ですとも。聖霊様のご意志に適わないのであれば、不要なものは取り除くのが道理というもの」



バル=ケリムはこともなげに答えてみせた。


仲間さえも、不要なものと断じることの出来るバル=ケリムの言動にはやはり、義などどこにもない。


先ほどペラペラと語った今の世を憂いているような語りも、どこか薄っぺらく、人をよりよく生かすために大量に人を殺そうという矛盾を孕んでいた。


或斗はバル=ケリムの人柄を信用することは出来ないと強く感じた。



「お前たちは未零を勝手に攫い、クローンなんかを作って好き勝手に動かしている」


「それは本当に申し訳ない。聖霊様のことを存じておりましたら、彼女も穏当に組織に引き入れ、協力していただくことにしておりましたものを」


「未零本人は生きているのか?」


「ええ、もちろんでございます。聖霊様が我々に同意してくださり、共に歩むと仰ってくだされば、彼女を複製計画から外して聖霊様のつがい、大いなるソフィアとして迎えることも可能ですとも」



「カージャー」に協力すれば未零を解放し、会わせると言うバル=ケリムの言葉に、或斗の心は少しだけ揺れた。


それも一瞬のこと、きっとこの連中は、未零を解放すればその代わりとなる人間を攫ってきて、同じようにクローンを作り、その尊厳を踏みにじっていくに違いない。


或斗の心には、英の温かい手と信念、それを理解して悲しみを決して口に出さなかった春乃の気高い涙が焼き付いている。



「俺がお前たちに与することはない……お前たちの理想は歪んでいる!」



或斗は力強い声で言い切った。


バル=ケリムは大きくため息を吐き、ピエロのように大げさに悲し気な顔を作る。



「急な話ですからね、理解していただけないなら仕方がありません。まずは一時的に聖霊様の一部をお借りして、しばらくはそちらにお力を貸していただくことにしましょう」



バル=ケリムの目は或斗の目隠し、その奥にある瞳へ向けられている。



「わたくしどもの考えについては、ええ、いずれ必ずご理解いただけるものと信じております」


「あまりお考えが頑なに過ぎますと、長く苦しまれるやもしれませんが」



ニヤリとゆがめた目に残忍な光を宿して、バル=ケリムはこれから或斗に拷問を課すことを仄めかしてみせた。


それでも或斗は恐怖に屈することはなかった。



「何があっても、俺はお前たちと相容れることは無い。お前たちを、必ず潰す」


「おやおや、聖霊様は状況をご理解なさっていないようだ。ではまず、ご理解いただくための第一段階を執り行いましょう」



バル=ケリムは或斗の両脇の構成員に合図し、培養室の奥へと或斗を連れて行く。


培養室の奥には重たそうな鉄の扉が鎮座している。


バル=ケリムが白衣の下に装備していた蒼銀の杖を取り出して入口横の機械にかざすと、軋むような音を立てて鉄の扉が自動で開く。


鉄扉の先にはそう広くない部屋があった。


部屋の中心には、赤黒く変色した液体が何度も染みた痕跡の残る、人1人が乗るより少し大きいくらいの実験台がある。


部屋の壁際には手術衣のような服装の構成員が何人も待機している。


その後ろの壁に備え付けられた棚には、薬液漬けにされた人間の目や指といった体の一部、モンスターの皮膚片や同じく体の一部が保存されている小さなガラス管やガラス瓶・中サイズの容器が整然と並べられている。


或斗を拘束していた構成員たちは、或斗を部屋の中央の実験台に寝かせて、四肢を鉄の拘束具で固定してから、部屋の端に控える。


或斗はガタガタと四肢を動かして拘束を抜け出そうとするも、固く冷たい鉄が手首と足首に赤い痕をつけるだけだった。


バル=ケリムは実験台の隣の台から医療用メスを取り上げると、目隠しされ、四肢を拘束された或斗へ慈悲深げな笑みを浮かべる。



「視神経には麻酔が使えませんからね。代わりに甘い夢を見せてさしあげましょう」



そう言って、メスとは反対の手に持った蒼銀の杖をかざす。






瞬間、或斗は『暁火隊』本部に居た。


目の前には、淡い桃色の髪を揺らし、緑の目をきょとんと丸くしている未零が当たり前のようにそこに居て、或斗を見ていた。



「或斗、どうしたんだい?」



その声は記憶通り、透き通っていて、女性らしい甘さを含んだ美しい響きをしていた。



「ドブネズミが間抜けにボーっとしてんのはいつものことだろ。気にするだけ時間の無駄だ」



未零の斜め前には普が居て、呆れたように或斗と未零を見ている。


未零は普の暴言を白い目で見返して、抗議とからかいを同時にふっかける。



「8つも年下の後輩にそんな意地悪言っちゃって、先輩ってば大人げなさが業界一! ダンジョン攻略の実績を私たちに追い越されそうだからって、別分野で業界一を狙うのはかっこ悪いですよ?」


「誰がお前らごときガキコンビに追い越されるか! 舐めんなクソガキ!」



言われた通りに大人げなく、未零に手刀を落とす普。


通りがかった日明が「普、かわいいからって後輩たち相手にやりすぎるなよ」と苦笑しながら窘めている。


離れたところでは、栞羽と英が何事かを笑って話している。


普とじゃれるのを切り上げた未零は或斗へ駆けて来て、この世で一番美しい微笑みで或斗へ手を伸ばす。



「さあ、ダンジョンへ行こう、或斗。私たちが一緒なら、きっとどこまでだって行ける」



或斗は底無しの寂しさを抱えながら、それでもその手を取らなかった。



「或斗?」



目の前の未零が、否、幻覚が首を傾げる。



「これは嘘だ」



或斗は胸が張り裂けそうなくらい甘い夢を、それでも強く否定した。



「こんな夢で満たされることはない! この夢は『カージャー』の、バル=ケリムの語る理想と同じ、欺瞞だ!」



そう叫ぶと、目の前の夢が、未零の姿をした幸福がすうっと暗い闇へ消えていった。






実験室では、バル=ケリムが或斗が幻覚を拒絶したことに目を丸くして驚いている。



「まさか意志の力だけでわたくしの幻覚を退けるとは。流石は聖霊様だ」



そう称賛するも一転、哀れむように薄く笑って或斗の選択を否定する。



「ですが、状況は何も変わらない。夢から覚めて残るのは痛みだけですよ」



黄緑色の目が残忍さを隠さず三日月型に弧を描く。


バル=ケリムは或斗の目隠しを手で押さえ、左目のある場所を触って確かめると。医療用メスをその上から当てる。



「さあ、聖霊様。貴方のお力の片割れをもらい受けますよ」



ぐっとバル=ケリムがメスに力を入れる、その瞬間。


ビービーと警報音が実験室に、いや施設中に鳴り響き、白い蛍光灯の明かりが警告灯の赤の点滅に塗りつぶされる。



「し、侵入者!?」



バル=ケリムが驚いてメスを取り落とし、代わりに蒼銀の杖を強く握る。


すぐにドカンドカンと馬鹿げた破壊音が響き、その音は一直線に実験室へ近づいてくる。


実験室内の構成員が戦闘態勢を整えたところで、実験室の重く強固なはずの鉄扉が轟音と共に吹き飛ばされる。


室内に瓦礫と土埃が舞う中、バル=ケリムへ向かって黒いボールのようなものが投げられた。



「何だ!? ……これは!」



バル=ケリムが目を向けると、そこには入口からすぐの部屋を警備していた人口ケルベロスの頭のうち1つが転がっていた。


そして実験室入口の鉄扉が吹き飛んだ跡には、土埃を風の魔法で吹き飛ばして悪い顔で笑う普が剣をバル=ケリムへ向けて高らかに叫んだ。



「ドブネズミごときのやっすい餌に引っかかってくれてどうも!」



バル=ケリムを馬鹿にしつつ、ついでに或斗も罵倒するという小器用な口の悪さを披露した普は実験室の中へ飛び込んでくる。



「お前たち! 止めなさい!」



部屋に待機していた10人の「カージャー」構成員が一度に普へ飛び掛かる。


しかし、その一斉攻撃は普の剣のひと薙ぎで吹き飛ばされ、それぞれ壁の悍ましいガラスケース入りオブジェに叩きつけられる。


ほとんどがその衝撃で意識を失うが、失わなかった少数の者は叩きつけられた際にガラスケースの中の薬液を被り、中身のグロテスクな収容品が体にベチョリとくっついてしまい、情けなく悲鳴を上げる。



「くっ……愚か者め、こちらの手中には聖霊様がいるというのに」



部下たちの情けない様子を見て頼りに出来ないと意識を切り替えたバル=ケリムは、或斗を人質にしようと実験台へ目を向ける。


すると或斗は"目隠しをしたまま"、四肢を拘束している鉄の拘束具を"見て"、バキリと破壊している。



「馬鹿な! 聖霊様の力は見えないと使えないはず! その目隠しは視界を物理的にも魔術的にも完璧に塞ぐものだ……!」



明らかに虹眼の力を使って拘束具の意義を否定し拘束を抜けだす或斗にバル=ケリムは驚愕し、歯噛みしながら叫ぶ。



「それに、事前の身体検査と探知機で何重にもチェックし、GPSの類は全て排除したはずだ! 何故この場所に此結 普が!」



四肢が自由になった或斗は目隠しを自力で外し、その黒目から黒いコンタクトを外して虹色に輝く目を見せた。



「初めから目隠しの遮蔽性を否定していた。見えていたよ、ここに来るまでの道のりも、お前の悍ましい実験の全ても」


「見えてさえいれば、GPS探知機の能力も好きな範囲で否定できる」



或斗はそう言って、自分の腹の辺りをトントンと指す。


或斗がGPS装置を腹の中に飲み込んで隠していたこと、虹眼の力の二重使用という今までに見せたことのない技術を使ったことを理解したバル=ケリムは地団太を踏み、顔を真っ赤にして怒る。


数歩後ろに下がって距離をとると、バル=ケリムは蒼銀の杖を或斗たちへ向ける。



「よろしい、甘い夢を否定する愚か者には、永遠の悪夢を見せてさしあげよう!」



或斗たちの視界が暗くなり、目の前に立っている未零の姿が浮き上がって見える。


その未零は光の無い目で、「どうして」と呟くと、手に持ったナイフで自分の心臓を刺して自殺をする。


何度も、何人もの未零が自殺を繰り返す。


けれど或斗は動揺することなく、今度は虹眼でその幻覚を、バル=ケリムのモンスター部分、夢を見せるナイトメアを否定する。


パリンパリンと鏡の割れるような音がして、幻覚は破壊された。


或斗たちの前では元の実験室で、追い詰められて顔を白くしたバル=ケリムが蒼銀の杖を持つ手を震わせている。



「さっきから喧しいんだよこのド間抜けイカレポンチ!」



ドンと音を立てて踏み込み、一瞬で距離を詰めた普がバル=ケリムを拳で殴り飛ばした。


バル=ケリムは5mは吹き飛んだだろうか、部屋の入口の反対側にある非常口横の壁にぶつかって、かはっと肺の中の空気を吐き出した。


頬は赤黒く腫れあがり、鼻血を流し、歯がいくつも折れたのか口の端からも流血しているバル=ケリムはそれでもよろよろと立ち上がると、手放さなかった蒼銀の杖を非常口横の機械にかざす。


すると施設中にブザーの音が鳴り響き、実験室手前の培養室にあった培養筒の中から、そして廊下の両サイドの檻の中から、囚われていた大量のキメラモンスターたちが一斉に解放され、普たちへ襲いかかる。


実験室に押し寄せるキメラモンスターたちを迎撃する普と或斗、その混乱に乗じて、バル=ケリムは非常口から逃げ出した。


実験室の扉を抜け、その先の部屋を素通りし、その先、更に先、出口へ向かって走ってゆく。



「今回は聖霊様のお力を見くびっていたようです……だが、次こそは必ず……」



バル=ケリムは息を荒げながらそう言い、非常出口を抜けた後の逃走ルート、潜伏先を思い浮かべる。


もうすぐ出口だ、とキメラモンスターたちの慟哭を遠くに聞きながら、廊下の角を曲がる。


その瞬間、バル=ケリムの視界いっぱいを埋めるように、巨大な金属の塊が現れる。


巨大な金属、狭い非常用出口の廊下をほとんど塞ぐほどの大きさの盾が、壁となってバル=ケリムの行き先を塞いでいる。



「何だ、これは……!」



突然の出来事にバル=ケリムがぎょっとして急停止をかける、だがその行動は遅きに失していた。


動きを止めたバル=ケリムに、巨大な盾が一瞬で肉薄し、大きな面衝撃を与えた。



「ぶげぇ!」



バル=ケリムは吹き飛ばされ、無様な声をあげて後ろの壁に叩きつけられる。


ずるりとその体が通路に落ちる。


白目を剥き、完全に気を失っているバル=ケリムに、背の高い影が差した。


ツーブロックに刈り上げられセットされた金髪、海のような碧眼の男性。


巨大な盾を背負い、紅金合金製の全身鎧に身を包んだ体は、しかしそうガッチリとはしていない。


全体的な容姿は悪くないものの、鋭い者はその目に滲んだ軽薄さを感じ取るだろう。



「やれやれ、オッサンを捕まえる趣味はないんだけどねぇ」



高楽 盾たから じゅん、『暁火隊』エース格の一角を担う男は、ヘラヘラと笑って、バル=ケリムの取り落とした蒼銀の杖を拾うと、欠伸を1つ零した。


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