『暁火隊』情報部、ブリーフィングに使われることも多いこの部屋は、最近には珍しく、弛緩した雰囲気があった。
「報告を続けます~。現在『暁火隊』特殊収容施設にて尋問中のバル=ケリムを名乗っていた男ですが、『カージャー』についての重要な秘密など、洩らしてほしいところは洩らさず、代わりに自分の理念を語ってこちら側を洗脳してこようとする勢い、です」
昨日行われた餌釣り作戦――或斗が攫われる想定で「カージャー」のアジトを押さえる――の成功により、情報部には現在、かつてないほどの量の情報が入って来ていた。
「カージャー」幹部がいたほどの拠点である、当然抱える機密の量も莫大であった。
栞羽などは相変わらず寝ていないようで、気合で立っているのだろうフラフラはしていなくとも、やはり顔色の悪さが目立っている。
或斗は心配していたが、栞羽曰く、こんなに仕事があるなんて幸せな状態で寝ていられないですよ~! とのことで、その気概に感服はするものの、社畜という言葉の一端に触れた感もあり、複雑な気持ちになった。
「もう少し弱らせられれば状況も変わるかもしれませんがぁ、今のところはバル=ケリム本人から情報を抜くのは危険かと~」
「拷問に切り替えて良いならペラペラ喋りそうな小物だったがな」
普が不満げにそう言うも、日明は首を横に振って止める。
「今のところはこちらが漠然とした疑問しか持っていない状態だ、痛みで出てくる情報も不正確なものになる可能性が高いだろう。拷問を行うとしたら、何か急ぎで確実に確かめたいことが出来た時の方が良い。せっかくの幹部級を使い潰すのももったいない」
普段人道を外れる発言はほとんどしない日明にしても、バル=ケリムおよび「カージャー」には適用されないようだ。
完全に扱いの難しい情報源と見なしていることが分かる。
「バル=ケリムの能力はナイトメアのものだったとか。或斗くんが事前に否定しておいてくれていなければ、収監は難しかっただろうな。助かるよ」
「いえ、役に立てたなら何よりです」
確かにあの自在に夢を見せるバル=ケリムの能力が万全であったなら、いくらでも脱走が可能だったろう。
とはいえ、「カージャー」幹部の象徴とも言えるあの蒼銀の杖は『暁火隊』分析班が預かっているので、何処まで能力を自在に扱えたかはわからないが。
日明は再び栞羽へ水を向ける。
「それで、今の時点で吸いだせた情報は?」
「はぁい、まず、拠点から出てきた情報は膨大なもので、現在も情報部スペード班を主として精査中になります~。逆に抜けている点からご報告しますと、他の重要拠点の座標、他の幹部クラスの居場所などですねぇ。他者に漏洩することを前提として暗号を使用しているのか、そもそも今回のように拠点が落ちた時に備えて、やりとりの履歴などは毎度消去されているのか、どちらの可能性もあるでしょう。引き続き解析を進めていく所存です~」
「よろしく頼むよ」
「次に、今の時点で判明していることをご報告します~。まず『カージャー』の使う特殊電波の周波数帯や、今回虹眼くんが何度か経由したような小さな秘密拠点の座標多数。これは情報部的には大きな成果ですねぇ。向こうも漏れていることを前提に今後変えてくるでしょうが、法則性というものが掴めますから、確実に次に活かせます」
「戦闘メンバーの皆さんに直接関わるところとしては、バル=ケリム以外の幹部クラスのコードネーム、名前や見た目、能力。これは初見殺しを防ぐのに非常に有用かと~。ゾエーの情報が報告のものとほぼ合致しているのと、セイレーン上位個体の能力を持った女性の幹部がカリスという名前であることが分かったりと、情報としての確度は高いものと判断します」
栞羽は幹部クラスと思われる7つの名前を挙げる。
カリス、ゾエー、バル=ケリム、アルコーン、テミス、エノク、ケージャ。
それぞれの能力、容姿などの説明が口頭で並べられる。
ただ、と6人目の説明を終えたところで栞羽は言葉を区切った。
「このケージャと呼ばれている人物、おそらく『カージャー』のリーダー格だと思われますぅ。この人物については一切の記録が残されていませんでした。存在することは確かだけれど、輪郭すら掴めない……徹底した情報規制が行われているようですね」
「カージャー」のリーダー格。
あの非人間的な思想の幹部たちを率いるリーダーとは、いったいどのような人物なのか……何も分からないことが逆に不気味さを煽った。
或斗は抱きかけた恐れを、手をぐっと握りこんで抑える。
さて、作戦成功の翌日ということで、情報共有は早めに終わった。
あとは反省会に近い。
そこで或斗は今回の作戦について、日明から軽い注意を受ける。
「或斗くん、作戦前に無理は禁物だと言っておいたはずだ。普が突入したとき、君は片目を抉られる寸前だったと聞いている。ギリギリまで敵を引き付けてくれたことはありがたいが、君の身に危害が及ぶことは看過出来ないよ」
お説教というよりは、心配からの言葉だろうと日明の表情から分かる。
「すみません」
或斗は素直に謝罪した。
「でも、普さんが間に合わないとは思ってませんでした」
そう言って普を見ると、当然だとばかりにフンと鼻を鳴らす。
しかしそこで或斗は一転訝しげに顔を顰めると、抗議のターンに入る。
「それにしても、あの喧嘩の時、普さんかなり強く殴りましたよね? あそこまでする必要ありました?」
カージャーの拠点にいる間中も頬が腫れて痛かったくらいである。
もちろん、普が本気で殴っていたら或斗の顔面など跡形も残らないので、手加減されていたのは分かっているのだが、手加減にもレベルというものがある。
すると普は平然と言い放った。
「いや、腐れドブネズミがクソ生意気なこと言うから普通にムカついた」
「お芝居だって事前に話し合いましたよね!?」
普はどうでも良さげに或斗の抗議を聞き流している。
そこに、別の男性の声が挟まる。
男性にしては少し高めで、口調や声音から何となく真剣さが感じられない、羊雲のような軽い声である。
「いや~でも、オレは或斗くんスゲーなって思いますけどね」
今回バル=ケリムの身柄を確保するという重要な役割を果たした
普は途端に不機嫌な顔になって高楽から視線を外す。
「単身あのイカレ組織のアジトに乗り込むなんて根性あるっすよ。これで女の子だったらな~! 俺が普パイセンに代わって目の前であのオッサンをぶっ飛ばして、勇敢なお姫様を救出、即行ラブロマンスが始まったのに……!」
普は金曜の夜、繁華街の道路に落ちている吐瀉物を見るような目で高楽を睨んだ。
高楽はそんな絶対零度の視線にも気づかない様子で続ける。
「『カージャー』の幹部には女の子もいるんすよね!? ロミオとジュリエット的にはそこから始まるラブもあるかな!? どうすかね、普パイセン!」
「俺が見たのは魚人面のドブスとゾンビガキだぞ」
「……ちょ~っと辛いな~! ……ハッ! 敵側にいる未零ちゃんクローン! 確約された美少女! 戦い以外のことを知らない汚れなき乙女にオレが愛を教える……これはアリでぶぁッ!」
普が目の前にあったモニターを高楽の顔面に投げつけた。
高楽が椅子から転がり落ちる。
栞羽は高楽の心配をするでもなく、普に気の無い注意を飛ばす。
「普ちゃ~ん、そのモニター備品ですぅ」
「うるせえ、いっぱいあるから良いだろ」
悪びれもせず流す普の言葉端を拾って、高楽は顔面にモニターの角の痕をつけながらも懲りず、危機感のない顔で更に普へ魚雷のごとく突っ込んでいく。
「未零ちゃんクローンちゃんもいっぱいいるらしいじゃないですか~、1人くらい分けてくれても良いと思うんすけど~」
普は今度こそ立ち上がって高楽の席まで跳んだかと思うと、椅子から落ちたままの高楽に馬乗りになってマウントポジションをとり、高楽の顔面をガッゴッという効果音がする勢いで殴り始めた。
机の下になっていて直接的な殴打シーンは見えないものの、背筋の冷える嫌なASMRである。
或斗は肉体言語が過ぎる大人たちのやり取りにドン引きしていた。
高楽のダンジョン適性がAで、周りが引くほどタフだと事前に聞いていなければ止めに入っただろう、『暁火隊』本部で殺人事件を起こさないために。
そんな或斗へ栞羽がコソコソと寄ってきて耳打ちする。
「でもでも、虹眼くんったら本当に自分の身も大事にしないといけませんよぉ。普ちゃんってば、虹眼くんが誘拐されてる間ずーっとソワソワしっぱなし、突入フェイズに入った頃なんていつ突っ込むのか前のめり過ぎるくらいに確認連絡飛ばしてきてもう鬱陶しいくらいだったんですから~」
高楽さんが裏口固めるまで待ってもらうの、大変だったんですよ、と栞羽はクスクス笑った。
今は高楽の顔から血しぶきを飛ばしている普だが、……芝居の喧嘩で手加減をミスる普だが。
普なりに、日明と同様或斗のことを心配していたらしいことが分かって、或斗は改めてこの居場所に温かい気持ちを抱いた。
或斗と普はブリーフィングを終えたその足で、『暁火隊』支部分析所へ来ていた。
昨日の今日でまだ細かい分析などは終わっていないだろうが、「カージャー」が次いつ動くかは分からない。
早いうちにわかっていることだけでも聞いておくべきだろう。
そんなわけで、普は第一分析室で初手から茂部のセクハラ発言を受けて無の顔をしていた。
或斗は隣で普と茂部の顔を交互に見ながら狼狽えている。
「ハァハァ……普たん……今回も八面六臂の活躍をして……世界一麗しく、世界一強い天使たま……いや、小悪魔たんも良い……おじさんも鼻が高いなぁ……まあ本当に高いのは普たんの瞳、100万ドルじゃきかないってね……ハァハァ」
「…………」
普は虚無の顔で、壁のシミを数えている。
或斗は居たたまれなさに耐えきれず、この拷問のような時間を終わらせるため茂部をまともな研究職へ戻すべく言葉を発した。
「あのー! 分析結果について教えていただきたいんですけど!」
「ああ、昨日の作戦のね。いくつか分かったことがあるよ」
茂部は或斗へスンと返し、淡々と分析結果を並べる。
まず、バル=ケリムから押収した蒼銀の杖について茂部は説明を始めた。
「この杖は予想通り、蒼銀、ミスリル製だね。といってもいくつか他の金属も混ざった合金だが」
既に杖の分解図なども引かれてあり、茂部の仕事の速さを物語っていた。
杖の内部には持ち手から杖の先端に向けて何かの線が何種類か入っているようで、或斗はそれが気になった。
「この線は?」
「今の時点ではどの話にも推測が含まれるがね。まず報告にあった通り、所有者の持つモンスターの力を杖を通すことで増幅させて発現させるための導線と思われる。おそらくこの杖は所有者ごとにこの導線の素材が違うのだろう、押収した杖に使われていた線の素材には幽銀が含まれていた。ナイトメアの能力専用ということだな」
幽銀とは本来実体を持たないゴースト系のモンスターへ物理攻撃を与えるための武器に使われる金属素材で、もちろんダンジョン資源である。
「ここからは今まで着目されていなかった幽銀の面白い特性も読み取れる。幽銀は実体を持たないモンスターに接触出来る、ということは実体を持たないモンスターの力を取り込むことも可能だということだ、この杖にはその技術が使われているわけだね」
「はあ……何本か別の線もあるみたいですけど、そちらは?」
「それらはまた別々の役割を持っているようだ。例えば、報告にもあった施設内の檻や培養筒からモンスターを解放する機能。これは『カージャー』の使う特殊な電気信号を魔力を通すことで発信し、実現させていたと考えられる。もう1本は、非常に興味深いのだが、魔法を科学的に使用しているとでも言うべきかね。魔法現象の発露を科学的に分解し、その過程を一部この杖に委託することにより簡単な動作で高度な魔法を使うことが出来るように設計されていると思われ……」
或斗にはよく分からないということが分かった。
普への態度とはまた違う、好きなものを語る際の目の輝きで語り続ける茂部へ或斗は一旦ストップをかける。
「杖のお話はよくわかりました。ありがとうございます。他には何か、分かったことはありますか?」
「他というと2点ほどあるな。まず、以前遠川少年が能力を否定し弱体化させたと思われる『カージャー』幹部のカリスだが、彼女はあれ以降にバル=ケリムから追加の手術を受けており、前と同じか、あるいは別の能力を保持している可能性が高い。手術を受けた履歴が残されていてね、詳細な資料は敢えて消去されているようで、知るためにはバル=ケリムかカリス本人に聞く他ないだろう」
「あの女が……」
自らの体を魚人とかけあわせ、普にさえ膝をつかせる強大な力を持っていた「カージャー」幹部、カリス。
あの邂逅だけで終わるような性格はしていないだろうと思っていたが、実際に力を取り戻していると言われると警戒心が高まるのを感じる。
或斗の能力では、能力の使い手そのものをどうこうすることは出来ても、発動した能力そのものを封じるのはバル=ケリムのように視覚に関わってくる力でなければ難しい。
ゾエーの件で味わった無力感を思い出し、或斗は自身の虹眼の新しい使い方を見つけなければならないと強く思う。
「もう1つは5年前、うちの戦闘チームが会敵したというキメラモンスターについてだね。バル=ケリムの拠点に設計図があった。上位個体セイレーンをはじめとした何種類もの能力を持つモンスターを、強靭な大型竜種の体に掛け合わせて運用していたようだ。また、これは今回運び込まれた他のキメラモンスターの死骸を調べて同じだと分かったが、司令塔となる頭脳の中にバル=ケリムの杖から発される電気信号を受信するチップが埋め込まれており、行動をある程度コントロールできるようにしてあったようだ」
「5年前の戦いで後衛から狙われたのはモンスターの知恵じゃなく、あのイカレ野郎の指示だったってことか……」
「そうだと思うよ♡ 普たんは賢いねえ♡ 頭脳明晰な普たんも素敵だ……」
「…………」
「あー、ええと、ありがとうございました! また情報があれば、伺いにきますので!」
「ああ、うん。普たん♡ またすぐ会いに行くからね♡ その時は晩ご飯デートなんて、どうかなぁ……ナンチャッテ♡」
「では失礼します!!」
或斗は普の他称100万ドルの瞳が虚無に浸食される様を見ていられず、ハキハキと退室の礼をして、早々に分析所を後にすることにした。
普段なら「勝手に仕切るなドブネズミの分際で」と隙あらば罵倒してくる普も、大人しく或斗についてくる。
やはりこの状況は異常である。
分析所からの帰り道、或斗は謎の使命感に駆られた。
普が茂部の言動に怒らず、暴力も振るわず、無抵抗なのは絶対におかしい。
何か弱味を握られているのか……平時であれば自分もその弱味とやらを教えてもらって恩恵に預かろうと考える或斗であるが、普の態度があまりにしおらしく気の毒であったので、妙な正義感を発揮していた。
普段から暴力暴言を浴び続けている状況を踏まえると、一種ストックホルム症候群が懸念されるところであったが、或斗に自覚は無い。
「普さん、教えてください……どうして茂部さんの言動を許しているんですか……?」
「…………」
「何か重大な弱味を握られているなら、俺、日明さんにかけあいますよ! 何なら茂部さんの家にでも忍び込んで、証拠を盗み出してきたって……!」
「……此結普ファンクラブってものがあってな」
「は?」
無の表情のままの普が、急に自慢話を始めた。
或斗は戸惑い、その続きを傾聴した。
「58000人以上いるらしい、その、会員が。その会長を務めているのが、茂部さんだ」
「ごまんはっせん」
或斗はあんぐりと口を開けた。
もはや旧時代のちょっとしたアイドルの数字である、そこまで行くと。
話の見えない或斗は眉間に皺を寄せたまま尋ねる。
「ええと……ファンクラブを失いたくないとか?」
「いや……」
普はいつになく歯切れが悪い。
頭痛を押さえる様子で額に手を当て、普がポツリと呟くにはこうである。
「人間は、理解できないもののことは避けるように出来ている」
つまるところ、茂部の異常さが理解不能で恐怖を感じているということらしい。
或斗は絶句してから、しかし普にもそんな人間味があったのかと思い、安心するような、やはり気の毒なような、複雑な気持ちを抱えさせられた。
此結 普にも怖いものがある。
この事実自体が何だか怖い話のような気がしたが、『暁火隊』の他の面々も理解できない恐怖が故に茂部のあの言動を見ないふりしているのだろう。
あの小太りで汗っかきな笑い方の気持ち悪い壮年男性が『暁火隊』最強の男なのかもしれないと思うと、この世の無情を感じる。
普の弱点を見つけはしたが、或斗はそれを知っても笑えなかった。
そんなお通夜のごとき雰囲気で歩いていた2人であるが、急に道端に人間が倒れているのを或斗が見つけた。
「え? 人が……」
うつぶせに倒れているため顔は分からないが、亜麻色より更に薄い色をした長髪の美しい……体格からおそらく男性なのではないだろうか。
「さっさと帰るぞドブネズミ」
調子を戻した普は相変わらずの鬼畜行動で見捨てようとしていたが、さすがに死体かもしれないものを見かけて無視するには或斗の肝は小さかった。
駆け寄って声をかけ、助け起こす。
「あの、大丈夫ですか?」
助け起こしてみれば、その青年は非常に整った顔だちをしていた。
髪色と同じ細い眉に、鉛筆でも乗りそうなほど長い睫毛。
すっきり通った高い鼻筋に、薄い唇。
肌は髪色よりも白く、白磁のようという形容詞はこのためにあるのかと思わされるほどだった。
骨格や胸の平さなどで判別できなければ、女性だと勘違いしたかもしれない。
或斗は未零と同じくらい美しい人間に初めて会った。
気を失っていたらしい青年は或斗の声に反応して、ゆっくりと瞼を上げる。
その瞳は青とも緑ともつかない、曖昧なターコイズブルー。
青年の美しい
ぐぅーーーーーと大きな腹の音が鳴る。
無論、助け起こした男性からだ。
そして男性はかすれた声で、「おなか…………すいた…………」と呟いた。
工業地帯から少し離れた住宅地区にある、素朴な定食屋。
時間帯の問題で他に客のいない店の中、儚げで浮世離れした容姿の青年が、容姿に似合わない勢いでトンカツ定食をかきこんでいた。
青年はトンカツを食べ、ご飯を食べ、味噌汁を飲み、ご飯を食べ、を一通り繰り返してから一旦箸を置き、或斗へ美しい微笑みを向ける。
「ありがとう、少年。キミのお陰で助かったよ。キミはとても親切な人だね」
「いえ、流石に放っておけなかっただけで……」
「そもそもこの飯全部俺の財布もちだぞドブネズミとタダ飯喰らい野郎」
見ず知らずの行き倒れに食事を奢らせられるほど普の財布を使い倒すのに慣れた或斗の変化を成長と見るか増長と見るかは微妙な話であったが、それは一旦措く。
青年はかけつけ1杯とばかりに注文した定食3人前を平らげると、ひとまずは落ち着いたようであった。
そして追加で2人前の定食を注文し、普のこめかみに青筋を立てた。
不穏な気配を感じ取った或斗は急いで話題を逸らす。
「ええと、お兄さんはダンジョン適性が高そうな外見だけど、何がどうして行き倒れに?」
問われた青年はおとがいに長く綺麗な人差し指を当てて、首を傾げる。
「どうしてだったかな……? そう、財布を忘れて……身分証もなくて…………あと、迷子になって……」
仕草もそうだが、内容もとても大人とは思えない発言であった。
或斗はここ最近の経験も踏まえ、改めて思った。
もしかして、この世って思っていたよりダメな大人が多いのか?
隣にダメな大人1号たる暴力装置がいるため口には出さなかったのだが、気配を読むに敏な普は或斗の頭を無言ではたいた。
「何も言ってないじゃないですか」
「お前ごときの考えることなんて口に出されなくとも分かるわこの頓馬ネズミ」
或斗と普が慣れた言い合いをしているうちに、青年ははやばやと追加の定食2膳を食べてしまう。
そして日本人でも昨今は中々しないようなしっかりとした仕草で手を合わせ、「ごちそうさまでした」と言うと、再び或斗へ目を向けた。
「ありがとう少年。このご恩は決して忘れないよ」
アルカイックスマイルというのか、笑っているのかいないのかよく分からないくらいの微笑を浮かべて、ご飯粒を頬につけたままの青年が礼を言う。
「あの、ご飯粒ついてます」
「おやいけない」
青年は、或斗が指した方の方についたご飯粒をひょいとつまんで食べる行儀の悪さを見せる。
浮世離れしたどこか神秘的な雰囲気を言動で破壊していく様は、どことなく未零を思い出させて、或斗は不思議とこの青年に好感を持った。
「俺は遠川 或斗っていいます。お兄さんは?」
或斗が名乗ると、青年は少しばかり思案顔をしてから、胸元で十字を切り、ゆったりとした口調で名乗った。
「『呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ』……これは聖書の言葉でね。この荒野のごとき世の中で、或斗少年に会えて良かったよ。私の名前はミラビリス・クロニアという。気軽にビリーとでも呼んでくれたまえ」
日本人離れした容姿をしているとは思っていたが、本当に外国人であったらしい。
あまりに自然に日本語を話し、箸を使うものなので、或斗は少し驚いた。
「ビリーさん。外国の方だったんですね。日本に住んで長いんですか?」
「いいや、最近来たばかりだ。迷子になるくらいには土地勘が無い」
確かに、と或斗は苦笑した。
「じゃあ、日本へは何をしに?」
青年はまっすぐに或斗の目を見つめて、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「宝探しさ」