目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

14 夏だ!海だ!


深い空色に、高々と盛り上がった入道雲の白。


街路樹に張り付いて鳴く蝉の合唱が騒がしい中、子供たちがコンビニで氷菓子を買い、日陰で涼んで駄弁っている。


力強い太陽光が眩しく世界を照らし、空とアスファルト、上下からの熱が皮膚を温める。


夏である。


25年前、ダンジョンが発生する前の日本では、地球温暖化による夏の酷暑化が問題視され「四季じゃなくて五季」「夏ではなくもはや罰」などと言われていたものだが、不思議なことにダンジョン発生とともに地球温暖化は止まり、日本には風流たる四季が舞い戻ってきていた。


とはいえ梅雨も過ぎて7月になると当然に気温は上がり、夏らしく暑くなる。


水温も上がるこの時期は、東京湾の国主導攻略など、水辺のダンジョン攻略が行われやすい季節であった。


有名パーティというだけでなく、国の武力としての顔も持つ『暁火隊』ももちろん、東京湾ダンジョン攻略に人員を出している。


他に有名な水辺の攻略話だと、25年前から琵琶湖に棲みついている水棲ドラゴン型モンスター、通称「ネッシー」くらいであろうか。


琵琶湖は25年前からネッシーに占拠されており、湖から生活用水を引く程度のことなら可能なのだが、漁業などの産業は完全にストップさせられている。


ネッシーは琵琶湖を自身の縄張りだと認識しているようで、琵琶湖に船を出すなどしなければ、基本的には無害である。


まあ、存在自体が有害という説もあるが。


ネッシーの強さは『暁火隊』が国から勲章をもらう理由となった、東京町田地区周辺を占拠していたフロストドラゴンと同じくらいであろうと見積もられている。


なまじ同レベルの存在の討伐記録があるために、第二の『暁火隊』となり世間に名を知らしめん! と毎年いくつものパーティが果敢に討伐に挑むのだが、大体は帰ってこないか、重傷で命からがら逃げだしてくる。


琵琶湖が再び人類の手に戻ってくることはあるのか、毎年夏にはネッシー討伐ダービーなるものも密かに行われているらしく、人死にが関わっている割には呑気なものであった。


また7~8月には、日本では旧時代から伝統的に続く夏休みという長期休暇があり、家族単位で避暑に出かける家庭も多い。


安全区域内に住む富裕層の人々の一部などは、護衛特化パーティを雇って水辺ダンジョンの低階層で遊ぶダンジョンレジャーなるものに繰り出したりと、気温のこともあり、ダンジョン発生以前よりも人々の間では夏は楽しむものという意識が高い。






さて、夏の暑さはいずこへやら、空調の効いた涼しい『暁火隊』本部地下情報部では、ブリーフィングが行われている。


資料をスクリーンに映しながら、栞羽はいつもの間延びした口調で報告をしている。



「バル=ケリムの拠点から出てきた資料などを解析した結果、神奈川県沖のとある海岸線が妙に重要視されていた形跡がありましたぁ。何度か『カージャー』が調査隊を組んだりもしているようですが、情報部の調べでもこの海岸線付近に大規模ダンジョンなんかはなく、『カージャー』の目的が読めないところです~」


「暗号解析の進捗は?」



日明の問いに頷いて、栞羽は続ける。



「『カージャー』の使用する主な暗号通信数種類の内、1種類の解析に成功しています。そこで判明したパターンを用いて、件の神奈川県沖海岸線調査について重点的に暗号通信を分析してみたところ、"遺跡"というワードが確認されました。これがまた何かの符牒である可能性もありますが、『カージャー』が重視する何かのポイントが存在する可能性は高そうですぅ」



栞羽の報告を受け、日明は真剣な眼差しで情報部内を見回す。



「『カージャー』にとって重要ということは、世界規模で影響を及ぼす何か、あるいは或斗くんの力にも関わる何かが存在するのかもしれない。周辺に隠された『カージャー』の拠点が無いか探す目的も兼ねて、調査隊を組みたい」



見回されたメンバー、或斗や普は頷き、高楽は何故かソワソワとしている。


日明は調査の日程、参加メンバーなどを決めていき、ブリーフィングは一旦解散の流れとなる。


そこで、栞羽が神妙な顔をして手を挙げた。



「どうした?」



事前打ち合わせにない行動をとった栞羽に、日明は不思議そうな顔を向ける。


すると栞羽は急に拳を握りしめ、力説した。



「夏、海……こうなればやることは1つしかありません! そう、レジャーです!」


「いや、調査だよ」



栞羽の珍妙言動に慣れた日明はにべもなく言い切る。


しかしそこで他にも声をあげる者があった。



「やだやだやだ~~~~~! 水着のかわいい女の子とのひと夏の恋甘いランデブーがなきゃやってられない~~~~~~~~!!」



高楽である。


高楽は23歳の人間としてのプライドとか恥とかいったものを全て捨て去り、椅子から降りて床で四肢をジタバタとさせて駄々を捏ねている。


床を這いずる高楽に普が無言で重い音のする蹴りを入れ続けるも、高楽は黙らなかった。


或斗は双方にドン引きした。


突如場を支配した混沌に日明は眉を下げ、折れてみせる。



「確かに、ここ最近は気を張ることも多かったし、気分転換には良いかもしれないな。ただし、調査は調査でしっかりやること」



日明の刺した釘を気にも留めず「いやっほぅ~~~~~~ッ!」と飛び上がった高楽は普の拳で反対側の壁まで吹き飛ばされた。


そんなわけで、『暁火隊』主導の神奈川県沖海岸線への調査行は、半分レジャーの顔を持つに至ったのである。






神奈川県、某海岸線。


一面に広がる砂浜と波打ち際、ビーチ用品を広げて既に海水浴を楽しんでいる観光客たち。


砂浜の端や沖合には岩場もあり、子を持つ親などは危ないから岩場の方へは行かないようにと注意をしている。


大型車に乗ってやって来た『暁火隊』調査一行は、浮かれ切っている者、うんざりした表情を浮かべている者とそれぞれである。


ちなみに、今回はミクリも同道している。


というのも栞羽が「うちで保護されてからロクに遊びに行けてません! 若い女の子に不自由を強いるようでは『暁火隊』の名折れ!」だとかなんとか言って強引に同行を取り付けたらしい。


調査一行の女性比率が低く、遠慮なく弄れる同性が欲しかったんだろうというのが普の見解だが、まあミクリ本人は「海に行くの初めてなんだぁ! 良いのかな?」と素直に喜んでいたので、良しとしておく。


車から降りると鋭い夏の陽射しが或斗の視界を刺す。


海水浴場から見て高台に作られている駐車場から見下ろす砂浜は白く、海は青く澄んでいて、そのコントラストが夏そのものといった風で、綺麗だった。


或斗も海、正確には少し前に寂れた港の廃墟には行ったが、海水浴場などに来るのは生まれて初めてのことで、初めて嗅ぐ潮の香りに、調査がメインと理解しつつも気持ちの底が浮つくのを抑えきれずにいた。



「近くにホテルをとってある。1日目は遊んで、2日目から調査を行うから、今日羽目を外し過ぎて明日以降に響くということが無いようにするんだぞ」



車から降りた面々に、普段より軽装備の日明が注意をするが、或斗と普以外、まともに聞いていなかった。


高楽はまさに神速といった素早さで水着に着替えると、そのままビーチの水着女子たちをナンパしに走っていった。


あのガッツいた様子ではおそらく誰も捕まらないだろう、猿に引っかかる女性はそういない。


高楽が1人すっ飛ばして行ったが、やがて他のメンバーも各々水着に着替えてくる。


或斗の学校、というかネズミ組に水泳なんて贅沢な授業はないため、今回の水着も普に買ってもらったものである。


何だか見たことのあるようなブランドロゴが入っている事実からは目を背けた。


少しすると、栞羽とミクリも着替えを済ませて出てくる。


栞羽は髪色と同じような緑のボーダーの入ったビキニを、ミクリはワンピース型で露出控えめの小花柄の水着を着ている。


栞羽は控えめな胸を張って、謎の自信満々な笑みで或斗に言い放つ。



「どうです虹眼くん! かわいい先輩とかわいいお友達の可憐な水着姿は!」


「ええと、似合ってますよ。素敵だと思います」



或斗は困惑しつつも素直に答えた。


というのに栞羽はいかにも不満げに「カーーーーッ」と言い、かぶりを振った。



「虹眼くんはホントに16歳男子ですか! 年上美人お姉さんと可憐な同年代女子の水着を前に照れもせず!」


「そんなことを言われても……」



ミクリはともかく、栞羽については普段の珍妙言動を知ってしまっているため、年上美人お姉さんという属性からは逸脱していると思う。


そう思ったが、或斗には最近危機回避能力が若干備わってきているため、口には出さなかった。



「まったく、普ちゃんと一緒に暮らすと朴念仁ぶりも移るんですかね。行きましょうミクリちゃん」


「ドブネズミの巻き添えで俺を貶すな。その辺の藻屑にするぞ扁平胸女」



しっかり聞いていた普がうんざりした声音でいつもの罵倒を飛ばす。


そう、この海水浴レジャーで最もテンションが低いのは普であった。


普は一応とばかりに身に着けた膝丈の水着の上から長袖の防水パーカーを羽織っており、肌の露出度も低い。


まああの普が海水浴にはしゃぐイメージは無いため、そう意外でもないが……或斗が視線を普の後方に向けると、反射板や本格的なカメラを担いだ"ガチ"の撮影班と、それを指揮する茂部が居た。


茂部はいつも通り荒い息で「ハァハァ……海辺の普たん……夏の女神ヴィーナス……」などと言いつつ手持ちのカメラで普を激写している。


……よく見れば普はテンションが低いというより、目が死んでいる気がする。


或斗はファンクラブ案件から静かに視線を逸らした。


すると逸らした視線の先、妙なものが波打ち際、よりちょっと沖側の海に浮いているのが見えた。


オレンジと白、これぞといった色合いの浮き輪で浮きつつも、うつぶせで海に顔をつけて動かない、亜麻色の長髪の青年がプカプカしている。


或斗はまさかと思い、駆け足で海に入ると浮き輪の主の顔を海から引き上げる。


淡い亜麻色の髪に整いすぎている顔。


或斗の予測通り、その青年は数日前、「またいつか会おうじゃないか或斗少年」と爽やかにどこかへ去っていったビリー、ミラビリス・クロニアその人であった。


今日は海らしく半袖のアロハシャツに海水浴用の短パン、ビーチサンダルの出で立ちだが……。


気絶している。



「ちょっとビリーさん!? 大丈夫ですか!?」



砂浜に引き上げて気道を確保し声をかけると、ミラビリスはゲホゴホと水を吐いてから目を覚ました。



「キミは……或斗少年」


「はい、お久しぶりというほどでもないですけど。何してたんですか?」



浮き輪を使った自殺ということもないだろう、或斗はミラビリスの行動から目的を少しも推測できなかった。


ミラビリスは或斗の怪訝な顔にまたあやふやな微笑みを浮かべると、朗々と聖書の一句を諳んじる。



「『わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた』……黙示録の獣の出所を探ろうかと、海の中を見ていたんだ」


「いや、気絶してましたし俺があと少し遅かったら死んでましたよビリーさん……」



やはり全く理解できない言動である。


或斗は完全に困った人を見る目でミラビリスを助け起こした。



「宝探しに来たんじゃなかったんですか?」


「それはそれ、これはこれさ。海は権威、罰でもあり、救済の象徴でもある……宝は常に正道を逸脱することによって得られ、いつしかそれが正道となる」


「よくわかりませんけど、遊びに来たんですね」


「そうとも言える」



ミラビリスは満足げに頷いた。


或斗はどうしたものかと暫し悩んだ。


ミラビリスを放っておくとまた自死まがいの奇行に走りかねない、が今回は『暁火隊』の面々と来ているわけで、ずっと見ておくというわけにもいかないだろう。


前回同様或斗が面倒を見る義理は何も無いのだが、どこか未零を彷彿とさせるこの奇天烈青年のことを或斗は放置出来なかった。



「おいドブネズミ、綺麗な水が物珍しいからって勝手な行動はするな……お前は、この間のタダ飯喰らい」



バックに撮影部隊を引き連れた(本人の希望ではない)普が或斗を追って波打ち際へやってくると、ミラビリスに気付く。


ミラビリスは普を見て曖昧な笑みを浮かべたかと思うと、急に爆弾を投げた。



「これはお財布くん。キミも数日ぶりだね」



夏の砂浜に唐突なゴングが鳴り響いたのを或斗は感じ、暑い中で冷や汗を流した。



「誰が財布だこの髪長幽霊女野郎。ちょうどよくその辺にある海に沈めて存在感の薄いその髪完全に脱色すんぞ」


「人を海に沈めるためには泳ぐ必要がある。キミのその重装備は泳ぐ想定なのかい? 肌を焼きたくないだなんて理由だとしたら、それこそ女性的に寄った思考だと感じてしまうな」


「ザンバラ野郎から格好に物言いつけられる謂れはねえよ。そもそも誰がお前ごとき行き倒れの始末にそんな手間かけるか。人間なんぞ手足折って沖までぶん投げればそのうち勝手に沈むわ」


「ああ、なんと罪深い思考を持っている人だろうか。主よ、彼の者の凶悪な顔つきと物言いをお許しください」



或斗は頭痛を感じながらため息をついた。


前回は主に或斗が話していたから気が付かなかったが、そもそも普は大抵の人類と相性が悪い。


おっとりしているから大丈夫かと思ったが、ミラビリスもその例に漏れなかったようだ。


というか、今回ばかりはミラビリスの発言も普の神経を逆撫でするに十分な内容である、悪気は無さそうなのがより性質が悪い。


何と言って割って入ったら普の八つ当たりパンチを回避出来るだろうか、途方に暮れていた或斗に輪の外から救いの手が伸ばされた。



「虹眼くん~! 第1回! ポロリは無いけどビーチバレー大会! を始めますよ~!」



砂浜の端の方で、車のどこに積んでいたのかビーチバレー用のポールと網を立てた栞羽が或斗を呼んでいる。


大会というほど大人数ではないだろうとか、ポロリがどうとかは相変わらずよくわからないが、思わず栞羽を拝みそうなほどにはタイミングが良かった。



「普さん、ビーチバレーをやるらしいですよ! 行きましょう! ビリーさんもどうですか?」


「アホらし。誰がそんなガキみたいなことやるか。お前らだけで勝手にやってろ」



普は後方撮影部隊が手際よくセットしたパラソルの下、アウトドアチェアに寝そべってしっしっ、と手を振った。


或斗がミラビリスを見ると、ミラビリスは嬉しそうに頷き、バレー会場に向かおうとしている。


ミラビリスは完全に部外者であるが、栞羽なら気にせずメンバーに入れてくれるだろう。


ビーチバレーなら、ミラビリスの奇行が冴えることもあるまい。


被害なく普とミラビリスの両者を分断出来たこと、ミラビリスの面倒を見る問題の解決が図れたことに或斗は内心安堵し、栞羽に感謝した。


そう思ってミラビリスをビーチバレー会場まで連れて行くと、栞羽は「虹眼くん! そんな美人をどこで拾ってきたんですか! ナンパ!? ナンパですか!?」と騒ぎたて、ナンパに轟沈した高楽は「何でオレが全滅したのに或斗くんが成功してんの? ねえ何で?」と或斗の足にまとわりついてくる。


或斗は判断を誤ったことに気が付いた。


ここはここで混沌であり、あしらう面倒くささでいくと普とそんなに変わりはない。


まともなのは水分補給用のドリンクを買ってきてくれたミクリだけであった。


確かに美人だがミラビリスは男性であり、ナンパではなく以前会ったことのある顔見知りだと説明しても、負け犬もとい高楽の怨念は消えることなく煮え立った。


ビーチバレーは逆恨みに燃える高楽と面白がっている栞羽チーム、ミラビリスと或斗チームに分かれ、審判をミクリが務めることになった。


ちなみに日明は「もう歳でなぁ」と言ってパラソルの下で休んでいる。


ダンジョン適性的にチーム分けが不公平だと或斗が抗議するも、ミラビリスが「大丈夫さ、或斗少年」と言って制する。



「でも、あの人たち言動はアレですけどダンジョン適性はAとCですよ? 俺は……適性無しなので、絶対負けますよこれ」



たかだかビーチバレーに負けたところで失うものは何もないけれども、あの逆恨み極まる高楽を勝たせたら或斗も謎の敗北感を覚える気がする。


理不尽な八つ当たりをしてくる相手は普一人でお腹いっぱいなのだ。



「まあまあ、私に任せておけば間違いはないよ」



ミラビリスは余裕をたっぷりに微笑んだが、さっきまで浮き輪付きで溺れて死にかけてた人に言われてもな……と或斗は全く信頼出来なかった。


しかし、蓋を開けてみれば或斗とミラビリスチームの、というかミラビリスの圧勝である。


ミラビリスは数回の球の打ち合いで高楽と栞羽の戦力想定と特徴を掴むと、或斗が呆けている間に全ての球を受け、的確に返し、高楽と栞羽の連携の穴をついて点を獲る。


あっという間に21点先取を2セット、勝利を分捕って見せた。



「この美人……強い……!?」


「高楽さんはどれだけ言動がアホの残念でも一応適性Aなのに、手も足も……! 虹眼くんの力が発動した気配もなく……!」


「いやビーチバレーで使いませんよ」



或斗は或斗でミラビリスの意外性に驚いてはいたが、大人げない大人たちをやり込められたのでちょっと良い気分だった。


別に或斗の力ではないが。


ミラビリスはこの暑さの中運動をしたというのにほとんど汗もかいていない様子で胸を張ってみせた。



「『神から生まれた人は、世に打ち勝つからです』……私たちの想いの勝利ということだね」


「俺何もしてませんけどね。すごかったです、ビリーさん」


「キミは救い主、私の勝利はキミの勝利さ」



海を背景にさらりと髪を肩から払ったミラビリスは、夏の明るい光の下で、それこそ光り輝く救世主のように美しかった。


ビーチバレーには力がさほど必要なく、砂浜での踏み込みや素早さ、相手の呼吸の隙をつけるかというところが勝敗を分ける、と或斗はド素人ながらに思う。


高楽は適性Aの中では素早さが低く、タフネス勝負をするタイプだったから圧倒出来たのだろうか。


あるいはミラビリスは外見通りダンジョン適性がかなり高く、普段から何らかのスポーツをしているのか……尋ねようと或斗が口を開く前に、ミラビリスが海の方を振り返り、呟いた。



「獣ではないが、おとなう者があるようだ」


「え?」



その直後、海岸線の沖が大きく盛り上がり、タコとイカを足して凶悪にしたような外見のモンスターが、20mはある巨躯を現した。


モンスターの出現と共に大波が砂浜に押し寄せ、一般の観光客は我先にと逃げ惑う。



「そんな、この周辺にこんなモンスターが出てくるほどの規模のダンジョンは無いはずです!」


「分析は後だ、栞羽、盾くん、一般人の避難誘導を! 美来里くんは一般人と共に退避、或斗くんは普のところへ行ってくれ!」



日明が冷静に指示を出し、それぞれが行動を始める。


或斗が走って普のところへ戻った時には、普は既に撮影班をしていた後方支援部隊から武器を渡され、臨戦態勢に入っていた。



「チッ、ドブネズミこっちに来やがったのか。クラーケン系の大型種だ、お守りしながら戦う気はねえぞ」


「日明さんの指示です。相手は巨大だ、自衛くらいは出来ますし、俺の力も役に立つはずです」


「ハッ、ヘマしたら殺す。それで、後ろのボケは?」


「えっ?」



振り返ると当然のようにミラビリスが居た。


目の前に迫ってきているモンスターが見えていないかのような呑気な微笑みをたたえたままで。



「ちょっ、ビリーさん!? 何で避難してないんですか!?」


「『恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい』……海を割ることこそしないが、今こそ5膳のトンカツ定食の報恩のときかと思ってね」



そう言うと、ミラビリスは海の中から或斗へ向けて勢いよく伸びてきた直径3mはありそうな太い触腕を、小石でも蹴るかのような気軽さで蹴り飛ばし、海に戻す。


明らかにダンジョン適性A相当の力を見せたミラビリスに、或斗は目を丸くした。


ミラビリスは普を見て微笑む。



「或斗少年は任せたまえ、お財布くん」


「次財布って言ったらその髪丸刈りにするぞ」



普は気に入らないという態度を隠しもせず舌打ちするも、或斗を一瞬だけ見てからすぐにクラーケンへ向かって飛び出す。


風の魔法の応用によって1回の踏み込みの滞空時間が空中浮遊のように長く続き、普は数秒でクラーケンの頭上をとる。


そして真っ赤な業火を剣に纏わせ、クラーケンの頭部に叩きつけた。


砂浜に焦げ臭さが充満する。


クラーケンはたまらず、或斗たちへ向かわせようとしていた何本もの触腕と触手を頭上の普へ殺到させる。


普は器用にそれらを足場にして触腕の付け根に接近すると、風を纏わせ刃先を伸ばした剣で4~5mはありそうな根本を切断する。


剣を振りぬいた姿勢で海面近くにいる普を海へ引きずりこもうと全部で何本あるのか分からない触手の一部が蠢くも、或斗が虹眼でそれらの動きを止める。


その隙に普はまた触手を足場に駆け上がり、頭部への攻撃と触手の斬り落としを順調に進めていく。


普が斬り、或斗が隙を作る。


そのコンビネーションにより、クラーケンはものの数分でほとんどの触腕触手を失っていた。



「終わりだデカブツ! イカ焼きにしてやるよ!」



普がクラーケンの頭上から凝縮された炎の弾を打ち込もうとする、その一瞬。


クラーケンは普へヘイトを向けるのを止め、自分の命を投げうつように、突如或斗へ向けて巨大な水流を放った。



「なっ……!」



或斗は咄嗟に虹眼で目の前に迫る水を止めたが、水は分子レベルの群体である。


あっという間に止めた分の水ごと、その後ろの水流が或斗と、或斗を庇ったミラビリスを押し流した。






ピチョン、ピチョン……と水音がする。


或斗はうっすらと目を開けた。


薄暗く、身体中びしょ濡れで、体の下はゴツゴツと固い。


磯の臭いがこもっていて、もう生臭さに近かった。



「気が付いたかい、或斗少年」



空間にのんびりとした美声が響いた。ミラビリスの声だ。


或斗はハッと飛び起きて、周囲を見回す。


或斗の隣にはミラビリスが居て、魔法で小さな炎を出し、明かりとしている。


小さな炎に照らされた、今或斗たちが居る空間は、どこかの岩場……いや、閉じている感じから、洞窟と言った方が正確だろう。



「ここは……?」


「水流に押し流されたのは覚えているかい、あれでどこかの海流に巻き込まれたのだろう、私はキミを抱えてその辺から上がってきた」



その辺、と言ってミラビリスが指したのは、岩場に小さな波をぶつけている黒々とした海である。


状況から推察するに、海に繋がっている、というか海からしか入ることが出来ない構造になっている洞窟だろうか。



「どうやら私たちは迷える羊となってしまったらしい」



ミラビリスはあっけらかんと言った。


その危機感の無さにつられて気が抜けそうになってから、或斗はいやいやと首を振り、状況のマズさを認識する。



「脱出! 脱出方法を探さないと死にますから!」


「おお、確かに」



ミラビリスは呑気な態度を崩さず、手をポンと打つ。


ただ、多少……いやかなり、危機感が薄いとはいってもミラビリスに助けられたのは事実である。


彼が一緒に流されてくれていなければ今ごろ或斗は水死体になっていたかもしれないし、彼の魔法のお陰で明かりもとれ、体もいくらか温められた。



「俺の巻き添えでこんなことになってしまってすみません。ビリーさん、助けてくれてありがとうございます」


「『一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう』……日本で言うところの一蓮托生さ。気にすることはない」



ミラビリスはいつものように穏やかに微笑む。


つられて或斗も眉を下げ、へにゃりと笑った。


或斗とミラビリスが周辺を調べたところ、洞窟は狭いながらも奥へ空間が続いているようで、その先から僅かに風が吹いてきている。



「『わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない』。幸運だね、少なくともこの洞窟は風の吹くどこかと繋がっているようだ」



この先へ進んでみよう、と言うミラビリスに或斗は頷く。


しかし……とミラビリスは相変わらず呑気な表情で続けた。



「この辺りにこんな洞窟があるという話はなかったはず。もしかすると、未登録のダンジョンだったりするかもしれないねえ」



或斗は顔を青くした。


ダンジョン内はあらゆる電波が繋がりにくい。


ただの洞窟であれば或斗の服のどこかに仕込まれているだろう栞羽特製の特殊GPS装置によって途中で助けも期待出来るが、ダンジョンとなると別の出口を見つけるか、最深部へ到達するまで出られないことは確実だ。



「ビリーさん、スマホとか持ってませんか?」



ダンジョンも入口付近であればスマホなど電子機器の電波が繋がることがある。


或斗のスマホは車の中へ置いてきてしまったので、一縷の望みをミラビリスに託したのだが、ミラビリスは「持っていないねえ」とやはり呑気に首を横に振る。


どうやら或斗たちはこのダンジョンかもしれない洞窟の奥へ進んでいく他ないようだった。



「『強く、また雄々しくあれ』……恐れることはない。或斗少年には、私がついているからね」


「そういえば、やっぱりビリーさんのダンジョン適性はAなんですか?」


「うん」



少しも自慢げな様子なく、ミラビリスは自然体で頷いた。


高適性者は大抵、自分の力に気負うところや誇りを持つものなのだが、ミラビリスは血液型くらいに考えているのではないかと思える答え方であった。


ダンジョン社会にあって異質なその態度が少し面白く、またミラビリスらしくもあったので、或斗は少し笑って肩の力を抜くことが出来た。


しかし、洞窟は暗く肌寒い。


体温低下のことを考えると、光魔法より火魔法の方が良いが、酸素のことを思えばあまり大きな火を灯すわけにもいかない。


或斗たちは薄暗い洞窟を慎重に進んでいこうと、奥へ足を踏み出した。


そこでふと、或斗は洞窟の壁に目を向けた。



「あ……あれは!?」



見上げたその壁には、檻に囲われた六角形のマーク――すなわち「カージャー」の象徴が彫られてあったのだ。



「ここが『カージャー』の拠点だとすると、奥へ進むのはマズいかもしれません……! あ、『カージャー』というのは危険な集団で、ええと……」



或斗が1人で慌てて説明に難儀している間に、壁を検分したミラビリスが緊張感の無い声のまま言う。



「これは随分と古い紋様だよ。見たところ、彫られてから100年ではきかない時間が経過しているのではないかな」


「100年?」



或斗は「カージャー」の創始について、ダンジョン発生後の混乱期と考えられているという話を聞いたはずだ。


長く見積もっても25年以下である。



「『カージャー』のマークが100年以上も前に……? どうして……」



物事を根底から崩されるような驚きと不安、そして大きな謎が或斗を酷く混乱させた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?