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17 孤児院


夜闇の中、人気のない道を走る2人分の足音がある。


背後には外壁の上に鉄条網が張られ、魔法的セキュリティが正常に働いていることを示す青い光が点滅している、見るからに堅牢な収容施設。


囚人服を着た男が、整っていない紫色の髪を手櫛でしきりに撫でつけながら、前方に向かって言う。



「まさか貴殿が自ら動いてくれるとは思っていませんでしたよ。ともかく助かりました」



前方からの返事はないまま、囚人服の男は「まったく整髪剤もない粗末な牢に押し込められて」とぶつくさ収容施設への文句を言う。


人外の速度で走る2人分の足音は、あっという間に収容施設の外周警戒網を抜け、施設の影も見えなくなるまで道ならぬ道を駆けていく。


逃げおおせたぞ、と狡猾な笑みを浮かべた囚人服の男は独り言を切り上げ、前方へ尋ねる。



「これからの逃走ルートはお任せしてよろしいのでしょうな、エノク殿」



囚人服の男の話しかけた前方には、"誰も居なかった"。







「バル=ケリムが脱走した!?」



8月初旬、夏も盛りの今日この頃。


『暁火隊』本部地下情報部にて、或斗がひっくり返りそうな声をあげる。


驚きと焦りで目を丸くする或斗と、冷静な他のメンバーに向けて栞羽がいつもの調子で経緯を説明する。



「昨夜、といっても日付的には本日ですね~。午前3時26分、特殊収容施設の魔法セキュリティがハッキングを受けましたぁ。同時に物理セキュリティ、扉の鍵や監視カメラ、警戒ドローンの類ですね、コンピューター制御されたそれらも機能不全を起こし、4分と52秒間、施設の防備は完全に破られた状態だったようですぅ。完全物理の錠前などは破壊されています。セキュリティが復旧した時には既にバル=ケリムは施設外、それも外周警戒網からも抜け出た後でした~ということで。足跡など目に見える痕跡は当然のように残されておらず、一般的な方法では追跡が不可能ですねぇ」


「まずいじゃないですか!」



バル=ケリムは或斗が自らその身を危険に晒し、普や高楽の協力もあってようやっと捕縛した「カージャー」の幹部、「カージャー」の本体へと繋がる重要な情報源である。


追跡不可能ということは、再捕縛のため或斗に出来ることも無いということだ。


「カージャー」の慎重さは或斗をはじめ『暁火隊』の面々も知るところにある、もう一度同じ囮作戦は使えないだろう。


しかし奇妙なことに、重要な手がかりが……! と焦っているのはこの場では或斗だけであった。


経緯説明を行った栞羽は平常通りの口調、日明と普は平然としており、高楽……高楽はいつものへらっとした笑みを浮かべていた。


多分高楽だけは何も考えてない。


日明が苦笑して、種明かしをする。



「或斗くんには黙っていてすまなかったね。実は、これは作戦なんだ」


「作戦?」


「バル=ケリムの拠点の資料から解析した何種類かの暗号通信を使って、『カージャー』側へ、ここ数日間特殊収容施設の警備が薄くなるという情報をわざと流した。釣れるかどうかは賭けだったが、うまく乗ってくれたようだ」


「わざと逃がしたってことですか?」


「ああ。実はバル=ケリムの食事にはしばらく前から茂部の開発した特殊な幽銀を盛ってある。バル=ケリムの体や杖を研究した成果だな。この特殊な幽銀はバル=ケリムの体内に蓄積されているから、その反応を追うことで、簡単に位置の特定が出来る。魔法的でもなく、電波など従来の物理的手段によるものでもない、新しい追尾法だ。『カージャー』でもしばらくは気づかないだろうし、取り除くことも出来ないだろう」



バル=ケリムの捕縛からしばらく、尋問や時には拷問に近い方法で情報を得ようとしてきたが、2週間ほどで既に想定上引き出せる限りの情報は引き出し終わっていたという。


自分に対してもモンスターとの融合実験を行っているだけあって、バル=ケリムは痛みに強く、拷問まがいのことをしても組織の核心に繋がる話は何もしなかったらしい。


裏取りの出来ない情報を得るため苛烈な拷問を続けて使い潰すより、次の一手として役立ってもらうべきだと判断したのだ、と日明は説明する。


ははあ、と或斗は感心した。



「事情はわかりました。俺が知らされていなかったのは……?」


「心理戦なんか出来る頭してないヘタレビビリのドブネズミに話したら、どこで勘付かれるかわからないからな」



普の毒舌は今日も冴えわたって或斗を刺してくる。


あとそこの馬鹿猿も、と何か分かっているような顔で頷いていた高楽もついでとばかりに貶されていた。



「或斗くんは素直だから……悪いな、敵を騙すにはまず味方からということだ」



日明が穏当な言い方で濁してくれる。


言われてみれば、事前に作戦を伝えられていた場合、或斗はずっと落ち着きなくなっていただろうなと自分でも思う。


高楽が知らされていなかったのも納得である。


日明にさえフォローしてもらえていないあたり、『暁火隊』エース格としてそれで良いのか? とは思うけれども。



「自分の拠点とそれに通じるルートを私たちに押さえられているバル=ケリムは、必然他の幹部の使う拠点に潜伏するしかない。他の幹部の身柄にまで手が届けば重畳、少なくとも拠点の1つは掴めると考えている」



日明の合図で、栞羽が関東一円の地図と、その中で動く赤い点をスクリーンに映し出す。



「この赤い点がバル=ケリムの現在地です~。未明から今まで、一定以上の時間、同じ場所に留まってはいないことを観測しています」



日明は情報部にいる面々の顔を順に見て、宣言する。



「バル=ケリムの動きが止まった場所、そこで仕掛ける」








「いやあ、山っすねえ~」


「分かり切ってることを何度もわざわざほざくなアホ。脳と口が直結してんのか」



この2時間ほどで5回くらい同じことを口にしている高楽。


次同じこと言ったらその辺に埋めていくぞ、と苛立ちを顕わにする普。


いつ高楽が山に埋まるか気が気でない或斗。


今回のバル=ケリム追跡作戦はこの3人で決行すると日明が告げた時の、普の腐った蛆虫に触れたような顔を見てからこっち、或斗はずっとハラハラしている。


或斗としては、出来れば自分以外の緩衝材人員が欲しかったところなのだが、「カージャー」は慎重だ。

動きを気取られないためにも、作戦に参加する人数はむやみに増やさない方が良い、という方針は前から変わっていない。


それと、政府からの要請で夏季は東京湾ダンジョンをはじめとした水辺ダンジョン攻略に人員を割く必要がある。


単純に『暁火隊』内で動かせる精鋭メンバーが高楽以外出払っているということもあり、また高楽はこれでも拠点や対人制圧に長けた人間であるからして、必然この3人に決まったのであった。


普が日明に異義を唱えないのは普段からだが、今回については理の部分でも頷かざるを得ない部分があったのだろう。


出発前に「かわいい登山ガール居るかな~」などと言った高楽を、普がラリアットで床に沈めたときから、この胃の痛む未来は或斗にも予測出来ていた。


相性が……! 相性が悪い……!


高楽も高楽で毎度暴力の雨に晒されているのだから、雨合羽1枚分くらいのお口チャック技術を身に着けてほしいものなのだが、インテリジェンスがタフネスに吸われていると公然に噂されているくらいの大人物である、無論そんなトラブル回避術を使うことはない。


のほほんとする高楽、イライラしている普、キリキリしている或斗、ある種バランスの取れた一行であった。


一応、普がイライラしているのは高楽だけのせいではない。


現在或斗たちが移動しているのは山の中、それもあまり人の手が入っていない場所である。


足場は悪く、蝉の合唱サラウンドに常に晒され、夏特有の蒸し暑さで体中がベタベタとし、蚊がプンプンとご機嫌に飛び回る。


虫以外はダンジョンで慣れている普であるが、嫌な要素がスクラム組んでぶつかってくるとイラつきもする。


普は夏が嫌いである。まあ冬も嫌いなのだが。


普は特に夏の嫌なところを煮詰めたかのごとき登山というものを狂気の沙汰と考えているタイプの人間であった。


その環境の中で、或斗の護衛と「カージャー」の手がかり探しを行いつつ高楽を操縦しなければならないわけで、今回ばかりは或斗も普の苛立ちを単純な理不尽と言うわけにはいかなかった。


バル=ケリムが潜伏していると思われる山中へ続くいくつか前の山の麓までは『暁火隊』の大型車で移動し、後方支援部隊に装備を整えてもらって出発。


後方支援部隊の中に入っていたミクリから「気を付けてね」と見送られ、山の中を歩くこと2時間。


ようやくバル=ケリムが潜伏しているだろうと思われる山の中へ入れたが、今のところは人の手の入っていない獣道を歩き詰めで、何らかの痕跡や手がかりといったものは見つかっていなかった。


そして情けない話、割と或斗の体力限界が近かった。


普のしごきによって平地であれば適性E~Fの人間と同じくらいの持久力を発揮できるようになったものの、歩き慣れない山道を適性A2人についていく形で進んでいくのである。


普はこれでも多分或斗のペースを考えて進んでくれているのだと思うが、地力にアリとゾウの歩幅ほどの開きがあると、アリ側は当然に疲弊する。


いつ起こるともしれない高楽への普の苛立ち大爆発に怯える余裕もなくなってくるくらい、或斗は2人についていくので必死であった。


そんな或斗の状態など毛ほども気にしていない声音で、高楽が「こんな山奥に何があるんだか」と言ってから30分ほどだろうか。


山の中に小川が流れており、それを人が使用していると思しき痕跡を見つけた。


3人が充分に警戒して周辺を見回ってみると、小川のほど近くに山の木々を切り開いて平らにした広い空間があって、そこには屋根に十字架を掲げた、教会に似た建物があった。


建物の敷地からは、無邪気な幼い子供たちの声が聞こえてくる。


普などは不信を隠さず近づこうとしなかったが、高楽が平然と建物の門へ歩いていき、この建物の名前を読み上げる。



嶺治れいち養育院だって! 孤児院っぽいすね!」



そんな高楽の声が聞こえたのだろう、建物の中から修道服を着た若い女性が出てきた。



「まあ、こんな場所へ……ダンジョン攻略者の方々でしょうか、どうなさったのですか?」



修道女は或斗たちの服装を見て、不思議そうに目を丸くした。


栞羽の調べで、この山の周辺に大小含めダンジョンはほとんど無いことが分かっている。


にもかかわらず、ダンジョンに挑むかのような戦闘用の装備を身に着けた3人組である。不思議に思われるのも当然だろう。


なんと説明したものかと戸惑う或斗だったが、高楽があっけらかんと「登山修行っす!」と満面の笑みで答えた。


そして流れるような動きで修道女の手をとり、ひざまずく。



「ところでお嬢さんのお名前を伺っても? オレは高楽 盾といってダンジョン適性A、ダンジョン攻略者をやっています。自分を更に高めるため、この地にやって参りましたが、その修道服の清楚な出で立ち、可憐な立ち姿に目を奪われ、修行へ向ける心が揺れてしまいました。どうかこの胸の高鳴りの正体を教えてくださらないでしょうか、貴方の清廉なお名前と共に……」



普が無言で修道女の手から高楽の手を引きはがし、そのまま腕を逆方向に曲げていく。



「あっ! 普パイセン痛い! それ痛い! 折れる! 折れるっすよ! あああ、ぎゃあああああ」



或斗は止める手段を持たないので、ポカンとしている修道女へ「すみません、変な人たちで」と謝罪をしておいた。


変な人たち、のところをしっかり拾った普から小石が飛んできて、或斗の頭にこぶが出来たが、或斗はこの程度の痛みでは動じないようになっている。


しかし修道女は当然普の暴力を見慣れていないので、「大変! 頭を冷やした方が良いですよ」と慌てる。


作戦中であるため、或斗は断ろうとするも、疲労が足に来てふらついてしまう。


修道女はそんな或斗を心配して、「山歩きは疲れたでしょう、うちで良ければ休んでいってください」と提案してくれた。


どうしたものかと或斗が戸惑っていると、高楽の腕を現代芸術にし終えて或斗の隣に来た普が意外にもその提案を受け入れた。



「ゴミカス体力のドブネズミに合わせて動くのも効率が悪い。このまま山の中で倒れられても俺の手が塞がってより面倒だ」



しっかりと罵倒しながら、或斗をここで休ませる判断をしてくれた。


普の珍しい思いやりに或斗がお礼を言うと、普は無慈悲な目をして言った。



「帰ったら山岳系ダンジョンを周回させる」



或斗は今のうちから、帰った後の地獄を思って静かに遠い目をした。


さて、嶺治養育院は高楽の言ったように、民間経営の孤児院であるそうで、珍しい来客に子供たちも喜ぶだろうと或斗たちは歓迎された。


建物の形にも表れているように、キリスト教系の施設であるらしい。


職員は皆修道服を身に纏った女性たちであった。


ちなみに、キリスト教に限った話ではないが、ダンジョンが発生してからの25年間の宗教事情というものは複雑怪奇になっている。


世界的な混乱に乗じて次々と作られ信者を獲得していく新興宗教。


世界3大宗教も混乱をきたし、どの宗教も新しい教義解釈の新派閥が出来て破門されたり独立したり権利を主張したり……或斗は学術的観点では詳しくないのだが、新興宗教に騙されて搾取されるのはダンジョン社会における孤児の常であるからして、自衛のために悪名高いところの名前はいくつか押さえていた。


この孤児院の経営元の宗派はキリスト教の教えを掲げてはいるものの、教義はダンジョン発生後に出来た新興勢力のものなのだと修道女から聞いたが、或斗は耳にしたことのない派閥であった。


悪名が広まるような行いはしておらず、かつ小規模な宗派なのだろう。


実際、宗派の予算ではとても孤児院の経営は出来ないそうで、篤志家の寄付などによって成り立っているそうだ。


建物はそう古くもなく、丁寧に掃除されているのだろう、明るく清潔な印象を受けた。


広さはこちらの方が狭いくらいなのに、或斗の居た孤児院とは雲泥の差だと感じる。


案内された先の事務室で書類仕事をしていた修道女のまとめ役らしい50代くらいの修道女は、或斗たちへ人の好さが滲んだ笑みを浮かべ、歓迎の言葉を述べた。



「こうして私たちの元へお越しになられたのも主のお導きでしょう。どうぞゆっくり休んでいってください」



主の導き、その言葉を聞いて、或斗はミラビリスの顔を思い浮かべた。


この夏の初めにお世話になった彼は、何かと聖書の引用をする人だった。


次に会う約束などはしていないが、もし会えたとき、話の1つでも合わせられるかと思い、休憩ついでに聖書の話など聞けないかと修道女へ尋ねる。



「それでしたら、今ちょうど子供たちへ授業をしているところですから、お話を聞いていかれるのがよろしいのではないかしら」



そう聞いて或斗も安心した。


わざわざ講義をしてもらうのも申し訳ないし、子供たちが教わる程度の話なら無理なく理解出来るだろう。


普と高楽はどうするのかと振り向くと、高楽は手当たり次第に若い修道女へ声をかけており、普は或斗を胡散臭そうに見ていた。



「何ですかその顔」


「お前が壺を買わされても内臓を質にとられても俺は金を出さないからな」



普の宗教観がかなり歪んでいるのは分かった。


ミラビリスに助けられる前であれば、或斗も似たような意見だった気がするのでとやかくは言えないが。


修道女の仕事の邪魔をし続ける高楽を今度は体全体でアーティスティックにボキボキした普は、一応或斗についてきてくれた。


孤児院の中の教室には整然と小さな机が並べられており、30人ほどの子供たちが教師役の修道女の話を聞いている。



「主は仰いました。『光あれ』、これについては何度かお話した通りですね。この"光"が何のことか分かる人、手を挙げてください」



子供たちが次々と手を挙げ、その中で一等早かった子供を修道女が指名する。



「世界をみたす光、ひるのことであり、ちしきのことでもあります」


「はい、その通りです。この後に主は光とやみとを分けられ、そうして1日が出来ました。ただし、これは物質的な話であり、精神的な意味で解釈すると、"光"とはこの世の本質たる霊知のことを指します」


「私たちの体は物質界、手で触れる状態にありますが、本当に大事にすべきものは知性であり、この閉ざされた物質界の外にある霊的な本質なのですよ」



なんだか或斗がさわりだけ聞いたことのある聖書の話とは随分違っている気がする。


正直言ってよく分からん。


首を傾げて隣の普を見上げたが、普は心底どうでも良さそうに窓の外を見ていた。


修道女は更に続ける。



「皆さんはまだ行ったことはありませんが、ダンジョンと呼ばれるものは、霊的世界を通って、私たちの居るこの物質界とは別の物質界からやってきたものなのです」



身近な単語が出てきたため、或斗は再び授業に意識を戻す。


なるほど、よく分からないのは変わらないが、ダンジョンの存在を教義に結びつけようとして生まれた考え方なのかもしれない。


或斗が首を傾げながら話を聞いているうち、授業は終わった。


話が理解出来なさ過ぎて途中から壺とか幸運のアクセサリーの話が始まらないかちょっとビビっていた或斗も、何事もなく終わった授業に安堵する。


キリスト教といっても、このダンジョン社会ではそれぞれの教義は千差万別、結局何も分からなかった。


聖書の話は今度ミラビリスに会った時直接訊こう、或斗は開き直った。


子供たちは授業が終わると一斉に庭へ駆けていく。


後片付けを終えた教師役の修道女が或斗たちへ近づいてきて、或斗へ「授業はいかがでしたか?」とにこやかに尋ねる。



「ええと……すごく新鮮でした」



サッパリ何も分からなかった或斗は慌てて言葉を探したが、修道女は或斗の理解度を分かっているというようにクスクスと笑って、庭の方を指した。



「もしよろしければ、子供たちと遊んであげてくださいませんか? お客さんなんて珍しいものですから、きっと喜ぶでしょう」


「ああ、それなら……」



と了承しかけて、一旦普を伺う。


確実に普は子供と遊ぶなんてことはしないだろうし、或斗がキャッキャと子供たちと戯れているのを眺めているようなシュールな光景もあり得ないだろう。


てっきり「お前の体力がカスなせいで足とられてたのを分かってるのかクソ頓馬。ガキと戯れる余裕があるならもう行くぞ愚図」くらいの罵倒が飛んでくるものと予想していたのだが、普は「勝手にしろ。高楽とは離れるな」と短い指示だけで済ませた。



「普さんは?」


「クソゴミ体力根性無しドブネズミの代わりに本来の目的を果たしに行く」



罵倒されて安心するのも変な話だが、この孤児院に来てから比較的大人しかった普のいつも通りの口調にホッとして、或斗は普の背中を見送った。


1人で行かせるのも心配ではあったが、実際或斗を連れていない方が普は自由に動けるし、もし敵とまみえることになっても遅れはとらないだろう。


ひとまず授業の前には満身創痍になっていた高楽のもとへ戻ると、既に復活してまた修道女たちに迷惑をかけていた。


以前栞羽が言っていた、旧時代のギャグ漫画みたいな人という表現がなんとなしに思い出され、或斗は高楽をどうにか引きずって庭へ移動した。






或斗は自身が子供の時代からぼっちオブぼっち、ぼっちの帝王と呼ばわって差支えない程度には周囲の子供と関わってこなかった。


例外は未零だが、未零は5つも年上で大人びていて、体いっぱい使った子供らしい遊びを共にしたことはなかった気がする。


つまり、或斗は子供と遊ぶという体験をしたことが無かったので知らなかったのだが、子供と遊ぶのには、非常に体力が要る。


子供は縦横無尽に駆けまわり、とにかく体を動かしたがる。


かと思えば一転、砂遊びや絵本の読み聞かせを所望されるなど、突発的な要請をさばいていく瞬発力も必要だ。


或斗はものの1時間ほどで、山道を歩いていたときと同じくらい疲れた。


ダンジョン適性のせいで、子供たちの方が或斗より体力や身体能力が高かったりもする。


体力を使い果たして庭の端にあるベンチで項垂れている或斗へ、無垢な子供たちが心配という名のトドメを差しに来た。



「お兄ちゃん、お腹痛いの? 走るのすっごく遅いねえ」


「大丈夫? 病気のときは寝た方が良いってシスターも言ってたよ?」



ありとあらゆる遊びで子供たちに惨敗を喫した或斗を心配する元凶たち。


おそらくダンジョン適性無しなどという人種が存在することを想像したこともないのだろう、実際或斗も或斗以外の欄外人間は見たことがない。


悲しみと虚しさを堪えて、或斗は優しい子供たちの心配を晴らすため、上がった息を隠して出来るだけ平静に見えるよう話した。



「大丈夫……お兄ちゃんは、その……ダンジョン適性が、ものすごく、低いんだ」



そう言えば伝わるだろうと思った或斗は、意想外の反応を受ける。



「だんじょんてきせー?」


「あ、シスターから聞いたことあるかも。人によってちがうってやつだろ?」



これには或斗は酷く驚いた。


ダンジョン社会では、ダンジョン適性の高低は5歳の子供でも知っている常識である。


自分の将来に直接関わってくる事柄であるため、物心ついた頃には自分の適性や将来性について大人から教え込まれるし、子供たちもそれを受けて子供社会のヒエラルキーを決めるものなのだ。


改めて子供たちの遊ぶ庭を見回してみると、ダンジョン適性の高そうな子供と低そうな子供が何も気にせず同じルールで遊んでいる。


当然のように適性の高そうな子供が勝っているが、低そうな子供に卑屈の色はない。



「君たちは……遊ぶときにダンジョン適性で、ハンデをつけたりしないの?」



或斗の居た孤児院でもそうだったが、大抵の子供たちは同じくらいの適性ランクの子供同士で遊ぶし、もしそうでない場合は適性に合わせてハンデをつけるルールを使ったりするものである。


実際に自分が遊んだことはなくとも、他の子供たちがそういう行動をとっていることは或斗も知識として見知っていた。


目の前の子供たちは不思議そうに答える。



「何でそんなことするの?」


「何で……ううん、ホラ、年上の子とか、背丈が違うし、遊ぶとき困るだろ?」



と言ってから、或斗はこの孤児院に居る子供たちの年齢の統一感に気付いた。


30人ほどの子供たちは全員、6~8歳頃に見える。


子供たちはわけがわからない、という風に顔を見合わせ、首を傾げている。


些細な違和感に、或斗は困惑した。


こういうとき、普に訊けば何らかの罵倒と考察が得られるのだが、今は子供を肩車しながら別の子供と追いかけっこに興じている高楽しかいない。


高楽に訊いて何かしらの有用な見解が得られるとは或斗も思わなかったため、後で修道女の1人に尋ねてみた。


修道女は何でもなさそうに、笑って答えてくれた。



「幼い子供のうちは、ダンジョン適性に振り回される人生を送ってほしくないのです。外の世界では、何と言いますか……そういった差別がよくあるでしょう?」



ダンジョン適性は15歳までで変化するものですし、と修道女は付け加える。


適性差別、或斗には身に覚えしかない話だ。


修道女はもう1つの質問についても丁寧に答えてくれる。



「もう少し年長の子供たちは、同じ経営元の別の孤児院へ行ってきちんとした教育を受けることになっているのです。流石に、10歳も過ぎてダンジョン適性を気にしない生活というものも難しいですからね」



なるほど、或斗は得心した。


人の往来がほとんどない平和な山の奥で、幼いうちだけでもダンジョン適性というある種の人生の枷から解放された生活を送る子供たち。


或斗がもし、この孤児院で育っていれば……同じ年頃の友達をたくさん作って、明るい幼少期が送れただろうか。


この孤児院は、或斗の目には小さな楽園のように見えた。






普が孤児院へ戻ってきたのは、孤児院での夕飯の時間より少し前のことだった。


普からは特に何も話がなかったので、周辺を見回っても手がかりの類はなかったのだろうと或斗は結論付けた。


その辺りを下手につつくと蛇ではなく拳が出てくるので、或斗は明日の再調査の際に詳細を聞こうと考える。


代わりに或斗は孤児院での話を共有する。


この孤児院の方針の話や、夕飯を一緒にどうかと誘われていることなどである。


高楽は本当に日が暮れるまで子供たちと遊んでいるか、若い修道女に粉をかけることしかしていなかったので、何も言うことはない。



「飯は断れ」



或斗の共有に対し、普は短くそう言った。


それに過敏に反応したのは高楽である。



「そんな! 何でそんなこと言うんすか普パイセン! 美人シスターの手料理を食べる機会なんて人生で滅多にないんっすよ!! もったいなぶふっ」



普はシンプルに拳1つで高楽を黙らせると、淡々と理由を述べる。



「この施設の周辺には畑らしきものは無かった。ということは自給自足をしていないってことだ。こんな辺鄙な山の中まで食料運んでくるのにどれだけ手間と金がかかると思う? 急に男3人分の飯なんて増やしたら、次回の食料配達までにガキか職員の食い扶持を削る必要が出てくるだろうが」


「えっ…………? 普パイセンが……人道的なことを言ってる……腹でも下したんすか? 熱がある? まさか普パイセンと入れ替わった宇宙人すか?」


「お前が俺のことを宇宙人より倫理観のない人間だと思っていることはよく分かった」



或斗は高楽より若干賢いので黙っていたが、内心は同意見であった。


ひとしきり高楽を殴り倒してなお不機嫌な顔をしている普に、或斗は尋ねる。



「本当にそんな理由ですか?」


「お前もお手軽整形を受けたいのか、ドブネズミ」



絶対零度の視線で見おろされた或斗は大きく首を横に振った。


そういった経緯で、或斗たちは孤児院の温かい夕飯を丁重に辞退し、食堂の一角を貸してもらって持参したレーションと水で夕食を済ませた。


むしろ子供たちが初めて見るレーションに興味津々で、分けて分けてとねだられて大変だったのだが、普はそれについては止めなかった。


或斗の居た孤児院では、メインの食事といえば安くてマズいレーションであった。


そんなところでも孤児院の方針やランクの違いというものを感じ、この環境で育つことの出来る子供たちを少し羨ましく思った。


或斗たちはもちろんキャンプ用品を持ってきていたので、孤児院を出て外で休む選択肢もあった。


しかし修道女たちは「お疲れでしょうから、ベッドでお休みになっていってください」と空き部屋を貸してくれると言うし、それを断る理由は何もなかったため、或斗たちは厚意に甘え、知らぬ山の中だというのに幸運にも屋根と布団のある場所で休めることになったのだった。






深夜、静まり返った孤児院の廊下をひたひたと足音殺して歩く気配がある。


その人物は音を立てないように或斗の休む空き部屋の扉をそっと開き、薄暗い室内へその身を滑り込ませる。


そして狭い部屋に1つしかないベッドが人型に盛り上がっているのを確認すると、修道服の下に隠していた大振りのナイフを出した。


月明りにギラリと光るその刃が、ベッドの膨らみに向かって振り下ろされる――


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